守秘義務ですから1
「大っ変に申し訳ございませんでしたッ!」
腰を曲げて九十度。今しがた自分がしでかした失態に、頭の芯まで凍てつく。
木堀さんを探して辿り着いた奥の部屋。そこにいた儚げな美少女は、なんと蓮様その人だったのだ。
あまりにも綺麗だったのと少し興奮していたのとで、深く考えずに、やや強引にメイクを施してしまった。
「それはいいから、早く落としてくれない? もうすぐ夕食の時間でしょ」
「は……はい、今すぐに!」
怒っているんだろうか。それとも呆れている?
声を荒らげるわけでもなく淡々と私に指示を出した彼に、慌てて頭を上げた。
本当はクレンジングをしっかりしたいところだけれど、そうもいかなさそうである。ひとまずメイク落としシートで妥協することにして、私は「失礼致します」とかなり今更な断り文句を入れ、彼の肌に触れた。
「今は簡易的に落とさせて頂きますが、洗顔の際は念入りに……特に目元などは汚れが残りやすいので、」
「あのさ」
私の言葉を遮った彼の声色に、とげとげしさはない。それどころか、むしろ穏やかだった。
「このこと、誰にも言わないで」
命令と位置付けるにしては、頼りない口調。懇願にも似たそれに、私は戸惑う。
「このこと、と言いますと……」
「僕が母親の部屋にいたこと。ドレスを着ていたこと。……ここまで言えば分かる?」
「は、はい! かしこまりました」
こくこくと何度も首を縦に振った。
そんな私の様子を鏡越しに確認すると、彼は納得したかのように目を伏せる。
メイクをすっかり落としきり周囲を軽く片付けていると、彼がおもむろに立ち上がった。そしてなんの前触れもなく自身の髪の毛を引っ張る。
「あ――」
綺麗なブロンドはウィッグだったようだ。顔を出した彼の地毛はシルバーグレー。重力に従って、さらりと真っ直ぐな毛先が揺れた。
不思議だ。今はメイクもしていないし、ウィッグもつけていない。正真正銘オトコノコなのに、底抜けの透明感が拭えない。綺麗な人だ、と先程と変わらない感想が浮かんだ。
「何?」
アンニュイな目が私を詰る。
あまりにもまじまじと見つめすぎてしまった。再び謝ろうとした刹那、彼は今度こそ有無を言わせぬ口調で告げる。
「着替えるから出て行ってくれない?」
「はい! 申し訳ございません!」
半ば叫ぶように返事をして、部屋から飛び出す。
やってしまった……。
初日に追い出されたらどうしよう、と全く笑えない心配が早くも脳内を埋め尽くした。
「はあ? 女ァ~~?」
自身の顎に手を添え、品定めするかのように上から下へと私を視線で舐め回す、目の前の男性。
彼は森田さん――五宮家に仕える、敏腕執事だ。
「森田。そんなに人をじろじろと見るんじゃない」
竹倉さんがそう忠告すれば、森田さんは不服そうに眉根を寄せる。
「いや、女って……正気か? 竹倉、本当にお前が認めたのかよ」
「それ以上はセクハラにあたるぞ」
夕食の席は何とかお咎めなしで乗りきり、ほっと一安心。その後、使用人全員に収集がかかり、私と草下さんが簡単に自己紹介を終えたところだ。
自分が圧倒的に視線を集めている自覚はあったけれど、その中でも森田さんの視線は鋭かった。
「葵様はまだ幼い。奥様がご不在の今、専属執事に女性を添えるのはむしろ的確だと思うが」
「女性って……こいつもまだガキだろ」
「森田。口を慎め」
竹倉さんが執事長、使用人の中では一番責任のある立場というのは聞いた。森田さんは竹倉さんの補佐的立ち位置で、見たところ二人は対等に言い合える関係性のようだ。
「あ、あの!」
場の空気が張り詰めてきたのを感じ、私は咄嗟に手を挙げた。
一気に刺さった注目に、う、と少し尻込みしてしまう。
「私、ガキかもしれませんけど……ちっちゃい子は好きなので大丈夫です!」
「ああ!? そういうこと言ってんじゃねえんだよ! てか葵様をちっちゃい子って言うな!」
「す、すみません……!」
しっかり怒鳴られてしまった。
森田さんの機嫌は私の発言では直りそうにない――というか、悪化している気がする。
「ていうかお前、」
「佐藤です! お前ではなくて!」
「うるせー! 佐藤! その中途半端な髪型は何だ、ふざけてんのか!」
森田さんが指をさしながら指摘してくる。
私は自身の毛束を摘まみ、「これですか?」と首を傾げた。
「昼間のオーディションの時、邪魔だったので切ったんです」
「はあ? 頭イカれてんのか?」
「えっ? いや、イカれてはないと思います!」
「だーっ! 何なんだよお前! もういいわ、ちょっとこっち来い!」
がし、と腕を掴まれ、そのまま連行される。
竹倉さんが珍しく「森田!」と声を張り上げた。そんな彼に、私は軽く手を振る。
「あ、大丈夫です! ちょっとお話してきますー!」
「お前は黙っとけ!」
再度森田さんに怒られたものの、以降は大人しく引き摺られることにした。