序-3 参道にて
──神凪神社、参道。
神凪神社への道をひたすらに駆ける。
参道を阻む木に擬態した魔物は、器用に根を伸ばしながら一人の女性を襲おうとする。
「あら、お生憎様!」
しかし、彼女は襲いくる木の根を華麗に躱すと、人面樹の額を手元に召喚した銃で撃ち抜く。
断末魔をあげることなく、魔物は霧散し消えていく。
「隊長、前方に三体確認した!」
「オッケー!」
分身体がやられたことを焦ったのか、他の人面樹が隊長と呼ばれた女性を仕留めるべく根を伸ばし、鋭く尖らせる。
そして、女性の腹部めがけて尖らせた根を突き刺す──!
だが。
「遅い!」
根は空気を貫き、女性の身体はいつの間にか宙を舞っていた。踊るように空中で回る女性の手には、新たな銃が二つ。
余裕の笑みを見せながら、魔物が反応するより早く放たれた弾丸は二体の額を貫き、
「ごめんなさいね?」
着地と同時に背後の人面樹を撃ち抜いた。
「見事だ、隊長」
「どうも。さ、行くわよ」
五秒という短い間に、三体の魔物を同時に討伐してみせた女性は、優雅に一礼。再び魔物の本体が潜伏しているであろう神凪神社を目指して走り始めた。
「しかし、参道だけですでに五体以上。魔物名、人面樹が過去に自らを分身させる術を持っていると判明しているとはいえ、この数は」
「ええ、多分だけど貴方が思ってる通りよ」
参道の階段を登りながら、マリアとその部下の影浦は、ここまでの道のりでの出来事を思い返し、そしてそこから繋がる危険性を考えていた。
霧の魔物は本来、街中に現れれば即座に排除される。
理由は、街の人々への被害が出る可能性を危惧して。そしてもう一つ、霧の魔物の性質が理由となっていた。
霧の魔物は、出現してから時間が経てば経つほどに強さが増す。最初は弱く、すぐ倒せる。だが、時間がある程度経過すれば討伐の難易度もずっと上がる。
『タイコンデロガ級』とされる魔物は、二階建ての家屋程度の大きさと通常の魔物よりずっと強大な力を持つ。それよりも上の魔物はいるが、それは過去に一度出現以来、まったく確認されていない。
今回の問題点はそこではなく、人面樹もタイコンデロガ級ほどの強さではない。
しかし、人里に出現。討伐から逃れた魔物がこうして現れた。さらに、数日前にも、街中に魔物が出現するという事件が起こっている。
本来、魔物は人里に現れることは少ない。にもかかわらず、こうして街やその周辺に当然のように現れる。
この現象が起こった場合、それは“ある出来事”の予兆である可能性が高くなる。その出来事……というのは。
「おそらく大規模侵攻が起こる。それも、かなり近いうちに」
──大規模侵攻。
魔物の出現量が通常よりもはるかに多く現れるようなことが起きた時、その名で呼ばれる。
人類はこれまで、六回の大規模侵攻を乗り越えてきたが、失ったものはあまりにも大きかった。
前回、つまり第六次侵攻が起こった際、日本は魔物による北海道への集中攻撃を受け、人類は撤退。北海道の地は魔物によって奪われてしまったのだ。
大勢の犠牲者が出る、魔物による侵攻。
その予兆が今、この風飛市で起きている。
「どうする隊長。頭に報告するか?」
「……いえ。まずは目の前のことと、麗矢君を第一に。早いところ、本体を片付けるわよ!」
「御意」
大規模侵攻の前触れ。軍人として放ってはおけないが、そのせいで怪我をしたら元も子もない。
流れるように目先の魔物を撃ち抜き、マリアは影浦と共に参道を走り、神凪神社の本殿へと向かう。
「……! 隊長、避けろ!」
「ッ!?」
突然、物陰から猛スピードで根が伸びて襲いかかる。影浦が叫んだおかげで、マリアに怪我はなく服を掠める程度で済んだ。
しかし──
木の根はマリアへの追撃ではなく、何かを目指して一直線に伸びていく。
「……嘘でしょ、そっちは!」
木の根の伸びていく先を見て、マリアは焦りながらも駆け出す。
その方向は、マリアたちが通ってきた道。遠目で認識したころには、木の根は参道へと続いている階段を降りていく。
瞬間、木の根の狙いが何であるかをマリアは理解した。
「(まさか知性が……? いや、そんなはずはない!)」
今いる位置から階段までは大した距離ではない。手元に銃を召喚し、弾丸を木の根に撃ち込みつつ、根が伸びる方を目指す。
「……!」
マリアが撃ち込んだ弾丸は全て根に当たる。だが大したダメージは与えることができなかったのか、木の根は瞬時に傷口を塞いでしまう。
「まさかこれ……本体の……!」
そう判断した後の行動は早かった。
足を止め、根の追跡から根の破壊へと目的を変え、二丁の銃を喚び出す。
「雷鳴散弾──装填!」
花の装飾が施された二丁の銃は雷を帯び、その銃口を伸びる根に突きつける。
そして──
「発射──!」
引き金を引き、号令のような掛け声。
その直後。銃口が激しい光と雷が落ちるような音と共に、高熱の弾丸が木の根を焼き切った。
巨大な穴が作られた木の根は、痙攣しながら地に落ちる。整備された道が伸びていた勢いによって破壊されるが、焼き切られた木の根の活動は完全に停止したようだった。
それを確認すると、マリアは再び階段の先にいるであろう彼の元へと走り出す。
「隊長! まだだ!」
「──‼︎」
影浦の声に、マリアは新たに別の銃を喚び出す。左右前後、あらゆる方向からの攻撃を警戒しながらも足を止めない。
「(どう来る……)」
目を瞑り、周囲の音を逃さぬよう聴覚を研ぎ澄ます。
倒す。その意思を持てば、必ずその一撃に敵意や殺意が込められるのだが、それを一切感じられない。
魔物の目的は理解している。なら後は、その目的のための行動を予測し、攻撃を仕掛けるだけ。
「…………!」
一瞬。一秒にも満たなかったが、何かの蠢く音を、マリアは聞き逃さなかった。
音が聞こえ、マリアの視線はそこに向く。一切の躊躇なく銃口を地面に突きつけ、今度は詠唱はなしに──
「そこ!」
凄まじい熱を帯びた雷弾を、地中に向けて撃ち放つ。
すると、地面の下から現れたのは、穴を開けられた木の根の一部だった。地中から現れた根は、ダメージを受けたからか次々にその姿を露わにしていく。
「──────…………ぉぉぉぉ」
「……ん?」
木の根が地の底から這い出るのとは別に、か細い声が聞こえた。それも、先程目指していた方向から。
「…………ぉぉぉぉおおおおおおおお!?」
木の根が完全に露わになり、振り上げられたその先端。そこに声の主はいた。
「れ、麗矢君!?」
足首に木の根を巻きつけられた麗矢は、まるで魚のように木の根に釣り上げられてた。
そしてすでに根は機能を失っており、木の根から開放された彼は不安定な体勢のまま、地面に落下──
「──よいしょっと」
「ゔっ」
するよりも早く、マリアは麗矢の体に手持ちのリボンのようなものを巻きつけ、麗矢のことを引き寄せた。
「大丈夫? 王子様」
引き寄せた麗矢を、お姫様のように捕まえると、マリアは騎士のように凛々しく笑ってみせる。
「……手ェ離せ」
一方で、麗矢は不満全開の顔をしていた。
マリアが力を緩めた瞬間にその手を解き、そのまま横に動いてマリアの手から離れる。
「あら、つれないわね」
「女騎士に姫様持ちされる王子とかダサすぎるだろ」
肩の埃を払いながら、麗矢はマリアから距離を置く。純粋に恥ずかしかったから。それもあるが、一番の理由は……彼女の後ろにいる男だ。
「貴様……隊長に何してる……」
と、影浦の視線が自分に対して強い負の感情を飛ばしているのを感じてしまったから。
別に怖いとかそういう感情はなく、彼は純粋に、
「(めんどくさっ……)」
厄介ごとを避けたかっただけである。
「ごめんなさいね。結局、貴方を巻き込んじゃったわ」
マリアは影浦のことなど気にかけず、麗矢を巻き込んだことを気にしていた。
「いや、初心者を戦闘に駆り出さないのは当然だ。間違った判断じゃねぇ。それに……」
麗矢は、あの場所で起きた出来事についてを二人に簡潔に伝えた。
人面樹が自分を殺そうとしたこと。初めて戦闘で魔法を使用できたこと。そして何故か魔物が自分を狙っているであろうこと。
「……なるほどね」
話を聞き終えると、マリアは不思議そうな目で麗矢のことを見ていた。
「……貴方、魔法使えたの?」
魔法使いになったばかりでは、魔法の制御や使い方が理解できずに暴走、あるいは不発するケースが多い。
だが麗矢はキョトンとした顔で、右手に炎を出して見せる。
「ああ。思ったより簡単にいってよかった。あんたに教わってなきゃ、多分死んでたな、俺」
「…………」
手の上で揺れる炎を見つめながら、麗矢は真剣な表情で手を握りしめ、炎を消す。
その一連の動作を容易くこなしてみせた麗矢のことを、信じられないという目でマリアは見ていた。
「(私が教えたのは、ほんの基礎。それもかなり大雑把。なのにこんなに早く……)」
マリアの説明した知識だけで魔法を使えるようになるなんて、まずありえない。しかし実際に、麗矢は使うどころか魔物を倒してみせている。
その事実が、マリアの中での麗矢の評価をぐんと押し上げた。
「(この子……天性の素質がある。それも、魔法に特化した形で……!)」
なんて存在だ、と自分の手を開いたり閉じたりしながら魔法を出す麗矢のことを、マリアは驚愕しつつも興奮していた。
魔法の才能がある人間は存在するが、初日の戦闘で単独討伐をしてみせるほどの逸材はグリモアの現生徒会長や、始祖十家と呼ばれる者たちくらいだ。
そんな逸材が今、目の前にいる。
無尽蔵の魔力。前代未聞の魔法。それだけでなく戦闘と魔法の使用のセンス。
それらを見て、マリアは確信した。
黒金麗矢は、間違いなく魔法使いという存在の支柱となりうる人物であると。
「……ねえ麗矢君。卒業したらうちの部隊に来ない? 貴方はきっと──いいえ、絶対にうちのエースになれる。それどころか、私の後継者になれるかも」
これだけの才の持ち主を放っておくのが勿体無い。と、マリアは麗矢にマーキングしておこうと企む。だが、
「悪いが、軍に所属する気はない。守らなきゃならない奴がいるんでね」
「あら、残念」
その誘いを、麗矢は簡単に断ってしまった。
まだ詳細すら話していないのに即断るというのは、卒業後の目的がすでに固まっているということ。
刹那鈴の守護。それが、麗矢が魔法学園に行くと決心した主な理由だ。麗矢の中に、魔法使いの評判や軍に所属するという考えなどあるはしない。
あるのはただ、護りたい人のために強くなる。その意志だった。
「……妬けちゃうわね」
「あ? なんか言ったか?」
「いえ、別に? 鈴ちゃんが羨ましいなって思っただけよ」
「んだよそれ」
普通に会話して和んでいるが、依然としてここが戦場であることは変わりない。
二人が会話しているその裏で、影浦は小さな端末を開き、周辺の情報を探っていた。
「隊長。本殿に魔物の本体はいないらしい」
「詳しい位置情報は?」
「参道を外れ、少し奥に進んだ先に潜んでいるようだ。が、そこ目掛けて真っ直ぐ突き進んでいく人影が二つ確認できた」
少し駄弁っていた間に、本体の位置を特定したことに、麗矢は関心の目を向けていた。
「すでに動いてるってわけね。影浦! その子たちの援護向かうわよ!」
「御意」
隊長の指示を受けるより先に、影浦は端末を片付けて次の行動に移る。
「(こんなんでも立派な国軍の軍人ってわけな……)」
なんて麗矢は思っているが、マリアや影浦が所属する部隊は、彼が想像しているよりずっと上の位置にある。
特殊部隊『霧を狩る者たち』こと『HMS』。
対霧の魔物に特化した国軍の精鋭部隊。隊長であるマリアを筆頭に、部隊の指揮官が選出した精鋭を集結させた国軍の切り札とも言える部隊。
つまり、国軍のトップとも言える部隊だ。
それを知らない麗矢は、マリアたちのことを国軍の一部隊とそこに所属する軍人程度にしか思ってなかった。
「麗矢君。これから先、貴方を守りながら戦うわ。しっかり着いてきて」
戦闘時のスイッチが入ったマリアは、麗矢と会話していた時の雰囲気とはまるで違っていた。
「わーってるよ。それに、自衛だってできると思う。油断はしないが、それなりに援護させてもらうよ」
マリアの雰囲気が変わったのと同じように、麗矢もまた気を引き締める。
ここまで来てしまったら、引き返すことはできないと理解している。そうなると、強制的に同行することになるということも。
だがそれは逆にさらに魔法を練習できるチャンスであり、同じ魔法使いであるマリアの戦いを観察できるいい機会でもあった。
「隊長。指定ポイントまで先導する。魔物は任せた」
準備が終わり、影浦は銃を手に先に森の中へと足を踏み入れた。
マリアと麗矢はその魔物がいるという森の中に目を向ける。
魔物が出現しているせいか、神社周辺の森も若干だが禍々しくなっているようにも見えた。
「麗矢君、あまり無理はしないで」
「ああ。あまり前線には出ないよ」
「それじゃ、行くわよ!」
「りょーかい」
それでも、二人は臆することなく森の中へと入り、魔物がいるという場所へと走って向かうのだった。
***
「……そういえばだけどよ」
「何?」
森の中を駆けながら、麗矢はマリアに話しかける。
「ずっと引っかかってたんだけどな? 先に動いてるっていう二人って、誰なんだ?」
先程、魔物の居場所に関する報告の中で出た一言。
二人の人影。すでに動いている。
この文から察するに、マリアの部下か他の国軍の部隊のどちらかなのだろうが、その二人がなんなのか、麗矢はわずかではあるが自問に感じていた。
「ああ……それね」
麗矢の質問の内容を理解すると、マリアは走る足を止めず、麗矢を横目で見ながらその質問に答える。
「おそらくなんだけどね。その子たち──」
***
──同時刻。神凪神社近辺、山奥。
マリアたちが魔物の本体を目指すその一方で、そこまでではないが、険しい道を駆け抜ける二人がいた。
「ハァ──!」
猛々しい声と共に振り下ろされた刀が、魔物を一閃する。魔物は断末魔を上げながら霧散していく。
それを確認すると、刀を持った少女はその魔物を踏み越え、意図せずに魔物の本体が潜むポイントに向かっていた。
「すごい気迫……! 怜、あまり無茶はしないで!」
それを後ろから追いかける、一人の少年。
大した特徴のない、茶髪頭の平凡そうな少年は、怜という名の少女のことを気にかけていた。
「わかっている! お前も無理のないようにしてくれ!」
巫女服を見に纏った少女。彼女もまた、自分の後ろを着いて走る少年のことを、焦りつつも気にかける。
「頼りにしているぞ、大地!」
「うん!」
二人は慎重に、しかし全速力で、神凪神社へと向かっていた。
……この少年。
名を、空野大地。十六歳。
彼こそが、世界唯一の魔法『魔力譲渡』を使う“転校生”と呼ばれる少年だった。