肉牛は腹だけじゃなく体中が黒い
3月15日 日曜日 午後5時
数ヵ月の空白期間があっても、師匠に鍛えられた『始末屋』としての技術は、しっかりと身体に残っていたようだ。
墓地を出た俺は、アステリオ・グローブ一行を気付かれないように尾行し、奴らの周辺を調べ始めた。
仕事が立て込んでいるという話は本当だったらしく、社長を乗せた車は、マンハンタン各所にあるステーキチェーン店をハシゴしていった。
だが、奴らが立ち寄った店のほとんどで聞こえたのは、アステリオの罵声だった。
―ごめんなさい、じゃねぇだろぉ!あぁ!?―
―客が来ねぇなら、看板もって前の道を歩けやごらぁ!!―
―これがウチのビーフだぁ!?手順通りやってンのか***野郎!―
「(ははぁん。これは、ブラック企業って奴か?)」
「はぁ……また<ミノタウロス>が来てるのかよ」
3件目の店の裏手で、客に聴こえていないのが不思議なほどの罵声に呆れていると、たまたま外で一服していた従業員の1人と接触する事ができた。
「失礼、ミノタウロスとは?」
「本人には秘密の、社長のあだ名だよ。迷宮に人間を閉じ込めて喰うバケモノ、<ミノタウロス>。誰だったか博識な奴が、バケモノの本名が社長と同じだって言ったのがきっかけらしい」
「ああ、なるほど。クレタ王ミノスの息子『アステリオス』、か」
ギリシャ神話に登場する人身牛頭の怪物。島国クレタを治めるミノス王の妻パシパエが、海神ポセイドンに呪われ、牛と交わった結果産まれた。
義理の父ミノスにその凶暴性を恐れられ、迷宮へ閉じ込められた彼は、クレタの属国アテナイから送られる生贄を喰らい続け、最期は英雄テセウスに倒された。
「それでお前さんは?こんな所でこそこそしてるなら訳ありだろう。警察って歳には見えねぇし、ライターでもなさそうだ」
「ちょいとヒマしてる、無職のチンピラだよ」
「はっ、ずいぶんと身なりのいいチンピラだな。だが、盗みに入るのはやめておけ、警察に通報されはしないが、代わりに食肉工場に行く破目になるぜ。働きたいってんならもっとやめておけ。今より惨めな暮らしを送る破目になるぞ」
「そんなにひどいのか?『グローブズ・ミート』、アステリオ・グローブってのは?」
彼に『タバコ代』を渡すと、グローブ社長の『裏』の顔について話してくれた。
「『グローブズ・ミート』の支店ってのは、ほぼ全部がアステリオ社長に詐欺まがいの契約や恐喝で分捕られた、元は別の飲食店なんだ。……この店も、昔は俺達が『たまり場』にしてたバーだった。だが、マスターが腰を痛めて、治療代で借金をこしらえちまって。その債権が、いつの間にかグローブの野郎に引き継がれてた。そしてこのザマだ」
バーは借金のカタに差し押さえられ、『グローブズ・ミート』の支店に改装された。元の従業員たちの中には、次の職を探せなかった者も居て、彼らはアステリオに安い賃金でこき使われているという。
しかし、『グローブズ・ミート』の支店はマンハンタンに24店舗。それだけあれば、どこからか警察かマスコミへ助けを求める者が出ても良いはずだ。
それができない事情があるとすれば……
「もしかして、ヤバい組織が絡んでいたり?」
『仕事終わりの酒代』を差し出すと、従業員は頷いた。
「『ミノス・ファミリア』っつう、『ホーリーデイ』の後に台頭して来た新興マフィアの一派だ。<ミノタウロス>の父親がボスってんで、実質的に『グローブズ・ミート』のケツ持ちをやっている」
ケツ持ち、簡単に言えば用心棒役を担っているということだ。
「じゃあ、もし警察やマスコミに垂れ込もうとしたら・・・」
「うっかり事前にバレて、『交通事故』に遭った奴を3人知ってる。あと、夜道で『通り魔』に刺された奴もいるって、配送トラックの運転手が噂してたな」
通り魔。その言葉と先日のジム・カーター氏の事件が、頭の中で結びつく。
その直後、店外まで漏れ聞こえていたアステリオの罵声が止んだ。
「時間切れみたいだな、テセウス殿。ヤツが出てくる前に消えた方が良い」
吸い終わったタバコを踏み消すと、情報をくれた従業員は店の裏口へ足を向ける。
「色々と教えてくれてありがとう、アリアドネ」
「よせやい。アル中の男神に寝取られる趣味はねぇよ」
見た目や言動に似合わず博識な彼は、その後は何も言わずに中へ戻った。
その背中へと再度礼を告げて、俺はアステリオ一行に姿を見られないように、路地裏の陰へと身を隠した。
―次の視察までに改善しておけよ。わかったなっ!?―
ドン!
数秒後、裏口の扉を蹴破るように、アステリオは出てきた。
その顔は、墓地で俺たちに見せたものとは違っていて、まさに怪物の2つ名の通り、欲望で醜く歪んでいた。
*****
数十分後
『グローブズ・ミート』本社ビル周辺
東西に走る目抜き通りが、西に沈む夕日を浴びて、朱の入った金色に染まる刻限。アステリオの乗るリムジンは、マンハンタンの南端エリアにある、『グローブズ・ミート』の本社ビルに入っていった。
食肉加工場と思われる体育館のような建物が併設された、20階建ての直方体。そこが連中の拠点だ。
オフィス街の一等地という訳ではないが、港に近く貿易や物流に関わる会社の拠点がいくつもある為に、人通りは少なくない。加えて、ビルの入り口だけでなく周辺も警備員が巡回していて、関係者以外が近づく事すら困難だ。
「まぁ、それならそれで他の手段があるんだけどね♪」
俺は『グローブズ・ミート』から一旦離れ、新聞売りのスタンドを探した。
そこで競馬新聞を買うと、リュックから携帯ラジオを取り出し、繋いだイヤホンを耳にハメる。
そして、ワザとだらしない様相となるように衣服をいじり、ギャンブル好きでガラの悪い通行人を演じながら、目的の『周波数』を探る。
『(zz--)……からあいつはダメなのよ。男にモテるって宣伝文句を真に受けてる時点で、ねェ』
『わかるー。絶対に説明書、そこの所しか読んでないよねぇ。あんたその香水、つける量間違えてるわよ、って誰か教えてあげないと……臭くて敵わないわ』
「(ああ、これは女子更衣室だな。あんたらの陰口、相手に筒抜けですよ~っと)」
『(zz--)oh、いいねぇ。ピーチみたいに甘いよぉ』
『ん~ちゅぱっ。でも課長ぉ、そろそろ辞めません?奥さんにバレたら……』
『大丈夫、あいつはこれっぽっちも疑っちゃいないさ。今朝も新しいネクタイピンをプレゼントしてくれたぐらいだ。ほら(zz-)れだ』
「(課長さ~ん。そのタイピン、盗聴器付きですよ。きっと奥さんに筒抜けですよ)」
『あらぁ、だっさいデザイン。今どきダイヤ一個だけとか古臭いですよぉ』
グビシャッ!
俺の斜め前を歩いていた女性が突然、その手に持っていた紙製のコーヒーカップを握りつぶし、立ち止まった。
その耳には、俺がつけている物と同じ型のイヤホンが填まっている。
「………………悪かったわね。ダサいネクタイピンあげちゃって」
「おうふ。ご愁傷様」
こちらに広がるコーヒー溜まりを避け、顔も知らぬ男性課長の冥福を祈りながら、俺はチャンネルを三度変える。
すると今度は、目的の周波数を捉える事ができた。
*****
同時刻
『グローブズ・ミート』 社長室
『企業のビルが1つあれば、30個の盗聴器があると思え』
『始末屋』稼業の心得として、最初に教えられた基礎知識の一つだ(ゴキブリかよ)。
産業スパイはもちろん、浮気を疑う配偶者、同僚を蹴落とそうとする社員、ストーカー。色々な人間が色々な理由で、植木鉢やコンセントプラグ、鞄や衣類のアクセサリーに仕込んでいる。
そして大抵の盗聴器は、ラジオの周波数を1Hz単位でいじれば、仕掛けた本人以外も聞くことが出来る。
師匠はそう言いながら、適当に座ったベンチの裏にガムで張り付けられた盗聴器を俺に見せつけたっけ。
駆け出しの頃を懐かしみながら耳を澄ませると、まず聞こえたのは、アステリオ・グローブの声だった。
「やぁ、パパ。来てるなら電話を鳴らしてくれれば良かったのに」
「仕事の邪魔をしたら悪いと思ってな。それに待っていれば、出来立てのジャーキーで一杯やらせてもらえるからな」
まるで子供に戻ったかのようなアステリオの言動から察するに、相手は父親だろう。
マフィアのボスという風評に頷ける、ドスの効いた声の主は、くちゃくちゃと咀嚼音を鳴らしながら尋ねる。
「例の、2番街界隈への進出計画は上手くいってるか?」
「それが、妙に勘の良いガキがいてさぁ。見舞金と見せかけて借金を背負わせるってアイデア、見抜かれてるみたいなんだ」
「まさか、この間片付けさせた男に入れ知恵したのもそいつか?」
『片付けさせた男』、商店会長の事か?
探していた答えの一つを掴み、俺の額に汗が浮かぶ。
「そうかもしれない。さっき墓地であったけど、なんか、パパたちと同じ雰囲気だった」
「『裏』の人間てことか?名前は?」
「えっと……なんだっけ?ディー」
「レンタロウ・クシゲ。昨年この街に現れた『ドロッパー』です。種族はヒューマン。2番街15丁目の『Sharon's Japanese Dinner』で働いています」
3人目の声が聞こえる。墓地でアステリオに付き従っていた、秘書風の男だろう。
相手がマフィアだと知った時点で覚悟していたが、こちらの個人情報は向こうに筒抜けらしい。背中に冷やりとした汗が伝う。
そんな俺を他所に、アステリオの父は秘書に問いかける。
「『フォイル一味』との関係は?」
「ありえないでしょう。彼が『落ちてきた』のは、昨年の10月。一味が<3番街のイレイザー>に暗殺された後です」
「そうか……連中が、前の8分署副署長と一緒に消されて、その後釜に俺達は座ろうとしている。残党が邪魔をしているのかと疑ったのでな。忘れてくれ」
「でもパパ。邪魔になってるのは確かなんだからさ。商店会のあいつみたいに……」
「バカ、警察に嗅ぎつけられたらどうする!?路地裏のチンピラどもを使っても、関係者が立て続けに死ねば、連中は気づく!」
慎重な行動を諭すアステリオの父親。
その直後、着信音が鳴り響いた。
「だれだ?ったく。マイノスだ。……うん?……なに!?それでその女は?……あほっ、……そうだ、すぐに移動させろ!リトルイタリー以外のどこか、いやソイツの店の前に捨てろ。通り魔に見せかけるんだ。2番街15丁目の角で、名前は『シャロン's……」
*****
『グローブズ・ミート』本社ビル周辺
俺は会話の内容を、最後まで聞く事が出来なかった。
「シャロンさん!?」
葬儀の最中から姿が見えなくなっていた家主の危機を、瞬時に察した。
そして俺は、カモフラージュで持っていた新聞を投げ捨てると、目の前で客を下ろしていたタクシーに飛びつく。
「2番街15丁目までっ!大至急!!」
「お、おう……だが遠いから料金は35ドルぐらいだぞ」
「良いから早く!」
戸惑う運転手に10ドル札5枚を突き付け、店へ向かって発進させる。
しかし、店に着いたときには、手遅れだった。
因みに盗聴されたた男性課長のシーンは、『検査で尿酸値と血糖値が引っ掛かっているのに、同じ課の女性に頼んで桃風味のアイスを隠れてバクついている』というシチュエーションです。健全なのでご安心を