マギーとナース
#####
災歴2071年4月10日午後4時
『クリス・ローズ教育保護機関』 関連施設
「(はぁ、しくじったわね)」
シーツからも枕からも新品の臭いがするベッドに寝かされた状態で、私/マーガレットは、自分の左腕に繋がれた点滴パックを見つめながら、後悔していた。
昼間、朝よりはマシな味になっていたポリッジを2人で啜っていた所に、電話が掛かってきた。
相手は私たちの同業者で新入りのレン。どうやら住居兼『表』の仕事先であるダイナーで、自家製ピクルスによる食中毒をやらかしてしまったらしい。
『飲食店で食中毒は、いろんな意味で不味いでしょう』
と、ビアンは足早に診療(と、ついでに事件の揉み消し)へ行ってしまい、私は独りで留守番となった。
普段なら大人しく寝ているか、能力の『副作用』である破壊衝動を発散させるために、地下の防音部屋で暴れるのだけれど、この日に限って私は第3の選択肢を取った。
即ち、冷蔵庫のチョコクッキーアイス(それも大きなバケツサイズ!)を勝手に食べながらの、テレビで映画観賞。一度やってみたかったのよね。
体調不良の原因が、ただの『風邪』だった。その事が、私の心のブレーキを緩めてしまったのだ。
=====
私が最後に風邪を患ったのは、『あのハロウィンの夜』の一週間前。
季節の変わり目に身体がついていけず、熱を出して寝込んだ。
ートリック・オア・トリートしたいのにぃー
友達と一緒にお化けの格好で近所を巡りたくて、苦い薬と味の薄い(でもビアンのヤツよりはマシな)麦粥に耐えた。
結果、前日には体調が回復し、お母さんにローブを羽織った魔女の衣装を作ってもらった。
お父さんも、おもちゃ屋カボチャの形のバケットを買ってきてくれた。
ーえへへ、お菓子くれなきゃ悪戯するぞー
喜び勇んで、日暮れの街へ繰り出した。
前を通ったお店やお家も、怖くてかわいい飾りでいっぱい。
どうして祝うのか知らないけれど、お祭りだから大歓迎!
丸いあめ玉、四角いクッキー。
とろけるチョコと、ふわふわマシュマロ。
たくさん集めて、時計が鳴った。
―もう7時だぞ!早くお帰り!―
お外の時間はもうおしまい。
あとはお家で賑やかパーティ。
また明日ねと、友達と別れる。
少し寂しい、帰り道。
でもかご一杯のお菓子を見れば、足取り軽く、スキップ、スキップ♪
風がヒューヒュー、マントをギュッ。
でもお家には、ママのシチューとパパのハグ。
急いで急いで、気分は時計ウサギを見つけたアリス。
―ただいまー♪
でも待っていたのは、お茶会じゃなかった。
=====
トラウマが甦る直前で、私は回想を打ち切った。(ついでにテレビでは、殺人鬼がやられ役の女性を桟橋の下から襲い始めていた。
すると、胸元がやけにひんやりしている事に気づく。
視線を下に向けると、左腕で抱いていたチョコアイス入りのバケツがぐしゃりと潰れて、溶けかけたチョコとバニラが『噴火』していた。
回想の途中で、腕が力んでしまったらしい。
「うわっ、やっちゃったぁ……」
私の気持ちを代弁するように、画面の中のヒロインが悲鳴を挙げる。
そして、背中にマサカリが刺さって絶命したヒロインを、殺人鬼が川の中へ引きずり込むシーンに目をやり、私は呟く。
「洗濯しなきゃ……」
潰れたアイス(もうほとんどシェイク)のバケツにラップをかけて冷凍庫に戻す。床にチョコアイスの足跡がついてしまったけど仕方がない。私は汚れた入院着を脱いでアイスのシミを内側に畳むと、綺麗な面で床を拭く。
この家はなぜか、生活スペースまで『リノリウム』なる素材でできているので、こういう汚れを掃除するのは楽なのよね。
そして、すっかり茶色くなってしまった入院着を持って、廊下を挟んだ向かいにあるランドリーへと向かう。
洗濯機の前に貯まっていた他の洗濯物と一緒にドラムの中へ放り込み、洗剤を入れて扉を閉じる。
そして、スイッチを入れた段階で、私はハッと気づいた。
「え~と、着替え、どこにあったっけ?」
スポーツブラとボックスパンツ姿の自分の体を見下ろすと、途端に寒気を覚える。
が、普段はビアンが入院着を出し入れしていたから、あの浅葱色のワンピースがどこにあるのか、私は知らない。
かと言って、普段使いの服を着られる程も回復していない。
「あ、そうだ。確か脱衣場に……」
私はバスルームへと向かい、シャワーボックスのそばにある戸棚を開ける。
どんぴしゃり。バスローブがあった。
ビアンが帰って来るまでの、文字通りつなぎとして、私はそれを羽織る。
と、その時だった。
ドンドンドン、ドンドンドン
診療所ではなく自宅の方の玄関から、来客にしてはえらく乱暴にドアが叩かれる音がした。
「誰よ、もう。こっちは病人なんだけど?」
そもそも、ビアンは出掛けるときは必ず『不在』の札を入り口に掛けて行く。家主が留守だと、一目瞭然のはずだ。
「中には誰も居ませんよ、と」
自分の部屋に戻って居留守を決め込もうと、私はバスルームから、出る。
そこで、自分のミスに気づく。
「あ、テレビ……外まで聴こえちゃったかも?」
リビングの方から大音量で漏れ聴こえるホラー映画に、あちゃ~、と頭を抱えた。
そして案の定、玄関からドア越しの怒鳴り声が届く。
―Mr.ビアン・ラタン!居るんでしょう!?テレビの音が外まで聞こえてますよ!―
やっぱりか、と私はため息を付くと、一旦リビングに寄って電源をオフにしてから、『表』の自分を準備する。
「私はマーガレット、病気がちで寝込んでるか弱い女の子よ?ケホケホ……よし、完璧」
風邪を引いているのは本当なのだから、とことん病人のフリをして、さっさと帰って貰おう。
と、後から思えば完全に裏目に出た作戦を立てて、私は玄関の戸をゆっくりと開けた。
「ごめんなさぁい。カゼを引いてねていたからぁ、ケホケホ。どちら様ぁ?」
めちゃくちゃ気分が悪い、という演技をしながら、迷惑な来客たちを観ると、全員揃いの黒スーツに身を包んだ男女5人ほどが、偉そうにこちらを見下ろしていた。
彼らが醸し出す雰囲気で、何か嫌な展開になると、私は察した。
「(あ、こいつらアブナイかも)」
「君は、ラタン医師の娘さんで間違いないか?」
どうやら、ビアン以外に住人が居ると事前に知っていたらしく、先頭に立っていた男が、私に訊ねてきた。
「ええ。本当の親子じゃないけど、お父さんとお母さんが事故で死んじゃって、私も病気がちだったから、『かかりつけ』?のビアン先生が引き取ってくれたの」
学校や近所の住民たち用にでっち上げてる『設定』を、私は返答として語る。
が、それも向こうは承知していたらしく、互いに頷きあった後、一番後ろに居たクリップボードをもった女が、それに挟んだ紙に何かを書き込んでいく。
裏家業で培った感が、こいつら「ヤバい」と警告してくる。
一旦退いてビアン……いや<8分署の旦那>に連絡しようと、私は困り顔を作り咳をしながら告げる。
「ケホケホ……ごめんなさい、私、気分が悪くて。先生は往診に行ってるわ。私はただのお留守番。で、おじちゃんたちは?(ほらほら、病気の子どもをいつまでも立たせてんじゃないわよ!)」
でも私の作戦は失敗した。
クリップボードを持った女黒スーツが、突然私に詰め寄り、担ぎ上げた。
「きゃあ!?ちょっと何?誘拐!?」
小麦袋のような扱いに、足をバタつかせて抵抗するが、女は気持ちの悪い猫なで声で言った。
「だぁいじょぉぶ。もうあなたをイジメる悪党とはさようならでちゅよぉ」
「うげぇ!何よオバサン気色の悪っ!ちょっ、どこにつれていくの!?」
そしてそのまま、黒塗りのワゴン車に乗せられ、ここに連れてこられた。
車の中で熱が上がり、意識が朦朧としたせいで車の軌跡が覚えられず、現在位置は不明。
唯一の収穫は、車内へ連れ込んだ女が小脇に抱えていた書類に書かれていた、誘拐犯たちの素性。
『クリス・ローズ教育保護機関作成
児童保護手続きチェック表
担当者:ホンキー・トンクス』
「(最近新聞で見かけた、児童福祉担当のお役所ね。なるほど)」
少なくとも、暗殺稼業のことがバレたわけではなさそうだった。
しかし、トンクスという女を含め、私を『保護』するに至った経緯は誰も教えてくれず、私は事の詳細が解らないまま、ここへ運ばれ、療養という名の監禁状態に陥っていた。
「はぁ、素直に居留守使っとけば良かったなぁ。……て言うか、ここの医者達ヘボすぎ!何で飲み薬で事足りるのに、点滴なんて打つのよ?」
無闇な点滴は血管をボロボロにする、とビアンから教わった。
……そう言えば、あいつが用意してくれた飲み薬、自分の部屋に置きっぱなしできちゃった。
「ビアンに、謝らないと……いや、そもそもこうなったのはあいつが独りにしたせいじゃん!役立たずの敏腕医者!」
「どっちだよ。役立たずなのか、敏腕なのか」
と、つい独り言が漏れてしまったようで、となりのベッドからツッコミが入る。
あまりの気配の無さに人が居るとは思わなかった私は、ビックリしてそちら/左側のベッドへ顔を向け、隣人に謝罪する。
「あら、ごめんなさ…あんた、大丈夫なの?」
思わず聞いてしまうほど、隣人はスゴい有り様だった。
入院着を着せられて横たわっていたのは、私と同じぐらいの背丈の子ども。
だけどその手足は筋肉が無いのでは、と思うほどに細く、肌も青白い。
顔は痩せこけ髪も丸刈りにされていて、パッと見では男女の区別がつかなかったが、わずかに盛り上がった胸と、私への返答の声で、辛うじて女の子だと判った。
「大丈夫じゃ無いから寝てんだよ~。……あんた、うっすらとチョコアイスの匂いがするな。……良いなぁ、オレ、一度も食ったことねぇんだ。部屋の窓から見えるところに、店があったんだけどさ」
ペロッと乾いた唇を舐めながら、その子は呟く。
私は自分の口に手を当てて息の匂いを確かめるが、よく判らなかった。
「あんた、鼻が良いのね?」
「褒め言葉なら嬉しいね。あぁ、鼻だけは生まれつき良いんだ。でも他はダメダメ。物覚えも悪いし、口も悪いし、顔もムカつくんだそうで……」
へへっ、とこちらを向いた左半面には、鼻先から耳まで細長いガーゼが張られていた。
「っ!……虐待ね、斬られたの?」
「そ、ハッパを刻んでたナイフでスパッと。それでやっとここに保護されたんだよ。この間までは、近所から物を盗んでも、裸で夜の町を歩いても、誰もなんにもしてくれなかったのにさ」
「そんな!警察はっ!?<8分署の旦那>が……あっ」
と私は言いかけた言葉を呑み込む。
でも、隣人はハハッと笑って、羨ましそうに語る。
「あんたんとこは『8分署』の管轄だったんだ。良いじゃん、ニューダークで一番治安の良い地区で。オレが居たのはブランクス、その名の通り法の『空白』地帯さ。警察なんて、オレの産まれる前から焼け跡の廃墟だよ」
ブランクスを管轄していたNDPD22分署は、『ホーリーデイ』から間も無い頃に発生した暴動で壊滅し、現在は隣接する20分署と23分署が半分ずつ管轄を引き継いだものの、あくまで手続き上だけの話。実際に警官が派遣されることはほとんどなく、無法地帯の一つとなっている。
そんな地獄から、この少女は救い出されてきた。勘違いで連れてこられた自分と違う、本当の被害者だった。
「……?もしも~し、どったの?黙りこくって。あ、もしかして、これがドージョーってやつ?初めてされたわ」
「あっ、ご、ごめん。そんなつもりじゃ……」
つい押し黙ってしまった私は、少女の問いかけで我に返った。
気分を害させてたか、と謝罪するため、改めて彼女の方を見る。
しかしそこには、屈託の無い笑みがあった。
「オレ、怒られるのと煙たがられるのと、あと切りつけられるの以外、誰かにしてもらったことね~んだわ。だから、オレのために真剣な顔してくれる奴、新鮮なんだ。だからさ……」
と、少女は点滴のチューブが許す限りこちら側へ身体を近づけ、言った。
「オレの方が長く居そうだけどさ、隣で寝てる間、トモダチに成ってくれよ。オレ、ナーサリー・ライネス。近所の奴らはナースって呼んでた」
「……マーガレット・スペルトーカー。マギーって呼ばれる方が多い。その、私でよければ、良いわよ、友達」
私も、点滴チューブを引き抜かないように気をつけて左腕を伸ばし、ナーサリー・ライネスの手を握った。
暗殺稼業に身を落として以降の最初の『友達』、そして、後の『依頼人』との出会いだった。