お初にお目にかかります2
本当にすごい家だ。
五宮家の大豪邸を前にして、浮かんだのは何とも稚拙な感想だった。
真っ白な壁に、大きな窓。コバルトブルーの屋根が青空と同化して、どこまでも高く続いている。外から見てもわかる広大な緑の庭は、隅々まで手入れが施されていて、鑑賞にはもってこいだった。
重々しい門を押し開き中へ進むと、玄関アプローチの先にこれまた重厚な扉。その脇にあるインターホンを押して、ふう、と深呼吸をする。
「はい」
受け応えたのは男性の声だった。
僅かに緊張が走る。私は握った拳に力を込め、努めて明るく発した。
「あの、私、求人の件で伺った佐藤と申します! こちら五宮様のお宅でお間違いないでしょうか?」
佐藤――それは、私が「使用人」として働いていく上での名前と決めていた。
五宮家と比べてしまえばうちなんて大したことはないけれど、それでも一応念のため。家柄関係なく、自分の力で道を切り開きたい。色眼鏡なしに私自身を評価してもらいたい。そう思ったから。
「左様でございます。只今そちらへ伺いますので、少々お待ち下さい」
そう告げられ、ほどなくして目の前の扉が開いた。
姿を現したのは、聞こえた声と違わず男性。黒いスーツに眼鏡、といういかにも真面目そうな雰囲気の彼は、三十代くらいに見える。
「は、初めまして! 佐藤百合と申します!」
何事も最初が肝心! 意気込んで深々と頭を下げた私に、相手からの返答はない。
恐る恐る姿勢を戻せば、目の前の彼は私を凝視して固まっていた。
「あの……?」
何だろう、この絶妙に歓迎されていない感じの空気は。
身だしなみに不備があったかな、とさりげなく自身の体に視線を落として確認しても、目立った汚れなどは見当たらない。
「ああ――失礼致しました。どうぞ、中へ」
私の声掛けで我に返ったらしく、彼はそう促すなり軽く頭を下げた。
お邪魔します、と足を踏み入れ、眼前に広がった内装に息を呑む。
玄関から入って正面、まず客人を迎え入れるのがホールだ。床一面は木目調のパネルが敷き詰められ、大きな照明が目に眩しい。
「佐藤様。こちらです」
「す、すみません」
高い天井を見上げて立ち止まっていると、急かされてしまった。奥へと進んでいく彼に、早足で着いていく。
「こちらの中でお掛けになってお待ち下さい。準備が済みましたらすぐに始めますので」
「え?」
思わず聞き返すと、「何か?」と逆に問われてしまった。
「あ、ええと……始めるって、何を、でしょう?」
「何を、と言われますと、オーディションですが」
「オーディション!?」
一体何の!?
驚く私に対し、更に驚いたような顔をしたのは向こうだった。
でも、こちらだって負けていない。どうやら何か勘違いをしているようだ、と慌てて私は言い募る。
「私はこちらで使用人を募集しているとのことで、伺ったのですが……」
「ええ、左様でございます。ですから、そのオーディションをこれから行うのです」
なるほど。名門一家に仕えるのだから、面接ではなくて「オーディション」と少々大袈裟な工程を踏むらしい。
納得と同時に、果たして自分は合格できるだろうか、と不安が押し寄せる。そんな私に、追い打ちをかけるような言葉が彼から飛び出した。
「執事となりますと、少々業務内容も特殊になりますので。こちらとしましても適性を図らなければならないのです」
思考停止、のち、数秒。私は呆然と呟いた。
「執事? 使用人、と書いてありましたよね……?」
どういうことだろう。何か本格的に嚙み合っていない気がするのだけれど。
私の質問に、彼は「はい」と頷く。
「今現在、執事を募集しております」
「ハウスキーパーとか、メイドとか、そういったお仕事は……」
「間に合っておりますので」
そんなのありですか――――!?
心の中で大絶叫したはいいものの、事態が収束するわけもなく。
「きちんとご説明できていなかったようで、申し訳ありません。ご希望の職種でないということでしたら、恐れ入りますが本日はお引き取りを――」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
板に水を流すかのごとくつらつらと話を進める彼を、たどたどしく遮る。
だからこの人、私を見て不思議そうな顔をしたんだわ。執事なのに、女が来たから。
ようやくさっきの謎が解けたところで、私は再び口を開いた。
「受けます。オーディション、受けさせて下さい」
「ですが、」
「お願いします!」
今ここですごすごと帰るわけにはいかない。父には啖呵を切って出てきてしまったのだ。
正直、合格できる自信なんてないけれど、それでもやるだけやってみたい。
「分かりました」
端的に了承した彼は、近くにいた若い女性を呼び寄せた。彼女も使用人だろうか。
「いま女性用のスーツを手配しますので、そちらに着替えてお待ちいただけますか」
「は、はい、分かりました。ありがとうございます」
淡いピンクのブラウスに、白いスカート。自身の服装を見直してから、お礼を述べる。
執事ということは、やっぱりこれから先、スーツがデフォルトになるのかもしれない。
親切にも広い一室に案内してもらい、そこでワイシャツに袖を通す。
「……よし!」
決めたからには全力で。とにかく頑張ろう。
鏡の前で長い髪を束ねながら、一人意気込んだ。
着替え終わったら直接オーディション会場へ、とのことだったので、はやる気持ちを抑えながら歩き出す。履き慣れない革靴が、緊張感を助長した。
「すみません、お待たせしました!」
扉を開けて、第一声。
そこにいたのは、一人の見知らぬ青年だった。
「……女?」
勢い良く入り込んできた私を見るなり、彼はぽつりと零す。その声には侮蔑などではなく、純粋な驚きの色が含まれていた。
だだっ広い空間の中、私と彼の二人。気まずさに尻込みしている時だった。
「お待たせ致しました」
私が入ってきたのとは別の、前方の扉から現れた先程の男性。
細い黒の眼鏡フレームを指で押し上げ、彼は朗々と話し出した。
「本日はご足労いただき、誠にありがとうございます。私、五宮家の執事長を務める竹倉と申します。早速ですが、お二人にはオーディションと銘打ちまして、実技課題をこなしていただきます」
彼の説明によると、礼儀作法、調度品・貴重品の扱い方、そして護身術等々、様々な課題が用意されているらしい。
一通り内容を辿ったところで、竹倉さんが視線を上げる。
「と言いましても、今回の応募者はお二方だけですので、あまり難しくお考えにならなくても結構かと。場合によってはどちらも採用させていただきます」
一息ついた彼は、「では始めましょう」と表情を硬くした。