168 はじめての感情と女神の抱擁
「……何?」
ぴくり、とはじめて表情を動かしたヨミだったが、やがてやつは小さく嘆息して言った。
「虚勢だな。大方、俺の動揺を誘うのが目的だろうが、生憎俺には〝感情〟というものが存在しない。目論見が外れて残念だったな、救世主」
「いや、目論見も何も、俺はただ単に事実を述べただけなんだけどな」
「ほう? ならば本当にこの俺を倒せるとでも?」
ヨミの問いに、俺は「ああ」と頷いて続ける。
「むしろどうしてそんなに余裕でいられるんだ? 要は〝汚れ〟のない場所で倒せばいいだけの話だろ?」
「〝汚れ〟のない場所だと? 戯れ言を。そんなものはこの世のどこにも存在しない。である以上、お前が俺を倒すのは不可能だ」
「まあそう思いたければそれでもいいさ。なんなら今ここで試してやろうか? あんたが望むんなら、あっという間に消し炭にしてやるぞ?」
「……」
その瞬間、あれほど饒舌だったヨミが口を噤む。
大方、俺の言葉が真実かどうかを測りかねているのだろう。
何せ、ほぼ不死の上に無敵だと思っていた自分を〝倒せる〟と豪語する者が現れたのだ。
そりゃ訝しむのは当然である。
なら十分に悩むといいさ。
あんたが悩めば悩むほど、あんたが存在しないと言っていた〝感情〟が呼び起こされることになるんだからな。
まあそれで勝手に死ぬのを怖がって戦線離脱してくれたら言うことはない。
一応元は魔物というか、フィーニスさまの子どもたちなわけだし。
と。
「あはは、今回はヨミの負けだねー」
そう無邪気に笑いながら近くの木の枝に飛び移ってきたのは、ほかでもないパティだった。
「はあ、はあ……。ちょこまかと……っ」
遅れてエルマも姿を現し、未だ枝の上にいるパティを憎らしそうに睨みつける。
どうやら枝の上をぴょんぴょん飛び跳ねながら彼女の追撃を躱していたらしい。
「俺の負けだと?」
エルマ同様、パティに睨むような視線を向けるヨミに、彼は「うん」と頷いて言った。
「だって〝お前を倒せるー〟って言われてからヨミ全然動かないじゃん」
「……」
――ずばんっ!
「ひいっ!? ちょ、ちょっとぉ~!? 当たったらどうするのさぁ~!?」
ずずんっ、と木の上部が斜めに切り落とされる中、パティーが抗議の声を上げる。
すると、ヨミはそんなパティーの抗議を「ふん」と一蹴し、踵を返し始めた。
「戻るぞ」
「え、ちょ、ちょっと待ってよ~!?」
慌てて枝から飛び降り、パティーがそのあとを追っていく。
最中、ヨミは少しだけこちらを振り向き、俺に対してこう告げてきたのだった。
「覚えておけ、救世主。次に会った時がお前の最期の時だ」
◇
「覚えておけ、救世主。次に会った時がお前の最期の時だ(キリッ)――だってよぉ~!」
だっはっはっはっはっ! と涙目になりながら大爆笑するのは、言わずもがなオフィールである。
鬼人の女性も含め、皆の無事を確認してほっと一息吐いたことで色々と緩んだらしく、「しっかしあいつなんだったんだろうなぁ」と先ほどのやり取りを再現してきたのだ。
「そんなに笑わなくてもいいでしょうに。あの方はイグザさまのお命を狙っているのですよ?」
「にしたってダサすぎだろ? だってあいつ散々〝お前たちじゃ俺には勝てない〟とか言ってたんだぞ? それがイグザに挑発されたらビビって帰るって……ぶふっ」
再び噴き出しかけたオフィールだったのだが、
「何が、おかしいの……っ?」
「ひいっ!?」
かっと両目を見開いたフィーニスさまに詰め寄られ、だばだばとティルナの後ろに隠れていた。
「いや、その図体でティルナを盾にするのやめなさいよ……」
「しょ、しょうがねえだろ!? あの女神、クソこえぇんだから!?」
よしよし、とティルナに撫でられているオフィールに嘆息しつつ、俺はフィーニスさまに尋ねる。
「やっぱり魔物たちがもとである以上、気になりますか?」
「ええ……。たとえ姿形は変わっても、あの子たちが私の子であることに変わりはないもの……」
「そう、ですよね……」
でも……、とフィーニスさまは優しく微笑んで言った。
「ありがとう……。私のことを気遣って、わざわざあの子に選択肢を与えてくれたのでしょう……?」
「まあ、そんな大層なものでもないんですけどね……。ただあいつらはエリュシオンの都合で生み出されただけですし、別に戦わなくて済むならそれに越したことはないかなと」
「ふふ、あなたはやっぱり優しい子ね……。こっちに来て……。頭を撫でてあげるわ……」
「えっ!?」
当然、この状況で拒否することなど出来るはずもなく、俺は皆に半眼を向けられる中、フィーニスさまに甘やかされてしまったのだった。




