175 身代わりの極致
「ぐうっ!?」
――ぶんっ!
〝拳〟の聖女の回し蹴りを紙一重で回避しつつも、リュウグウの胸中は穏やかではなかった。
当然であろう。
先ほどから幾度も致命的な一撃を与えているにもかかわらず、このティルナと呼ばれる聖女が何ごともなかったかのように向かってくるからだ。
いや、〝何ごともない〟というのは些か語弊がある。
確かに変化はあった。
最初に彼女の首をへし折ったあとのことだ。
再び立ち上がった彼女の身体からは、まるで炎のようなオーラが噴き出し、それは今も彼女を包み続けている。
何か治癒術のようなものかと訝しんだこともあったが、地の女神はおろか、もう一人の聖女からも何かをしているような挙動は見られなかった。
であれば、この不死身のような能力は一体なんなのか。
不死身なのは救世主だけではなかったのか。
――どごっ!
「ぐっ……」
分からない……っ、と困惑するリュウグウの拳をまともに顔面で受けたティルナだったのだが、
――ぐいっ。
「これなら避けられない……っ」
「なっ!?」
はじめから相討ち狙いで飛び込んできたらしく、リュウグウの帯をがっしりと掴んでいた。
「!」
そしてその瞬間、リュウグウは目の当たりにする。
今し方彼女の突進力を利用して一撃を叩き込んだはずの頬に、まったくと言っていいほど殴られた痕跡が残っていなかったということを。
まるでそう――〝はじめから殴られてなどいない〟かのように。
「グランド――エクレールブローッ!」
――どごおっ!
「がはっ!?」
腕を引くと同時に放たれた超高速のボディーブローが、リュウグウの身体をくの字に曲げる。
堪らず意識が飛びそうになったリュウグウだったが、そこは強靱な魔族の身体が幸いし、なんとかぎりぎりで踏み留まることが出来ていた。
だがその衝撃は凄まじく、吹き飛ばされた彼女は雪の大地を何度もバウンドし、ごろごろと転がる。
「げほっ、ごほっ……!?」
そして激しく咳き込みながら、リュウグウは「違う……っ」と首を横に振り、悔しさを全て吐き出すかのように声を荒らげた。
「ぬしのそれは、不死身や超回復とは別の代物でありんす……っ!? そもそもぬしにわっちの攻撃は届いておりんせん……っ!? そうでありんしょう……っ!?」
すると、ティルナは大きく頷いてこう返したのだった。
「ええ、そのとおり。あなたの攻撃は全部わたしの大好きなあの人が受け止めてくれている。自分が痛いのも構わずにわたしを守り続けてくれている。だからわたしは今こうして戦えていて、そしてあなたに勝つことが出来るの」
◇
「……〝身代わり〟、だと?」
厳かに眉根を寄せるエデンの問いに、炎のようなオーラを纏った〝槍〟の聖女――アルカディアは「そうだ」と頷きながら近づいてくる。
あれから掌打などの遠距離系攻撃を幾度か加えてはみたものの、衝撃こそあれ、彼女にダメージを負わせることは一度も出来なかった。
ならばと一層強大な力で押し潰そうとしたエデンを、アルカディアは「無駄だ」と一蹴し、自身が救世主の〝身代わり〟によって守られていることを告げてきたのだ。
「以前、聞いたことがある。あいつが元々持っていたスキルは他者のダメージを代わりに負う《身代わり》だったと。そしてそれがいつしか《不死身》へと昇華され、イグニフェルさまの力を得たことで《不死鳥》になり、最終的に今の《不死神鳥》へと落ち着いたのだと」
「ゆえにその《身代わり》を用い、汝を救済していると?」
「ああ、そうだ。あいつは優しい男だからな。嫁である私たちが傷つくのが我慢ならなかったのだろうさ」
そう不敵な表情を見せるアルカディアを、エデンは「笑止」と鼻で笑う。
「そも、一体どこに身代わるべき救世主の姿がある?」
「さあ、どこだろうな。どこだって構わないだろう? たとえどこにいようと、あいつは常に我らの側にいてくれているのだからな」
「戯れ言を。この場に姿を見せぬ者がそのような奇跡など起こせるはずがない。我を惑わすか、〝槍〟の聖女」
「ふ、そう思いたいのであればそう思っているがいい。だがな、我らにはそう確信するだけの〝根拠〟があるのだ」
「根拠だと?」
「ああ」
これだ、とアルカディアは自身の下腹部に手をかざす。
創造主より聞いていた〝フェニックスシール〟なる印が刻まれている場所だ。
正直、エデンには淫魔の刻印――〝淫紋〟と同じ類のものにしか思えず、ゆえに嫌悪感を抱いていた代物である。
「……度し難い。そのような汚らわしい刻印の力で、本当にこの我を倒せるとでも思っているのか?」
「ああ、思っているさ。あいつが私たちを守ってくれている限り、我らに敗北などあり得ん」
その瞬間、ごうっと側にいた二人の身体からも炎のオーラが立ち上る。
「ええ、そのとおりです。私たちの絆を〝汚らわしい〟などと罵った罪――その身を以て贖いなさい」
「はっ、まあそういうこった。いつまでも調子ぶっこいてんじゃねえぞ、泣き虫野郎。てめえはここでオレたちが叩き潰してやるんだからな」
「愚かな。ならばもう加減はせぬ。揃って無に帰すがいい」
エデンがそう告げた瞬間、今まで閉じられていた彼の両目がかっと見開かれる。
そしてぐぐぐと額にも第三の目が開かれようとしていたのだが、
「――そこまでだ、エデン。それ以上の解放を主は認めていない」
突如姿を現したヨミが、これを止めに入ったのだった。




