17.天文観測会
本格的な冬の時期が過ぎて、実梅の白い花が満開を迎える3月となった。
拓郎は大規模天文観測会の日程と場所を調べた。例年いくつかの星天観望会が合同で主催する会で、かなり盛大に行われる。観測会は星天がよく見える高地で開催される。その場所は、拓郎たちが住んでいる所からは遠くはない。
拓郎が香織に詳細の連絡をしたところ、香織は即座に了解をしてきた。バスケの練習は休むらしい。拓郎には、香織の直也に寄せる好意の強さを否が応でも理解させられる反応だった。そして、もし直也が来なかったら、どうしたらいいのだろうと悩むのだった。
当日、電車で現地入りした拓郎と香織は受付を済ませると渡されたネームプレートを付けて、望遠鏡が設置されている区画に入っていった。すでに到着している観測者たちが、いろいろな星座を見つけては、声高に話をしている。
春にみえる主な星座は、かに座・おおくま座・しし座・うみへび座などだ。ただ拓郎は星空に興味があるが、香織の興味の対象は直也だけだ。星空を見ることもなく直也の姿を求めてあたりを見渡すが、見つからない。薄暮から暗闇が迫る時間になっている。
「直也くんはどこにいるんだろう、拓郎。」
「とりあえず今のところまでは居なかった。受付で確認したほうがいいだろうな。最初にするべきだったね。」
「受付で聞けば直也くんが、どこにいるか教えてくれるの?」
「いや、それは分からない。でも来ているかどうかは分かるし、来てなかったら来た時に連絡を頼むことは出来る。」
拓郎と香織は受付に戻り確認した。受付の女性はパソコンで来場者名簿をざっと確認してくれた。
「瀬沼直也という方は来ていないですね。これから来られるのかも知れませんが、今のところは到着していないです。」
「じゃあ、来たら山内拓郎まで連絡が欲しいと伝えてくれませんか?」
「わかりました。この暗さだと見つけるのは難しいので、電話番号を教えておいてくれますか。」
「はい。わかりました。」
拓郎は受付の女性に自分の携帯番号を書いた紙を渡した。香織は直也が到着していないことを知り気落ちしていた。
「まだ時間はあるし、わからないよ。待とうよ、香織。」
「そうね、待つしかないわよね。」
期待する香織。拓郎は見ていると辛かった。だが自分が香織をここまで連れてきたんだ、自分が諦めて先に折れることは許されない。でも拓郎には直也は来ないんじゃないかと思えてきていた。悪い予想はよく当たるものだから。
望遠鏡が設置されたところへ戻って、星空を眺める。
春と言えば、プレセペ星団だ。かに座のそばに光り輝く宝石を散りばめたように美しく見える。そのほかにも、りょうけん座の球状星団も見える。拓郎は香織の気を紛らわすためにも自分の知りうる知識を披露する。香織も星空の美しさには少し心が動かされたようだった。
拓郎の携帯が鳴って拓郎が出る。香織が反射的に反応して拓郎を食い入るように見つめる。
「もしもし、直也?」
「すまない。私は直也くんじゃないんだが、君は山内拓郎くんでいいだろうか。」
「はい、そうです。」
「そうか、実は伝えたいことがあるんだが、今はどこにいるだろうか。」
「望遠鏡のあるところです。」
「そうか、ちょっと探すのは難しいな。受付まで戻ってきてくれるだろうか。」
「わかりました。戻ります。」
香織が無言の問いかけを拓郎にしている。拓郎は答える。
「直也じゃなかった。だけど直也を知っている人だ。僕の名前も知っていた。だから直也のことが分かると思う。」
拓郎自身の願望が籠った言葉だった。
受付に戻ると、いかにも学者という感じの30代くらいの眼鏡をかけた男性が拓郎に声を掛けてきた。
「君が山内拓郎くんだろうか。」
「そうですが。あなたは?」
「いきなり声を掛けてすまない。」
男性は、観測会を主催する星天観望会のメンバーで大学の研究者だと自己紹介した。
「その研究者さんが、僕に何の御用でしょうか?」
「直也くんから君に宛てた手紙を預かっているんだ。受け取ってくれるだろうか。」
「直也からの手紙ですか。」
「そう、手紙だよ。これ。」
研究者の男性は、拓郎に取り出した封書を手渡した。表には、拓郎へ。と書かれ、裏には直也より。と書かれていた。
「君のことは直也くんから聞いている。熱心な観測者だってね。彗星を発見したこともあるんだよね。その歳で凄いよね。」
拓郎は偶然とは言え、父親と共に彗星を発見しことがあった。なので拓郎の名前がついた彗星がこの銀河に存在している。
「いえ、あれは父が居たから発見出来たものです。」
「それでも何時間も夜空を見つめて、変わった動きをする天体を見つけたことに変わりはないよ。君みたいな人が沢山いてくれると、天文の世界も将来が明るいんだけどね。」
研究者は拓郎を褒めてくれた。だが拓郎は直也のことを聞きたかった。
「話を戻すのですが、直也は元気でしょうか。」
「ああ、元気そうに見えたよ。すくなくとも病気ではないだろうね。」
「知り合いじゃないのですか。」
「うん、違う。いや知り合いとはいえるのかな。私がこの観測会に参加することを、どこで知ったのか、私の大学の研究室をいきなり訪ねてきたんだ。そして友達が、君のことだね、来ると思うので手紙を届けてくれないかと頼まれてね。自分で届けたらいいじゃないかと言ったんだけど、どうしても抜けられない用事があるので行けないと言われてね。」
直也は来るつもりだったようだ。だが何か理由があって来られなくなった。だから手紙を研究者に託してきた。
「私は引き受けるかどうかちょっと迷ったんだけど、そのときの彼との会話が面白かってね。天文の知識が豊富で、彼も天文学者になるつもりなのかな。ただ観測系より理論系に向いている印象だったね。それで引き受けたんだ。」
研究者が手紙をもってきてくれた経緯が判明した。
「連絡先を教えて貰えませんか?」
それまで黙って話しを聞いていた香織が研究者に詰め寄る。
いきなりの香織の行動に研究者が驚く。
「すみません。興奮して。でも直也くんと連絡が取りたいんです。」
「君は?」
「矢野香織と言います。直也くんは・・・わたしの彼氏です。」
香織は口にだしていった。香織の心のうちで思っているだけだ。事実ではない。けれども自分の気持ちをはっきりと言いたかった。
「君が矢野さんか。」
研究者の言葉に香織が反応する。
「わたしのことをご存じなのですか?」
「うん。聞いているよ。というか、もし君が来ていたら渡して欲しいと、もう一通手紙を直也くんから預かってきているからね。」
研究者は手紙を取り出して香織に渡した。拓郎に渡されたのと同じ封書で表には、香織へ。裏には、直也より。と書かれていた。香織の眼に涙が浮かんだ。直也くんは香織が来るかもしれないと手紙を書いて託してくれていた。わたしのことを忘れていたわけじゃなかった。
「それと君に手紙を渡すときには、すまなかった、と伝えて欲しいと言われているよ。理由は聞いていないけど、そう言えば君にはわかると言われた。」
謝って欲しいわけじゃない。だけど直也くんはわたしに悪いと思っているんだ。じゃあ、言葉じゃなくて行動と態度で示して欲しい。何も言わないで消えないで、わたしの思いに応えて。香織の胸のうちを言葉に出来ない思いが駆け巡る。
「あと、夏の天文観測会の予定があるんだけど、それには参加したいと言っていた。」
「そうなんですね。夏の天文観測会っていつなんですか?」
「8月だね。まだ日程は確定してないけど、だいたい毎年やっていて今年もやる予定だよ。君たちも良かったら来てほしい。」
「分かりました。ありがとうございました。」
「私も君たちに手紙を渡すことが出来てほっとしたよ。確かに渡したからね。じゃ、私は観測に行くね。君たちも手紙を読んだら、星空を眺めに来てね。」
研究者は拓郎と香織に挨拶をすると夜の闇のなかに消えた。拓郎と香織は研究者に御礼を言って、それぞれの手紙を読むことにした。
誤字脱字、文脈不整合等がありましたら御指摘下さい。




