お初にお目にかかります1
扉を開けた先にいたのは、まさしくお嬢様。
ピンクのフリルがスカート部分を彩り、散りばめられたグリッターが照明のもとで眩く光を放つ。
腰まであるブロンドの髪がふわりと舞って、濃紺の瞳が私を捉えた。
「君は……」
艶のある薄い唇が動く。
視覚で与えられる情報すべてが、きらきら輝いていた。目の前の「少女」に目を奪われる。逸らせない。
まるで、魔法にかけられてしまったみたい――。
「お初にお目にかかります」
自身の胸に手を添え、心音を宥めるようにゆっくりと発声した。
数歩近付き、跪いて名乗ってから、興奮冷めやらぬままに私は告げる。
「早速ですが、――私にお化粧をさせて頂けませんか?」
「………………は?」
この時、自分が出会った「お嬢様」の正体をもっと早く知っていれば。
そんな後悔はきっと、後の祭りなんだろう。
でも、ここへやって来たことは後悔していない。
自分のことは自分で決める。だって私の人生なんだから――。
***
「絶っ対に嫌!」
ばん、とテーブルを両手で叩いて立ち上がる。広い空間の中、私の叫び声が響き渡った。
「まあまあ、百合……落ち着きなさい」
目の前で身振り手振り、私を宥めにかかる父。
落ち着け、と言われてすぐに落ち着けるほど、人間の体も心の動きも単純じゃない。
険しい表情はわざと崩さずに、私は渋々椅子に腰を下ろした。
そんな私の様子にひとまず安心したのか、父が早口で言い募る。
「何も、十八になったらすぐに結婚しろというわけじゃない。高校を卒業するまでは自由にしてもらって構わないと、向こうも言っているんだ」
「当たり前だわ! 高校どころか、私は大学だって行くつもりなの!」
「そ、それは……」
分かりやすく言葉を詰まらせる父に、む、と頬を膨らませる。
「お父様だって分かっているでしょう。私は自分の会社を立ち上げることが夢なの。結婚なんてしたら、それどころじゃなくなるわ」
「起業なんて……本気で言っていたのかい? 百合がそんなことをする必要はないんだよ」
「私はいつだって本気よ!」
このままじゃ埒が明かない。
そう思った私は、半ば投げやりに言い放った。
「とにかく、断っておいてよね。第一、自分の結婚相手は自分で決めるわ」
私が述べているのは、至極当然のこと。好きな人とお付き合いをして、結婚して、家庭を築いて。
でもそれは、私には許されていない。
「いくら百合の我儘でも、それは聞けないよ……」
「どうして?」
「そりゃあ……もうお相手にだって話を、」
「政略結婚だから?」
オブラートに包むこともなく、平然と聞いてのける。
目を伏せた父はそのまま黙り込んでしまった。
政略結婚。そんなものがまかり通る環境に、私はいる。
両親は国内外問わず活躍する敏腕医師だ。現に、母はオーストラリアへ出張中。
この春から高校生になる私は、父に話があると呼ばれて階下におりてきた。
来月――四月は私の十六歳の誕生日。プレゼントだよ、と渡されたのは、全く知らない男性の写真だった。それは要するに婚約者。うっかり恋人なんてつくってしまわないよう、このタイミングで存在を知らしめておきたかったのだろう。
「す、すごく感じのいい人じゃないか。ほら、ハンサムだし、優しそうで……」
ハンサムって死語だよ、分かってる?
私の機嫌を取ろうと必死な父を、ジト目で眺める。
「かっこいいとかかっこ悪いとか、そういうんじゃないの。勝手に決めないでっていうことよ」
普段ある程度私の我儘を聞いてくれる父も、さすがに今回は折れてくれない。
それもそうだろう。何せ、これは花城家の問題なんだから。
花城家は代々、お医者様。大じい様も、おじい様も、お父様も、みんなそう。
息子だったら医者に、娘だったら医者の嫁に。それが暗黙のルール。
この家に女の子として生まれた私は、優秀なお医者様の妻として生きていくレールが敷かれていた。
でも――
「分かったわ。お父様がそんなに言うんなら」
「百合……」
でも私は、絶対に夢を諦めたくない。
「私、この家を出る!」
好きでもない人と結婚して、ご機嫌取りをして、静かに年老いていくなんて。そんなの嫌。
叶えたい夢がある。やりたいことがある。この名前が邪魔になるなら、捨ててしまえばいい。
「な――何を言ってるんだ! いい加減なことを言うんじゃない!」
「いい加減じゃないわ。ちゃんと当てはあるんだから」
そろそろ結婚の話をされるんだろうな、と、実は分かっていた。
だから私は毎日こそこそと調べて準備をして、作戦を練っていたのだ。
「私、五宮家に行くから!」
五宮家――それは、大手IT企業の社長のお宅。
うちもそこそこ立派な家だけれど、そこはメディアで取り上げられることもある大豪邸だ。
そんな五宮家は今、使用人を募集しているらしい。
住み込み可、食事つき。しかも試用期間後、場合によっては永久就職ができるとか。
お給料はもちろん申し分ないし、起業するまで時間もお金もかかる。こんな好条件、どれだけ願ってもなかなか降ってこない。
私は本気で家出を考えていたのだ。
「五宮家だって!? 何でまた……」
呆気に取られたように声を上げた父に、私は毅然と告げる。
「もし五宮家に認めてもらえたら、私もう帰ってこないから。結婚も諦めてよね」
「ちょっと百合、待ちなさい! こんなこと瑠璃が知ったらどうなるか――こら! 話はまだ終わってないぞ!」
言うだけ言って、くるりと背を向けた。
母はどうせ夏まで帰ってこない。父だって結局は私に甘いし、母には頭が上がらないし、発言力は弱いのだ。
抗議じみた父の叫び声を背後に聞きながら、階段を駆け上がって自分の部屋へひた走る。
「……ふふっ」
やっと自由だ。私はもう、自由に生きられるんだ!
胸中に広がったのは、不安よりも遥かに大きい期待。これからの未来に思いを馳せ、自然と笑みがこぼれた。