28.中山時代の彼女
「しまっていくぞ。」
北脇先輩の掛け声が上がる。いま俺たちは北脇先輩の高校で夏の合同強化合宿をしている。常勝を歌われる北脇先輩の率いるチームは練習試合の対戦相手として大人気だ。一緒に練習したいという高校も多い。本来なら俺たちのような弱小チームが頼めるようなところじゃない。
だが香織が手配を整えてくれた。香織はいつの間にか北脇先輩と連絡が取れるようになっていた。謎だ。俺は連絡先を知らないのに。うちのマネージャー達が、連絡先を全て香織に託したらしい。
にんまりした香織が俺に主張した。
「強くなるのなら、強いところから学ばないとね。このままだと試合もままならない人数だしね。北脇先輩のところなら、直也たちは扱いて貰えるし、一年生は基礎から教えて貰えるだろうしね。」
なぜか鬼コーチは俺とサブキャプにはキツイのに1年生には優しいのだ。
俺とサブキャプ、1年生5人の合計7名プラス香織で、総勢8名が合宿に来ている。助っ人たちは自分たちの部活があるからバスケ部の合宿に参加している場合じゃない。各マネージャーは彼氏とセットだ。それと顧問は挨拶だけしたら帰った。居てもすることがない。
昨日から一週間の予定で練習が始まっている。1年生は中学時代にバスケ経験をしていたのもいるが、全国区に到達していたことはない。
北脇先輩の教えはなかなかキツイものがある。初日から息が上がってぐったりしている。いきなり40分連続シャトルランはキツイって。体力作りは大事だけどさ。
一週間もの宿泊をどうするか問題になったが、北脇先輩の高校には合宿用の施設があった。そして俺たちも間借りさせて貰っている。割と特別待遇だ。
「部屋割りどうする。」
「二人部屋に俺と香織で入るから、あとは好きにしてくれ。」
「まじかよ。リア充め。」
サブキャプと俺が部屋割りの話をしたときの会話だ。
俺たち選手は、基礎的な体力を付けることから始まって、ドリブル・パス・シュートと技術的な基礎練習が進んでいく。連携などの戦術的な練習はまだだ。まだ早いだろう。一人一人の個人の能力を上げることが第一だ。俺も久しぶりの本格的なトレーニングで汗を流している。
香織は北脇先輩のチームのコーチからいろいろな話を聞いている。選手の体調管理に始まり、選手同士の相性の把握、対戦相手に応じて柔軟な戦術の選択まで、コーチとして必要な知識の数々だ。教えてくれるコーチも反応の良い香織には教え甲斐があるようだった。
「中山くん?」
シュートの練習中に、俺は後ろから声が掛けられた。振り向くとジャージに身を包んだ女の子がバスケットボールを持って立っていた。
合同合宿に参加している北脇先輩の高校の女子バスケ部の部員の一人だ。そして俺の記憶にある顔の面影がある。俺を中山と呼んでいるし、中学時代の知り合いだ。
「ひょっとして、香澄か。」
俺の中学時代の彼女らしき存在だった女の子だ。
「やっぱり、直也なんだ。3ポイントシュートの姿が直也だったからね。久しぶり。元気にしていた?」
香澄は嬉しそうに俺に話かけてくる。
「久しぶりだな。綺麗になって誰かと思ったよ。」
「またあ、そんなこと言って。」
香澄が少し照れている。
だが、ふと視線を感じて振り向くと、コーチと話しをしていた香織がこっちを向いている。俺と香澄の会話が聞こえたらしい。
香織の眼が俺を睨んでいる。視線が、その女性は誰、と聞いている。まずいな爆発する前に鎮火させないと。だが沸点が割と低いな香織は。
「香織。この子は俺の中学時代の彼女?だった香澄。」
「なんで疑問形なの、直也。わたしはちゃんとした彼女のつもりだったわよ。」
「そうか、すまんな。俺としては、付き合ってくれと言った覚えがないしな。なんとなく香澄と一緒に居ることが多かったと思っている。それに香澄との仲は自然消滅した感じだし、本当に付き合っていたのかなと疑問に思うところもあったからな。」
「なんで、そんなこと言うのかな。わたしは彼女だったわよ。で、今からでも彼女に立候補出来るかな?」
香澄が半分冗談気味に言う。近づいてきた香織の顔が強張る。噴火する危険性がある。
「ちょっと、香織抑えてくれ。」
俺は手っ取り早く香織を抱き締めてキスをした。
「直也!神聖なコートでそんなことするんじゃねえ!」
北脇先輩の怒声とボールが飛んできた。ついでに蹴りも入った。香織の機嫌は良くなったが、周りの雰囲気はリア充死ねになっていた。
休憩時間になった。香織が俺の左側にピタッと張り付いている。おまえは忍者か。
「二人で一つ。離れない。」
「わたしには綺麗なんて言ってくれたことない。」
小声で呪文を唱えている。おまえは呪いの人形かよ。まあ可愛いから許すけど。だめだ、俺も毒されているようだ。
「おまえは可愛いだろう。」
呪いの人形の機嫌が良くなった。
香澄が近づいてくる。香織が俺の左腕に指を食い込ますのを放置して、俺は香澄に話しかけた。
「さっきの話の続きだけどさ、自然消滅した話な。なんか俺は悪いことでもして、嫌われたんかなと思っていたよ。」
「そんなことはなかったわよ。」
香澄の眼は、なぜか潤んでいた。俺には理由が分からない。香織のときとは違う。俺は香澄を拒んだことはない。
「嫌いになんかなってないわよ。いまでもね。」
「じゃあ、なんでだよ。中学3年になってからだったよな。部活が終わってから一緒に帰るのがだんだん減っていってさ。部活がない日も、なんかいろいろあって別々になったしな。学校でもそうだし、休みの日も誘っても出掛けることがなくなったしな。」
俺は中学3年の一学期にあった夏の大会を最後に部活を終えた。北脇先輩が居なくなったチームでは全国には手が届かなかったから、県大会までだったが。
だから夏休みは受験勉強をしなければならなかったが、香澄と過ごす時間は持てると思っていたら、香澄と過ごす時間がなかった。
俺には思い当たることがなかったが、香澄には何かあるんだろうと思って、簡単に諦めた。
そのときの俺には、何が何でも香澄と居たいという感じじゃなかったからだろう。もともとなんとなく仲良くなって自然に一緒にいることが多くなっていたし、正式に付き合っていたわけでもない。離れていった香澄に改めて告白して付き合いを求めるのも、なんか気が進まなかった。
「わからないかな。わからなかったんだろうね。いまも分かってくれていないみたいだし。」
香澄は俺に向かって繰り返して言った。だが離れていった理由は言ってくれない。
「その前に、隣にいるマネージャーさんを紹介してくれるかな。」
「そうだな。ちょっと前から付き合っている。香織だ。俺の彼女だ。」
俺は香織を紹介した。呪いの人形と化していた香織は、いきなり笑顔の猫になって香澄を威嚇していた。やめろ。俺は香織の髪をなでなでして宥めた。
「香織です。直也の彼女をやっています。」
いやその言い方って、俺の彼女って職業なのかよ。
「彼女さんなんだ。彼女って紹介するんだ。彼女さんも彼女ですって言えるんだ。」
だが香澄は彼女という単語を繰り返した。
「いいな。」
香澄は心からうらやましそうに言った。
誤字脱字、文脈不整合等がありましたら御指摘下さい。