『クリス・ローズ・教育保護機関』
災歴2071年4月10日午後3時35分
ニューダーク市警 第8分署 駐車場
パトロールカーや護送車、押収品の車両が所狭しと並ぶ、市警第8分署の駐車場の一角。機動隊用大型バスの陰で、俺とビアン先生は、<イレイザー>の一員でもある老警官モンド・ミッドヴィレッジ巡査長から、マギーの一件に関する情報を受け取った。
「良いニュースと悪いニュースがある。まず、今回は『裏』の仕事とは無関係だった。こっちの正体がバレたわけでもねぇ」
「じゃあ、悪いニュースは?」
「大物が相手だって事だ。お嬢を拐って、いや『保護』して行ったのは『クリス・ローズ・教育保護機関』って連中で間違いない。ビアンに連絡してきたのもそいつらだ」
「キョウイク、ホゴキカン?何者です?」
聞きなれない単語、というか適当にでっち上げたような名前に、俺もビアン先生も目が点になる。
8分署の旦那は、ジャーキーを咥えながら説明する。
「先月、自治議会選挙があっただろ?あれでマンハンタンの区長に選出されたニコラ・ホナーオールが創設した団体だ」
「ニコラ……確か元は大学病院の院長でしたね。当時から福祉の充実を訴えて、選挙でもそれを公約にしていた、と記憶しています。ウチの診療所の裏手にも、系列病院がありましたね」
ビアン先生はすらすらと語ったが、俺は全くピンと来なかった。なんせ、異世界からの転移者には、投票権も含む参政権全般が与えられてない。政治の話はさっぱりだ。
だが、知らぬ存ぜぬで通すわけにはいかないようだった。
「その福祉政策ってのが、今回の元凶だ。恥ずかしながら、我らがマンハンタンの教育環境は、かなり悪い。何せ『見捨てられた孤島』だからな」
『ホーリー・デイ』、セントラル・パークの上空に『大穴』が開いたその日から、ハドスン川の中洲に築かれた摩天楼は、世界から断絶された。
といっても、物理的にではないし、一見するだけなら街に閉塞感は無い。
しかし、『大穴』から溢れだしマンハンタン島全土に満ちた未知の物質『マナ』を恐れた合衆国は、司法・行政・立法の全ての府において、事態の解決を放棄した。
すなわち、マンハンタンを自治区とし、島の内部で起こる全てについては、(マンハンタン区役所から名前が改まっただけの)『自治議会』が権限と責任を負う、とだけ定め、それ以降は全て丸投げしたのである。
『マナ』による異常な現象への対策も、しばらくして姿を見せ始めた俺たち『ドロッパー』への対応も、そして、異形の者たちが起こす既存の法律が想定していなかった犯罪への対処も・・・。
当然の帰結として、人員も能力も不足している『自治議会』は街の問題を改善するどころではなく、それでもせめて『表通りだけは、用心していれば安全』という程度には、行政を頑張ってきた。
それでも、取りこぼしは多かった。
例えば財政面、国や州からの支援が無い為に、後輪に火のついた自転車で操業している状態。
そこから貧困層支援の滞りに繋がり、非行少年の増加、親の方も良くて育児放棄、最悪は口減らし。
本来は公的機関である『ACS(日本で言う児童相談所)』が、そんな事態を未然に防ぐべく、警察と連携して迅速な捜査を行っていたが、その成果は芳しくない。
(そのおこぼれとして、俺たち<イレイザー>に暗殺依頼が来るのだが、それはここで口には出さない)
「だが、今になってようやっと、ソレを『どうにかしないと』と動く男が現れた。それがホナーオールだ。奴は当選早々、選挙でスポンサーだった連中に、民間での児童保護サービスを認可した。それが『クリス・ローズ教育保護機関』、グレー・ロッドって婆さんが総責任者で、表向きは『ACS』の補助を業務としている」
「なんか、含みのある言い方ですね」
公的機関の仕事を民営化した、というのは、古今東西でよく聞く話だが、不思議なことに、そのオチにもある程度テンプレがあったりする。
それを察しながらも、俺は旦那に続きを促した。
すると案の定、老警官の表情が曇る。
「成果を挙げすぎてるきらいがあってな。創設されてから僅か半月で、児童の保護件数が『ACS』の3倍。もはや『教育保護機関』の方が主役を張ってる有り様だ。……で、その3倍って数字がどうもきな臭い。特にお嬢の一件ではな」
「マギーの件、どこかから通報が?」
「あぁ。警察官が問い合わせたら、あっさり情報をくれたよ。通報者は匿名にされてたが、内容は解った」
旦那はトレンチコートの内ポケットから、折り畳まれた書類を取り出し、俺たちに見せた。
『5番街18丁目に住んでる女の子が、父親から虐待を受けているようだ。身体が弱く学校は休みがちだが、病院に連れていっている様子は無く、父親が市販薬を適当に混ぜて与えているようだ』
『ビアン・ラタンという医者が、娘を虐待している。夜中に凄い泣き声と、何かが壊れる音が聞こえた』
『ウチの隣の診療所で、マージョリーという少女がネグレクトを受けているようだ。窓から見える室内は何時も散らかっていて不潔だ。保護者である男は、頻繁に家を空けて、帰ってくるときはかなり酔っている』
全部で3件の通報は、いずれも断片的だが、会わせるとビアン先生がマギーを虐待しているように思えるものだった。
しかし、細かく見ていくと、複数箇所で不自然さが目立った。
「う~ん。この通報、違和感があるな。先生、内容に心当たりは?」
「恥ずかしながら、いくつか事実も混じっていますね。レン君にさっき説明しましたが、マギーは能力の副作用で学校を休む事があり、私が薬を処方していたので、正規の病院には掛かってなかったんです。あと、夜に喧嘩して、彼女がつい壁に穴を空けることも……度々」
「お嬢の身体の事は俺も承知してらぁ。ビアンの調薬の腕が確かってのもな。そもそも、医者と同じ屋根の下に暮らしてるってこたぁ、連中も把握してるはずだが……」
旦那の言う通り、通報の中身からは、マギーが町医者の娘だと解る情報がちゃんとあった。
他にも不審な点があるが、今一番の課題は、マギーの安否についてだ。
当然、旦那は既にそれも調べあげていた。
「お嬢は今、『クリス・ローズ』の運営する孤児院に居る。が、それが何処にあるのかは秘匿事項だと突っぱねられた。……俺にできたのは、ここまでだ」
旦那は口からはみ出ていたジャーキーの端を口の中へ放り込み、苛立たしげに噛み砕いた。
ビアン先生はそんな旦那に、姿勢を正して頭を下げた。
「それでも、『敵』が誰か知ることが出来ました。ありがとうございます、旦那」
「おう。だが、俺が関わんのはここまでだ。警察は『クリス・ローズ』については詮索せぬこと、って、お上からお達しが出てるんだとよ」
その『お上』というのは、十中八九ニコラ・ホナーオールの事だろう。
『クリス・ローズ』は、彼の公約である福祉改善政策の要。つつかれて埃が出るのを警戒してのことだろう。
逆説的に、つつかれたら埃が出てくるような組織であり、それをホナーオールも承知しているということになる。
「まさに、悪徳政治家の典型例ですね。……とすると、俺たちに出来ることは……アレか」
ある方策に思い当たり、俺はビアン先生に、とある場所を捜索することを提案した。
先生は首をかしげたが、すぐに同意してくれた。
そして、この場は解散となったのだが、署内へ戻る寸前、旦那が一つの忠告を残した。
「一つ言っておくが、俺たち自身が『頼み人』になるのはルール違反だからな。『でっち上げ』なんてのも無効だ」
「大丈夫です。俺が口にするのは『イソベアゲ』と『アブラアゲ』だけです」
「はっ、うまかねぇぞ。ニホン人ならもっと話芸を磨いとけ」
そんなやり取りを最後に、俺たちも駐車場を出た。
ちなみに、去り際の俺の脳裏には、一つの単語が思い浮かんでいた。
「(『クリス・ローズ教育保護機関……『C.lose.ed.shelter』…『Closed shelter』ねぇ」