13.練習試合
「今度の日曜日、うちの高校でバスケットの練習試合があるの。見に来て欲しい。」
香織が俺に直接言ってきた。また朝に靴箱で上履きに履き替えているときだ。ただ今回は言ってすぐ消えるのではなくて、俺の返事を待っている。
「土日はバイトだし、バスケの試合を見る趣味はないから、無理だな。」
拓郎に返した返事と同じことを香織にも返す。
「じゃあ、試合じゃなくて香織を見に来て欲しい。」
そうすると香織からは変化球を投げ返された。
俺は、前に試合を見に行かなくて香織に泣かれたことを思い出す。
また同じことになって、悪かったと後悔するのも後味が悪いな。
俺が黙っていると香織が続けていった。
「夏休み中、わたしはバスケの練習に明け暮れていたの。それで勉強が少し疎かになったから、課題テストの成績はトップ30から落ちてしまったけど。」
そうだったのか。しっかり確認しなかったから香織が成績一覧に居なかったことには気が付かなかった。というか、気にならなかったということは、俺のなかで香織の比重が軽くなっていると言えるんじゃないだろうか。
「そうだったんか。期末では俺より上に居たよな。でも課題テストの成績一覧に乗ってないとは気が付いていなかったよ。」
俺のセリフは香織にボディーブローを与えたようだった。ただ踏みとどまった香織は頑張って続けた。
「テストは次に頑張って挽回するからいい。でも、バスケはレギュラーになれたから、次の試合にはスタメンで出られる。前はヘマをして負けたから、今回はリベンジをしたい。頑張っている香織を見に来て欲しい。お願い。」
香織は真剣に頼んでくる。俺は少し真面目に考えて答えた。
「1回だけでいいかな。前にも試合を見にくるように言われて、何も言わずに見に行かなかったのは悪かった。だから今回は見に行く。だけど今回限りにする。いいかな?」
俺の言葉に香織は固まっていたが、視線を上げて下げて挙げて頷いた。そして呟いた。
「わたしのこと嫌い?」
「嫌いじゃないよ。」
「じゃあ、わたしに関心がない?」
「関心がないとも言わない。けど、常に気にしているわけでもないな。」
「直也くん、夏休みはバイトに明け暮れていたんだよね。それはそれで楽しかったんだよね。バイトの女の子とは海には行ったりもしてたんだし。わたしとは行ってくれなかったけど。」
拓郎から情報がしっかり香織に届いている。
「いや、俺と海に行くのなんか、嫌な思いをするだけだろう。」
「そんなことないよ。振られたって好きなのは変わらないもの。」
いじらしい香織になっている。朝の下駄箱なんだが。通り過ぎる学生たちが興味深々の顔をしている。
「お前にはエースがいるだろう。俺なんかに構っているのは、エースに悪いことじゃないか。」
俺の言葉で雰囲気は変わった。香織は硬い顔をしている。
「どうしてそこでエースの話が出るの。」
「お前のエースだろう。」
香織は言葉に詰まったようだ。否定は出来ない。エースと付き合っているのは事実だから。
「とりあえず、次の日曜日の練習試合は見に行く。」
それだけ行って俺は教室に向かった。
また暑い時期の体育館は、熱気がこもっている。そんな中で試合前の練習が行われている。
「パス回して。」
「そこシュート。」
「もうすぐ8秒になるよ。」
色んな掛け声が飛び交う。アップ練習とは言え、マウントの取り合いは露骨だ。
俺は体育館の二階の観客席に目立たないように座った。もちろん一人だ。拓郎は当然と言うか居ないし、遥香は友達と座っている。俺は拓郎以外に友達と言える友達はいないし、観戦するのも一人になる。
眼下で試合が始まる。クォーター毎にメンバーを入れ替える形式でやっている。香織はスタメンに入っているから、最初のクォーターから参戦している。だが動きは少し硬いようだ。要所要所でのミスが目立つ。
香織は5番を付けている。ポジションはポイントガードだ。試合の流れを把握してゲームを組み立てる必要がある。しかし、判断が裏目に出ることもあるようだ。仲間との連携がちぐはぐになっている時もある。結局、練習試合は3試合だったが、うちの高校の負け3つで終わった。
試合が終わって片付けも終わり、体育館にいた人数は消えていった。
だが俺は二階の観客席で試合が終わった後も座っていた。
理由は香織だ。香織は皆が帰ったあとも一人残って練習していた。
放った3ポイントシュートが外れたあと、香織はぼんやり佇んでいた。今日の試合のことを思い出しているのか。俺は観客席から降りて静かに香織のそばに歩いて行った。
「残念だったな。」
「見ていてくれたのね。」
「まあな、約束だからな。」
「自分が情けない。」
香織はシュートの失敗を悔やんでいる。香織は試合中にも3ポイントシュートを何回か放っていたが、全てリングに入っていなかった。レイアップは入っていたし、点数が取れなかったわけじゃない。そもそもポイントガードは点数を一番取るポジションじゃない。ゲームメイクが命だ。
だがゲームメイクそのものの判断は出来ても、伝達が上手くいかないと勝てない。香織は自分のプレイヤーとしての動きと、チームメイトを動かすタイミングにズレがあった。頭で考えるタイプだからだろう。天性のカンで動いて動かすタイプじゃない。香織はプレイヤーじゃなくて、むしろコーチとかなら上手くいくんじゃないかと思えた。
「そこまで言うことはないんじゃないかな。ゲームメイクは上手くいってたと思うよ。」
俺はリップサービスをする。
「バスケのこと詳しい?直也くん。」
香織の語気が強くて俺は少し焦ったが、落ち着いて返答した。
「詳しいわけじゃないけど、みんなが矢野の指示に従っていたし、チームメイトとの連携もうまかったと見えたよ。」
嘘だ。連携は良かったとは思わない。だが俺はわからないふりをする。
「連携は全然だった。わたしの判断ミスも多かった。だから勝てなかった。」
「矢野は頑張っていたし、良かったよ。」
「ありがとう。でも直也くんの前でいいところを見せて勝ちたかった。わたしの3ポイントシュートが全部入っていたら一つは勝っていた。前の練習試合でもミスをして負けた。情けない。」
「真面目だな、矢野は。」
涙を浮かべる香織の様子を見て、俺に仏心が生まれてしまったようだ。だからほんの少しだけアドバイスをした。それが香織との恋の決定的な分岐点だったことに、俺が気付かされるのは後になってからだった。
「見ていて思ったんだけどな。矢野って3ポイントシュートするとき、何処を狙っている。」
「何処をって、当然リングじゃないの。」
「うん、間違いじゃないよ。でもね、リングそのものじゃなくて、リングの少し上を狙った方が綺麗に嵌る。それと姿勢はまっすぐしてバネのように全身をうまくつかってボールを放つほうが良いよ。」
俺は香織からボールを借りてセンターラインから3ポイントシュートの手本を見せた。かつて何千本何万本もうってきたシュートだ。コンパスで描かれたような円弧を描いてボールはリングを通過した。一度だけしか手本は見せなかったが、香織の眼が見開かれびっくりしていた。
「すごいね、直也くん。」
「偶然だよ、香織。まあ、あとは自分で練習を積んでね。」
俺は別れを告げて帰った。
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