仕掛けて殺した夜は明けて……
災歴2071年3月16日 午前3時
マンハンタン 某所
この街に来て初めての、そして最期の『仕事』を終えた俺は、夜明け前の街を夢遊病のごとく彷徨っていた。
ウインスキー兄弟を殺めたことへの罪悪感が原因ではない。そんなもの、『裏』の世界で生きた10年の内に、とっくに感じなくなっている。
俺の思考をズタズタに引き裂いたのは、身近な人間の死という、『表』の世界でもありふれた衝撃。どうも、異世界ではあるが平穏な『表』での生活を送っていた半年間で、その辺の耐性が鈍ってしまったらしい。
ダイナーに戻って、シャロンさんをきちんと弔う。
それが唯一の正解だと、片隅に残った理性が何度もささやく。しかしその度に、もう二度と見られない、あの快活な笑顔がフラッシュバックして、目的地を見失う。
そんな状態で、どれ程歩いただろう。ふと、視界の隅に見慣れたトレンチコートを捉えた。
「……旦那?」
「おう、忘れ物を届けに来た」
モンド・ミッドヴィレッジ巡査長は、いつもの調子でそう告げると、一本の札束を差し出す。
俺が頼み料として廃教会の黒衣の尼僧に渡した金だった。
「お前さんの取り分だ。頼み料は全員で均等に、ってのがルールだからな」
「いや、おれはっ……!」
シャロンさんの仇討ちは、半分は俺の私怨でやった事。それに『仕事』を再開するのは、今回一度きりのつもりだった。
そういったわがままを聞いてもらうつもりで、俺は自分の取り分をたった66セントにしたんだ。
そんなわけで、俺は拒んだのだが、旦那が差し出したのは紙幣だけではなかった事に気付き、動きを止める。
旦那は、左手で俺に紙幣を握らせながら、右手に握る警棒の先を俺の脇腹に押し付けていた。
「え~と、どんな2択なんですか?これ」
「『裏』で生きてきたなら、言わなくても察せるだろ?一旦こっち側に来ちまったら、そう簡単に辞められねぇってことだ」
「これからも<イレイザー>として生きるか、拒んで死ぬか、どちらか選べ、と?」
「そう言うこった。で、どうするよ?」
凶器の方の腕を僅かに下げながら、旦那は問いかける。
しかし俺は、同じ問いに後者で答えた為に、この世界へ来た身。シャロンさんを喪い、この世界での居場所もなくした今となっては、なおさら命は惜しくない。
「(サッカーでいうロスタイムみたいだったな、この半年間は。……面白かったぁ)」
そう腹をくくり、差し出されている頼み料を払いのけようと顔を上げる。
次の瞬間、俺が手を挙げるよりも先に、わき腹に激痛が走る。
「ぐっ!?………………あれ?」
肝臓を的確に狙った一撃に、俺は身体を「く」の字に曲げて倒れ込む。
しかし、それは致命傷を負った程のものではなく、抑えた両手にも、湿り気は伝わってこなかった。
旦那の方を見やると、彼は警棒を、刺突ではなく薙ぐかたちで振るった様だった。
咳きこみながら体を持ち上げる俺に、旦那は上から語る。
「お前さん、勘違いしているようだな」
「かん……違……い?」
「半年前にも言わなかったか?この街じゃ、新参者の過去なんざ、存在しなかったのと同じだ。良くも悪くもな。どんだけ悪逆を働こうが、どんだけ善行を積んでいようが、全部ノーカン。『スゴロク』で言うところの、『フリダシに戻る』ってやつだ」
「それじゃっ」
「お前さんは、アガルには早すぎる。アガりたいなら、もっとサイコロを振って進まにゃならん」
旦那は警棒を腰のベルトにしまうと、空いた右手を差し出す。
「<イレイザーズ>へようこそ。ゴールへ行き着くその日まで、盛大にサイコロ振っていこうや、<糸斬り>のレン」
「けほっ、……よろしく、どうぞ。<8分署>の旦那」
ひどく不器用な励ましに負け、俺は旦那の差し出す札束をしっかりと握り返した。
******
午前6時
『Sharon's Japanese Dinner』
旦那に付き添ってもらいながら、俺がダイナーに帰りついたのは、大通りに朝日が差し込み街が目を覚まし始めた刻限だった。
道中、警察への通報やその後の俺の処遇については旦那が面倒を見てくれる、という算段を話し合っていた。
ところが店の前まで来くると、明らかに異常な光景を、俺たちは目にする事となった。
「灯りが、ついてる!?」
シャロンさんの遺体を残し廃教会へ出立した際、無関係な人間に気付かれない様、電灯は全て消した。
しかし、歩道を渡った向こう側に見えるダイナーは、1階の店舗部分に明かりがついており、かつ、カウンターの向こうに人の気配が見えた。
「まさか泥棒!?」
俺と旦那は顔を見合わせ、それぞれの暗器に手を伸ばしながら、ほぼ同時に店へ向かって駆けだす。
そして、僅かに速さで優っていた俺が、入り口の戸を突き破らん勢いで開け放った。
カラン、カラカラン
だが、店内で待ち受けていたのは賊ではなく、どう考えてもありえない相手だった。
「悪いけどまだ準備ちゅ……なんだレンかい、お帰り」
「シャロン……さん……?」
カウンターの裏側で、パン切用の包丁を手に佇んでいたのは、この店の女主人その人。反射的に、昨晩彼女を横たわらせた客席に目を向けるが、そこには丁寧に折りたたまれた毛布だけがあった。
「どうした、レン……おまえっ!?」
数秒遅れて入ってきた旦那も、俺の肩越しに見えた顔に、言葉を失い立ち尽くす。
「なんだ、旦那も一緒だったのかい?警官が若者に朝帰りさせるなんて。……まぁ良い。レン、さっさと着替えて仕込みを手伝いな。
旦那は適当に座ってて、コーヒーだけなら用意できるから」
「シャロンさん、腹の傷は?動いて大丈夫なんですか!?」
この腕の中で看取ったにもかかわらず、不自然なほど自然に振る舞うシャロンさんに、俺は思わず詰め寄る。
そして、カウンターから身を身を乗り出すと、見えた。当たり前のように立っている彼女の衣服、そのわき腹の辺りにある数㎝の裂け目と、その周りに滲んだ赤黒いシミを。
「お前は、誰だ?いや、ナンだ!?」
気持ちの悪さを押し殺しながら、俺は叫び、腰に差したナイフを引き抜こうとする。
だが、背後に立った旦那に肘を押さえつけられ、動きがとまる。
そして旦那は、シャロンさんの姿をしたナニカに、いら立ちを込めた声で語り掛けた。
「お前、シャロン本人か?それともボティシアか、どっちだ?」
「え?」
「あ~、やっぱり付き合いの長いあんたには通じないか、<8分署の>」
困惑する俺を他所に、ソレはシャロンさんの顔と声で、しかし俺が見たことのない、邪悪な知性が感じ取れる笑みを浮かべ、言葉を返した。
「アタシは、正真正銘、シャロン・コルデーだよ。2027年生まれ、夫に先立たれ、残ったダイナーを切り盛りしている女主人。ただし昨日までと違って、今は魂が私と同化している状態さ」
言った瞬間、シャロンさんの体を、足元から湧き出た黒い靄が包み込む。
呆気に取られる俺の目の前で、彼女の姿が、廃教会の黒衣の尼僧に変わる。
「改めて、自己紹介といこうかね。私はボティシア。坊やと同じく異世界から流れ流れて、3番街の廃教会に棲みついたモノさ」




