24.挨拶
「お疲れさまでした。」
試合に負けた俺たちはホテルを引き払い、家に帰ることになった。負けたけれどもベスト8だ。県大会では3位だったのと、くじ運もあって地方大会では2勝している。
地方大会は俺たちが住む県の隣の県で開催された。ちなみに香織が住む県、俺が以前住んでいた県は反対側の県だ。だから俺と香織は帰る方向が正反対になる。
駅まで歩き全員で別れを告げる。香織の顔が微妙に引き攣るのが面白い。だが俺は香織の荷物をもって香織と手を繋ぐ。乗るのは香織の住む県の方向へ向かう電車だ。マネージャー二人が香織に手を振っている。香織も手を振り返している。仲良くなったようだ。
「信じていたけどね、直也。」
香織が俺の左腕にぴったりしがみついて腕に指を喰いこませながら呟く。だから、跡形が残るほどきつく握らなくてもいいだろうが。
「わたしの反応を面白がっていたでしょう、直也。」
恨みの籠った声が俺の耳に届く。指にさらに力がこもる
「そんなことないよ。」
「うそ、面白がってた、ひどい直也。」
香織の顔は俺の言葉を信じていない。香織にはバレていた。
「ごめんよ。でも最初から俺は香織を家まで送るつもりだったよ。」
「だから、それは信じていた。でも、口と態度で違うことを言って、わたしの反応を楽しんでいた。いじわる。」
香織が俺の腕に頬を押し付けて恨みごとを言い続けている。
「悪かったよ。ごめんよ、大好きな香織。」
俺は軽く香織にキスをする。香織の機嫌がすこし良くなった。
「不安にさせないで、直也。」
「わるかった、約束するよ、香織。」
香織にもう一度キスをする。香織の顔がうっとりしている。
俺たちは電車の座席に並んで座った。小一時間ほどの旅だ。乗り換えは要らない。
「今日の試合はこれまでで一番楽しかったわ。自分が選手として戦うのじゃなくて、コーチとして指揮を執るのは面白い。試合を外から眺めることが出来るから、どこに誰を置いて何をして貰ったらいいかが良くわかったわ。」
香織は思い通りのゲームメイクが出来て満足そうだった。
「また良かったら指揮を執ってくれ。」
「任せてくれるのなら嬉しいけど、いいの。」
「ああ香織さえ良かったらな。うちの顧問はバスケの戦術や指揮を執るのは得意じゃないんだ。俺たちの体調管理や精神の安定を図るのは上手なんだどね。」
「よくそれで勝ってこられたわね。」
「まあな。大半がバスケ選手じゃないから、常識を逸脱したトリッキーな動きで勝利をもぎ取ってきたというのが実情かな。あとは俺の3ポイントシュートで点差をつけていた。」
「でも、研究されたら、そのうち勝てなくなるわね。」
「確かに。たぶん、秋以降は勝てなくなるだろうな。まあでも1年生が育てば、普通のバスケチームになっていくだろう。副キャプテンは2年生だし来年も居る。あとの2年のメンバーは自分の部活があるから、いつまでもバスケ部には居てくれないけどな。」
「直也はどうするの。」
「俺か。俺はバスケを続けるよ。俺はバスケが好きだからな。」
俺はバスケが好きだった。今も好きだ。これからも好きだろう。
「わたしはもう十分かな。あとは直也を見ているのが楽しいかも。北脇先輩のチームメンバーの判断と決断の早さを見ていて、自分の選手としての限界を悟ったしね。」
香織は努力のうえに努力を重ねて今に到達している。自分の選手としての伸び代があまりないことも理解していた。どう頑張っても到達出来ない天性の素質の部分があると。
電車が発車して香織の家の方角に向かって走っていく。
「ねえ、聞いていい?直也。」
ためらいがちに香織が俺に声をかけてくる。俺の左腕に香織の指が食い込んでいる。香織は緊張しているのかさっきより強い。いいかげん俺の左手が痺れてくる。
「なんでも聞いてくれ。ただその前に左腕を解放してくれ、香織。」
「ご、ごめんなさい。でもいじわるした直也が悪いんだよ。」
指は緩めてくれたが俺のことは許してくれない。まあ仕方ないか。
「名前、なんで変わったの。」
香織はストレートに聞いてきた。声は小さかったが一番聞きたいことを真っ先に聞いてきた。香織の視線は俺に固定されている。俺は淡々と答えた。
「最初は、親が離婚した。中山が父親の名字、瀬沼が母親の名字。それだけなら普通のことだけど、俺の両親は俺の存在が邪魔だった。どっちからも俺は拒否された。仕方なくマシなほうということで瀬沼を選んだけど、母親には産むんじゃなかったと言われた。自分の存在が全否定された。生きていたくなかったな。」
さっきと代わって、いきなり暗い話で香織の顔が曇る。
「だから俺は瀬沼の名前を早く捨てたかった。瀬沼の記憶を作りたくなかった。瀬沼の記憶を無くしたかった。お前には関係ない話なのに、そのせいでお前には嫌な思いをさせた。悪かった。」
何度謝っても済むもんじゃないし、俺の精神的負担を軽くするだけのことだが、香織に謝らずにはいられない。
「嫌なことを聞いてごめんなさい。辛かったよね。わたしと出会ったときは、そんな思いをしていたんだね。何も知らなかった。わたしも無神経だったよね。」
香織が逆に謝ってくれる。
「でも教えてくれてうれしい。わたしのことを信じてくれたと思えるから。直也のことをもっと知ったら、わたしに何か出来ることがあるか考えることが出来るしね。わたしにとって直也は居てくれないと困る存在だよ。わたしはずっと直也のそばにいるからね。」
香織は俺を癒してくれる。
「二度目は、瀬沼から逃げ出した。砂川は、父親の母親、婆さんが再婚した相手の名字。砂川の爺さんは気さくな人だよ。血の繋がらない俺を息子として養子縁組してくれた。だから砂川の爺さんには感謝している。時々畑仕事を手伝って恩返ししているけどな。」
いきなり消えた時期にあった出来事、女の来訪、香織に俺はすべて話した。黙って聞いていた香織は聞き終わると何も言わずに俺にキスをした。そして両手を俺の首に回して、正面から俺の顔を見る。
「直也にはわたしもいるからね。なんでもわたしに言って頂戴。出来る限りのことをするからね。」
「わかった。頼りにするよ、香織。」
「約束だよ。」
香織と俺は口と口を合わせてお互いの気持ちを一つにしていた。
二人で身を寄せ合って耳元で会話をする。
「わたしは直也のものだからね。だから直也もわたしのものになって。わたし以外の人に眼を向けたら嫌。わたしは独占欲が強いからね。束縛もするし、放っておかれたら泣くからね。めんどくさい女だからね。」
香織は面倒な女だと自分で言っている。香織はひたむきだ。恋愛にも真面目な面が強くでている。俺は香織を見つめてキスをする。
「いいよ。俺は香織のものだからね。そして香織は俺のもの。」
香織は俺に抱き着いて胸に顔を埋めている。
「直也はわたしの旦那様になるの。わたしは直也の奥さんになるんだからね。」
香織のなかでは結婚が規定路線になっている。何か言うと揉めるので放置だ。俺的に問題なければそっとしておくのが吉だ。
そんなこんなの会話をして俺たちは電車に揺られていた。そして香織の家に着いたのは、かなり遅かった。玄関には香織を心配した父親と母親が迎えに立っていた。
「初めまして、わたしは砂川直也と申します。」
俺は香織の父親に正対する。目をまっすぐ向けて挨拶をして頭を下げる。
「香織さんとは、真剣にお付き合いさせて頂いております。今日はわたしのバスケットボールの試合の応援に来ていただいておりました。終わるのが遅くなりましたので、送らせて頂きました。」
俺は香織と付き合っていることを父親に伝えた。
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