185 飢えし者
「ヴァロン……。どうしてここに……?」
突如室内に姿を現した男性――ヴァロンに珍しくパティが真顔で問いかける。
どうやら彼のことをかなり警戒しているらしい。
そんなパティの様子に、ヴァロンは恐らく微笑みを浮かべているであろう声音で言った。
「そう怖い顔をしないでください、パティ。私は別にあなたを取って食おうとしているわけではないのですから」
「へえ、そう言って前にボクを食べようとしたのはどこの誰だったかなぁ?」
強気な口調で言い返すパティだが、彼に余裕がないのはエルマの目から見てもあきらかだった。
あのヴァロンという男が何者なのかは分からないが、相当彼に恐怖を抱いているようだ。
エルマが上体を起こすのと同時に、ヴァロンもまたこちらへと近づいてくる。
「あの時は本当にすみませんでした。つい美味しそうな匂いがしたもので、私も抑えが効かなくなってしまったのです」
そう言いつつも、まったく悪びれた様子を見せないヴァロンに、パティはエルマを守るように手で庇いながら言う。
「それで、今度はこの子を食べるつもりなのかな?」
「――っ!?」
ぎょっとエルマが驚いたように目を見張る中、ヴァロンは彼女らの前で立ち止まると、ずずずとエルマのことを覗き込んで言った。
「ええ、とても美味しそうです。聖女、聖女、聖女、聖女……っ。ああ、一体どんな味がするんでしょうね……っ。彼女を食べたら、私は一体どんな素晴らしい〝力〟を手に入れることが出来るのでしょうか……っ」
「……さあね。それは知らないけど、いい加減離れてくれないかな? いくらキミが序列〝一位〟だからって、この子の処遇はボクたち〝全員〟に任されてるんだからさ。というか、そもそもキミさっきいなかったよね?」
緊張した面持ちのパティにそう言われたヴァロンは、すっとエルマから顔を離して言った。
「ええ。〝聖女を捕らえた〟と聞き、少々昂ってしまいまして。このままでは件の聖女はおろか、あなたたちすらも一緒に食べてしまいそうだったので、そうならないよう一人で静めに行っていたのです」
「ふーん。じゃあさしずめ今は〝お腹いっぱい〟って感じかな?」
「はは、ご冗談を。私に与えられた異能は《超飢餓》――いくら食べても満足することなどあり得ませんよ」
「へえ、なのにそんな冷静でいられるんだ? 目の前にいるのはその捕まえた聖女さまだよ?」
「ええ。ですが彼女は私の知る聖女ではありませんでした」
そう言って、ヴァロンはエルマたちに背を向けて歩き始める。
「残念です。あなたがもし私の知る聖女たちのうちの一人だったのなら――即座に食い尽くしていたものを」
「「――っ!?」」
本当に、残念です……、とヴァロンの姿が部屋の外へと消えていった後、パティは「はあ~……」と大きく脱力して言った。
「危なかったね~。キミがあいつの知り合いじゃなくてよかったよ~」
「いや、むしろあんなやばそうなやつが知り合いの聖女とかあたしもごめんだわ……」
一体誰の知り合いなのかと、エルマは顔を引き攣らせていたのだった。
◇
六人の聖女たちと、同じく六柱の女神さま方を連れ、俺は空間の壁を越えて《絶界》の上層――《白絶界》を訪れていた。
エルマが捕まったのは自分の責任だからと、ポルコさんも同行を願い出てはくれたのだが、これ以上向こうの守りを疎かにさせるわけにはいかず、申し訳なくも彼には残ってもらうことにした。
アイリスたちにしても同じだ。
とはいえ、下手に戦力を分散させるのも危険なので、アイリスたちには一度ベルクアへと戻ってもらい、王さまや王妃さまをはじめとした自国の民たちを守ることだけに専念してもらうことにした。
もちろんポルコさんには再びミノタウロスの里でナザリィさんと復興作業に就いてもらっている。
「ここが《白絶界》か……」
ともあれ、《白絶界》は俺の想像と大分違うところだった。
〝絶界〟というくらいなので、上も下もないような暗黒の空間だとばかり思っていたのだが、きちんと踏み締めることの出来る大地が存在し、空にも満月が浮かんでいた。
ただ月はまるで鮮血のように赤く、俺たちの立つ大地にも一面真っ赤な花が咲き乱れており、〝白絶界〟というよりは、むしろ〝赤絶界〟とでも呼びたくなるような世界だった。
「――ようやっとお出ましでありんすか」
『!』
そんな大地に、彼女は一人佇んでいた。
大きく肩の開いた黒と赤の衣装に身を包む、古の娼婦然とした美女。
「ようこそ、《白絶界》へ。ぬしらの来訪を心より歓迎いたしんす」
――リュウグウ。
ティルナたちが相手になったという対近接格闘に特化した魔族である。




