ようこそ、『人狩り』の街へ
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10年前
その男が説いたのは命の尊さではなく、むしろその逆、命がいかに粗末な物であるか、だった。
「人間の命ってのは、世界中で75億もあって、しかも病気やら怪我やら色んな原因で簡単に亡くなる。いわば、量産された粗悪品だ」
駄菓子屋で売っているような安物のシャボン玉を吹きながらそう語る男に、少年は手すりから身を乗り出したまま、こう返した。
「そんな安物だったら、ここで一つ消えても良いだろう?おっさん」
「おいおい、俺は最後まで話し終えてねぇぞ。……そんな粗悪品でも『大事にしろ』って言われる理由がある。なんだと思う?」
「さあ?悲しむやつがいるとか、そういう感じだろう?」
「まぁ、当たらずとも遠からずだ。正確に言えばな、『他の連中の迷惑になるから』だ」
「はぁ?迷惑?」
「そう。例えばお前さんが此処で死んだ場合、……真っ先に迷惑を被るのは警察だな。こんな山ん中、現場検証するのはシンドイぞ。次にお前さんの通う学校の職員。マスコミや保護者対応で、普段から残業しまくりの先生方は疲労困憊だ。お前の家族や親類だってそうだ。葬式の手伝いやった事あるか?自分勝手に死んだガキの遺体を運ばされて、義理でやってくる弔問客に頭下げて、最期は火葬場でテメェが焼き上がるまで拘束される。要は、コストが掛かりすぎるんだよ、命の後始末ってのは」
「……そんなの知るか。俺にとっては、死んだ後の話なんだから」
男の事が煩わしくなって、そう怒鳴った少年は、手すりを跨ぎ、向こう側へ身を乗り出した。
下は傾斜45度の草むら。だが、数メートルの高低差と、70㎏近い自身の体重があれば、『イケる』と考えた。
しかし、そんな思考が吹っ飛ぶ言葉が、男の口から飛び出した。
「ふっ、やっぱりな。合格だよ、少年」
「はぁ!?」
思わず、内側に残っている方の脚をブレーキとして踏ん張りながら、少年は男を見た。
「お前さんみたいな奴を探してたんだ。『自殺』ってのは『自分を殺す』、つまり『殺人』の一種だ。それを躊躇いなくやれるなら、『他人を殺す』事も同じく、ってな」
「俺に、『殺し屋』に成れってか?」
「察しが良いな。正確に言えば『始末屋』だがな。さっき、『他人の迷惑になるから命は粗末にできない』って話をしたが、まぁ世の中には、『生きている方が迷惑』って連中もいる。そういう奴らを始末するのが、俺達の仕事だ。まぁ、本業は年に2,3件で、残りは裏社会での便利屋みたいな仕事が大半なんだがな。だから『始末屋』」
「……生きている方が、迷惑な人間」
まさしく自分の事だと、少年は俯く。
男は、そんな彼の肩に手を置くと、今までで一番優しい声で語り掛ける。
「俺はな、別にお前さんの自殺を止めたいんじゃねぇ。ただ、どうせ死ぬなら、何人か同じような奴らを道連れにしてからでも良いんじゃねぇか、って誘ってるだけさ」
「運動音痴でも、やれるか?」
手すりのこちら側へ降り立ちながら、少年はこのあと師匠と呼ぶ事になる男へと向き直る。
男はニッと微笑んで見せ、そして告げる。
「Phaaaaaa!」
「!?」
*****
現在
突然鳴り響いたクラクション音に、俺の意識は走馬灯から引き戻される。
直後、俺は背中に衝撃を受けた。
ポスンっ!
「ほえ?」
しかし予想していたよりも軽い衝撃に、俺は思わずマヌケな声を漏らす。
師匠に撃たれた腕と足に痛みが走る。が、それ以外に致命傷を負った感覚は無い。首の骨が折れたのか?いや、それなら銃創からの痛みも消えるはず。なにより……
「臭っ!?生ゴミかこれ?」
背後から立ち上った異臭に、俺は反射的に体を起こす。すると視界に飛び込んできたのは、生い茂る草木ではなく、汚いコンクリートの壁だった。
「……路地裏?」
空き缶や瓶の破片が散らばる、色々な液体で汚れた地面に着地した俺は、独り言をつぶやく。右足の脹脛が傷む為、左足に体重をかけケンケン歩きをしながら、周りを見渡す。
スプレーで落書きされたレンガの壁、無造作に積まれた粗大ゴミ、遠くから聞こえる喧騒……
精神の混乱と瞬間的な激しい動きにより早鐘を打っていた心臓が静まる頃、周囲の様子が解ってくる。
やはりここは、古墳が群集する山の中ではなく、どこかの、それも俺が来たことのない街の、建物同士の僅かな隙間にできた小路らしい。遠く20mほど先から、人や車の行きかう賑やかな音が聞こえる。
俺が『落ちた』のは、蓋が閉まらない程乱雑にゴミ袋が突っ込まれたダストボックス。衝撃で弾けたのか、袋の中身(食いかけのサンドイッチやら中身の残ったビール瓶やら)が地面に零れている。
それを目で追っていると、自分の脚、ジャージに開いた穴とその周りの赤いシミに停まる。シミはこれ以上広がる様子はなく、こちらは弾丸が掠った程度なのだろう。
だが、だらりと下げた右腕の方を見ると、こちらはまだポトポトと出血が続いていた。
「くそっ、耄碌したって散々ぼやいていたくせに、射撃の腕は落ちてなかったわけだ。さすが師匠」
俺は痺れる右腕に気をつけながら、パーカーを脱ぎ捨て、長袖のスポーツTシャツ姿になる。
そして、俺が寝転がっていたゴミ袋の上に愛用のナイフが落ちているのを見つけ、それを拾い上げると、口で右の袖口を咥え、左手に握ったナイフで傷口の辺りまで切り裂く。即席の止血帯だ。
「ぐっ、痛っ!?」
銃創は肘から少し上だったので、肩に近い辺りを、しっかりと帯で締め付ける。
痺れる痛みは続いているが、出血は止まった。俺は改めて、自分の置かれた状況を確認する。
俺は、『仕事』の失敗がバレて師匠に呼び出された。そして思い出の場所、10年前に自分が自殺を図った場所で、師匠に撃たれた。
その事に悔いはない。元々一度捨てた命だ、『仕事』の最中に死ぬことだって、いつも覚悟していた。
だが、師匠が、俺の代わりに彼女の命を狙うのだけは見過ごせなかった。だから最後の道連れに師匠を選び、俺は展望台から身を投げた。
この手に伝わったあの感触、間違いなく師匠は頭を強打して死んだだろう。そして俺も、10m下の大木に叩き付けられて死ぬはずだった。
だが気づけば、どこともわからぬ街の路地裏にいる。
ここは薄暗いが、寒くはない。しかし、突然すぎる場所の変化に、胸の奥に震えを覚えた。
「本当に、どこだここ?」
手負いの状態で大通りに出れば、人目に付く。しかしここに居続けても状況は変わりそうにない。
そう考えあぐねていると、
「よう『Kid』、迷子になったのかい?」
不意に背後から、悪意に満ちた声が投げ掛けられる。
「(ゴロツキの類か?利き腕が使えなくてシンドイ時に・・・)」
背後に現れた気配は3つ。おそらくこの界隈で恐喝や強盗を働く程度の、『裏家業』とは無縁な無法者たちであろう。
右腕が痺れている今の状態では、普段のような立ち回りはできないが、こっちは曲がりなりにも、10年『始末屋』をやってきた身。この程度の連中を返り討ちにするぐらいはできるはず。
そう考えた俺は、左手の仕込みナイフをしっかりと握り直し振り返る。どんな不細工な面がそろっているのか、そんな事を考える程度には、余裕を取り戻して。
「ああ、どうやら道を間違えたみたいでね。ちょいと案内をたの…め……え?」
だが、その光景を目にした途端に、心の余裕はタッチアンドゴーでどこかへ飛び去って行った。
「(なんだ?こいつら)」
後ろにいたのは予想通り、3人組のゴロツキだった。全員、下はジーンズ、上はジャケットを羽織っただけという半裸姿。その手に握る得物は、安物の果物ナイフと鉄パイプに、そこらで拾ったであろう割れた酒瓶。
これだけなら、これまで何度も返り討ちにしてきたザコ共と同じだ。だが、連中の身体は、異常だった。
「なんだこいつ、急に黙りこくりやがったぞ」
「俺達の姿に驚いてるようだなぁ。オークを見るのは初めて、って顔だぜ?」
オーク……それはあの豚人の事か?
黄緑の肌、2mはあろうかというでかい図体、そして薄毛かつ踏まれた饅頭みたいな頭、という連中の特徴は、ファンタジーやSFの世界では有名な、人外種族と一致する。
だが、アレはあくまでおとぎ話かゲームの世界の存在のはず。俺は、夢でも見ているのか?
度重なる非常識な事態に、俺の頭はパンクして、身動きが取れなくなる。それを嘲笑いながら、バケモノたちは距離を詰めてきた。
「はっ、こいつビビッてやがるぜ。やっぱりヒューマンは脆弱だな。まるでフライドチキンだ」
「ああ、ナイフを握っちゃいるが、手負いだぜこいつ。どっかのマフィアに喧嘩でも売ったのか?『僕ちゃん』」
「まぁ俺達も見た目以上にクリーチャーって訳じゃねぇ。『案内料』を払ってくれれば、闇医者を紹介してやるよ」
人間と同じ言語を流暢に話す3人組。本当に、外見以外はどこにでもいるゴロツキのようだ。
言い換えれば、連中の言葉は信用できない。素直に有り金を全部渡しても、俺が向かうのは医者ではないだろう。良くて警察の霊安室、悪けりゃどこかの下水の中だ。
かといって、抵抗しようにも利き腕と足をやられている状態、2m越えの大男3人には到底太刀打ちできない。
「(ここは逃げの一択だが、やれるか?)」
大通りに出れば、奴らも下手に暴れられないだろう。
距離は目測で20m、難しいがやるしかない。
視線を男たちに向けたまま、俺はゆっくりと後ずさる。
「おいおい、逃げんなよ。別にとって食おうって訳じゃねえぞ」
負傷している事で慢心しているのか、向かってくる男たちの足もゆっくりとしている。
男たちと睨み合ったまま、背後の喧騒が、段々と近くなっていく。
俺の意図に気付いたのか、男たちの顔に若干の焦りが見え始める。今にも跳びかかってきそうだ。そうなれば、こっちもがむしゃらに逃げよう。
そう腹をくくった時だった。男たちが突然、ぴたりと動きを止める。その視線は俺を見ておらず、その背後、小路の出口の方へ向けられていた。
釣られてそちらを振り向くと、通りすがりであろう1人の男が、足を止めてこちらを覗いていた。
背は俺より少し高そうな、使い古されたトレンチコートを羽織った、50代くらいの壮年。そしてその風貌がヒトであったことに、俺は心のどこかでほっとした。
「おう、何だ?喧嘩……って訳でもなさそうだな?そこの小僧、その怪我は撃たれたのか?やったのはそいつらか?」
大男たちの姿にも動じずに、男は小路へ入ってきて、俺の様子を気に掛ける。
一方のゴロツキたちは、男の顔に見覚えがあるのか、武器を取りこぼすほど慌てていた。
「ヤバい、<8分署の旦那>だ。お前ら、ずらかるぞっ!」
そしてあっという間に、3人は小路の向こうへ逃げ去って行った。
「なんでぇい、人をオバケみたぇに見やがって。テメェの顔を鏡でみろってんだ」
そう悪態をつきながらも、<8分署の旦那>とやらは、ゴロツキを追わずに、俺の横に立った。
「お前さん大丈夫か?よく見りゃ、腕も派手にやられてるじゃねぇか。止血は自分でか?」
「あ、はい。……あの、助けて頂いて、ありがとうございます」
とりあえず、俺は『表の顔』で接する事にする。その方が面倒が少ないと踏んだからだ。
礼を言いながらぺこりと頭を下げると、トレンチコートの胸ポケットに、大きなバッジがついている事に気付く。
『CITY OF NEW DARK POLICE』
「ポリス、警察官でしたか」
「まぁ引退間近のおいぼれだがね。それで、お前さん。そのナリはどうしたい?強盗にでも遭ったのか?」
「それが……記憶があいまいで……」
俺は老警官に、虚実を混ぜて事情を話すことにした。
「なんでここに居るのか、全く解らないんです。気づいたら、其処のゴミ箱の上で。それまで自分がどこにいたのか、全く思い出せないし。困っていたら、あいつらに絡まれて……」
「記憶がねぇのか!?名前も住所も?」
「なまえ……は解ります。レンタロウ、久重廉太郎と言います。えっと、身分証とか持ってるかな?」
ポケットを探ると、財布と一緒に免許証が出てきた。やはり持ち物も、あの展望台に居た時のままだった。
素直に免許証を差し出すと、老警官は首をかしげる。
「こりゃ、日本語か?お前さん、旅行か何かで来た日本人か?パスポートは?」
「えっと、それはどういう意味で?」
困り顔でそう訊き返しながらも、俺は老警官のバッジを目にした時から、ある可能性を考えていた。
ここは、日本ですらない、と。
そしてそれは、老警官の言葉によって証明された。
「……もしかして、『落ちてきた』のか?」
ボソッと独り言を呟いた警官は、俺に同情するように優しい口調で語る。
「ここはニューダーク市のマンハンタン。かつては合衆国の一部だったが、今では島ごと隔離され、不可思議で物騒なことが日常茶飯事な、魔窟になり果てた都市だ」
主人公のモデルは、2000年代シリーズの「仕立て屋の匳」です。破天荒なキャラと糸を使った技が好きでした(でも中の人が・・・・)
『匳』は訓読みで「くしげ」、化粧箱という意味の漢字です。