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前編

この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・会社等には関係ありません。





「今度約束した飲みだけど、待ち合わせ時間を遅らせてもらっていいか? その日に会議が入って、定時に帰れないかもしれなくなった」

「ああ、俺は構わない」


 電話相手の友人、山根の声は暗かった。長年の付き合いからなにかがあったと気がつき、尋ねる。


「どうした? なにかあったのか?」

「……妙な女が……」


 しばらく間を置き、ぽつりと山根は答えた。


「昨日の朝、駅前で話しかけられたんだ。神を信じますかって」

「ああ、宗教勧誘か」


 私にも覚えがある。道を歩いていたら声をかけられ、似たようなことを言われた。いつも断るか無視し、話を聞いたことはないが。


「俺もそう思って、無視をしたんだ」


 特に珍しい話ではないので、ただ相槌を打つ。


「それなのに今朝、またその女に話しかけられた。昨日は楽しかったねって」

「昨日? 無視をしたんだろう?」

「そうなんだよ。それなのに女の中では、俺と映画を観に行ったことになっていて、移動中での会話が楽しかったとか、とにかく妄想話ばかりするんだ!」

「頭のおかしな女に絡まれ、そいつは災難だったな」

「だから明日の朝も、またあの女がいると思うと憂鬱で……」


 なるほど。二日連続で会えば、明日も会う可能性が高い。いや、おかしな女のようだから、きっと山根を待っているだろう。それは憂鬱にもなる。


「明日も声をかけられたら、変に反応を返さず、とにかく無視が一番だろう」


 私にはそんなことしか言えなかった。

 山根も弱々しく同意すると、電話を終えた。


◇◇◇◇◇


 飲みの約束をした晩、待ち合わせ場所に現れた山根はやつれたように沈んでおり、あの女の件が解決していないとすぐに分かった。

 店は決めていなかったので、とりあえず手近な飲み屋に入り、二人でビールを注文する。酒が入れば、少しは山根も楽しい気分になれるかもしれない。

 すぐに運ばれてきたビールで乾杯すると、少量しか口にせず山根が重たそうに口を開いた。


「……この前、電話で話した女の話、覚えているか?」

「ああ、覚えているとも。まだ声をかけられているのか?」

「それどころじゃない‼」


 だん!


 持っていたビールジョッキを、山根は強くテーブルに叩きつける。騒がしかった店内が、一瞬にして静まる。特に周囲の客の視線が、何事かと私たちに向けられる。その目には怯えや興味など、様々な感情がこめられている。


「お、おい。話を聞いてやるから、とにかく落ち着け」


 慌てて周囲の人を窺いながら言えば、山根は素直に『すまない』と謝った。

 それを合図にしたように、店内はすぐに喧騒を取り戻し、山根は語りだした。


 あの電話の翌日、やはり女は話しかけてくると、並んで歩き駅の構内まで一緒に入ろうとした。もちろん話の内容は妄想で無視を決めこんでいた。

 いざ改札をくぐろうとした時、彼女はICカードの類を持っていなかったらしい。

 彼女が通ろうとすると改札口は閉じられた。


「待っていて! 今、切符を買って来るから!」


 もちろん待つわけがない。山根は早足で逃げるように、ホームへ向かうため階段を上った。


「もしカードを持っていたらと思うと、ぞっとしたよ。こいつ、どこまで追いかけて来るんだって」


 その翌日、駅前に女の姿はなく、ようやく諦めたのかと山根は安堵した。

 傘を折りたたみ、いつものようにカードをかざし構内に入ると、柱の陰から女が姿を現した。山根は動きを止め、後ろを歩いていた人にぶつかられ怒鳴られたが、そんなことはどうでも良かった。


「おはよう、いい朝だね」


 にいっ。と笑った女は傘を持っておらず、全身を雨に濡らしていた。その手にはICカードがあった。

 山根は無視して震える足で歩き出し、ホームへ向かう。女もいつものように妄想話を語りつつ、巨体を揺らし後ろを歩いていたが、やがて山根の横に並ぼうとする。

 階段を使い改札口から反対側のホームで電車に乗る山根は、これまでの女の様子から、動くスピードは遅いだろうと判断し、走るように階段を駆け上がると、そのまま猛ダッシュで発車寸前の電車に飛び乗った。女は予想通り動きが鈍く、山根に追いつけなかった。

 空いていた席へ、腰を下ろす。途端に疲労を感じ、恐怖が込みあげてきた。

 全力疾走したので息を荒げながら、明日のことを考えると最悪な考えしか浮かばない。

 明日もきっと構内で……。いや、このホームで待ち構えているだろうと。


「……それって、ストーカーじゃないか?」

「俺もそう思う」


 一気にビールを飲み干すと、山根はおかわりを頼む。


「だけど相手は妄想を語る、おかしな女だ。警察に相談して忠告してもらっても、話が通じないだろうよ」

「それでも相談くらいすべきじゃないか?」

「……そうだな」


 きっと山根は警察に相談しても、事が解決できると信じていないのだろう。

 無理もない。これまで幾つものストーカーによる事件が起き、事前に警察に相談しながら命を落としたケースもある。

 ストーカー規制法があるが、相手が狂っているのでは、確かに意味を成さないだろう。なにしろ話が通じないのだから。都合のいい妄想の世界で生きている彼女にとって、法律など関係ないだろう。


「次の日にはそいつ、思った通り、俺が使うホームに立っていた」


 それを聞き、都市伝説のメリーさんの逆バージョンみたいだと思った。

 メリーさんは近づいてくるが、その女は日を増すごとに先回りし、待ち伏せしている。山根がどこへ向かうのかを、徐々に把握するように。

 女の姿を見つけるなり、踵を返すと大急ぎで家へ逃げ帰るため、山根は改札口へ向かった。

 駅員に忘れ物をしたから改札口を通りたいと嘘の説明をしている間にも、女は迫って来る。

 ようやく駅から出るなり、山根は全力で駆けた。

 後ろから女がなにか言いながら追いかけてくるが、振り切るように走り続けた。追いつかれるな。家を知られるな。とにかく逃げろと言い聞かせながら。

 どすん、どすん。巨体を揺らし、ふごー。ふごー。と息を荒げる女の声が、帰宅してからも耳に残って響き、震えが止まらなかった。

 幸い家は知られなかったらしく、窓から見える範囲に女の姿はない。とはいえ、まだこの辺りをうろついているかもしれない。家から出る気になれず、その日は急病と称し、会社を休んだ。


「……今日はどうしたんだ?」

「時間はかかるが、その駅を利用しない別のルートで出勤した」

「しばらくそうしろ。その駅を使わない方がいい」


 その女はとにかく太っており、髪も手入れをしていない。ぼさぼさでふけが付いている。化粧はしておらず、顔にはしみやそばかすだらけ。体臭はひどく、吐き気を覚えるほど。爪も伸び放題で所々欠け、乾燥した肌はひび割れている。カビを思わせる変色している部分もあるそうだ。

 服装も無頓着で、襟元は伸び放題。汚れも染みついているが、不思議と毎日、違う服に着替えている。服を着替えることだけが、女にとって唯一のオシャレなのかもしれない。

 想像すると酒が不味くなった。逆に山根は気分が高揚してきたのか、段々と朗らかな様子になってきた。


「ひょっとしたら、誰かと勘違いされているのかもしれない」

「勘違い?」

「ああ、たまに名前を言っているけれど、俺の名前じゃないんだ。俺がその誰かと似ているのかもしれない」


 山根は特別見た目が良いわけでも悪いわけでもない。平均的な顔立ちだ。どこかに似ている人が存在していても、おかしな話ではない。


「お前に似ている人を亡くし、狂ったのかもしれないな」

「だとすれば哀れだが、俺には関係のない話だ。あんなのにつきまとわれたら、こちらの精神が参る」


 それから山根は出勤方法を変えるという手で、女を避けた。

 そうやって安心な日を何日も過ごせば、やがて慢心が生じた。

 その日山根は帰宅する際、駅を利用した。いつも会うのは朝ばかりで、帰宅時には会ったことがないので、問題ないだろうと考えてしまった。

 しかし女はいた。


 駅前のベンチに腰掛け、くっちゃくっちゃと、おにぎりを食べていた。足元やベンチには空のペットボトルやゴミが積み重っており、まるでそこに住んでいるようだった。

 そんな彼女は山根を見るなり、のりの付いた歯を見せながら、にいっ。と笑った。


「神様のお告げ通り! 今日会えるって分かっていたの! これはお導きなのよ!」


 女が立ち上がると同時に、山根は走り出した。

 背後から意味不明な言葉を吐きながら、女が追って来る。

 山根は全力で駆けた。振り返らず、周囲の目も気にせず、ただ女を振り払うため全力で駆けた。

 後ろからは、どすん、どすんという足音に、例の『ふごー』という荒い息づかいが聞こえる。そして意味不明の言葉を吐かれる。

 家を特定されないよう、遠回りしながら必死で逃げた。


 翌日会社を休み、山根は引っ越しを強行した。

 どこでも良かった。この駅……。いや、路線を利用しない土地へ行き、あの女と二度と会わなければ、それで良かった。

 幸い山根は結婚しておらず一人暮らし、彼女もいないので身軽だった。すぐに新しい住居を決め、その日の内に業者に無理を言って大金を払い、引っ越しを終えた。


「これで逃げられたはずだ」


 安心しつつも、怯えた様子の山根を電話口では、元気づけるしかできなかった。


◇◇◇◇◇


「へえ、へんな女の人に付け回されたんですか。災難でしたね」


 後日、引っ越し理由を山根は、会社の後輩に話した。


「今ごろその女、まだ山根さんをその駅で待っていたりして」

「冗談でも止めてくれ! まだ探し回られていると思うと……」


 互いに喫煙者である山根の煙草を持つ手は震え、火を点けて間もないそれを、灰皿の上に落とした。

 その様子を見た後輩、内井さんは興味を抱いた。ここまで人に恐怖を抱かせるとは、どんな女なのかと。

 山根が利用していた駅を知っていた内井さんは、早速その日、仕事帰りに面白半分で例の駅へ向かった。

 改札口を出て辺りを見回しても、ベンチには学生たちが腰かけたりして、それらしい女性の姿はない。


「……まっ、引っ越して一週間以上経っているし、諦めたのかもね。大体いつも朝に会っていたって言っていたし」


 肩透かしを食らった内井さんは、もう用はないと、再び改札口を通ろうとした。

 その時、視線を感じた。それも恐怖を覚える類の。

 振り返るな。振り返ればきっと後悔する。本能がそう告げてきた。

 それでも内井さんは、ゆっくり振り返った。『それ』がなにかを知りたくて。彼女の興味を持てば首を突っ込む性格が、この時ばかりは災いした。


「お前! お前が奪ったんだろう! 彼を返せ! この泥棒猫め! 神様が教えてくれたんだ! お前が今日ここへ来ると!」


 目を吊り上げ、太った手入れされていない長い髪の毛の女が物陰から現れるなり、叫びながら向かって来る。

 この女だ! 山根が言っていたのは、この女で間違いないと、すぐに内井さんは分かった。

 駅周辺にいた誰もが驚き、女を一瞬見るが、すぐに面倒に巻きこまれないようにと、視線を逸らし、女から距離を開ける。

 女はどすん、どすんと足音をたてながら、真っ直ぐ向かって来る。

 聞いた通り動きは遅いが、とにかく迫力が凄まじく、異常なほど威圧を感じた。これに飲みこまれれば、体が動かなくなる。


 動け! 動け‼ 足よ、動いて!


 必死に言い聞かせ一歩後退ることができれば、後は自然と体が動き出した。

 内井さんは慌てて震えながらもカードをかざし、改札をくぐる。

 あの女は自分を目の敵にしていると分かったから。逃げなければ。女が今やICカードを入手していると聞いている。追いつかれる前に電車に乗らなければ、捕まってしまう。

 捕まれば、どんな目に合わされるか分からない。最悪殺されてしまう。

 そうだ、殺意だ。それをあの女は自分に向けている。だから振り返ってはならなかった。


「あの人を返せ! 神の鉄槌を受けろ!」


 時々山根とは違う男の名を叫びながら、女は改札口手前までやって来た。

 内井さんは到着した電車に乗ると、早く発車して、と祈った。この時ばかりは発車時刻が正確な日本が、恨めしく思えた。

 やがて女がカードを取り出し改札をくぐろうとした瞬間、やっと電車の扉は閉まり、ゆっくりと動き始めた。


「待て! 逃げるな!」


 電車の中から、改札口をくぐる女の睨み顔が見えた。強烈な殺意と怒りが込められた眼差しに、逆に目が離せなくなる。内井さんは女からの威圧に、飲みこまれてしまった。


「なんだったんだ、あの女」

「誰に向かって叫んでいたんだ?」


 同じ駅から乗った者たちも改札口を見つめながら、そんな会話を始める。彼らもまた怯えているようだと、声から判断する。内井さんの視線は固まったように、窓の外へ向けられたままだった。

 景色が流れているはずなのに、あの女の顔がずっと窓の外に見えていた。


「やっぱりあの女、おかしいんだよ。ここ最近、一日中駅前のベンチに座ってゴミを散らかしていたし。独り言が聞こえてきたことがあるけれど、内容は支離滅裂だった。まるで誰かと会話しているようで……。神がどうとか言っていたな」

「そう言えば、あの女がつきまとっていた男の人はどうしたんだろう。最近見かけないな」

「あんな女に追いかけ回されたら、そりゃあ嫌になるだろ。駅を利用しなくなったんだよ」


 女はこの駅の利用者の間で、有名人物のようだ。

 当然だろう。あんな女が噂にならない訳がない。

 とにかく二度とこの駅に来てはならない。女に顔を覚えられてしまった。次に会えば、どんな目に合わされるか分からない。

 あの女と二度と会ってはならない。内井さんは固く誓った。


◇◇◇◇◇


「最近、俺の利用する駅にへんな女がいるんだ」


 山根が利用していた駅の隣駅を利用している職場の先輩が、世間話をしている最中に言い出した。


「へんな女ですか?」


 私は缶コーヒーのプルタブを開け、中身を一口飲む。缶特有の味がコーヒーとともに、口の中に広がる。


「ああ、太った女で……。電車に乗らず、ずっとホームにいて電車が止まるたびに、なにかを探しているように車両の中を覗いているんだ」


 血の気が引く思いになり、缶コーヒーを落としそうになった。


「えっと……。その女は、手入れしていない長い髪の毛で……。身だしなみに無頓着な女ですか……?」

「よく知っているな。目立つから、ネットで有名にでもなっているのか?」

「まあ、そんなものです……」


 私は言葉を濁した。

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