老警官と青年医師
災歴2070年10月16日。
ニューダーク市マンハンタン自治区 南西部エリアのとある通り
老警官に保護された俺は、彼の呼んだパトカーに載せられ、見知らぬ街の中を搬送されている。車内の救急キットで応急処置をしてもらったものの、やはり正規の医者に診てもらった方が良いと判断され、最寄りの診療所へ向かう最中だ。
道中、老警官ことモンド・ミッドヴィレッジ巡査長から、改めてこの街について教えられた。
「この街は25年前まで、アメリカでも有数の大都市、文化や経済の中心地の一つだったんだがな。忘れもしない、『西暦』から『災歴』へと変わった2035年7月7日、中央公園にできた大穴のせいで、がらりと変わっちまった」
「……大穴?」
「ああ。それも空中に開いた大穴だ。何の前触れもなく、昼下がりの公園にぽっかりと口を開けたんだ。そしてそこから、未知の物質が溢れ出てきた」
「未知の物質……」
「『魔力粒子』、一般には『マナ』って呼ばれてる代物なんだが、これがデタラメな性質を持っていた。わずか半日でマンハンタン全域に広がったかと思えば、沿岸を境にピタリと止まり、以来25年間、一定の濃度でマンハンタンを覆い続けている」
「人体への影響は?」
「そこが一番の問題さ。お前さん、何か変な感じはしたか?」
俺は首を横に振った。思い返してみても、瞬間移動を体験した以外、異変や不調は感じられなかった。
「だろうな。最新の科学でも構造すら解析できない謎の物質の癖に、普段は人体に無害だ。発酵も腐敗も、何ら化学的な変化はしない。だが『マナ』が溢れて以来、マンハンタンには不可思議な出来事が頻発するようになった」
不可思議な出来事……それは、まさか!?
俺がはっと視線を向けると、老警官は頷いた。
「一番解りやすい影響は2つ。まずは『マナ』が原因で起こる、非科学的な現象の数々。ある程度の法則性があって、人為的なコントロールも多少は出来るってんで、『魔術』と呼ばれている」
例えば火。通常ならば換気をしなければ窒息して自然に消えるのだが、『マナ』が充満していれば、酸素濃度に関係なく燃え続けるのだそう。しかし、なぜか水に関係する絵や記号が描かれた空間では、その特性は消えるのだとか。
故に消火活動の際は、まず始めに『H2O』の3文字を壁に書くことから始めるらしい。
「そしてもう1つが、お前さんみたいに、ある日突然この街に迷い混む人間『ドロッパー』が現れるようになった事。場所、頻度、人数、国籍、人種、全てがランダム。時には『人間』ですらない連中も、まるで空から『落ちてきた』ように、ストンとその場に現れるんだ」
「もしかして、俺に絡んできたあの連中も?」
「ああ、そうだ。『オーク』を自称する、腕っぷしが強い種族だ。ああいった亜人や獣人は特に、国のお偉方や学者たちが『MACD』って公式の名称をつけた。『Monitoring And Contol Droper』の略、らしい」
「マック・ディー……」
ふと窓の外、人々の行き交う通りを見る。
よく見れば、普通の通行人に混じって、頭に獣の耳があったり、耳が横に伸びていたり、触手のような足が無数にあるモノ達が、ごく普通に通りすぎていった。
思わず、ほぅと溜め息を吐いた俺に、ミッドヴィレッジ巡査部長は笑いかけた。
「まぁ大半の『MACD』は、『人間』と同じく普通に暮らすだけ。時には変な個性というか特殊能力を持っている奴もいるが、元々の住民たちの反応は、『ちょっと変わった良き隣人が増えた』って程度まで落ち着いた。だが、お上(かみ)の方々にとっては厄介者と見なされてな。この街を『自治区』という名の隔離エリアに指定して、全てを閉じ込めた。要は丸投げだ。そしてそれ以降、ここで何が起きようとも、一切手出しをしなくなった」
「何が起こってもお構い無し、ですか?」
実質的に、この街は無法地帯と化しているのではないか?そんな不安が頭をよぎった。
しかし、巡査長は笑ってそれを否定する。
「勿論、俺ら警察が治安を守ってはいるし、その給金は国からちゃんと支給されている。ガキの喧嘩はお互いをいさめて、犯罪者は取っ捕まえる。救急や消防も同じだ。それに食料や日曜雑貨なんかを他の都市とやり取りするのも禁じられていないから、普通に生活する分には、隔離されているとは感じない」
確かに、通りを闊歩する人々の顔ぶれ以外は、俺の知る普通の繁華街とそう変わりはなさそうだった。
皆、きちんと交通ルールを守っているし、どこかで爆音や銃声が聞こえることも無い。
「だが、『D』や『魔術』が絡んだトラブルになると、俺たちが助けてやれない時もある」
例えば、特殊な能力を持つ『MACD』が居ても、その能力の使用を警察は制限できない。それでけが人が出た場合、警察は一応、傷害の罪で身柄を抑えるらしいが、本人が故意ではないと言い張ってしまえば、そこから深くは追及できないのだという。
「国も州議会も『自治区』特有の問題に関して法整備を全くしないまま、この街を自分たちの管轄から切り離したからな。今この街の政を担っている『マンハンタン自治議会』も、現状維持で精一杯な有様だ」
『特殊能力』も『魔術』も、異変以前には存在しなかったモノだ。当然、存在しないモノを取り締まる法律も、同じく存在しない。
「(『生きている方が迷惑な連中』、ここにもいるんだな)」
法の網目を掻い潜って悪事を働く連中がいるのは、どこの世界でも同じらしい。
『始末屋』なぞをやっていた自分の事を棚に上げながら、俺が心の中で嘲笑を浮かべていると、パトカーは診療所に到着した。
*****
マンハンタン自治区 5番街18丁目
パトカーが停まったのは、アパートが連なる裏通りにある小さな診療所の前だった。2階建てで立方体型の、質素なレンガ張りの建物で、2階部分に看板が揚がっていた。
『ドクター・ビアン・ラタン診療所』
まだ太陽が高い位置にある時間帯な為か、周囲は人気が無い。
「ここは小さい診療所だが、この辺りで一番腕のいい医者が居るんだ」
ミッドヴィレッジ巡査長に付き添われて、中に入ると、右手に受付があり、俺より少し年上というぐらいの青年が、カルテの整理をしていた。
そして俺と巡査長に気付くと、慌ててこちらへ出てくる。
「<8分署の旦那>っ!?彼は、……何か事件で?」
「4丁目の路地裏で拾った『D』だよ。足と腕を撃たれてんだ。ちょいと診てくれんか?」
2人は顔見知りらしく、巡査長は気安い口調で、胸元に『医師/ビアン・ラタン』という名札を付けた青年に頼んだ。
「担ぎこんでくる前に連絡くださいよぉ。……、……止血は出来ているようですね。弾はまだ体内に?」
「あ、足の方は掠った程度で、腕の方も、たぶん外へ抜けています」
俺がそう自分の状態を伝えると、ラタン医師は一瞬、意外そうにこちらを見つめた。
しかし、すぐに医者の顔に戻ると、俺を奥へと促す。
「解りました。まずは消毒と、傷の具合を調べないと。こちらへ」
*****
処置室
俺はシャツとジャージを脱がされ、手術用のベッドへ仰向けに横たわる。
「足の傷は本当に掠った程度ですね、縫合の必要もないでしょう。でも、腕の傷は重傷です。……プロの殺し屋による射撃、ですよね?」
「っ!?さぁ、どうなんでしょう?撃たれた時の記憶は曖昧で……」
深く突っ込まれると面倒なので、記憶喪失という事で誤魔化そうとした。
しかし、医師は食い下がった。
「ほう、不思議ですね。利き腕を潰されながらも応戦して撃退した相手の事を、覚えていないと?」
「なっ!?」
まさか見抜かれるとは思っていなかった俺は、反射的に体を起こし、ラタン医師を見やる。
まだ三十路を迎えていないであろう青年医師は、苦笑しながら説明する。
「この街で医者をやっていると、銃創なんて見飽きるんですよ。撃ったのがプロか、ただのゴロツキか、撃たれた時はどんな姿勢だったか、全部見抜けます」
とラタン医師は、机の隅に置かれていた球体関節人形を使って、俺が負った傷について解説を始める。
「一発目は腕、それも殺すのではなく、武器を無力化するための射撃。しかし君は左手に武器を持ち替えて応戦した。だから相手は左腕を狙ったが、君が大きく跳躍した為に、弾は右足を掠めた。それ以外に銃創も怪我もない事から、決闘はそこで終わった。君が相手を殺したか、崖かビルの上から飛び降りたか。どちらにせよ、出血の量から判断すれば、君はそのタイミングでこちらの世界に迷い混んだ。違いますか?若い『殺し屋』さん」
「……『殺し屋』じゃなく『始末屋』だ。殺し以外の仕事の方が多い。そこ以外は正解さ」
誤魔化せないと判断した俺は、『レン』として振る舞う事にした。
そして、青年医師の出方をうかがう。
「それで?あの巡査長にチクるのか?」
「まさか。医者には守秘義務がありますので。それに、旦那だって最初から気づいてますよ。大きい病院じゃなく、ウチに連れてくるぐらいですから」
「マジか!?」
「肩書こそ、下から2番目の『巡査長』ですが、それは旦那に出世欲が無いのと、目敏すぎて偉い人たちに煙たがられてるせい。だから皆、<8分署の旦那>と親しみを込めて呼んでいるんです。中には恐怖を覚える連中もいますがね」
「……らしいな。ハハッ」
老警官を見て逃げ去ったオークたちを思い出し、俺はこの街に来て初めて、心の底からの笑いを零した。
老警官モンド・ミッドヴィレッジのモデルはお察しの通り、『中村主水』御大でございます。(中=ミッド、村=ヴィレッジ)。八丁堀=8分署の旦那は、必殺シリーズの『顔』として有名ですね。
(ちなみに作者は「はぐれ刑事 純情派」の安浦刑事も好きです。やっさん・・・)
青年医師ビアン・ラタンは、元祖仕事人(仕掛け人)『藤枝梅安』です。
(梅安=ビアン、藤=ラタン)。こちらは漫画版を少し拝見した程度しか知らないので、大幅にキャラが違っております。