お初にお目にかかります3
まず最初の課題は、食事の給仕。実際に料理の盛られた器を運び、テーブルへ。こうしたお屋敷では、お皿一枚とっても高価だ。マナーと同時に食器類の扱い方も見られる。
「主人の役は使用人が務めます。――木堀」
竹倉さんに呼ばれて室内に入ってきたのは、一人の女の子。メイド、なんだろうか。紺色のロングワンピースに白いエプロン、といった出で立ちだった。
「僭越ながら、私が務めさせていただきます」
ぺこりと頭を下げた彼女の声は、何とも可愛らしい。幼い顔立ちと小柄な体が印象的だ。
「お二人にはテーブルセッティングから行っていただきます。終わった段階で報告をお願い致します」
竹倉さんが壁際に立つ。先攻は私だった。
大丈夫、できるはず。だってうちも執事を雇っていたから。
パーティーなんて華やかな場には参加する気になれなかったけれど、どうしても家柄上、会食に同席しなければならない時があった。小さい頃から周りに使用人がいる環境で、常に彼らの動きを見て育ってきたのだ。
私はまず中央にお皿、それから周りにカトラリーを配置し、真っ直ぐに整える。次にグラスを二本。これは白ワインと赤ワイン用だ。最後にナプキンを立て、全体のバランスを見る。
「終わりました」
顔を上げたと同時、竹倉さんがこちらへやって来て、私がたった今セットしたテーブルをしげしげと観察した。
「ではサービスに移りましょう。木堀、座りなさい」
「はい」
彼女が椅子に手を掛けようとしたところで、私はそれを制した。代わりに両手で椅子を静かに引き、「どうぞ」と促す。
「あ、ありがとうございます……」
おどおどと会釈をした彼女は、きっとこういった扱いに慣れていないのだと思う。遠慮がちな感謝に笑顔で返すと、白い頬がほんのりと桃色に染まった。
最初はワイン。手早く栓を抜いて、ボトルの底を支えるように右手で持ちながらグラスへ注ぐ。
それが終われば料理だ。お皿は指をまっすぐ伸ばし、付け根で挟むように。
前菜、スープ、サラダ、魚料理と続いて、お口直しのソルベ。そしてメインディッシュの肉料理、最後にデザート。食後のコーヒーを淹れて終了だ。
とはいえ全て木堀さんが胃に収める――わけではなく、食べたという体で進む。
「――いいでしょう。では次に、草下様お願い致します」
無事に自分のターンを終え、ほっと胸を撫で下ろす。
最初にいた場所へ戻ろうと歩き始めた時、やけに視線を感じて顔を上げた。
ばちりと目が合ったのは、草下、と呼ばれた彼だ。
「……すげえ」
彼は呆けたように呟くと、私をまじまじと見つめながらすれ違っていく。
思わず、といった様子で零れた言葉だったのかもしれないけれど、執事らしからぬ口調だ。
しかし彼も彼で凄かった。私よりも全然手早いし、かといって食器類の扱いが粗雑なわけではない。
まさにそつなく、といった感じで課題をクリアした彼に、舌を巻いた。
「それでは次の課題に移りましょう。会場を移動しますので、こちらへ」
竹倉さんに従って中から外へ出る。辿り着いたのは、正面玄関とは反対側にあるコートだった。一面芝生で緑が目に優しい。
「ここでは少々体を動かしましょう。私が暴漢役として動きますので、お二人にはその対処をお願い致します。主人役は先程同様、木堀が務めます」
今度の先攻は草下さんだ。
私から見て右手に竹倉さん、左手に木堀さんと草下さん。
では、と短く開始の合図を出した竹倉さんが歩き出す。草下さんは木堀さんの前に回ると、剣呑な目つきで前を見据えた。
先に拳を突き出したのは竹倉さんで、その容赦ない洗練されたスピード攻撃に緊張が走る。
草下さんはそれを躱し、相手の空いた腹部に一発――入れようとしたところを、止められてしまった。
躱しては振りかぶり、避けては攻撃する。まさに一進一退だ。
竹倉さんは恐らく手加減しているのだろう。そうはいっても、草下さんだって攻撃に戸惑いというか、遠慮が見られる。本物の暴漢相手ではないからだろうか。
「……埒が明きませんね」
刹那、竹倉さんが草下さんの顔めがけて片足を振り上げる。空中でぴたりと静止したそれに、背筋が凍った。
「私相手に気を遣っていただいたようで、ありがとうございます」
平坦に述べるや否や竹倉さんは足を下ろし、スーツの乱れを整えた。
「佐藤様。交代です」
「……は、はい」
ちらりと草下さんの表情を窺うと、彼はすっかり青ざめていた。
数分は再起不能だなあ、あれ。そんなことを思いながら、私は「すみません」と手を挙げる。
「はさみとゴミ袋を貸していただいてもよろしいですか?」
私の申し出に、竹倉さんは今日初めてその眉間に皺を寄せた。
「アイテムの使用は不可ですが」
「あ、いえ! そうではなくて、少しだけ準備をしたいんです」
ますます怪訝な顔をした竹倉さんだったけれど、木堀さんに指示を出したところを見ると、了承はしてくれたようだ。
「佐藤様、お待たせ致しました!」
ぱたぱたと木堀さんが駆けてくる。
ありがとうございます、と彼女からそれぞれを受け取って、私は結っていた髪を下ろした。
「すみません、すぐに済みますので!」
一応全体に向けてそう声掛けをしてから、自身の髪を一束掬う。
「え――」
草下さんが目を見開いたのが視界の端に映った。
しゃき、と軽快な音を立てたはさみの刃が、私の髪を切り落としていく。大体の毛束を顎下まで短く切断し終え、ふるふると頭を振った。
「あ、ごみはきちんと自分で処理します! お待たせしました」
数秒前まで自身と繋がっていた、黒い髪。それが零れないように袋の口をしっかり縛り、私は振り返る。
と、草下さんはさておき、木堀さんも、なんと竹倉さんも――唖然とした様子でただ私を傍観していた。