26.別れ話
エースと香織の別れ話です。
香織は朝ごはんを食べ始めた。俺も朝ごはんを再開した。紅茶を用意した母親は父親の隣に座った。ダイニングテーブルに向かい合わせに4人で座る形になった。父親と母親は紅茶を飲んでいる。しばらくそのままの静寂が続いた。
紅茶を飲んで一息ついた母親から香織に声が掛けられる。
「香織の好きな人は直也くんで最初から変わってないんだよね。」
朝ごはんを黙って食べていた香織の動きが一瞬止まる。
「お弁当を作って持っていったのは、直也くんなんでしょ。」
香織が顔を上げる。母親の言葉に何と返そうかと考えている。
「顔見知りの同級生って言っていたけど、実は好きな直也くんだったんでしょ。」
母親が笑っている。香織の顔が細かくふるえている。
「香織がお弁当を作るなんて珍しかったからね。何かあったんだろうとは思ったけどね。」
香織は何も言い返せない。食事の手は止まったままだ。
「逆にお弁当を作ってもらったのも直也くん。誰とは言わなかったけど嬉しそうに話してくれたからね。図書館で勉強したり、ラーメンを食べたり、ハンバーガーを御馳走して貰ったりね。浮かれていたものね。」
香織の顔が赤くなっていく。香織は母親にそんな話もしていたんだ。
「香織が楽しそうに話しをするのは直也くんのこと。逆に仕方なくという感じで話をするのがバスケ部のエースの子。」
「今年になって、香織が落ち込んでいたと思ったら、わくわくして春休みには拓郎くんと出掛けていったわね。がっかりして帰ってきたけど、最悪の結果じゃなかったみたいじゃない。手紙を握りしめていたしね。夏も行くって言っていたしね。」
香織が俺の顔をちらっと見た。香織の顔は上気していた。口はすぼめられ少し拗ねた顔になっている。香織は俺の手紙を受け取って夏の観測会にも参加するつもりになっていたんだな。俺は香織に微笑みかけた。
「夏の観測会は一緒に行こう。お前に夏の星空も知って欲しい。拓郎も来るだろうしな。」
「うん、行く。直也となら何処へでも行く。」
香織は勢いこんで返事をした。動きが戻った香織と俺は朝ごはんを食べ終えた。
朝ごはんを御馳走になった俺は、今度こそ帰ることにした。香織は俺を駅まで送ると言って付いてきた。香織の両親にお世話になりましたと御礼を言ってから俺は香織の家を出た。駅までの道を香織と歩いていく。香織はいつも通りに俺の左腕を握りしめている。
「あ、忘れていた。」
「何を?」
「連絡先。まえの携帯は解約しているでしょ。」
「ああ、名前も変わったしな。新しい携帯になっているよ。」
「だから、連絡先。あとメールと電話番号と住所。」
香織の追及は手加減なしだ。俺は笑って香織に全て答えた。俺からすべての情報を手にいれることが出来た香織はほっとしたようだった。
「こんど勝手に消えたら絶対許さないからね。地の果てまで追いかけるからね。」
「消えないよ。香織を置いて消えないよ。」
「なら、いい。」
俺の左腕に香織は頬を擦り付けている。猫みたいだ。香織から女の子の薫りがする。心が落ち着く。香織がそばに居る。
「夏休みの練習予定ってどうなっているの?」
「さあ、知らない。サブキャプは何も言ってなかったしな。練習試合も組んでなかったし。俺達は合宿なんかしないし、適当に自主練習するくらいじゃないかな。」
「それじゃ、ダメよ。わたしが行って見張る必要があるわね。合宿もしたほうが良いわね。」
香織はコーチの顔になっている。鬼コーチかな。
「いま何か考えなかった?直也。」
俺の心が読めるのか香織が俺を睨む。
「何も考えてないよ。」
俺は誤魔化す。
「まあいいわ。あと去年と同じ住み込みのバイトはするの?」
「いや今年はしない。」
「なんで。」
「砂川の爺さんが畑の手伝いをしてくれって言っていたからな。お盆前後に行く予定だ。そうだ香織も爺さんのところに来ないか。」
「わたしが行ってもいいの。」
「いいよ。訪ねたらきっと喜ぶよ。爺さんと婆さんに紹介もするよ。俺が付き合っている相手を二人も知りたがるだろう。俺は香織の両親に挨拶したんだしな。」
「直也のお爺さんとお婆さんって、ご両親ってことでいいのかな。結婚の挨拶は緊張するわね。」
香織がぶっ飛んでいる。結婚の挨拶って言ったら、二人の心臓が止まるかもしれんだろう。いや逆に宴会になるかもな。どっちにしろ歓迎はしてくれるだろう。
次の日、香織は学校でエースと向かい合っていた。
「一昨日は試合が終わってから何処へ行っていたんだよ、香織。みんなと一緒に帰って来なかったしさ。」
別行動のことを女子バスケ部の仲間から聞いたのか、エースは不満げに香織の顔を見ている。
「あんな3ポイントシュート連発する相手に負けたし、ダンクで勝負するのが本道だろうに。コーチにも小言を言われるし面白くもなかったんだぜ。」
エースは最初ただ言いたいことを愚痴っているだけだった。だが香織が何も言わず黙って聞いているだけなのに苛立った様子になっていった。それと3ポイントシュートを決め続けていた相手が直也だということには全く気が付いていないようだった。
「まあ、いいや。言っておきたいことがあったんだ。俺たち別れないか。合わないみたいだしな。」
いつの間にか男子バスケ部のマネージャーの女の子がエースの後ろに立っていた。マネージャーのほうを向いたエースが言葉を続ける。
「こいつは、試合に負けたあとも俺を励ましてくれたしな。俺はこいつと付き合うことにしたんで、香織とは終わりにしたい。」
香織にとっては渡りに船だが、なんと答えようと考えているのを、エースはショックを受けていると勘違いしていた。
「まあショックかも知れないけど、仕方ないだろう。俺たちは終わりだよ。」
言い捨てるとマネージャーと立ち去って行った。
一昨日の試合前に言われたのなら少しはショックを受けたかも知れないが、今の香織にとっては喜び以外何物でもなかった。これでエースから解放された。
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