酒沈肉臨
翌日(3月11日) 水曜日 午前
ニューダーク市警 第8分署
『SFC事件』と銘打たれた騒動が世間に知られた翌日、俺は<8分署の旦那>を訪ねた。
余談ながら、受付で取次ぎを願ったときの反応は、
「ああ、あの昼行燈。資料室の隅っこでジャーキー炙ってるはずだから、すぐ来るよ」
というもの。旦那は同僚たちから煙たがられてるらしい。
暫く待つと、いつもと変わらぬ古びたトレンチコートを羽織り、旦那は現れた。
「よう、ダイナーの小僧。今日はどうした?」
「お邪魔してすいません、旦那。ちょっとご相談がありまして……」
「まぁ立話もなんだ、ついてこい。小さい会議室を借りてきた」
掌に収まった小さなカギを掲げると、旦那は俺を建物の奥へ誘った。
*****
警察署内 会議室
長机とホワイトボードが一つずつあるだけの小さな部屋で、俺は旦那に、昨日の騒動について説明し、警察から何らかの助力を得られないか訊ねた。
しかし、結果は悪い方の予想通りだった。
「やっぱり、今すぐ助けていただくのは無理、ですか」
「あぁ。一応、5課の連中は捜査を始めちゃ居るんだがな?トンズラこいた『エールレイク』の社員共を見つけねぇと話が進められねぇんだ。イベント参加費や協力費を持ち逃げする為にわざとイベントを中止させた、あるいは『自分達にはフードフェスをやり切る能力がない』と自覚していたのに強引に進めていた、ってんなら、連中を詐欺罪に問えて、被害者救済ができるが」
それを確かめるには、本人達を捕まえるしかない。
警察は現在、『エールレイク』の社員たちを「文書偽造の罪」で追いかけているという。驚くことに、『エールレイク』の実態はダイナーに現れたスコット・ウインスキーとその2人の兄たち、たった3人だけしか社員が居ない、会社とも呼べないような零細集団だったという。
「役所に届け出されてた書類には、他にも名前があったんだが、全員、派遣会社からのパートタイマー。それも設立してすぐ、行方不明になっていた。おそらく、『裏』で名義貸しを生業にしてる連中だな」
「うわぁ、ほとんど真っ黒じゃねぇか。なら、身柄さえ抑えられれば……」
「ああ。だが、ちょいと引っ掛かる事もあってなぁ」
「というと?」
ふと口が重たくなった老警官に、俺は問いかけた。
だが、旦那は誤魔化すように頭を振ると、席をたった。
「いや、個人的な勘だから気にすんな。まぁ、後は警察に任せて、お前さんはダイナーに戻りな。今夜、顔を出すから」
「じゃあ、上等なジャーキーを用意して待ってますね」
「おう、頼むぜ」
一歩進んで一歩下がった、8分署の旦那との面会はそんな結果に終わり、俺は礼を告げて警察署を辞した。
旦那が密かに抱いていた懸念、それが現実になったのは、この翌日だった。
*****
3月12日 木曜日
その一報は、新聞の3面記事に小さく載せられており、俺は危うく見逃す所だった。
『「エールレイク」社員と思われる遺体発見。心中か?』
記事では昨日の夜、マンハンタンの西側を流れるハドスン川の底に沈んだ車が発見され、中から3人の遺体が見つかり、それが逃亡中のウインスキー兄弟かもしれないと報じられていた。
3人の遺体は身元が判別できない程腐敗していたが、所持品と乗っていた車が、ウインスキー兄弟の物だったという。
「な~る。旦那が心配していたのは、コレか」
事件の真相を知る当事者が死んだ。これでは、フードフェス中止の責任が問えなくなり、損害を被った商店会の人達を助ける事も出来なくなる。
「ん?……いや、待てよ」
もう一度記事を読み直した俺は、『裏』の世界での経験則から、一つの疑念を思い浮かべた。
死んだのは、本当にウインスキー兄弟なのかと。
しかし事態は、そんな俺を置き去りにして進んでいた。
俺が、シャロンさんの仇を取るために『イレイザー』となる、最悪の結末へと。
*****
3月13日 金曜日 昼
営業中のダイナー
ウインスキー兄弟の訃報を知った翌日、商店会長がダイナーに顔を出した。
しかしその顔は、困難から開放されたように晴れやかなものだった。
「やぁ、レン君。昨日はありがとうね。関係ない君たちにも苦労を掛けさせてすまない」
「いえ、気にしないでください。それより、何か朗報でも?」
前回の来店時とは真逆な様子の訳を尋ねると、商店会長は破顔して語りだした。
「そうなんだよ!実は今朝、『グローブズ・ミート』の社長さんが直々にウチに来てね」
「グロー……ああ、『エールレイク』の親会社。でもどうして?」
「驚かずに聞いてくれよ。なんと社長さん、今回の件で損害を受けた店に、見舞金を払ってくれるんだって!」
「見舞金?……まさか、損失した金を?」
「そう!参加費と協賛金、それに用意していた食材のロス分まで全額!勝手にやった事とはいえ、子会社の不始末なんだから自分に責任があるって、会社の資産とポケットマネーを財源に支払ってくれるんだよ!」
「その話、本当でしょうか?」
我が事のように喜ぶ商店会長。しかし話を聞いて、俺の心中には安心感よりも警戒心が沸き起こる。
今回の件では、総額500万ドル超えの損失を、商店会の店主達は負ったのだ。
大手企業とはいえ、そんな大金を簡単に動かせるものなのだろうか?
シャロンさんも同じ疑問を抱いたようで、料理を運びながら、商店会長に冷静になるよう促した。
「カーターさん。それ、ちょっと保留にした方が良くないかい?」
「ん?どうしてだい?シャロン」
「いくら親会社だからって、話が出来すぎな気がするのさ。あんたも知ってるだろう?逃げていた関係者がハドスン川で死んでたってニュース。あれが判ってからまだ一日だよ?対応が早すぎる」
「た、確かに……言われてみれば」
「その見舞金の話、なんか条件がついていたりしないのかい?」
「えっと……何か法的?な手続きが必要だから、書類にサインする必要があるって……そう、税金とか銀行からの融資の関係で、チャリティーって名目で支払うから、その証明書を作るんだって」
怪しい。『裏の世界』を知っている俺は、そう直感した。
「一応聞きますがその書類、サインはもう?」
「いや。私は商店会の顔役だけど、直接被害は受けてなかったから。でも明日以降、イベントに関わった店に順番に同じ話をして回るって」
「なら、その人たちに今すぐ連絡した方が良いですよ」
俺は真剣な口調で、商店会長に助言する。
「俺、前にいた街で似たような事件の話を聞いたんです。詐欺で盗られた金を弁済するからと、同意書にサインを求められる。でも渡された金はその実、後々に返済する義務と高い利子がくっついた、要するにヤミ金からの借金だったんです」
「なっ、そんなことが!?」
商店会長は絶句する。
今回の場合、相手は世間に名の知れた企業だ。恐らく、書類の文言を美辞麗句で脚色して、一見してもソレと解らないようにしてあるだろう。
「とりあえず、その場でサインを書かず、返事を保留にするよう、皆さんに伝えてください。あと、可能なら弁護士を同席させるか、書類の現物を確保できるようにも」
「わ、わかった!すぐに伝えて回るよ!」
注文していたコーヒーを煽ると、商店会長は脱兎のごとく店を飛び出していった。
「はぁ、……俺の考えすぎ、で終われば良いけれど」
「いや、あんたの意見に私も同意だよ。ところでレン、あんたの聞いたってその事件、結末はどうなったんだい?」
空のティーカップを回収しながら、シャロンさんは訊ねた。
「……一応、解決しました。そのヤミ金グループがとあるヤクザ、こっちでいうマフィアのシマでその手口をやりましてね。被害者が金を払う前に、グループ全員、シマを荒らされた報復で消されて終ったそうです」
その時『始末』を担当したのが、他ならぬ俺自身であることは伏せて、シャロンさんに語った。
「へえ、そうかい」
シャロンさんは特に疑問を抱いた様子もなく、俺の話を聴いてくれた。
しかし、食器を洗い場に持っていった後、ふと漏らした。
「この街じゃ、そういうのはマフィアより『イレイザー』が先に始末をつけるかも、だね」
「それって……『3番街のイレイザー』ですか?シャロンさんもその噂をご存じなんで?」
作りおいたサンドイッチのストックを確認しながら、興味が湧いた俺は、街の古株の一人に問いかけた。
「俺、断片的にしか知らなくて。どういう連中なんです?」
「あら、そうなのかい?まぁ、暇人たちが広めてる与太話の類いなんだけどね。客も居ないし、ちょいと聞かせてあげるよ」
シャロンさんはカウンター席に座ると、この街の怪奇譚を語り始めた。