25.お泊り
俺が香織の父親に挨拶をしているとき、香織は俺の左腕を抱きしめていた。父親の前なんだから少し離れろ。俺はさり気なく腕を離そうとしたが、香織は逆に力を込めて離すまいとしてきていた。だから、逃げねえから。
父親は俺の言葉と態度を見ていたが、香織の様子を見て穏やかな笑みを浮かべた。
「香織は君のことが随分好きみたいだね。」
俺は何と言っていいのか分からなかったが、隣の香織は頭をぶんぶんと二度ほど縦に振って意思表示をしていた。お前は首ふり人形かよ。俺はどうしたもんかなと思っていた。だがいつまでも玄関に突っ立っているわけにもいかない。迷惑だ。
「それでは、無事に香織を家に送ることも出来ましたし、夜も遅いので失礼します。」
俺は失礼して帰ろうとしたが、香織は腕を離そうとしなかった。
「ねえ、泊まっていったら、直也。パパもいいよね。」
香織の父親は突然のことで何と返事をしていいのか戸惑っている。
「ほら、パパも良いって言ってるでしょ。」
「いやお父さんは何も言ってないぞ。」
幻聴でも聞こえているのか、香織。
「言っているわよ、ねえ、パパ。」
香織が必死になっている。香織の様子をみていた父親が尋ねてきた。
「君の家は近くなのかい。」
「遠いの。ここから電車で二時間はかかるの、パパ。」
俺が答える前に香織が答えている。
「だから、泊まってもらってもいいでしょ。」
香織の勢いに押されたのか香織の父親は俺が泊まることを認めてくれた。
俺は眼を覚ました。一瞬どこにいるのか分からなかったが、隣に眠る香織の寝顔を見て思い出した。香織の家に泊ったんだ。ぐっすり寝ている香織を起こさないようにして、ベットを抜け出した俺は静かに1階に降りた。
昨日の夜、俺が泊まることを父親が認めてくれたあと、香織に引っ張られて2階にある香織の部屋に案内された。女の子の部屋らしくファンシーなクッションなどが置かれていた。ただベットはシングルで当然一つだ。だが香織は俺と寝るつもりだった。
いや彼女の実家で今日初めてあった父親と母親が階下にいるんだけど。同じ部屋という時点で既にアウトだろう。
「客間かなんかでも、なんなら廊下でもいいから寝させてくれよ。」
「なんでそんなことを言うの。直也はわたしのもの。わたしは直也のもの。二人で一つ。直也が廊下で寝るのならわたしも廊下で寝るから。」
香織が涙を溜めて言ってきた。香織は本気だ。どこで寝ても同じなら、ということで俺は香織の部屋で寝ることにした。うれしそうな香織の顔を見て、これでいいかとは思った。明日の朝の両親の反応は怖いが。
さらに開き直って俺は香織と風呂に入った。体を流しあって綺麗になった俺たちはシングルベットで寝ている。狭いので密着している。俺の胸に顔を埋めながら香織が言う。
「ねえ直也。もし赤ちゃん出来たら産んでいい?」
突然のことで俺の胸がドキっとする。だが俺に否やはない。
「うん、いいよ。というか香織が俺の子供を産んでくれるなんて嬉しいよ。家族が出来る。」
家族というところに本音が籠る。
「直也の子供が産みたい。」
「どうしたんだ、いきなり。」
「だって直也の子供だよ。直也の子供が産めるなんて幸せじゃない。」
香織は俺に顔を擦り付けながら呟く。俺は香織を抱きしめる。
「最初は女の子がいいかな。次に男の子。あとは出来る限りいっぱい産んでくれたらいいな。」
「うん、わたし頑張るね、直也。」
「俺も頑張るよ、香織。」
「え。」
「妻と子供を養わないとだめだからな。」
「そういう意味なんだ。てっきり・・・。」
「てっきり、なんだ、香織。」
俺は香織の弱いところを攻め始めた。
「だから、もう、分かっているでしょ。いじわる。」
香織はごまかそうとした。
「頼りにしているね、直也。」
気持ちよさそうな香織の眼が潤んでくる。俺と香織の口が合わさる。香織の眼は閉じられ幸せが顔に浮かんでいる。
1階に降りると、香織の両親に朝の挨拶をした。香織の母親が朝ごはんの用意が出来ているから食べるように言ってくれた。そして香織の父親が声を掛けてくる。
「こっちに座って話の相手をしてくれないかな。朝ごはんを食べながらでいいから。」
「はい、失礼します。」
俺は緊張しながら香織の父親の向かいに座った。俺が香織と風呂に入って同じ部屋で寝ていたことを、両親は知っているはずだが何も言われない。どこまで許容範囲なのか分からないが気を付けないとな。
母親手製の朝ごはんが目の前に置かれた。うまそうだな。弁当も旨かったが。
「直也くんは、いつから香織と付き合っているのかな。」
「きちんと付き合って欲しいと言って、付き合うようになったのは最近ですね。」
最近というか、昨日というのが真相だが。
「そうか。わたしは君のことは聞いたことがなかったんでね。まあ実際のところ、香織と彼氏について話をするなんて、父親であるわたしとはないんだよね。ただ妻から聞いたことがあったのはバスケ部のエースと付き合っているという話だった。」
エースのことを香織は母親には話をしていたのか。それを父親は伝え聞いていたんだな。
「君は香織と同じ高校なんだよね。」
「ええと、以前は同じ高校でした。ですが、わたしが今年の1月に転校したので、今は違う高校です。」
「そうなのか。じゃあバスケ部のエースというのは君のことじゃないのかな。」
「ちがいますね。わたしは今の高校に行ってからバスケをするようになったので。」
父親は興味深そうな顔をしていた。転校した俺がどうやって香織と付き合うことになったのか。バスケ部のエースとはどうなったんだというところだな。
「昨日君と一緒に家に帰ってきたときの香織の顔は、ここ最近見たことのない笑顔だった。それなのに君が帰ると言い出した時には、泣きだしそうな顔をしていた。だけど帰らずに泊まることになったときには、安堵した満ち足りた顔をしていた。まあ女の顔をしていたな。」
父親は香織をよく見ていたようだった。
「香織は君のことが好きで好きでたまらないのだろうね。父親としてはちょっと悔しいというか腹の立つ思いがあるが、娘が幸せそうなのを邪魔するつもりはないよ。香織のことを頼むよ。大切な娘なんだ。大事にしてやってくれ。」
「わかりました。わたしに出来る限りのことをさせていただきます。」
父親は大人の対応をしてくれている。俺は香織の父親の心配と期待に応えるべく返事をしていた。
バタバタと音がして息を切らした香織がリビングに顔を出した。
「ねえ、直也はどこ・・・。」
リビングにいた母親に向かって、口に出して言いかけたが、俺と父親が座っている姿が目に入ったのか途中で口を閉じた。リビングに飛び込んできたときには焦った顔をしていたが、俺の顔を見つけて安心した顔に変わっていた。
「彼はここにいるよ、香織。おはよう。」
「あ、おはよう、パパ。直也もおはよう。」
「ああ、おはよう、香織。」
「香織も朝ごはん食べる?」
母親が香織に聞いている。
「うん、食べる。」
香織は母親に返事をして、少しためらったが俺の隣に座った。父親の前だからだろうと思う。いまさらだよ。でも香織の顔はご機嫌だ。
「良く寝られたか、香織。」
「うん、すごく良く寝られたよ、直也。」
香織はしっかり寝て疲れが取れた顔をしている。だが俺の耳元に小声で恨み節の追加があった。
「目が覚めたら居ないし、勝手にどこかにいっちゃったのかって思って焦ったんだよ、直也。」
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