1掛け、2掛け、3掛けて…
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深夜
マーガレット・スペルトーカーは、自室のクローゼットをあけ放ち、買い集めた衣装を吟味する。
「ど、れ、に、し、よ、う、か、なっ。これね」
飾りの少ない、しかし生地は上質なドレスを選び取ると、それを背後に置かれた円卓へ広げる。
そして、先んじて揃えておいた裁縫セットから裁ちバサミを取り出すと、それを利き腕の袖へと迷うことなく差し込む。
シャキ、シャキ、シャキ・・・
真剣な表情で扱われる鋏の音が、何者かへの宣告の様に、静かな部屋に響き渡る。
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ビアン・ラタンは、両手にゴム手袋をはめ、慎重な手つきで2本の試験管を持ち上げる。
シュゥゥゥ
眼前には液体窒素で満たされた水槽があり、彼は試験管を握った両手を、ためらうことなくその中へ入れた。
bbbb…………
数秒後、液体窒素が全て気化すると、凍りついた掌の中には、割れた試験管の欠片に混ざり、緑色の結晶が握られていた。
凍って砕けたゴム手袋の残骸とガラス片を水槽に捨て、残る2つの結晶を眺めながら、ビアンは呟く。
「う~ん、たった1人を殺すには、多すぎましたかねぇ?はぉんぐっ!」
そして片方をためらい無く呑み込み、もう片方をポケットに仕舞うと、実験室を出ていった。
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車通りの絶えた通りを、ランニングウェアに身を包んだレンが駆けていく。
ふっ、ふっ、ふっ、ふっ……
自分の中から不要な物を取り除くように、吸うよりも吐く回数の多い呼吸法で走る彼の腰元では、鞘に収まった仕込みナイフが、街灯の光を怪しく反射させる。
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レンが駆け去った道を、モンド・ミッドヴィレッジは静かに歩んでいく。
年季の入ったトレンチコートに身を包み、ハットを目深に被った老警官の表情は、誰にも伺いする事が出来ない。
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午前2時
『グローブズ・ミート』精肉工場内
大陸北部地域から買い付けた牛肉塊が、船便のコンテナから次々に運び出され、検品されている。
その様子を満足げに見つめながら、アステリオは腹心の部下に笑顔で話しかける。
搬入用重機の駆動音がうるさいので、かなり声を張り上げて、だったが。
「良い肉だっ。これなら今月も黒字は堅い!上半期の売り上げ予測は!?」
「前年比で10%の増収です!例の新エリア進出の工作で、少し予算を使いすぎましたが……」
「かまわんよ。なんならウインスキー共にやらせた偽イベント、本当に開催してみるのもアリだぞ。宣伝効果でもっと増収が見込める。ハハハ、ハックシュン!」
季節は春先、まだ夜は冷える時期だ。
「うぅ、少しションベンに行ってくる。戻りにコーヒー買ってくるが、お前は?」
「いただきます。残り2箱の検品が済み次第、私も事務所に……」
おう、っとひと声かけると、アステリオは工場の中へ入って行く。
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しばらく後
用を足し終えたアステリオは、自販機のある休憩スペースへ立ち寄る。
しかし、コーヒーを買おうと財布を取り出した途端、顔をしかめた。
「しまった、100ドル札しかねぇ。どうすっかなぁ……」
その様子をテーブルの陰にしゃがみ込んで伺う、小さな影が一つ。
グッ、メキメキメキ
マーガレットは利き手の指をほぐしながら、袖口の留め具を外す。
スリットの入っていた袖はハラリと脱げ、少女の華奢な腕が、肩口から露わになる。
「ふぅぅ」
軽く一呼吸おくと、マーガレットはアステリオの背後へと近づいていく。
一歩近づくたびに、露わになった腕の表皮が黄緑色に染まっていく。
そして、
「ねえ、おじさん」
「っ!?誰だ小娘、どっから来た!?」
驚くアステリオの問いかけに、マーガレットはにっこりと無邪気な笑みを向けながら返す。
「私、マギー。マジシャンなの。おじさんに、私の手品を見て欲しいの」
「は?てじな?」
戸惑うアステリオを正面から見据え、マーガレットは右腕を背中に隠す。
「右腕がぁ……」
シュッ、ボキボキボキッ!
素早く横へ伸ばすと同時に、右腕は彼女の身の丈と同じサイズに肥大化した。
「でっかくなっちゃうの!」
「っ!?このばけm(ban!)」
悲鳴を上げる間もなく、アステリオの身体は、巨大な張り手に弾き飛ばされ、休憩室の壁に脳天から叩きつけられる。
べちゅッ!
アステリオの自画像が掲げられていたその一画は、本人由来の赤黒いペイントで新たに彩られた。
腕を元のサイズに戻し、袖の留め具を直したマーガレットは、それを見て一言。
「ずいぶん脂っこいミンチね。おいしくなさそう」
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同時刻
精肉工場内 貯蔵室
今日の分の検品を終えたディー・セクレットは、事務作業をしながら雇い主が戻ってくるのを待っていた。
すると突然、壁に備えられた警報装置からアラームが鳴り響く。
ピーピーピー
「侵入者っ!場所は……くそ、よりにもよって『加工室』か!」
警察に見られたくない、訳ありの場所でのトラブルに、ディーは苛立ちを覚えながら、引き出しから拳銃を取りだし、事務所を飛び出す。
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数分後
『加工室』
牛肉塊を捌く為のフロアは、巨大な機材が並び死角が多い。銃を構えたディーは、その一つ一つを警戒しながら、少しずつ奥へと進む。
すると、ある加工台の上に、就労時間の終了と共に貯蔵室へ入れられたはずの肉塊が載せられているのを見つける。
その傍らには、白衣を着た若い男の姿もあり・・・。
「何者だ!?不法侵入で警察に突き出すぞ!」
しかし白衣の男/ビアン・ラタンは慌てた様子もみせず、肉塊を見ながらディーに返す。
「警察を呼ぶと、そちらが困るのでは?ここで食肉に違法な加工、油脂や薬物の注入を施しているのがバレますよ」
「っ!?」
正体の判らぬ部外者に秘密を知られた。
本能的に危機を悟ったディーは、躊躇いなくビアンを撃つ。
パンッ、パリンッ!
しかし銃弾はビアンに当たらず、代わりに彼が避けざまに放った緑色の結晶を砕く。
ヒスイのようなその破片は、床で砕けた直後、欠片が氷の様に解け消えた。
そして直後、ディーの様子が急変。手から硝煙の上がる拳銃が取りこぼされる。
「ごっ、がっ!?」
目を充血させ喉を抑えながら、その場に崩れ落ちるディー。しかしビアンには異常は現れず、青年医師は『標的』の最期を静かに見つめた。
「おばべ……な゛ぜ、べぃぎごべら!?」
「さぁ?それは今も研究中です。むしろ、なぜあなたは死ぬのでしょうね?」
そう言葉を返すと、ビアンは泡を吹きながらこと切れるディーを放置し、その場を立ち去る。
「あ、そういえば、飲み込んだ方の毒、無駄に成っちゃいました。次にトイレに行く時、気を付けないと」
*****
マンハンタン リトルイタリー某所 バー『ヴォルべ』
日付を跨いで飲んでいた者たちも家路につき始める刻限。しかしその3人組は、酒場の裏口から、逃げるように外へ出てきた。
「くそっ!社長たちと連絡が取れねぇ。スコット急げ!」
「待ってくれ兄さん。この帳簿を置いていくわけには……」
長男のモルト・ウインスキーに急かされるも、3男のスコットは計画倒産の証拠となる裏帳簿を抱えたままで、その足取りは重かった。
「えぇい、んなもん灰皿で燃やしちまえば済むだろうが!ウェルスっ!もうエンジンかけろ!……?ウェルス?」
逃走用のワゴン車、その運転席で待機している次男へ声をかけたが、返事がない。
不審に思い、モルトはポケットからナイフを取り出すと、そうっと後ろから運転席へと近づいていく。
そして、黒光りする取っ手に手を掛け、ドアを開けると……
ズルゥゥ~~チャリンチャリンッ
首元を赤く濡らしたウェルスの躯がこちらへ倒れ込こみ、そのまま地面へ頭から落ちる。
その周りには、6枚の1セント硬貨が散らばった。
「ウェルス!?くそっ」
危機を察し、踵を返すモルト。
「スコット!中に戻れ!」
だが、すでに遅かった。
「兄さん、うしrぉ」
裏口前で棒立ちになっていた弟を視界に捉えた直後、モルトの背後から何かがカーブの軌跡を描きながら、スコットの喉に突き刺さる。
すると数拍置いて、頸動脈から血の噴水が飛び出す。
「かひゅぅぅぅ」
ドチャリ
ウィンスキー家の末弟は、笛のような音を漏らしながら、自らの血で出来た水溜まりに倒れた。
「スコット!な、なんだお前!?」
モルトの視線がワイヤーを辿ると、屋根の上に人影が一つ、ビルの屋上に灯るネオンの光を背に浴びて、こちらを見下ろしていた。
ネオンの逆光と深く被ったパーカーのフードに邪魔され、その表情はわからない。
しかし、自分に向けられた強烈な殺意を、モルトは本能で感じ取る。
「や、やめてくれ。悪かった。許してくれ!」
よろよろと後ずさりながらモルトは目の前の刺客に命乞いをする。
「全部、社長の命令だったんだ!あの辺に新店舗を置きたいから、邪魔な古参の店に借金作らせて潰せって。それに商店会長が気づいちまって、半日説得しても目ェつぶってくれなくて、仕方なくっ!」
「……女は、どうして殺した?」
パーカー姿の暗殺者/レンは屋根から飛び降り、刃を手元に戻しながら問い詰める。
「お、女?……あっ、ゆ、夕方のあいつか?あ、あれは事故だ。俺はただナイフもって入り口塞いでただけで。そうしたらあの女が逃げようと突っ込んできて……てか、何で知ってるんだよ!あの女は即死だったはずだろう!!」
「は?まぁいい」
レンはナイフを構え、柄にある引き金に指をかける。
「っ!?頼む、命だけは、命だけは。いくらでも払うから!」
「知らん。俺は、『始末』をつけるだけだっ!」
ブンッ!キュルルrrr・・・
レンが振りかぶると、鎌型の刃が放たれ、その尾から伸びるワイヤーが、モルトの首に巻き付く。
「こほぁ!……ぁ……がっ!」
ワイヤーを解こうともがくモルト。しかしカーボン繊維を編み込んだ鋼は余計に引き締まり、彼はレンに背を向ける形で膝をつく。
そしてレンは無言でその背後に迫り、モルトの肩を足で押さえつけながら、ワイヤーを引き絞る。
ギリギリギリギリ……
「フゥゥゥゥ」
「ご……あぁ……」
やがて、小さな骨の砕ける感触が伝わり、モルトの身体から力が抜けると、レンは首のワイヤーをほどき、柄の引き金を引いて巻き取り始める。
「シャロンさん」
虚ろな目で路上に散在する3つの死体を見やり呟くと、レンはフードをより深くかぶり、その場を立ち去った。
*****
数分後
別のリトルイタリー某所
ミノス・ファミリア拠点前
首領グローブことミノア・グローブは、側近と共に路上に佇み、苛立っていた。
「ええい、ウインスキー共はなぜ連絡がない!?」
生存している事がバレた、その一報を受け取ったミノアはウインスキーたちに、自分のアジトへ転居するように指示を出していた。
しかし、予定の時刻になっても3人は現れず、異変を察したマフィアのボスは、取り巻きたちに様子を観に行かせる。
「お前ら、『ヴォルぺ』の様子を見てこい。カルロ、お前もだ」
「は、はい!」
部下たちが通りの角を曲がるのを見届けたミノアは、懐から葉巻入れを取り出し、中の1本を咥える。
そしてそれに火をつけようと、葉巻入れと入れ替えにマッチ箱を手にした。
しかし、
「あ、しまった。使いきっちまったの忘れてた。他に火種は……」
空のマッチ箱を捨て、他のポケットを探るミノア。
するとその背中に、ふと気安く声が掛けられる。
「おや、火種をお探しで?宜しければお付けしましょうか?」
「ん?」
振り返るとそこには、ハットを深く被った、トレンチコート姿の男が居た。
男の手には、赤い頭薬がちらりと除くマッチ箱が握られている。
「おお、これはかたじけない」
葉巻を指で挟んだミノアは、礼を述べながら男に近づいていき、男の差し出すマッチに手を伸ばし……
ズシュッ!
モンド・ミッドヴィレッジが、袖を抜いてコートの下に隠していたみぎうでと、それに握られた仕込み警棒に、急所を貫かれた。
ミノアの身体に到達したそれは、外側のカバーだけが縮み、芯の日本刀(厳密には脇差し程の長さ)部分が、皮膚と分厚い皮下脂肪を経由し、肝動脈を切断する。
「ぐっ!な、に……?」
「これからは、地獄の業火に事欠くことはございませんぜ」
ミノアの懐でそう囁きかけたのち、モンドは暗器を引き抜き、身をひるがえす。
そして、『標的』が汚れたアスファルトに崩れ落ちるのを背に、宵の闇へと消えた。
『ヴォルぺ』でウインスキー兄弟の末路を目の当たりにし、慌てて戻って来た部下が主人の亡骸を見つけるのは、その数分後の事であった。