21.好き
「直也に声を掛けに行くけど、ついてくる?」
北脇が香織を誘った。香織に否はなかった。仲間に別行動することを伝えてから北脇を追ってついていった。
コートから下がってきた相手チームが廊下に現れる。関係者以外は通常入れないところだ。北脇達は参戦している高校のチームだから問題なく入れた。それにくっついていた香織も入ることが出来た。
香織の視線の先に汗にまみれた直也がバスタオルを頭から被っている。
「よう、直也。すごいじゃねえか。」
「あれ、北脇先輩。久しぶりです。」
「良く俺だって一発でわかったな。だけど久しぶりじゃあねえよ。何処行ってんだよ。高校でもおまえとバスケが出来ると思っていたのによ。居なくなったかと思ったら、いきなり敵として現れるんだからな。」
口では文句を言っていても北脇の顔は笑っている。古い仲間に会えたから。掛け替えのないかつての戦友に。そして北脇の腕で首を絞められた直也も笑っていた。
「すみません。いろいろと事情があるんですよ。」
「まあそうなんだろうな。」
「中山先輩、久しぶりです。みごとな3ポイントシュートの炸裂でしたね。」
「おう、久しぶりだな。おまえの調子はどうなんだよ。」
「絶好調ですよ。次は先輩の高校と当たるので、成長した俺をお見せしますよ。」
「そりゃ楽しみだ。期待しているぜ。」
直也は笑って後輩と拳をぶつける。
「それはそうとして、お前に面会だ。」
北脇が話を変える。
「面会?」
直也がいぶかしげに声を上げる。
北脇の後ろにいた香織はひるんだ。直也くんに避けられる。だが北脇が退き、香織を前に出す。香織を見た直也の顔が少し驚く。
「なんで北脇先輩といるんだ?香織。」
香織って呼んでくれた。普通の明るい直也くんだ。
「ひさしぶり、直也くん。」
香織の声が震える。香織の眼には直也は映っているが、涙でかすんでいる。香織のなかに色々な思いが込み上げてくる。好きだと告白したのに拒絶された。それでも好きだった。なのに「さよなら」の一言で消えた直也。貰った手紙は宝物。香織は無意識のうちに直也を平手打ちしていた。
「いてえな。」
しまった。香織は血の気が引く思いがした。やってしまった。嫌われる。
「お前は俺を叩くのが趣味なのかよ。」
だが直也は怒ってはいない。笑っている。香織はほっとした。そして悪いことをしたと思った。だが口から出た言葉は謝罪じゃなかった。
「わたしを捨てて、なんで、さよなら。のたった一言で消えたのよ。」
怒りの繰り言だった。
「なんでまた、俺がお前を捨てたことになるんだよ。」
「直也くんは、わたしの彼氏でしょ。」
「だから、いつ彼氏になったんだよ。」
「わたしのなかではずっと彼氏だよ。」
「お前の彼氏はエースだろうが。」
「ちがう。ちがう。」
自分でもわかっていて無茶を言っていた香織は泣き出した。
周りは突然の展開にどうしていいか分からず固まっている。
だが眼のまえの喜劇に直也は笑っていた。こんな俺でも香織はまだ思っていてくれているんだ。もう見捨てられたと思っていたよ。後悔か。もうする必要はないだろう。でも人生は面白いな。楽しめる。やり直すことが許されるのか。
直也はゆっくりと泣いている香織に近付いた。直也が近付いてくることに気が付いて香織は動揺したが動くことは出来なかった。逃げだしたい、けど逃げたくない。離れたくない。
沢山の人が見ている前で、直也は香織を抱き締めて、香織に口づけをした。
いきなりのことで香織は動転して直也にしがみつく以外のことが出来ない。
でも涙が溢れてくるのは悲しみではなく嬉しさからだろう。
二人はたっぷりと舌と舌を絡め長い時間キスをしていた。
「落ち着いてくれたか、香織。勝手に消えて俺が悪かった。」
香織の顔を覗きこむ形で見つめながら直也が囁くと、香織は素直に頷いた。
「そうだよ。でも、ごめんなさい。」
もう一度直也の胸に抱きしめられた香織は、一言謝ったあとは直也に身を預けて、直也の鼓動を聞いていた。
「ええと、もういいかな。」
直也の高校のバスケ部の顧問が声を掛けてきた。
「ちょっとミーティングがしたいんだけどな。」
「わかりました。」
直也は顧問に答えると、北脇に向き直った。
「北脇先輩、次は対戦ですね。全力で向かわして貰いますんで、宜しくお願いします。」
「ああ、分かった。こっちこそ宜しくな。まあ、言いたいことは沢山あるんだけど、とりあえず今は彼女さんを大事にしてやれや。」
「了解です。」
直也は、香織を抱きかかえたままロッカールームに連れて入った。香織は素直に直也に従った。
ロッカールームでは、誰から話をするか、視線を合わせながらも、誰も話をしない時間だけが過ぎていった。
「ああ、すみませんね。俺が悪いですよね。痴話げんかをして。」
顔を紅くして上げることも出来ない香織は直也の胸に顔を埋めて全員の視線から逃げていた。痴話げんかというところに少し反応をしていたが。
「まあ、なんだ。公衆の面前では止めたほうがいいぞ。」
疲れた顧問が何とか言葉を出すことが出来た。
「それと、彼女さんは大事にな。事情は知らんけど、何となく分かることもあるしな。」
「午後にはさっきの高校と対戦だ。今年の優勝候補筆頭だ。相手は直也の知り合いみたいだな。」
「ええ、全国制覇したときのキャプテンですよ。北脇先輩は。一緒にいた後輩もチームメイトでしたよ。」
「そうか、そういう時代の仲間なんだな。でも、おまえにそういう時代があって、そういう仲間が居たのを知ってほっとしたよ。」
香織が直也の胸に顔を擦り付けている。猫かよ。泣き顔から笑顔になっている。
直也は抱きしめて香織が動けないようにした。香織は大人しくなって直也の胸にキスをしていた。
「じゃあ。午後の試合まで休憩な。自由にしてくれ。」
「香織、行くぞ。」
直也は香織を剥すと腕をつかまえてロッカールームから出て行った。
直也はユニホームのうえにジャージを着た格好だ。
「直也くん。」
「なんだ。」
「叩いてごめんなさい。」
「もういいよ。いつものことだし。」
「そんな言い方ひどい。いつもいつも、わたしが直也くんを叩いているみたいじゃない。」
「確かにいつもじゃないな。叩かれたのは二回目だしな。」
「ごめんなさい。」
「で、香織はいいのか。エースの応援で来ていたのじゃないのか。」
「いいよ、もう。わたしは自分に正直になる。エースと付き合ったら直也くんを忘れることが出来るかと思ったけど、全然ダメだった。」
「そうなんか。」
「エースのことは好きになれなかった。性格も合わなかった。だからエースとは何もしていない。キスもしていなかった。さっきのがわたしのファーストキス。」
さっき廊下でしたキスが最初だと言っている。
「俺にキスされて嫌じゃなかったか。」
「ぜんぜん嫌じゃなかった。嬉しかった。」
「そうか。」
俺は香織を抱き寄せた。香織が近い位置で俺に話してくる。
「直也くんはひどい。うそつき。バスケ、途轍もなく上手じゃない。」
「うそをついて悪い。だが、そこまでじゃないぞ。」
「北脇先輩が言っていた。直也くんはコートの何処からでも3ポイントシュートを決めることが出来るって。」
「それは俺の唯一と言っていい武器だからな。」
「わたしにもアドバイスをくれたじゃない。」
「まあ、あれは余りにも、お前が落ち込んでいたからちょっとな。」
「でも、そのお蔭でわたしは3ポイントシュートが入るようになったんだよ。」
「それは良かったな。」
「そして、あのシュートはわたしの心を射抜いたの。」
「いや、お前よくそんな恥ずかしいことを堂々と言えるな。」
「いいじゃないの。本当のことなんだから。あれから、わたしの心は直也くんに縫い付けられたの。わたしには直也くんしかいない。二度と離されないわ。」
ふと教えた3ポイントシュートは香織を捕らえて放さなかった。直也は自分のしたことが招いた結果を知った。
「だから御礼をしたいの、直也くん。」
「御礼なんかいいよ。」
「わたしがしたいの。」
香織は直也から離れようとしなかった。
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