就活、そして終活
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災歴2070年10月16日 午後2時40分
マンハンタン 2番街15丁目
マンハンタンの街は、北東から南西へ向けて、ほぼ100m間隔で並行している『アベニュー』と、それに北西から南東へ50m間隔に直角に交わりながら走る『ストリート』、縦横2本の道路で碁盤目状に仕切られている。
『アベニュー』は東、『ストリート』は南から順に番号が振られていて、2つの通りの組み合わせで、住所を表している。
例えば廃教会の場合、『3番街14丁目』という具合だ。
そして、そこから東へ進んで1つ目の交差点を左へ曲がり、さらに進んで1つ目の交差点を渡った先、『2番街15丁目』に、俺の新しい住居兼職場の候補地はあった。
『Sharon's・Japanese・Dinner』
交差点の角、およそ2a(200㎡)の敷地に立つ2階建ての小さな飲食店で、『ダイナー』と謳われているものの、建物の表面は洒落た赤レンガ張り、1階の店舗部分も木目調という落ち着ける雰囲気の内装で、『喫茶店』のように思えた。
巡査長に案内される形で中に入ると、昼下がりとあって客はおらず、キッチンを背にしたカウンターでは、店主であろう中年の婦人が1人で寛いでいた。
「よう、シャロン。さっき電話で話した、手伝いの候補を連れて来たぜ」
「おや、昼行燈で有名な<8分署の旦那>にしては、偉く仕事が速い事で……その坊やが?」
巡査長が話しかけると、女店主/シャロン・コルデーは、値踏みするような鋭い視線を向けてくる。
ここまでの道中で聞いた話によれば、細身でありながら男勝りなこの女性は、15年前に両親からこの店を受け継いだ直後に結婚。しかしその旦那さんと隠居中だった両親とが、3年前に事故で亡くなった為、今は1人でこの店を切り盛りしているのだという。
しかし、40代も半ばを過ぎた身体ではそろそろ厳しくなってきたようで、先代からの常連であるミッドヴィレッジ巡査長に、人手を探してほしいと依頼。そんなタイミングで拾われたのが、俺という訳だ。
「今朝、街の路地裏に『落ちてきた』んだ。宿も金もねぇってんで、ここに住み込みで雇ってやっちゃくれねぇか?」
「えっと……久重廉太郎と申します」
俺が名乗ると、コルデー婦人は興味をひかれたように、眉をピクリと動かした。
「へぇ、日本人か」
「おまけに、元の世界じゃ『ワショク・レストラン』の厨房で働いていたようだしな。いい人材だと思うぜ?」
厳密にはキッチン・アルバイトなんだが……あ、日本以外には『アルバイト』って雇用形態が無いんだったか?
「ウェイターと掃除係を頼んだつもりだったんだけどねぇ。まぁ、もっと使える奴ってんならありがたい。約束だったツケの清算、半年分に増やしてやるよ」
「……という事は?」
コルデー婦人はカウンターから出てこちらへ歩み寄ってくると、ガシッと俺の肩を掴み告げた。
「採用だよ。さっそく今日から働いておくれ」
「っ!ありがとうございますっ!」
俺はコルデー婦人と握手を交わした。すると巡査長は、無言のまま壁のコルクボードに貼られていたメモ―請求書と思われる―を数枚剥がして、店を後にしようとしていた。
俺は慌てて、その背中へ声をかける。
「巡査長っ!助けて頂き、ありがとうございます。このご恩は、いつか必ずっ……」
「それが仕事だからな。気にすんな」
と巡査長は立ち止まって、少し照れ臭そうにそう言うと、ポリポリと頭を掻きながら歩みを戻す。
「まぁ、あれだ。お前さんが『助けるべき市民』であり続ける事が一番の恩返しになる。……頼むぜ、Mr.クシゲ・レンタロウ」
<8分署の旦那>、そう呼ばれるに相応しい背中を向けながら、モンド・ミッドヴィレッジ巡査長は、ダイナーを去った。
俺は、その背中が雑踏の向こうへ消えるまで、黙して頭を下げ続けた。
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すこし後
ダイナー2階 住居スペースの一室
「ここが寝室。家具は好きに使ってくれていいよ。汚れ物も、6時までに廊下に出してくれていれば、こっちで洗ってやる。食事は7時。それが終わってから1時間休みを入れてから、買い出しや昼の仕込み。下の店は、昼の営業が11時から2時。夜の営業が5時から11時の合計9時間。給料は・・・賄い飯付きで、これぐらいでどうだい?」
この街では米ドルが使われているので、日本円しか使った事のない俺には、相場が判らない。なのでコルデー婦人、もといシャロンさんの言い値で頷いた。
そして、住み込み生活での細かい取り決めを幾つか確認した後、俺達は1階のキッチンへと降りた。
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ダイナー1階 厨房
ダイナーの厨房は、店内から見るとカウンターと壁一枚を隔てた裏側に位置している。
と言っても、スペースの大半は食材の保管庫と食洗器が占めており、機材はコンロが1台と電子レンジ2台。そして一般家庭でそろっている程度の器具一式。飲食店にしては、小規模な設備だった。
というのも、今まで店はシャロンさん独りで切り盛りしていて、客に出す料理も、昼はサンドイッチなどの軽食、夜は酒とそのツマミ、といった具合に、あらかじめ作り置いたものを出す形式で営業していた。その為、一度に複数の調理をする必要が無かったわけである。
「元々ウチは、日本人だった先々代、つまりアタシの祖父さんが、日本風の酒場として開いたのが始まりでね。だからメニューも、茹でた豆や、小分けにしたチーズと燻製の盛り合わせ、炙った小魚といった簡単な物しかないのさ。客足だって、滅多には満席にならない程度だしね」
通りを一本ずれた先、2番街14丁目が飲食店が多く集う激戦区であるため、そこの裏手に当たるこの店は、とりあえず生活が成り立つ程度の、しかし古くからの馴染み客によって安定した経営状態らしい。
「だから、あんたも緊張する事ないよ。とりあえず来た客たちに、飲み物と食事を出して、満足して帰ってもらう事だけを考えてりゃ、自分たちが食うには困らないからね」
「ろはい」
以前働いていたバイト先、1日にうん十万売り上げる為に殺伐としていた店とは違った、牧歌的ともいえる雰囲気に、俺はこそばゆさを感じながらうなずいた。
「それじゃ、夕方の分の仕込みを始めようか。レン、そこにあるレシピ本を持っといで」
「はいっ、シャロンさん!」
こうして、俺の異世界での生活が始まった。
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同日深夜
3番街14丁目 廃教会の聖堂
まもなく日付が変わるという頃、聖堂の奥に鎮座する像を、崩落した天井の穴からの月明かりが照らしている。
朽ちてなお、厳かな空気で満たされているその場所には現在、3つの人影があった。
「聞いたよ、<8分署の旦那>。面白い奴を拾ったんですって?もしかしたら『新入り』に成ったりするのかな?」
祭壇を半壊させた瓦礫に座る、3人の中で唯一小さい人影/マーガレット・スペルトーカーは、見た目に相応の無邪気な態度で訊ねた。
するとその正面、唯一原型を留める長椅子に腰かける老警官/モンド・ミッドヴィレッジは、不快感を露にしながら応える。
「んな訳あるかっ!まだ学生気分の抜けてねぇ青二才で、しかも利き腕を潰されるようなヘマやらかした奴だぞ。足手まといになるのが目に見えてらぁ」
「そうでしょうか?彼の治療中に得物を見分しましたが、なかなか面白い技の使い手ですよ。肉体の方も十二分に鍛えられてました。おそらくティーンエイジャーの頃から仕込まれたんでしょう」
マーガレットの隣に佇む青年/ビアン・ラタンが、モンドの意見を否定する。
だが、3人の中で最も経験を積んでいる古参の老警官は、なおも食い下がった。
「ビィ、お前さんは医者だから、小僧の傷と身体しか見ていなかったろう?俺は警官だから、あいつの眼を見て、ソレで判断を下してんだ」
「「眼?」」
ビアンとマーガレットが、揃いの動作で首をかしげる。
それには見向きもせず、天井の穴の向こうの月を見つめ、モンドは語る。
「あいつの眼は、もう殺し屋のソレじゃ無くなっていた。単に燃え尽きたのか、それとも不純物が混ざっちまったのか、普通の『人間』の眼をしていたんだよ。あれじゃあ、もう人は殺せない」
「あなたがいつも言っている『守るべき市民』ってやつですか?じゃあなんで、あなたは彼を拾った……いや、拾えたんです?レン君が『落ちた』場所、あなたの管轄じゃなかったはずです。だから、偶然通りがかった訳じゃない。ならば……」
ビアンがモンドを問い詰めようとしたその時、聖堂内に、3人以外の声が響いた。
<<そうさ、私がモンドをあそこへ行かせたんだよ>>
「「「!?」」」
そして驚く3人の前へ、その声の主は姿を現した。聖堂の壁際に並ぶ『告解室』、その6番目の部屋から、黒いベールで顔を隠した修道女の姿を成して。
「珍しいな、お前さんが俺達の前へ直接出てくるなんざ」
額に冷や汗を浮かべながら、モンドは修道女に問いかける。
<<私だって、偶には外の空気を吸いたいんだよ<8分署>。それに、あんたに直接聞きたい事もあったんでね>>
見た目に反して破戒僧のように振る舞いながら、黒いベールの修道女は、月明かりの下に立ち、モンドを見る。
<<あの若い坊や、元の世界じゃ『<糸斬り>のレン』って呼ばれてた凄腕だったんだよ?だから私は目を付けて招き入れたんだ。それをどうして役立たずと決めつけるんだい?>>
「あいつが来たのはお前さんの手引きだってのか?ボティシア様よ。……だったら、あの小僧が『裏』の人間として燃え尽きてるのが判んねぇのか?」
<<はて?お前さんには、あの坊やは『暖炉の灰』にでも見えたのかい?でも私には、まだ芯はじっと燻っている種火に思えるんだけどね?きっかけさえあれば、簡単に弾けて、またメラメラと良い火力で贄を焼いてくれるさ>>
その時が待ちきれないという風に、修道女はほぅっと熱い吐息を漏らしながら、祭壇に残る像を見上げる。
昼間、レンが訪れた時には無かった、下半身に蛇が巻き付き、口元には伸びた犬歯、そして、額に角を生やした、異形の女神の偶像が、4つの人影を見下ろしていた。
廃教会の住所『3番街14丁目』の3と14を足すと17、という事で、本作の元締めは『ソロモン72柱』の序列17位、ボティスをモデルとしました。本家の司る役割は『争いごとを調停する力』。どこか仕事人に通じるところがありますね。
ちなみに作者は、『「17」は神に見放された数』という設定を自作品でよく使います。これは黄金比『1.618』が「神が愛した数」と言われている所から。「『1.618』=『16と18』=『17が抜かれた』=17は神に見放された数」という解釈です。