家族で料理
ウサギさんは、お母さんが持ってきてくれたケーキの箱の中をじっくり眺めていた。
「どれにしようかな。」
ウサギの手で指差し確認していた。そのウサギの手の動きが妙に笑いを誘う仕草だった。そして選んでいるときのウサギさんの顔は本当に嬉しそうだった。
「ねえねえ、直也はどれがいい?」
「俺はガドーショコラがいいな。」
「ええ、わたしも狙っていたのにい。」
「なら香織が取ったらいいよ。」
「ううん。直也に上げる。でもちょっと分けてね。」
ウサギさんはショコラが欲しかったようだ。だが俺に譲ってくれた。
「じゃあ、いちごのショートにする。」
満面の笑みを浮かべてウサギさんが選んだのはイチゴショートだった。やっていることを見ていると、女子高生にはとても見えない。ウサギの着ぐるみと相まって、幼い小学生にも見える。ただ妙に色っぽい小学生だが。
ケーキを持ってきてくれたお母さんはニコニコと笑みを浮かべて俺たちを眺めていた。
「香織は、昔から甘いものが好きだったよね。でも、最近は子供じゃないんだからって、妙に意地を張って、欲しがらなくなっていたわよね。」
「なのに、直也くんと付き合うようになってからは正直になったのね。」
お母さんは微笑みながら、娘の変化を喜んでいた。
「そ、そんなことないもん。わたしは大人だもん。」
口調といい、姿といい、大人には見えんよ。ウサギさん。でも可愛い。俺は思わずウサギさんを抱きしめていた。
「可愛いなあ、香織は。」
「もう、直也ったら。大好き。」
石が飛んできてもおかしくないだろう。だが、もちろんお母さんは、何も投げてはこない。投げてくるのは、慈愛の眼差しだけだ。
椅子に座ったウサギさんは、いつも通り口を開けて待っている。紅茶はマグカップに入れたので、ウサギの両手で抱えて自分で飲んでいる。俺が口に運ぶいちごのショートケーキとガトーショコラを交互にもぐもぐ食べては笑顔を見せていた。
ウサギさんの口は可愛い。紅い舌が動くのも魅力的だ。俺はウサギさんの口に食べ物を運ぶのが楽しい。ウサギさんも嬉しそうだ。ウサギさんが喜んでくれるから俺も更に幸せになる。至福のひとときだった。
傍から見たら胸やけする景色だっただろう。それでも、お母さんは微笑ましそうに俺たちを眺めていた。
「香織は、幸せなのね。」
「うん、とっても幸せだよ。」
にっこりしたウサギさんは、蕩ける笑みで母親の質問に甘やかな肯定の返事をしていた。結局、二つのケーキはほとんどウサギさんの口に入った。それに気が付いたウサギさんが俺に言ってきた。
「ひどい、直也。わたしだけに食べさせて、太ったらどうするのよ。」
「ちゃんと後でカロリー消費するから大丈夫だよ。」
俺が笑って答えると、ウサギさんは意味を理解して赤い顔をしながら言っていた。
「バカ。」
持ってきてくれたケーキを仲良く食べ終わったあとに、お母さんに改めて部屋を見回されて言われた。
「でも凄い部屋ね。ピンク一色の部屋なんて初めてみるわ。」
「そう。でも、とっても落ち着くのよ。」
笑顔のウサギさんが母親に答えている。その香織の身体の奥から溢れだす愉しげな情愛に、お母さんは眩しいものを見るような顔をしている。
「直也くんは、だいじょうぶなの。そのピンク一色って。」
「慣れたら大丈夫ですよ。ピンクの世界で、ピンクのウサギさんがぴょこぴょこ動いていると、ユーモラスで楽しいです。」
「まあ、直也くんがいいなら問題ないけどね。でも直也くんも香織のことが好きなのねえ。」
実感の篭ったお母さんの言葉だった。
「娘が愛されていて、嬉しいわ。香織を宜しくね、直也くん。」
「わかりました。こちらこそよろしくお願いします。」
お母さんは娘の幸せを願っていた。
ピンクは赤に光が当たった色だ。ピンクが好きな人は誰かに無条件に愛を与えたい、或いは愛情エネルギーを与えてほしい、自分の女性の部分を認めて欲しいという人が多いらしい。正に今の香織がそうだ。
ティータイムのあと、少しお母さんと話をしていた。内容は、俺たちがどんな生活を送っているのかということだった。香織は、甘い砂糖漬けの話を延々としていた。そして話をしている間に、俺の左腕に抱きつき、時には俺の顔を覗き込んで口付けをしてきていた。お母さんの前なんだが。
「直也の手作りのご飯は美味しいのよ。」
「毎日、わたしは美味しく食べられているのよ。」
「とっても嬉しいの。」
「一緒にお風呂に入っているわ。」
「お布団でも一緒に寝ているよ。」
「直也に抱きついて寝ているの。」
ひらすら惚気を聞かされたお母さんは苦笑する以外なかった。でも娘が問題なく暮らしているようで安心していた。
「そろそろ、夕方になるわね。今日はお父さん仕事で晩御飯は要らないって言っていたのよね。」
お母さんは何気なく言ったのだろう。だがそれを聞いた香織の返事に、俺とお母さんは狼狽した。
「じゃあ、お母さんも今日は一緒に晩御飯たべよう。久しぶりに、わたしが手料理をご馳走するわ。」
「香織、香織の手料理は最高だが、お母さんの料理も捨てがたい。二人で一緒に作ってくれると嬉しいな。」
「そうね。直也くんの手料理も食べてみたいし、三人で作るのはどうかしら。」
俺とお母さんの必死の抵抗だった。二人とも、嘘は言っていない。だが香織の手料理の脅威を如何に軽減するかが命題だった。香織は微妙な顔をしていたが、三人で料理をするのは楽しいという結論に達したらしい。
「わかった。じゃあ、三人で料理をしよう。」
笑顔で了解してくれた。俺とお母さんが胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。食材の買い物に出掛けることになり、ウサギさんは着替えが必要だった。
「ねえ、直也~。」
ウサギさんが手招きしている。
「お着替え。」
笑顔でウサギさんが頼んできた。
「どうしたの、香織。」
お母さんの疑問だった。
「あのね、この着ぐるみ、独りでは脱いだり着たりは出来ないの。だから直也が居ないとトイレも行けないのよ。」
香織はチェックを指しながら笑って言った。お母さんは何と言っていいか返事に困っていた。俺は寝室にウサギさんを押し込んでチャックを下げて着替えさせた。
三人で買い物に出掛けた。涼しげなブルーのノースリーブのワンピースに着替えた香織は、同色のミュールを履いている。そして俺の左腕に抱きついている。俺の右側にお母さんが並んで歩いていく。
「ねえねえ、何が食べたい。直也。」
「そうだな、まだ暑いしな。」
「やっぱり、さっぱりしたものかな。」
気温も高く、どうしてもさっぱりしたものを好みがちだ。だがそればかりだと体力が低下する。夏バテ防止にスタミナ料理もいいだろう。
「でも、それだと元気がなくなるかもしれないし、しっかり食べたほうがいいかな。」
「そうね、夏の旬野菜を使っての辛めの料理もいいかも知れないわね。」
お母さんが夏野菜の辛め料理を提案してくれる。
「ぴり辛なら、しょうが焼きかな。直也はどう思う。」
「そうだな、肉はウサギさんがいいな。」
「バカ。」
俺と香織の会話に、お母さんは何度目かの苦笑をしている。
「鳥の胸肉で、蒸して梅と併せるのも、美味しいわよ。」お母さん。
「それはいいですね。それに夏野菜のグリルもいいですね。」俺。
「じゃあ、それぞれ一品ずつ作ろう。」香織。
「「だいじょうぶかな。」」お母さん&俺。
「二人とも、ひどい。」香織。
「ごめん。悪かった。だけど手伝うよ。分量は目分量じゃなしに、決まった数字で頼むぞ。おまえはアドリブさえしなければ、美味しいのが出来るんだから。」
香織は、普通に作ったときは標準以上のものが出来上がる。変な独創性を追及したり、他のレシピをブレンドしなければいいのだ。まあ最低限、俺としては毒殺さえされなければいい。
ピンクの台所に三人は狭い。だが、譲り合って料理を完成させていく。
テーブルの上に、出来上がった料理が並んでいく。美味しそうな匂いが漂う。
手を合わせて頂きますをする。俺としては長く味わうことのなかった家族の団欒の一コマだ。なぜか風景がゆがむ。俺の涙に気が付いた香織が黙って拭ってくれる。そして笑顔で俺にキスをしてくれる。
俺が泣く理由と意味を知って、香織が傍に居てくれるのは心から嬉しい。
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