6.試合
「次の日曜日、試合があるから見に来て欲しい。」
唐突に告げられた。朝登校して上履きに替えている最中だ。言うだけ言うと俺の返事も聞かずに朝練あがりの香織は消えた。単語ではなく文になっているだけ進歩か。
だが何処で何時から試合があるんだよ。それと、まあ、たぶんだけどバスケットの試合だろうな。これでバトミントンの試合とか言われたら知らんわ。
香織にわざわざ尋ねに行くのはかったるい。というか、なんで俺が試合を見にいかなきゃならんのだ。行く気がないんだから聞きにいく必要もないだろう。俺の脳内で緊急会議が開かれ、結論に従って放置を決めた。
弁当の件は、香織が朝練で朝早いこともあって、途中で立ち消えになっている。あしたもと言っていたが、現実には弁当は出現していない。だから、俺は一人で昼飯が食えるようになっている。拓郎は遥香と二人で過ごせるようになっていて、ラブリーな手作り弁当を交換して何処かで食べている。
なので、俺は香織と顔を会わすことはない。連絡して会話をするなんてもってのほか。あとは放課後に出くわさないようにすれば万全だ。
「なんで見に行ってあげなかったの、直也くん。」
遥香が俺を詰問する。月曜日の昼に教室に一人で居た俺のところに、拓郎と二人で来やがった。二人の手には交換したお互い手製の弁当がある。確認したわけじゃないが多分というか確実にそうだろう。早く何処かに昼飯を食べにいけよ。
「知るかよ。場所も時間も分からん。そもそも何の試合かも俺は聞いてない。どうやったら行けるんだよ。」
「聞けばいいじゃないか、直也。」
拓郎、お前まで言うか。
「いや、来いという方に説明する義務があるだろう。言われたほうが、わざわざ何で尋ね直さなきゃならんのだよ。」
「伝え忘れただけでしょ。彼氏ならちゃんと聞いてあげないと。」
遥香から爆弾発言だ。何時だれがだれの彼氏になったんだよ。
「いや、香織のなかでは直也くんは彼氏らしいけど。」
宇宙人!香織様。どこがどう繋がったらそうなるんだ。そして、おまえ達は何を何て聞いたんだよ。
「手を繋いで帰って、手作り弁当を食べたんだろ、直也。」
ああ、確かに手を繋いで帰ったよ。通りすがりの顔見知りの同級生だけどな。
それに食べたよ。ただし香織様のお母様謹製の弁当だがな。その省略された文章で、俺を彼氏にするんじゃねえ。
俺の怒りの真実暴露に拓郎と遥香は戸惑っていた。
「でも香織は、直也くんのことを気に入っているんでしょ。」
犬や猫じゃねえ。気に入っていようが、こっちは御免だ。
「私と違って、香織は男の子と付き合ったこともないから、優しくしてくれた直也くんが運命の人になったんじゃないの。」
上から目線とは遥香は偉くなったもんだな。だが、それで運命の人になるのなら、運命の人がダース単位で増殖するわ。
「だから試合を見に来てほしかったんでしょ。」
「そうだよ、直也。香織は、練習試合だけど初めてスタメンに選ばれたんだ。だから晴れ舞台を直也に見て欲しかったんだろう。」
そうか、それは悪かったかも知れんな。だが、これが原因で縁が切れた方が俺の精神安定にはいいんじゃないだろうか。拓郎は香織との関係性が大事かも知れんが俺には関係ない。
「お弁当。遅くなった。」
地獄の死者が後ろから低い声を掛けてきた。
寒気がして、とっさに身を翻すと、弁当包みを一つ抱えた幽鬼が立っていた。
眼は紅く血走り頬は欠けて涙の跡が累々と残っている。
「試合は負けた。わたしのせいで。応援がなかったから。」
つぶやくセリフが鬼気迫っている。不自然に身体が左右に揺れている。妖気が立ち上り言外に俺のせいだと伝わってくる。
弁当が差し出された。目の前の机の上に置かれた。幽鬼は立ち去った。
喰えるか~。弁当から瘴気が立ち上っている気がする。これは破壊力100万位あるだろう。スカウターは何処だ。
「ちゃんと食べてあげてね、直也くん。」
「そうだよ。彼女の手作りなんだからさ、直也。」
おまえら視力はだいじょうぶか。耳は聞こえているのか。俺の言ったことは理解出来ているのか。
しかし俺に言うだけ言うと、二人は何処かに立ち去った。もはや二人の世界に入っている。何も聞かないし聞こえないだろう。
仕方なく俺は幽鬼を探して除霊の旅に出掛けた。手には幽鬼手製?の弁当を持って。俺にとって最凶アイテムだよ。たぶん幽鬼は校舎の屋上の貯水槽の陰で泣いているんだろう。階段を駆け上る後姿が見えたから。ここは最上階だしな。
途中でペットボトルの御茶を二本買ってから屋上に辿りつき、蹲って泣いている幽鬼の隣に俺は座った。
「すまんな。」
一声かけて弁当を広げた。中身は割と普通。だが、卵焼きが少し焦げている。幽鬼の手製だな。黙って、幽鬼の口にも放り込みながら、完食した。
「旨かった。御詫びに明日は俺が弁当を作ってくるわ。」
幽鬼が浄化されて菩薩になったようだった。隣から立ち上っていた妖気が消えて、華の香に似た芳香が漂うような気がした。
「でも試合、見にきて欲しかった。」
ぽつりと囁く言葉に、ためらいながら頭を撫でて、涙の跡を濡れハンカチで綺麗にしてやった。泣き笑いになった菩薩様だった。
次の日、教室で喰うのは憚られたので、例の屋上の貯水槽の陰で食べた。一人暮らしをしている俺に取って弁当を作ることは左程困難ではない。ちゃんと二つ作ってきておいた。だが二つの弁当を二人で喰うはめになった。口を開けたまま待つ雛は、運んでやらないと食べないのだ。面倒だ。
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