最後の頼みの綱
どなたか、改行のコツを教えて下さい、宜しくお願い致します。
ガガガガガガ......。
ドナは、うっすら目を開けて、通り過ぎていく馬車の車輪をぼおっとして見つめた。自分がどこで寝ていたのか思い出して顔をしかめる。通りの片隅だ。固くて冷たいレンガに長時間寝転がっていたせいで、手に赤く跡がついていた。
その手の跡をさすりながらのろのろと身を起こしたドナは、ぼさぼさの髪の毛をかいた。まさか、自分が物乞い同様になる日がくるなんて思ってもいなかった。自分はこれからどうなるのだろう?もう三日も、ろくなものを食べていない。
そう思ったとたん、空腹が襲ってきた。今日こそは、何かしっかりしたものを食べたい。いや、食べるのだ。ドナはそう決心して、太ももにきつく縛ってある、真珠のネックレスにズボンの上から触った。これは、家臣が非常時のために、と持たせてくれた物だ。運が良いことに、このネックレスは城を抜け出してからまだ誰にも見つかっていなかった。
ドナは、よろよろと、あまり残っていない力で立ち上がると、背後の家と家の隙間に入り込んだ。人が一人入れるほどの横幅だ。
誰も、みすぼらしいなりのドナに目を向ける者はいなかった。
ドナは通りの方に背を向けて、ズボンに手を突っ込んだ。しばし苦労した挙げ句、ネックレスを一本に切ってズボンの裾からそおっと取り出した。小粒の綺麗な真珠が隙間なく並んでいる。その様に、一瞬ドナは真珠を糸から外すことを躊躇した。しかし、そんなことを言っている場合じゃないほど飢えていた。
糸から一個一個真珠を外して、近くに転がっていた手頃な空き缶に入れていく。これを売れば、相当な額になるに違いない。
・・・・・・・・・・・・
中古品を売買している店の主人は、目の前のみすぼらしい女を見て疑いを隠せなかった。十年、この店を経営しているが、こんな妙な客は見たことがない。薄汚い庶民の男の格好をしており、くしゃくしゃの金髪からはかすかに異臭がする。
女の物乞いか......。
主人はじろっと、缶に入った真珠を見下ろした。どこからこんな物を手にいれたのだろう?
「あんた、どこでこれを盗んできたんだ?」
ドナは、とんでもないとばかりに主人を睨んだ。
「盗んでなんかないわ!たまたま、落ちてたのよ、道端に。」
主人は、信用していない目つきでドナを眺め回した。その目は、何年も人を信用していなかった。
すると、店にいた二人の男が何事かとカウンターの方に寄ってきた。そのうちの一人が大声を上げた。
「それ、うちの女房のネックレスだよ!昨日盗まれたんだ、
おまえみたいな奴に!」
ドナは、はあ?とすっとんきょうな声を上げた。絶対嘘だ。
「まさか!人違いよ。」
しかし、主人は、みすぼらしい姿のドナよりも男の方を信じた。このネックレスは買わないぞ、と手を振ってみせた。
男は、さっとカウンターの缶を取り上げると、ドナを嘲るように見た。
「この卑しい、アマめ。」
まるで汚物を見ているように言われた。
これではあんまりだ。
「うそ、だって、昨日盗まれたネックレスが今日見つかるなん
てできすぎよ......。」
と言った声が震えた。
「返してよ......!」
「女房の大切なこのネックレスをか?一粒だってくれて
やるか!物乞いは物乞いらしくおとなしく道端にいろよ。」
吐き捨てるように言うと、男二人はすたすたと店を出ていってしまった。
ドナは、追うこともできず、今、起こったことを理解しようとしていた。しかし、いくら考えようとしてもどうしたことか、何も頭に浮かんでこない。焦点もぼやけてはっきりしなかった。
「あんた、ねえ、あんただよ、そこの。」
そう主人に声をかけられて、初めて、まだ自分がカウンターの前に突っ立っていることに気付いた。ドナが黙って主人の方を向くと、一枚のお金が目の前に差し出されていた。
「たまに、あんたみたいな物乞いが店に来るんだよ。その度
に金を渡すわしは......。」
そこで言葉を切って、主人はドナを見た。その目は哀れんでいた。ドナは、さっと目を反らして、横に置かれているカレンダーを睨んだ。
「相当なお人好しだな。」
もう、それ以上、言わないで。ドナは、渡されたお金を見つめて、握りしめた。
「ありがとう......。」
そう呟くと、ドナはとぼとぼ店を出ていった。
通りは人がたくさん行きかっていて、にぎやかだった。みんな、顔に笑顔を浮かべている。
涙が出てきた。視界がぼやけて、それでもそんな顔を見られたくなくてうつむいた。この一週間で一番惨めだった。いや、人生で一番惨めだったかもしれない。
細く保っていた、王女としてのプライドが、ずたずたにされてしまった。いや、プライドとは、もともと何だったのだろうか?全て、無駄だったのだ。はかない期待、希望、可能性、全てが無駄だった。このまま、自分は落ちぶれたまま、一生暮らしていくのだ。いや、まず、生きていられるのだろうか。
お母様とお父様が生きていたら、こんなことにはならなかったのに。そう、二人は、自分を置いて、行ってしまった。
涙がとめどなくドナの頬を濡らした。
ドナは、道の端までかろうじて歩くと、膝を抱えて座り込んだ。手にはあのお金が握られているが、食べ物を買いにいく気力もなかった。今はただ、自分を襲ってくる絶望に浸っていたかった。それに、こうすれば世の中の喧騒から逃げていられる気がしたのだ。
どのくらい時間が経っただろうか。ドナのすぐ近くで人の気配がしたが、ドナは顔を膝にうずめたまま動かなかった。
「なあ、大丈夫か。」
聞き覚えのあるその声に、はっとドナは顔を上げた。目の前に、三日前に自分を殺そうとしてきたあの男がいた。日光を遮るその巨体に、恐怖がよみがえった。しかし、がくんと力が抜けて、また頭を垂れた。
男は本気で驚いたらしく、
「おい、本当に大丈夫か。随分、痩せたな。」
と、ドナを前後にゆらした。相変わらずの怪力で、ドナはぶんぶんと振られまくって、頭がおかしくなるかと思った。
「ほっといてよ......。」
どうでも良くなっていたドナは、そう言って顔を背け、寝転がろうとした。しかし男に支えられ、どうにも動けない。
「ちょっと待っとけよ。」
男はそう言って、支えていた手を離し、立ち上がった。ドナはいきなり離されてつんのめりそうになった。
ドナは、男がどこかに行ってしまってから、働かない頭で自分がどうなるのかと必死に考えた。
まあ、今さらどうもがいても結果は変わらない、か。
男が何かを持って帰ってきた。
「ほら、食えよ。全然、食べてないだろ。」
ドナは考えるよりも先に、差し出されたそのパンをひっつかむと、無言で食べ始めた。男は、青い目でじっとドナを見ている。
「何があったんだ?」
ドナは、灰色の目を上げて男を見た。
「お金......。」
「金?金がなかったのか?」
「じゃなくて、このパンの、お金......。」
お腹に何か詰め込むことで意識がはっきりしてきたドナは、自分が食べたパンの代金を考え始めた。さっき主人からもらったお金では足りないだろう。
「そんなの、王女なんだから、あとで城に頼んで金返してくれ
よ。」
この男は、何を言っているのだろう。てっきり、俺のおごりだ、と言うかと思ったのに。城なんてもう自分の居場所ではないのに。お金なんて全くないのに。
そう思うと、どうしようもなく虚しくなってきて、喉に熱いものがこみあげてきた。
「王女じゃ、ない......。」
そうひくついていると、男に顎をつかまれた。まただ。ドナの目から、涙が一粒転がり出た。端正な男の顔が、探るようにドナを見る。
「そうだな、あんたは、憎い王族家じゃない気がするんだが。
本当に王女なのか?
もし王女だったら、こんな街で何してるんだ?何か、目的
があるんだろう?」




