守秘義務ですから2
「そこ、座れ」
彼が指したのは鏡の前の椅子だった。先程いた部屋からは移動し、周囲は静かだ。
てっきり説教でもされるのかと思っていたけれど、椅子の向きを鑑みるとそうではないようだ。
鏡に向かって腰を下ろした私に、森田さんは胸ポケットから一枚の大きなハンカチを取り出す。それをケープのように私へかけた。
一連の動作があまりにも洗練されていて、声も出せず見入ってしまう。
と、彼の手が私の髪をわしわしと掻き乱した。
「ひゃ……!? え、な、何ですか!?」
「うるせー。こんな髪じゃだらしねえから、俺が切ってやるっつってんの」
「えっ」
そんな軽いノリで!?
いや、自分で適当に切っておいて今更だけれど、彼に任せて本当に大丈夫だろうか。
私の不安を察したのか、森田さんは「心配すんな」と鼻で笑った。
「こう見えても美容師目指してたんだよ、昔」
「ええッ、そうなんですか!? すごいですね」
美容師から執事って、一体彼にどんな心境の変化があったんだろう。
何だかすごい人だなあ、と感嘆していると、私の頭を掻き回していた彼の手が止まる。
「……お前、さっき散々俺に罵られて、よくそんなこと言えるな」
これまでとは違う、気迫に欠けた声。
目線を上げれば、鏡の中で森田さんと目が合った。
「ええ……? いや、私は思ったことを心の中にしまっておけないだけです、多分」
「それもそれでどうなんだよ」
気の抜けたように笑みを浮かべた彼が、「悪かったな」と口を尖らせる。
「えっ、何がですか?」
「てめー、せっかく謝ってやったのに言わせんのか!?」
「あ、罵られたとかってやつですか? 全然気にしてないので大丈夫ですよ!」
「ほんとうぜー……」
執事というよりかは、ガラの悪い美容師である。
それから森田さんは、至って真面目にカットしてくれた。美容師を目指していたというのはどうやら本当だったようだ。随所に現れる手際の良さに、何度も驚かされた。
「ほい、完成」
つんつん、とつむじを突かれて、首をすくめる。
鏡に映る像と対峙すれば、そこにはすっかりショートカットで落ち着いた自分の姿があった。
「結構メンズっぽいけど……案外似合ってんじゃん? てかお前、頭ちっさいのな」
別人、みたいだ。自分のことなのに、まるで違う人を見ているみたい。
黙って見とれていると、森田さんが「おい」と私の肩を小突く。
「聞いてんの?」
はい、と返した自分の声は、酷く浮ついていた。
「……すごいです、本当に。全然知らない人みたい……」
「そりゃ良かった」
ここでは誰も私を特別扱いしない。「花城百合」じゃなくて、ただの見習い執事としてそれぞれ思ったように接してくれる。
叱責も侮蔑も、今の私にとっては毒じゃなくて薬だ。
「で、一つ聞きたいんだけど」
「何でしょう?」
私の両肩に手をかけ、森田さんが声を潜める。
「――何で花城のお嬢さんがここにいんの?」
息が止まった。この場で聞くはずもない名前が彼の口から飛び出し、心臓が嫌な音を立てる。
「なんの、ことですか」
「おいおいしらばっくれんのか? 嘘つくにしてももうちょい上手く吐けよ」
まさか彼は、最初から分かっていて私をここへ連れ込んだのだろうか。だとしたら誤魔化しようがない。
でも、私は今までほとんど社交の場に出たことはないのだ。私の顔を分かっている人は多くないだろうし、だからこそ強気でここに来ることができた。
「あんたがいつも通ってる美容室。あそこに、専門学校のとき研修で行ったことあんだよ」
「え……」
「随分と綺麗な顔したガキだなって思ったから覚えてるよ。店の前に高級車つけて、『あれはいいとこのお嬢様だ』なんて噂になってた」
そんな繋がりがあったとは。
もしかして――だからさっき、私の顔をあんなにじろじろと見ていた?
「何が目的か知らねえけど、蓮様なら婚約者がいる。ま、専属にもなれなかったみたいで残念だな」
「婚約者……?」
「あんたもお嬢様なら分かるだろ。親に決められた相手がいんだよ」
私と同じように蓮様も。政略結婚、だろうか。
それにしたって心外だ。私は何も、蓮様のことをどうにかしようと思ってここへやって来たわけではない。そこの誤解を解いておかなければいけないし、告げ口なんてされたらそれこそ即刻クビだろう。
「違います! 私はただ、夢を叶えるためにお金を稼いでおきたいだけで……」
「玉の輿ってか? あー、無理無理。あんたには悪いけど、お相手は相当いいとこのお嬢さんだから」
手をひらひらと振って宣う彼。
だから違うって言ってるのに。しかし否定を重ねても取り合ってもらえなさそうだったので、渋々諦めた。
「……竹倉さんに、言うんですか?」
「あ? 別に言わねえよ」
「どうして……」
尻すぼみになった私の問いに、森田さんは「なに、言って欲しいの?」と顔をしかめる。
「そうじゃないですけど! でも、」
「どうしてってンなもんなぁ」
面白いからに決まってんだろ。
不敵に口角を上げた彼が、堂々と言い切る。手早く片付けを終えると、そのまま森田さんは部屋を去って行ってしまった。