お初にお目にかかります5
いま、なんて? そう聞き返さずにはいられない、問題発言である。
しかし当の本人である竹倉さんといえば、涼しい顔で淡々と続けた。
「といいますのも、今回執事を募集していたのは、ご主人様と奥様が半年間海外に行かれるからなのです。ご主人様の海外出張に、奥様も同伴なさるということで」
と、そこまで話を聞いて、私は首を傾げる。
だとしたらこの豪邸には今、主人が誰もいないということ。それなのに、一体誰の専属執事を?
「そこで、草下様には五宮家のご長男、蓮様の専属を、佐藤様にはご次男、葵様の専属執事をお願いしたく存じます」
「え……」
まさか、大事なご子息様の専属執事を!?
「そ、そんな重要なお仕事、見習いである私たちになんて……」
反射的にそう嘆くと、のし、と右肩に草下さんの手が乗る。
「おーおー、一緒にしないでくれるかお嬢様。こちとら本気で執事目指してる身なんだわ」
「……お嬢様じゃないです」
「はいはい悪かったよ」
隣の彼を下から睨みつければ、意外にもあっさりとよけてくれた。
自分がほんの少しだけ短気な自覚はある。
「俺は構いません。むしろ光栄です。是非やらせて下さい」
胸を張る草下さんに、私も負けじと背筋を伸ばした。
「私も、精一杯頑張ります! やらせて下さい!」
どっちみち、帰るという選択肢はとっくのとうにないのだから。与えられた役目をきちんとこなさないと。
竹倉さんは「ありがとうございます」と事務的に頷き、それから脇に控えていた木堀さんを呼んだ。
「木堀、二人を部屋に」
「はい!」
「ではお二方、よろしくお願い致します。仕事の説明は明日から始めますので、本日はひとまずお部屋の方で荷物の整理等を行っていただければ」
そう告げると、竹倉さんは書類をまとめて立ち上がり、応接室から去って行った。
木堀さんがその後を引き継ぐように会釈をする。
「草下様、佐藤様。こちらです」
「……あー、と。その呼び方、やめませんか」
歩き出した木堀さんに、草下さんが歯切れ悪く言う。
「はい……?」
「もう俺ら客人じゃないですし、むしろ木堀さんたちの方が先輩なんで。様とかいらないっていうか」
確かに。
追随するように私も彼の隣で何度も頷いていると、木堀さんが照れ臭そうに微笑んだ。
「そ、そうですよね。私、使用人の中で一番下っ端なもので……先輩と言われてしまうと、何だか恥ずかしいです」
眉尻を下げて少し嬉しそうに話す彼女の、なんと可愛らしいこと。
木堀さんは一体何歳なんだろう? 私たちとさほど変わらないようにも見えるけれど。
「では、草下さんと佐藤さん。行きましょう」
張り切った様子で再び歩き出した彼女を見て、まあそれはいつか機会ができた時にでも聞いてみよう、と思い直した。
割り当てられた部屋は、寝るだけにしては十分すぎるほど広かった。
そもそも部屋にいる時間はほとんどないだろうし、ゆっくり寝られれば問題はない。
今日の夕食の席で、私と草下さんは五宮家のご子息に顔を合わせることになっている。
長男の蓮様は私と同じ十五歳、次男の葵様は五歳だそうだ。
窓の外はオレンジ色に染まっていた。
荷物の整理が終わったら木堀さんを訪ねるように、とのことだったので、私は部屋を出て彼女を探しに向かう。
「どこだろう……」
とにかく広い。それぞれの部屋の場所を覚えるのにも時間がかかりそうだ。
きょろきょろと周りを見回し、ひとまず奥から探索していくことにする。
大体どの部屋からも人の気配が感じられない。この辺りにはいないのかな、と踵を返そうとした時だった。
「あ、」
一番奥の扉から光が漏れている。
木堀さんだろうか。もしそうじゃなかったとしても、彼女の居場所を聞けばいいか。
そう思い、私は数回ノックした後、「失礼致します」と扉を開けた。
「――え、」
中からそんな声が聞こえて、顔を上げる。――息を呑んだ。
この部屋はウォークインクローゼットのような役割を担っているのか、実に色とりどりのドレスが身を寄せ合っている。
そんな空間の中、一際目を惹くのがピンクのフリルドレスだ。いや、正確に言うと、ドレスに目を奪われたわけではなかったけれど。
「君は……」
目の前に佇む可憐な少女。その形の良いピンクの唇が動いて、声を発する。
私をじっと見つめる瞳は、ヨーロッパの海のように澄んだ深い青色を宿していた。
なんて綺麗で儚いんだろう。
彼女の腰まであるブロンドの髪。艶やかなのに柔らかそうで、触れたら消えてしまうんじゃないだろうか。
心音が高鳴る。こんなに美しい人、見たことない。
「お初にお目にかかります」
数歩距離を詰め、それから跪く。
そうしろと言われたわけじゃない。自分でも、どうしてか分からない。それなのに。
「私、本日より五宮家にお世話になります。佐藤と申します」
この人に仕えたい――そう、強く願ってしまった。
まるで魔法だ。人の心を捕らえて離さないみたいに、この人には不思議な引力があるような気がして。
彼女こそ、最高の「お嬢様」だ。
「早速ですが、」
心臓を落ち着かせるように、自身の胸に手を当てる。
すう、と息を深く吸って、私は一思いに告げた。
「――私にお化粧をさせて頂けませんか?」
「………………は?」