<始末屋>のレン
西暦2037年某月某日 午後2時
日本 和歌山県和歌山市北東部 岩橋千塚古墳群 史跡公園内 展望台
大阪府との鉄道の玄関口であるJR和歌山駅から、東へおよそ15分。
阪和自動車道・和歌山インターチェンジの南口からは5分ほどの場所に、国の特別史跡に指定されている『岩橋千塚古墳群』がある。
国内最大規模、800基以上の古代豪族たちの墓所が、大日山の北東地域に密集しており、一帯は史跡公園として一般に開放されている。山の中には古墳群を一周できるハイキングコースが整備され、地域住民の運動の場や、付近の中学校のマラソン大会コースとして利用されているスポットだ。
そのハイキングコースの頂上近く、『将軍塚』と称される墳墓のたもとに、休憩所も兼ねた展望台がある。
和歌山市の水源である紀ノ川と、市内の北部地域を見渡せる絶景スポットであるが、平日の昼下がりとあって、現在居るのはたった2人。
黒いコートを着た壮年の男と、その左隣に立つ、下が青いジャージで上は黒いパーカーの青年だ。
一見すれば親子のように見えるが、2人の間に流れる空気はどこか不穏であった。
先に口を開いたのは、青年の方だった。
「……わざわざ大阪から4時間かけてこんな所まで来るなんて。どうしたんです?師匠」
師匠と呼ばれたコートの男はそれに答えず、はるか向こうを流れる紀ノ川を眺めながら、逆に青年に問う。
「お前をここで拾ってから、何年だろうな?」
「……、……もう10年、ですかね?中2の時、ここから飛び降りようとしてた俺に、師匠が声をかけて……」
青年は懐かしそうに目を細め、木製の手すりにもたれ掛かる。
よくある話だった。細かい事に気が付いて頭の回転もよくて、しかし他人の気持ちや場の空気に疎い。そういう人間がいじめを受けて、自殺を試みた。それだけの事。
世間に数多ある事例としては、自殺が成功して新聞やテレビを数日賑わせるか、失敗して無駄に痛い目を見るか、で終わるのだが、この少年には第三の結果が訪れた。
『勿体ねぇなぁ。自殺なんざ』
手すりを乗り越えようとした彼に、そう声をかける者がいたのだ。
「そうか、もう10年か。お前さん、あの時に俺と交わした約束、覚えているか?」
裏社会に足を踏み入れてから今日までの事を回想していたレンは、<師匠>のそんな問いかけで現実に引き戻される。
特に普段とは変わった様子の無い<師匠>から尋ねられた、何気ない質問。しかしレンは、この場所に連れてこられてから、いや、2週間前のあの日から予期していたその言葉に、冷や汗を浮かべながら返答する。
「俺が『始末屋』稼業を辞められるのは、死ぬ時だけ。そして、『その時』は最初に師匠と出会った、この場所で。……やっぱ、そういう事ですね」
「ああ。察しの良さはあの時のままで助かったぜ。説明が省ける」
そう冷徹に呟くと、師匠だった男はコートの裏側からサイレンサー付きの拳銃を取り出し、その銃口をレンへと向けた。
青年はそれを、真正面から見つめる。
彼の態度に、コートの男は感心した。
「……ほう、何で自分が死ぬか、解ってる様子だな」
「覚悟の上でやりましたから。2週間前の仕事で、『標的』を逃がした事がバレたんでしょう?」
「なんで逃がした?お前さんはもう、殺す相手に同情するようなタマじゃねぇだろうに」
「彼女は、今までの『標的』とは違ったんです」
最後だから、自分の中身をぶちまける。そう考えて、レンは自らの判断を語る。
「師匠、最初に言いましたよね?俺が道連れにするのは、『生きている方が迷惑になる人間』だって。でも、彼女は違った」
「違わねぇよ。偉い『先生』の、世間にバレちゃならない秘密を知っちまった上に、それを政敵にバラそうとしたんだ。そういう連中、これまで何人も始末して来ただろうが」
「でもっ、彼女は違ったんです。だって、実の父親の罪を、告発しようとしたんですよ。それも、自分が死ぬことを覚悟の上で」
―殺すなら、さっさと殺してください。ただし、私が死んでもあの秘密は確実に世間に広まりますよ―
刃物を突き付けられても全く動じず、逆にこちらを真っすぐに射貫くその視線に、レンは初めて、『仕事』の最中に心が動いた。
そして気づけば、彼女の死を偽装していた。床に寝かせた彼女の首元に血糊をそれっぽくぶちまけた写真を殺害の証拠として提出し、本人は信頼できる人間に匿ってもらった。
『ありがとう』
最後、立ち去る自分の背中に掛けられたその声が、今もレンの心に、言葉で表現できない影響を与えている。
しかし、そんな彼の想いは、師匠には届かない。
「やれやれ、育て方を間違えちまったか。まぁ安心しろ、お前がやりそこなった女は、俺が始末してやるよ。潜伏先の一家もろともな」
「えっ!?」
師匠が面倒くさそうに吐いた言葉に、レンはここに来て初めて、動揺を見せた。
「確か、『佐村庵』だったな?。お前が預けた、『標的』の友人。お前ともネットゲームで繋がりがあったんだってな。姉が弁護士、親父が警察官僚、そして祖父が引退した政界の大物って、すげぇ家族だな。……だが残念ながら、その一家も例の『先生』にとって目障りな存在だったらしくってなぁ。これを機に、全員まとめて消えてもらおうって話になった。ありがとうよ、レン。おかげで5年は遊んで暮らせる」
「っ!させるかよ!」
レンはとっさに、腰に隠していたナイフを抜いた。
しかし、コートの男の方が速かった。
ピュン!
利き腕に激痛が走り、ナイフを足元に落としてしまう。その上に、赤い滴がぽたぽたと零れた。
「はっ、甘いな。お前にイロハを教えたのは誰だと思っていやがる。……10年間、ご苦労だった」
「はぁ、はぁ……甘いのは、あなたの方です。師匠」
痛みを堪え、左手で得物を拾ったレンは、居合抜きのようにそれを右脇へ隠すように構える。
「あん?」
「師匠。俺が<糸斬り>って二つ名を貰っている理由、忘れましたかっ?」
叫ぶと同時に、レンは左腕を振りかぶる。
するとナイフの刃が、カーボンワイヤーの尾を引いて、男の首へと襲い掛かった。
「・・・させるか!」
彼の意図に気付くと、コートの男はためらわずに引き金を引いた。
ピュン!
しかし直後、レンは柵の向こう側へと跳躍し、弾丸は彼の右足に当たる。
一方コートの男の首には、柄から伸びたワイヤーが、ぐるぐると何重にも巻き付いた。
「(初手は必ず相手の得物を狙う癖、それがあんたの敗因だ)」
腕と足の痛み、そして下へと落ちる浮遊感を感じながら、レンはほくそ笑んだ。
体が完全に柵の外へ出ると、彼は柄に着いた引き金を指ではじく。伸びていたワイヤーが、先端を<師匠>の首に巻き付けたまま、柄へと巻き戻ってゆく。
「こはっ!?」
釣りあげようとした魚が逆に釣り人を引き込むように、レンの放ったワイヤーは師匠を引き倒し、老人の側頭部を木製の欄干へと叩きつけ、頭蓋を砕く。
その衝撃でワイヤーは弛み、絶命した男の皮膚に赤い痕跡を残しながら、仕込み刃はレンの手元へと戻った。
そしてレンは、数秒後に来るであろう自分を殺す衝撃を受け入れるべく、そっと目を閉じた。
<師匠>が言及した「佐村庵」は、拙作「ナスティ・ジェイル~ネトゲの策士が異世界革命!?~」の主人公(本編終了後ver)です。レンが止めずとも、佐村家には最強の警備が備わっていたという裏設定・・・