お初にお目にかかります6
たっぷり十秒は沈黙が続いただろう。意味が分からない、といったように眉根を寄せる彼女に、私は立ち上がる。
「せっかく素敵なドレスをお召しになるのですから、お化粧した方が絶対に映えますよ。お嬢様ほど綺麗な方ですと、そのままでも十分お美しいですが」
「何を、言って……」
「わあ! ドレッサーもあるんですね!」
丁寧に使用された痕跡のある、数々のメイク道具。周りには煌びやかなドレス、そして最高にして最強の逸材。
こんなの、またとないチャンスだ。どうしよう、わくわくする!
「さあお嬢様、こちらへどうぞ」
「い、いや……」
「大丈夫です! 私、お化粧の腕には自信ありますから!」
あまり乗り気ではない彼女の背中を押して、ドレッサーの前へ。
諦めたのか渋々腰を下ろした彼女に、私は早速取り掛かった。
まずはスキンケアから。しっかり保湿をして、メイクのノリを良くしていく。
「お肌すべすべですね~! 真っ白でふわふわで……どんな色でも似合いそうです」
あまり普段からメイクはしないのだろうか。私が肌に触れる度、彼女はくすぐったそうに鏡の向こうで目を細めた。
スキンケアが終われば、次はベースメイク。
彼女の肌は何もつけていなくても陶器のようだけれど、色素沈着を防ぐためにも下地やファンデーションは大切だ。
「何かご希望はございますか? ドレスに合わせてピンクメイクにしようと思うのですが……」
肌の白さが引き立つようにビビットなピンクを目尻に入れるのも可愛いし、儚い雰囲気を壊さないナチュラルな仕上がりも捨てがたい。
彼女は私の言葉に緩く首を振り、「分からない」と言った。
「こういうの、全然分からないから」
「左様でございますか……」
見かけによらず少しハスキーな声。
木堀さんがザ・女の子といった声だったので、その対照的な声にいささか驚いた。
「ではナチュラルメイクにいたしましょう。きっとお似合いですよ」
アイシャドウはコーラルがかった薄ピンクをベースに、何度か少しずつ重ねて自然な血色感を演出する。細いブラシで目尻に引いたアイシャドウは、アイラインの代わりだ。
まつ毛をビューラーでくるりと上に向かせ、マスカラを丁寧に塗っていく。
頬にほんのりとチークを乗せて、潤い重視のリップを唇に塗れば――
「できました!」
それまでずっと目を瞑っていた彼女の肩を、優しくたたいて声を掛ける。
「もう目を開けて大丈夫です。終わりましたよ」
私が言い終わった直後、彼女の瞼がゆっくりと開いていった。
長くてふさふさのまつ毛と、ぱっちり二重。瞬きするたびにコーラルピンクがちらちらと顔を出し、ラメが光る。
「……すごい」
ぽつりと、彼女が呆けたように呟いた。
鏡を凝視したまま、ひたすら自身の変化に驚いているようだ。
「お嬢様は元々可愛らしいので、あまり手を加えていないんですよ。本当に、ちょっと色味を足しただけです」
嘘じゃない。そもそもが整いすぎていて、こちらとしてはメイクし足りないくらいだ。
きらきらしたもの、可愛いもの、綺麗なもの。昔から見るのが好きだった。
それはメイクも例外ではなく、しかし家では「化粧なんてまだ早い」と封じられてきたのだ。
どうして? 可愛くなりたいだけなのに。綺麗になろうと努力するのは、いけないこと?
誰にも見つからないように、こっそり雑誌を読んだりメイク道具を買ったり、そんな窮屈な世界に嫌気がさして。
自分が駄目ならせめて、誰かに施したい。誰かを着飾りたい。そう思うようになった。
「……君は、魔法使いみたいだね」
彼女はそう言って、鏡に手を伸ばす。鏡の中の自分をなぞるような仕草に、どこか憂いを感じた。
「魔法使い、ですか?」
声もそうだけれど、喋り方も独特な彼女。
私の問いかけに頷くと、「シンデレラの話は知ってる?」と質問を返した。
「はい、存じております」
「ドレスのないシンデレラは舞踏会に行けない。そこへ魔法使いが現れて、シンデレラをドレスアップするんだ」
彼女の長いまつ毛が伏せる。その奥に潜む瞳は、酷く寂しげだ。
「その魔法使い――まさに君じゃないか」
鏡越しに視線がぶつかった。どきりと心臓が跳ねて、呼吸を忘れる。
「お嬢様は……舞踏会へ、行かれるのですか?」
やっとの思いで口を開いた私に、彼女は「行かないよ」と鼻で笑った。
「僕は、シンデレラじゃないから」
「え……?」
こんなに可愛らしい女の子がこのお宅にいただなんて。今の今までぼんやりと夢見心地だったそんな思いは、一瞬で砕け散った。
どういうこと? 蓮様と葵様の他に、ご息女がいたということではなくて?
「あの、つかぬことをお聞きしますが、お嬢様のお名前は……」
震える声で問う。
鏡の中で私の目をひたりと捉えた彼は、残酷にもその事実を言い放った。
「――五宮蓮。この家の、長男」






