路地
宜しくお願いしますー。最後疲れて感覚がおかしくなってるかもしれません。
一人の出っ歯男が、にやにやしながらこちらに歩いてきた。猫背の嫌らしい歩き方だ。ドナは、なるべく知らんふりをして違う方向を見ていた。
「お嬢ちゃん、こんな所で何してるんだ?え?ぽちゃぽち
ゃしちゃって……。なんでそんな格好してる?」
ドナは、なんと失礼な、と思ったが、黙ったまま、あなたには関係ないでしょう、という顔をした。すると、がっと腕をつかまれて、酒臭い息を吹きかけられた。
「そんな生意気な態度取られちゃあ、こっちも黙っていられね
えな。金は持ってないのか。」
「持ってるけど、今夜食べるだけの金額よ。」
「そうかな?」
出っ歯男は、口の端を嫌らしく曲げて、ドナの腰に手を当ててきた。そして、わざわざ骨張った手を滑らせて、腰巾着に持っていった。
「やめてよ!」
ドナは、ぴしゃりと出っ歯男の手を払い除けた。出っ歯男は、目をぐるりと回してドナを見た。
「鼻っ柱の強いやつだな。嫌いじゃないぞ……。よし、金は奪わ
ない。」
「その代わり、俺の、夜の相手になれ。」
なんて、気持ち悪い顔と言葉だろう。ドナは、嫌悪に顔を歪ませて、くるりと逃げ出そうとした。しかし、出っ歯男が力を込めて腕を引っ張ってくる。ドナは、男は股のここを蹴られたら痛いんだよ、と城で聞かされた話を思い出して、出っ歯男の股を見た。いわゆる、その男の急所というやつを渾身の力で蹴った。出っ歯男は痛みに叫び声を上げて手を離した。ドナは、その機会を逃さず入り口に駆け出そうとした。しかし、周りを、何事かと見物する男達が囲んでいることに気付いていなかった。すぐにドナは押し戻され、完全に怒って自分を見失った出っ歯男が、ドナに向かって手を振り上げた。ドナはおもわず目をつぶり、腕で顔をかばった。
次の瞬間、すごい音が聞こえてきた。驚いて目を開くと、出っ歯男がテーブルに突っ込んで目を回していた。奥のテーブルまでなぎ倒され、イスも全部吹っ飛ばされている。出っ歯男は、痛そうに唸ったあと、力なく腕をだらりと垂れてしまった。
ドナと、見物していた男達は唖然として、出っ歯男を殴った男を見た。その大柄な男は、青い目で真っ直ぐドナを見ていた。ドナは居心地悪そうに目を泳がせた。
「みんなでよってたかって弱い者いじめか?情けねえな。」
男は偉そうでもなく、無表情な声でそう言った。その目はまだドナを捉えたままだ。ドナは、周りの男達よりも、絶対自分の方が居心地悪い、と思った。
「なあ、そこのお嬢ちゃん、ちょっと一緒に来てくれないか
?」
いいえ?
そんなこと、言えるはずがない。私を救ってくれた人だもの。しかし、ドナは強い破壊力を持つこの男に好意を持てていなかった。何か凶暴なものを感じさせるのだ。仕方なく、はい……、と小さく答え、その男について酒場を出て行った。外はもうかなり暗くなっていて、人気も少なかった。この新鮮な空気を吸えたのも、この人のおかげだと思うと、ついていっても問題はないかなと思えてきた。
男はある所でふと止まって、横の路地に入れと仕草で示した。ドナは躊躇した。なにしろ、その路地は狭くて、通りよりも暗い。何か危険な香りがした。
「入れ。」
強い命令口調とともにドナは強引に路地に入らされた。入れるだけなのに、男のありえない力の強さにつまずきそうになりながら、はっと振り向いた。
「どうするつもり?!」
品位もくそもない、金切り声が出た。男はその声を聞いて暗がりで微笑んだ。まるで立ちはだかる影だ。恐ろしい。
「すまないな。聞きたいことがあったので、王女様。」
最後の、王女様、という言葉にドナは過剰反応してしまった。してしまってから、しまったと思った。
「いや、聞きたいことなんかねえよ、もとから。」
そう言った男の口調には嫌悪が滲み出ていた。
「知らないじゃ、済まされねえんだぞ。」
と言って、ドナの顎をつかんで自分の方に向かせる。有無をいわせぬ力だった。
「なに、が……。」
恐怖と戦いながら、ドナはそれでも相手の目を見ようとした。しかし、男の青い目に引き込まれそうになって、目を反らした。
「なにが?そうだな、まず、お前の親が俺の住んでた村を
焼いたことだ。そして、俺の両親を殺したことだ。」
「なに、かの、人違いよ……。お母様達は、そんなこと、しない
わ。」
ドナは、男の目が怒りで燃え上がるのを見た。
「知らない?知らない、お前はそう言うんだな。昔、俺がガキ
の頃、この国は、今はないユティスナ王国と戦争をして、
勝った。それで、ユティスナ王国にあった国境近くの俺の村
を、焼いたんだ。知らない?」
男は怒りをあらわにしながらもドナの顎から手を離した。ドナは、動揺して、動くことができなかった。
「お前は生まれてなかったかもしれないな、でも俺の知った
ことじゃない。俺の人生をめちゃめちゃにしたお前ら王族
の血を引く奴らは、みんな憎い!」
「俺は、城にのこのこ殺しにいくような馬鹿じゃないさ。
でも、のこのこ目の前に現れてきた王族の奴を見逃す馬鹿
でもない。」
男はドナの首に手をかけてきた。絞め殺そうとでも、考えているのだろうか。ドナはひくつく体を懸命にこらえて言った。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
「命乞いか?」
「ちがう……。そんな、残酷なことしたなんて、知らなかった
の、ああ、命乞いかも、でも、ああ、私は死んだ方が
いいのかも……。命を奪うなんて、しちゃいけないから……。」
ドナは自分が何を言っているのかよくわからなくなっていた。涙がでてきた。ドナの両親が起こしたその戦争があったことは知っていた。しかし、具体的なものは何も聞いてこなかった。それを今、突きつけられて、ショックだった。この男の両親は、自分の両親に殺されたのだ……。本当に、自分が殺されるべきなような気がした。それで、この男が報われるなら。
しかし、いつまでたっても首にかけられた手は動かない。その時、通りから、人の声がした。男二人の他愛ない会話だったが、ドナを正気に戻らせるには充分だった。ドナは素早く身をひるがえして、男の横をすり抜けた。あのごつい手が肩に伸びてくるこかもしれないと緊張したが、伸びてくる気配はなかった。そのまま通りに飛び出ると、仰天している二人を残して一目散にかけだした。方向もよくわからないまま、とにかく、何も考えないようにしながら。




