長杖のリグ
作者の大好物を無理矢理詰め込んで見ました。
テンプレ満載、固有名詞は極力削りましたので、想像しやすいかと思います。
お楽しみいただけたら幸いです。
冒険者と、呼ばれる者たちがいる。
光神と、それに連なる属神たちを拝する人族の敵――即ち、魔物を狩るもの。
大戦の前に栄えていた旧文明の遺跡――即ち、ダンジョンに挑み、危険な罠を掻い潜って旧文明の遺産を持ち帰るもの。
ここまでが狭義の、冒険者の走りであった者たちだ。彼等は【大戦】後の人類の復興、繁図の回復に大きく貢献した。
勇者、英雄……偉大なるご先祖様たちのお陰で、今の人族の生活があると思えば、彼等は尊敬に値する。光神の属神にも、そうした偉人が神格化した者が数多く存在する。
時は流れ――魔物共との大きな戦争も無くなり、ある程度平和ってものが当たり前になってくると、冒険者の活動は、盗賊狩りから町の雑用まで徐々に拡大していった。今じゃ何でもござれと言った有り様で、もう冒険者というより雑用係と言った方が良いんじゃないかと思ったりもする。
未開拓の秘境に行ったり、強大なドラゴンなんかに挑んだりする奴はほんの一握りで、実際食うに困って仕方なく冒険者になったという輩も多くいる。
要は、俺ことリグ=オースティンもそんな冒険者の一人って話だ。
ドラゴン? 大体が巣穴に引きこもって、人里を襲うなんてほとんどしない。放っておけば、害はない。一体何を好き好んでわざわざ食われにいかねばならないのか。むしろ人の味を覚えたら、それこそ厄介というものだ。
ダンジョン? 一攫千金と言えば聞こえは良いが、めぼしい遺跡なんてほとんど掘り起こされているこの御時世、新しく遺跡が見つかったとしてもこぢんまりとしたものがほとんどで、しかし旧文明の連中は律儀な質なのか、小規模だろうがなんだろうが罠を設置していることには変わりがなく、危険度は大規模なそれと大して変わらないのに、頑張って罠を潜り抜けてやっと奥まで辿り着いたと思ったら、珍しくもない一山いくらの遺物があるだけというのがザラで、リスクにリターンが見合わないことがほとんどだ。
年齢的には俺も若造の部類だが――かなり若い、いや幼いというべき折から冒険者をやってるので、キャリアはそれなりだと自負している。
その俺に言わせれば、冒険者を長くやる――つまり生き延びるコツは、冒険しないことだ。
†
「見ろ、【長杖】だぜ」
愛用の杖は俺の背よりも長くて、背負っているとどうしても背中を丸めなくてはならない。
かつての大戦で大活躍したという大魔導師が好んで使っていたとされるが、今はもっと取り回しの良い短杖が主流だから、長杖を持っているというだけでミーハー扱いだ。
ただでさえ、背が高い方ではない……むしろチ……いや、伸び白が多い俺は、そのバランスの悪さから悪目立ちをしていて、荒くれ者が多い腐れ冒険者どもの間では格好のからかいの的である。
業腹なことだが、今更得物を変える気にもならないので、仕方のないことだと割り切っている。
「今日も“間引き”かい、大魔導師様!」
「ミルク代に足りるのかー?」
外野がなんか言ってるが、無視無視。
お前らだって碌な稼ぎじゃないだろうに。
あと、ミルクじゃ背は伸びないらしいって最近都の学者様が発表しているのを知らないのか。情報収集は冒険者の基本だぞ。
“間引き”――即ち、下級魔物の数減らし。大した危険もなく、地味で、報酬も安い、大体いつもある依頼だ。大抵の冒険者はもっと面白い依頼――中級以上の魔物討伐とか、お偉いさんの護衛とかを好んでおり、どうしてもめぼしい依頼が無いときだけ、渋々受けるのが普通だ。
しかし、俺はそんな“間引き”を好んで受ける物好きとして、この町ではちょっとした有名人になってしまっている。得物も相まって、【長杖】のリグ、なんて呼ばれたりする。
コツコツと、リスクの少ない、雑魚の割に数だけは多い下級魔物は、日銭だけ稼げればそれで良い俺にとっては愛すべき存在だ。もういっそ信仰したっていい。神格化されて教会が出来たら通っちゃうかもしれない。
なんてアホなことを考えながら、早朝の道を行く。色味の少ない、石造りのごちゃごちゃした町並み。唯一見るべきところがあるとしたら、町の中心にある噴水広場くらいか。貧乏暇無し、この時間から働いている者も多く、人が動く音が、耳を打つ。
辺境に当たるこの町は、隣町に続く街道に出る大きな門は一つしかない。
終点、という言葉が頭を過った。
代わり映えのしない毎日を送る俺には似合いの言葉かもしれないと、自嘲する。
「お、リグ。毎日毎日、ご苦労さん。俺はお前さんが一番の働き者なんじゃないかとすら思うよ」
「どやかましいわ、クソ門番。通るぞ」
毎日決まった時間に門を通る俺は、すっかり顔を覚えられて、ちらっと首から下げた【証】……【店】のシンボルが彫られた小さな銀細工を見せるだけで、すんなり通れる。
「あいよ。門限は五の鐘だぞ」
日の出をゼロとして、沈む頃が大体五の鐘だ。夏は鐘の間隔が長くなり、冬は短くなる。旧文明の遺産には、時計とかいう、一日を二十四の時、時を六十の分、分を六十の秒に区切るものがあって、大きな街では一年通して決まった時間に鐘が鳴るらしい。
一度ポケットサイズの時計を見たことがあるが、カチコチと煩くて、あれが四六時中鳴っていると思うと、イライラして禿げるのが早まりそうだと思った。
「分かってるよ」
「だろうな。ま、これも規則だからよ」
律儀なことだ。真面目で大変結構。
門番のおっさんにひらひらと手を振って、街道をしばらく歩く。
狩り場の森が俺を待っている。
今日はゴブリンちゃんの日だ。日替わり定食、お待ち、ってね。
†
ぷちぷちと、ゴブリンちゃんの頭を潰していく。
ウィザードの俺がソロでも楽に狩れる、三大二足歩行下級魔物の一角。長いな。俺の杖みたいだ。
杖の下端を持って、ぶんと振り下ろすだけの、簡単なお仕事。
死体が邪魔になってきたら、蹴っ飛ばして作業スペース確保。
一つの集団を倒すと悲鳴やら血の臭いで、おかわりよろしくどんどん寄ってくる。やぁいらっしゃい、コンボ継続、と。
たまに頑張って覚えたのか才能か、魔法を使えるやつもいる。
魔法といっても精々が下級魔法、当たっても怪我するほどではない……が、万が一顔に直撃すると鬱陶しいので、最優先で潰す。一応喉を突いて詠唱を失敗させてから、ぷちっとな、と。
無印ゴブリンだけだと飽きが来るからな。変化も大事。毎日魔物の種類を変えるのも、その一環。とはいえ“間引き”は“間引き”だから、大した違いはないけど。
コンボが途切れてしまった。
こういう隙間時間には、積み重なった死体の処理をする。
まずは地面を強めに叩いて穴を掘る、というか作る。杖はシャベルにもなるんだね。万能だわ。
ゴブリンの身体は食っても不味いし、錬金の素材にもならない。ほんとゴミ。纏っているのもぼろ切れだし、武器は基本石か木の棍棒だから金にならない。たまに金属の剣とか持っていたら一応持って帰るけど、錆びているしぼろぼろだしで、溶かしてもガキの小遣いにもなりゃしない。基本燃やせってことだ。
死体の山から一匹引っこ抜いて、討伐証明の耳だけ剥ぎ取って袋に入れて、残りは穴に、ぽいっとな。
それを延々繰り返して、後は燃やして埋めるだけ。
魔法? ノンノン、マッチというものがあってだな。前は火打石だったけど、最近錬金術師学会が発表したアイデア商品。俺的ベストセラー。火を付けるのがクソ楽になった。しゅっ、と箱の横を擦るのも楽しい。
ちゃんと燃やしとかないと、闇の属神の加護とかで、アンデットとして第二の生を得てしまうから、適当なことは出来ない。
さて。いつもはこうしていると次のお客さんがいらっしゃるのだけど、今日は来ないなぁ。
ちょっと移動するか。この森は散々来ているから迷うことはまずないけど、リスクアップだな。
ゴブが少ない原因としては、他の冒険者または魔物と争っている、ゴブをエサにする中級種が現れた、とかあるけども。
はてさて。
一応森の中なので杖は手に持ったまま、てくてくと歩いていく。
すると、剣檄の音がした。
別の冒険者パターンか。邪魔しちゃ悪いけど一応様子だけ見ておくか、と近付いていくと、開けた場所に出た。
あー、こりゃ集落が出来とるね。
俺がコツコツ間引きしても、下級魔物の繁殖力は相当なもので、時に強い個体を中心に森の適当なところを切り拓いて、集落が出来たりする。
強いと言っても、ゴブレベルでだけど。
一人の女の子が、大量のゴブに囲まれていた。
俺とそう歳の変わらない女の子が、ソロとは珍しい。しかも双剣使いとは。
女の子は厳しい表情をしながら、ばっさばっさとゴブを切り裂いていく。二つに縛った金髪が、尾のようになびき、まるで踊っているかのようだった。
結構動きは良いけど、二刀流とはいえリーチ的に一度に一体しか切れない片手剣では、ここまで囲まれると流石に処理が追い付かない。
経験不足から来る深入りのしすぎだな。
俺も数が稼げておいしいし、あの子もしんどそうだし、ここは介入するか。
もちろん、文句言われたら、帰るけど。その場合、多分あの子は死ぬ……いや女の子だからもっとひどい目に会いそうだけど。そのリスクは承知で言ったんでしょってことで。冒険者は、自己責任。
ぷちぷちと、集団の横合いからゴブ潰し再開。いや、薙ぎ払っているから、ぶちぃぃぃぃ、って感じだけど。
杖を横に振る場合、縦より死ににくいので力は強めに込める必要がある。ゴブは俺より背が低いので、首を狙いやすい。ぶちぶちと頭が千切れて飛んでいく。残された身体も吹っ飛ぶ。
薙ぎ払って、空いたスペースに飛び込んで、また薙ぎ払って。繰り返しながら、女の子の方に近付いていく。と、女の子も俺の存在に気付いたのか、俺の方向のゴブだけ斬りながらスピード重視で徐々に進んでくる。
女の子の方にゴブを吹っ飛ばさないように、斜め斜めに薙ぎ払いを修正しながら進んでいくと、ゴブの壁を突き破り、俺が作ったスペースに女の子が飛び込んできた。
「た、助かりました」
「まだ助かってないけどな」
肩で息をしている女の子と入れ替わるように前に出て、押し寄せてくるゴブ共を両手で持った杖で扇状に薙ぐ。
「あの、魔導師……なん、ですよね」
「ん? そうだけど?」
「ご、豪快……ですね」
「そう?」
ゴブちゃんズは多少怯んだが、後方のボスゴブリンがげぎゃげぎゃと喚くと、またすり寄ってきた。
ふむ。今この子と合流するために結構削ったとはいえ、まだちょっと数が多く、ゴブも押し切れると思っている節がある。生意気な。
全部丁寧にぷちぷちしても良いのだが、この子が持つかね。
仕方ない。頭を潰すか。二つの意味で。
「一瞬離れるよ」
「え?」
ふん、とちょっと本気で杖を振るい、スペースを作る。
そこを駆けると、ゴブ共が僅かに後ずさる。それに構わず、とう、と大きく跳ぶ。
空中で杖を縦に持ち、ぐるりと前宙しながら、俺は目標地点に杖を全力で叩き込んだ。
狙いどおり、丁度そこに居たちょっとでかいゴブちゃんは、地面諸とも木っ端微塵に吹き飛び、地面に数メルのクレーターが出来た。
その中心に着地する。
一瞬で自分たちのボスが消し飛び、唖然としているゴブリンたち――女の子もだけど――に、ちょっと気合いを入れて、告げる。
「潰されたい奴からかかってこい」
魔物言語は覚えてないので、大陸共通語で、だけど。
言葉は通じなくても意味は通じたのか、一瞬の間の後、大将を失ったゴブリンたちは三々五々逃げ出した。
ふむ。結構残っていたから、こりゃ明日もゴブちゃん狩りの方が良いかな。
「ほい、終わり。あれ、どうした?」
ゴブたちが森に消えていくのをしばらく見送ってから女の子の元へ戻ると、地面にへたりこんでいた。
「リグ、さんの……【殺気】が、凄くて」
「おっと。失礼」
わざとらしく咳払いして、手を差し出すと、女の子はそれを掴んで立ち上がった。
「流石ですね、リグ……さん」
「俺のこと知っているのか? ってか、タメ口でも良いぞ」
俺が言うと、女の子はほっとしたようだ。
「あ、うん。【長杖】のリグって、有名だから」
「まぁ、悪目立ちはしていると思うけど」
いつの間にか定着していた、聞きたくもない二つ名に、思わず顔をしかめた。
「やっぱり、すごい人だった。私と同じくらいの年なのに……」
「五年も冒険者やっていれば、これくらい出来るよ」
俺が肩を竦めると、女の子は目を丸くした。
「五年!? リグさん、今いくつ?」
「十六だけど」
「同い年!?」
「あ? 俺の背が、何?」
女の子の目が俺の足元から頭の天辺を追ったのを見て、目を細める。
女の子は何かをごまかすように笑った。
「いや、えと、あはは……十一歳なんて、そんな早くから、冒険者になったんだ、と思って」
「まぁ、多少早いだけだけどな。それより、ゴブは逃げたんだ。この場の死体だけなんとかして、取り敢えず今日は帰るぞ」
「う、うん。あ、私、フィル。フィル=ハーモニー」
「リグ=オースティンだ」
女の子――フィルが差し出した手を握る。
柔らかい感触の中にも、剣ダコを感じた。
†
それから、フィルと二人で耳を切っては俺の作ったクレーターに死体を投げ入れていき、最後に燃やしてから、森を出る方向に向かった。
「流石だね。マッチを使って、魔力の節約かぁ」
尊敬の目で見られるのが辛いので、ゲロることにした。
「俺は魔法使えないから」
「え……?」
正確には、体外の魔力を練れないということなのだが、大体の魔法は、自分の魔力――オドと、大気の魔力――マナを混ぜ合わせて使うので、意味は一緒だ。
「俺がソロなのは、そういうこと。メインウィザードの癖に、杖でぶっ叩くしか出来ないんだよ。前衛なら、ナイトかファイターかフェンサーで良いしな」
「そう、なんだ……そんなに、強いのに」
「別にパーティーを組みたい訳でもない。“間引き”はソロでも十分出来るし、俺は日銭を稼げればそれで良い。冒険はしない」
「………………」
フィルはそれきり黙り込み、二人で黙々と町へと戻った。
†
「あ? リグにしては戻りが早いじゃねーかと思ったら、女連れかよ! てめ、いつの間に!」
「うるせぇよ、そんなんじゃないっての。さっさと通せ」
「なんだよ、結構可愛いのに。違うってんなら、今度紹介しろよなー」
「知るか。勝手に知り合え」
吐き捨て、いつもより大分早く、門を潜る。
道すがら、フィルに尋ねた。
「フィル。お前、【店】はどこだ?」
冒険者は、大抵【店】と呼ばれる、宿兼、飯所兼、依頼斡旋所に所属しており、その証を【店】から貰って身分証としている。【店】は町や住民などからの冒険者への依頼を受け付け、冒険者に紹介する。“間引き”もそうだが、特に町からの依頼や特殊な依頼については、【店】同士で連絡し合い、単純な人手として、あるいは必要な能力を持った冒険者を貸し借りしたりもする。依頼側は、特に指名の無い限り、基本的には誰が解決してくれても良いのである。
「【赤の魔導師亭】だよ」
フィルが答えたのは、この町で二大【店】とされる【店】の名前だった。
「大手じゃねーか。なんでソロだったんだ?」
「入団試験とかで……」
「試験? は、流石大手は違うねぇ」
俺が鼻を鳴らすと、フィルは目をぱちくりさせた。
「普通は無いの?」
「あるわけないだろ。何でも屋だぞ」
言いながら、噴水広場の近くの一等地にある、一際大きなその建物――【赤の魔導師亭】に入る。
高い天井、荘厳な装丁。流石大手というべきか、入り口からして全然ウチとは様子が違うと、毎度のことながら感心する。俺はフィルを促し、ちょっとした役所のような受付窓口の一つに向かった。
「おっす、邪魔するぞ」
たまたまではあったが、顔見知りの受付嬢が居た。
清潔感のあるスーツ姿で統一された、見目も中々な受付嬢。流石大手と言わざるを得ない。
「【黒の開拓者亭】のリグさんじゃないですか。ウチに移る気になったんですか?」
「ならねーよ。別用でな」
「気が変わったらいつでもどうぞ。それで、別用とは?」
いつもながらの勧誘の言葉もしつこくなく、話が早いのが助かる。
「ゴブリンの巣が出来ていた。リーダーは潰したが、残党が結構居てな。俺は明日も“間引き”に行くけど、複数箇所で集落を作られていると面倒だし、適当に人員を送って欲しい」
「あら。リグさんが“間引き”漏れとは珍しい」
「そりゃ一人ならやり様はあったけどな」
身体を半分ずらし、フィルを親指で指す。
「あ、フィルさんじゃないですか。リグさんと一緒だったんですか?」
「奥地のゴブリンの巣に引っ掛かってたから、拾ってきた。おたくら、入団試験がソロの討伐依頼とは、随分敷居が高くなったもんだな?」
俺がそう言ってやると、受付嬢は心外だと言わんばかりに眉を吊り上げた。
「奥地……? 今日の試験は森の入り口付近でも採れる薬草採取だったはずですが」
「……話が違うんだが」
後ろにいるフィルを半目で睨んでやると、だらだらと冷や汗を流した。
「ええっと……あはは」
「どうして奥地に?」
「ぼ、冒険……したくて?」
小首を傾げるフィルに、目を細める。
「典型的な早死にタイプだな。助けなくても遅かれ早かれ死んでたか……」
「うう……」
小さくなるフィルに、受付嬢は冷たくはない、されど厳しい声色で言った。
「フィルさん。冒険心は挑戦、向上心でもあるから一概には否定しません。でも私たち【赤の賢者亭】では、依頼の内容を迅速に、正確に、確実にこなしてくれる人材を求めています。依頼者はそれぞれの事情があって依頼してお金を出しているのであって、余計な寄り道は求めていない。そのことは入団試験の前に説明したはずですね?」
「う……はい」
「依頼の品は?」
「これです……」
腰の袋から薬草の束を取り出すと、受付嬢ははぁ、と溜め息をついた。
「鮮度を保つための処理をしていないのは、初心者だから良いとしましょう。でも、真っ直ぐ帰ってくればここまで萎びたりはしないんですよ。これでは、軟膏としてもポーションの材料としても使えない」
「はい……」
「事前に説明したにも関わらず、こちらの意図を汲んでいただけなかった。それは、この【店】の方針には従わないという意思表示と受け取らざるを得ません。【店】としては……貴女を所属の冒険者とは認められません」
受付嬢の言い分は、全くの正論であった。フィルもそれが分かっているから、小さく頷くしか無い。
「…………はい」
「別の【店】を探すのをオススメします。とはいっても、この【店】の試験を突破出来なかったことは、どうしたって広まります。【店】が広める訳ではないですが、ウチの冒険者で貴女が試験を受けたことを知っている者はそれなりに居ますから……彼等の口に戸は立てられませんし。ウチはこの町では顔の広い方ですから、それはきっと貴女にとっては不利に働くでしょう。場合によっては、この町で冒険者になるのは難しいかもしれません」
「そんな! 私、この町以外に行くところなんて……」
「なら、冒険者になることを諦めるか」
「それは、出来ません」
フィルは、そこだけはきっぱりと、重々しい声で言った。受付嬢にもその意思の程は伝わったのか、小さく息を吐いた。
「なら、他の【店】を当たってみるしかありませんね……私からアドバイス出来るのは、ここまでです」
「はい……親切で言ってくれたのは、分かってます。ありがとう……それに、試験のこと、すみませんでした」
フィルは項垂れ、とぼとぼと去っていった。
「すみません、リグさん。手配の件は、やっておきますので。リグさんとは範囲が被らないように調整しておきますね」
「………………」
視界の端で、ニヤニヤと笑みを浮かべた冒険者数人が、明らかにフィルを追って出ていく。
「リグさん?」
「ん? あ、ああ、よろしく」
俺の視線に気付いたのか、受付嬢はまたため息を吐いた。幸せが逃げるぞ。
「……お願いしても良いですか? 大所帯になって、末端を管理出来ていないのは、恥ずかしい限りですが」
「……絡まれたらボコるけど、目を瞑ってくれると助かる」
「ふふ。ええ」
俺が肩を竦めると、受付嬢はくすりと笑った。
†
【店】を出ると、噴水広場の前で、案の定フィルが男どもに囲まれていた。
「黙っててやるからさ、な?」
「い、良いです。気にしないって言ってくれるところ、探しますから」
「無理だと思うよ~。俺たち、ここいらじゃ顔だから」
「一晩我慢すりゃ、冒険者になれるんだぜ? 悪い話じゃないだろ? なんなら、【店】には内緒で、俺たちのパーティーに入れてやっても良い。その代わり、いつでも好きなときに挿れさせてもらうけどな! ギャハハハ!」
な。冒険者って、クズでしょ? こんなんばっかよ、マジで。
俺はため息を吐きながら、彼等のごく傍を通り抜ける。
「イテッ! 何すんだこらぁ!」
「あ、すまん」
おっと、背中に背負ってる杖が当たっちまったぜ。いやぁ、うっかり。
「【長杖】さんよぉ。誤って済むのはカタギだけだぜ?」
「いやぁ、一流冒険者ならこのくらい余裕で回避してくれるんだが、三流だったかぁ。すまん、すまん」
肩を竦めて言ってやると、冒険者は青筋を立てた。
「はぁぁ!? ぶっ殺すぞ!」
「知ってるよなぁ。冒険者同士のいざこざは自己責任。殺さない限りはどうなっても【店】も町の警備隊も関与しねぇって」
自分より背の高い冒険者三人に囲まれる。
「勿論、知ってるさ」
「今なら有り金全部で許してやるよ」
「“間引き”野郎の全財産じゃたかが知れてる。その長い杖も付けてくれや」
「え、この杖が欲しいのか? ほんとに?」
俺が大げさに手を挙げて見せると、冒険者はいよいよ興奮した。
「良いからよこせっつってんだよ!」
「ならやるよ、ほら」
ぽい、と杖を抜いて投げてやると、虚を突かれた冒険者の一人は反射的に受け取った。
瞬間。彼は杖を持った手を、自ら地面に思い切り叩き付けた。最も、それは彼の意思ではなかっただろうが。
「ぎゃああああ! 俺の腕があああ! 早く、早く杖をどかせてくれえええ!」
杖を受け取った男が悲鳴を上げるのを見て、横の二人が慌てた。
「馬鹿、何やって……って、重っ!? お、おい、お前もそっち持て!」
「たかがウィザードの杖ごときで、何言ってんだ? ……う、お、おおおおお!?」
「身体強化でも無理なのか!?」
大の大人が二人がかりで俺の杖を持ち上げようと顔を真っ赤にしてるのは、見てて滑稽だなぁ。
あ、丁度良い位置に頭がある。膝入れとこ。【輝ける(シャイニング)】の二つ名を持っていたウィザードが、こういう蹴りが得意だったらしい。
「ぷげっ!?」
杖を持とうと頑張っていた片側の冒険者が、汚い悲鳴を上げて吹っ飛んでいく。
「なんだっけ? 冒険者同士のいざこざは、自己責任……だっけ?」
唖然としていたもう一人の冒険者ににやりと口の端を吊り上げて言ってやると、
「ひ、ひいい! お助けえええ」
あっさり逃げ出した。
杖を回収し、腕が折れた上に手が潰れて泣き叫んでいる男が可哀想なので脳天を叩いて気絶させてあげる。優しいな、俺。ついでに財布は失敬して、と。
すっかり蚊帳の外だったフィルと、目が合う。
「取り敢えず、ウチの【店】、来るか?」
フィルはこくり、と頷いた。
†
噴水広場からは大分離れた、場末と言っても良い寂れた地帯。その一角にある、【赤】など及びもつかないその【店】に入ると、扉の鐘がからころと音を立てた。
冒険者の【店】は酒場を兼ねていることが多い。【赤】のようにメンバーにしか料理や酒を提供しないところもあれば、【黒】のように一般客にも開放しているところもある。
最も、開放しているからと言って、客が入るかは別だが。
店内はがらんどうで、客の一人もいやしない。マスターからして、暇すぎてカウンターで突っ伏しているのだから、お察しというものだ。
昼飯には遅く、夕飯には早い、中途半端な時間だからではなく、ここはいつでもこうである。
「ういー、戻ったぞ、クソ店主」
長い髪をカウンターに撒き散らし、化け物のような様子のその女に声を掛けると、むくりと起き上がった。
「んああ、こんな時間にお客さんかい? って、リグじゃないか。なんだい、こんな時間に帰ってくるなんて」
「拾い物をしてな」
横にずれると、後ろにいたフィルがノワールの視界に入ったようで、目をぱちくりとさせた。
「何、結婚の報告?」
「そう見えるか?」
「あり得ないわね」
即答である。
「【赤】の試験に失敗してな。それでもこの町で、冒険者になりたいんだと。今後のことはさておき、取り敢えず宿もなさそうだったから連れてきた」
肩を竦めて簡単に紹介すると、ノワールは面白そうにフィルを眺めた。
「へぇ……ま、部屋は空いているから、それは良いんだけど。あなた……名前は?」
「フィルです。フィル=ハーモニー」
「フィル。訳ありのやつなんてごまんといるから、どうしてこの町で、とは聞かない。あんたはどうして、冒険者になりたいんだい?」
値踏みするような目で、【店長】のノワールはフィルを見た。
フィルは、その目を真っ直ぐ見返して、言った。
「冒険が、したいんです」
【店長】はしばらくフィルと見つめ合ったあと、溜め息を一つ吐いた。
「……どっかの誰かに聞かせてやりたいよ」
うるせぇ。
「今日は休みな。ご飯が食べたくなったら、降りておいで」
店長が鍵を渡しながら言うと、
「はい。ありがとうございます」
フィルは両手で受け取り、奥へと消えていった。
「俺も休むかねぇ」
髪をがしがしと掻きながら呟いて、俺も自室へ向かおうとすると、
「リグ。あんたはどう思う?」
ノワールからそんな問いがかけられた。
俺は振り返らず、言う。
答えは決まっていた。
「向いてない」
俺の答えを聞いて、ノワールははぁ、と溜め息をついた。
「昔、あの子と同じ事を言ったガキが四人居た。キラキラした目だったよ。ホントに何かでかいことをやっちまうんじゃないかって、期待したもんさ」
「………………」
「リグ、あんたがパーティーを組みたくないのは知ってる。あの子とずっと組め、なんて言わない。けど、出来る限りで良い。気にかけてやんなよ」
俺は振り返らずに、頭をまたがしがしと掻いて、自室へと戻った。
†
「あんたには、これに行ってもらう」
翌朝、日課を終えてホール――なんて洒落たもんじゃないが、酒場兼食堂に向かうと、フィルがノワールに依頼紙を見せているところだった。
「ゴブリン退治ですか」
「そ。所謂“間引き”ってやつさ。昨日あんたたちが遭遇した群れの残党狩りだね。要領はそこの“間引き”マニアに聞きな」
「誰がマニアだ」
「毎日毎日、飽きもせず“間引き”ばっか受けてく奴を、他になんて呼べば良いのさ」
「………………」
ぐうの音も出なかった。
「ま、あんたがゴブリンの群れ相手にある程度一人で持ちこたえたのは聞いてるし、性格的にも、こういう方が良いだろう?」
「はい!」
「リグ、あんたはお守りだ。良いね」
「はぁ?」
「リグと一緒ですか!」
フィルが嬉しそうに手を合わせるのを尻目に、俺はノワールに顔を寄せた。
「(……組めとは言わないとか言ってなかったか?)」
「(ずっと組めとは言わないさ。あの子がここに居着くにしろ、他所に行くにしろ、ソロでやれるか、紹介出来るくらいの実績を積まないとだろ? 嫌だったら、早く一人前にしてやるこった)」
ちっ、と舌打ち一つして、依頼紙を引ったくる。
「リグ……嫌だった?」
上目遣いに顔色を窺ってくるフィルに、肩を竦める。
「そもそもウチの【店】には“間引き”以外の依頼はないしな」
「誰のせいだと思ってるのかねぇ……大体新人なんて、ソロでクエストに行かせるもんじゃない。【赤】は大手だから、その辺が大雑把なんだよねぇ」
しみじみと言うノワールに、俺は半目でツッコミを入れた。
「弱小【店】が言っても、僻みでしかないな」
「うるさいよ」
ちょっとした意趣返しに成功して溜飲を下げると、俺はフィルに手招きした。
「フィル、ちょっと来い」
「はぁい」
能天気に間延びした返事をしてくるフィル。
【店】のテーブルの一つに着いて、向かい合わせに座る。
「基本的に依頼の内容はある程度【店主】……【店】側が説明してくれるが、自分でも見ること」
「うん」
「読んでみろ」
「ええっと……ゴブリンの討伐。簡単だね」
にこにこ笑うフィルの頭を小突く。
「ど阿呆。その下に色々書いてあるだろうが」
「いたた……。範囲。サウザンドリーヴズの森、南東」
「今回は、昨日の集落の残党狩りだから、色んな【店】から複数のパーティーが出張ってる。備考欄にも書いてあるけどな。そいつらと被らないように、依頼紙ことに担当範囲が決まっている。この依頼が対象としている、ウチの担当は森、それも南東範囲ってこった」
うんうんと頷くフィルに、次、と促す。
「達成条件。2集団以上」
「これはそのままだな。最低2パーティー以上のゴブリンをぶっ殺せってこと」
「納品物。討伐証明部位……と、発見位置?」
「討伐証明部位ってのは、討伐系のクエストなら大体条件に入る。部位は獲物によって違うから、分からなければ【店】に聞くこと。発見位置ってのは、間引きや生態調査、偵察系の依頼には大体書いてある。ということは、必要なものがあるな?」
「え?」
「地図だよ。自分がどこに居るか確認しながら進んで、ゴブリンを見つけた場所はマークしておく。これは、冒険者がそれぞれ報告したものを【店】同士で照らし合わせて、探索範囲に漏れがないか、確認するんだ。漏れがあったら、次の“間引き”ではそこを重点的に探索することになる。安全な場所があると、ゴブリン共はすぐ繁殖するからな」
「なるほど……報酬。基本報酬100N。討伐報酬10Nから」
Nは大陸共通のお金の単位だ。【店】に泊まると所属の冒険者なら多少割り引かれるが、それ以外の宿は大体一泊が100Nくらい。
「ゴブリンが見付からなくても、探索範囲を報告すれば100Nは貰える。この範囲には居なかったってのも重要な情報だからな。あとは、討伐数に応じて色が付く。ゴブリン共を間引けば間引くほど、金が貰える」
「リグはいつもどのくらい貰っているの?」
「運にもよるが、当たりを引いた時には10パーティーくらい狩って500Nくらいかな」
「へぇ……備考。昨日見付かった集落の残党狩り。複数範囲に依頼あり。これがさっき言ってたやつだね」
「そ。こういう森狩りで大事なのは、自分の担当範囲を守れってこと。森に線は引けないから、大まかにはなるが、他のパーティーを見かけたら声を掛け合って引き返すこともある」
「ふーん……」
「どうだ? “間引き”っつっても、色々確認しなきゃいけないことがあるだろ?」
「うん」
俺が聞くと、フィルは真面目な顔で頷いた。【赤】の試験に落ちたこともあるだろうが、素直で助かる。
「依頼内容を正確に理解していないと、依頼者の思惑と違う結果になって、報酬を差っ引かれたり、ゴブリンが新たに集落を作って、氾濫の原因になったりするからな。タダ働きにならないためにも、依頼紙はちゃんと見とけってこった」
語ってやると、先輩面している俺が面白いのか、店主がニヤニヤしながらこっちを見ていた。クソが。
「じゃあ次は準備だな。まずは地図。お前、持ってるか?」
「持ってない……」
「だろうな。【赤】ってほんと雑だな……いや、真っ先に【赤】に向かうのがおかしいっちゃおかしいか。あそこは本来、ある程度経験積んだ奴が集まるところだからな。新人教育まで手が回らないんだろう……ま、それは置いといて。よっぽど土地勘がない限り、依頼の目的地まで、それと目的地周辺の地図の二枚は必須な」
「二枚も?」
「今回の森は見えるからそこまでは行けるけど、どの辺りが南東かって、お前分かる?」
「分からない……」
「だろ。それに遠出の依頼だったら、そもそも目的地まで辿り着けないとどうしようもない。今回は俺が持っているから良いけど、本来はメンバー全員が持っているべきだからな」
「はぁい」
「で、装備は……まぁ、最低限は揃ってるか。剣の手入れぐらいはしたか?」
「それはやったよ」
俺がフィルの装備を眺めて言うと、フィルは剣の鞘を叩いて見せた。
「オーケー。当たり前だけど、どんな名剣もいつかは壊れる。囲まれてる時に折れないように、日頃の手入れはかかさず、ある程度使い込んだら買い換えること」
「うん」
「あとは、万一のためのポーション。これも劣化するから、出来れば依頼の度に買い換えた方が良いが、金が無い内は一週間が目安だな。サウザンドリーヴズには居ないが、毒持ち、麻痺持ち、石化持ちの魔物が居る土地では、それ用のポーションを持っておくこと。あとは依頼の内容ごとに要るもの。今回は討伐証明部位を容れるための袋、採取依頼ならそれ用の袋。この二つは必須だな。一緒に入れたら大変なことになるから。あとは、死体を燃やすための火打石とかマッチ。これも俺が持ってるから今回は良い。他にも、金に余裕があれば咄嗟の時のための煙玉とか魔法石とかスクロールなんかがあると良いが……その辺は、目的地で何が起こりうるか。自分の弱点を考え、最悪な状況を脱するためには何が必要か、よく考えるこった」
「ほえー」
そこまで言ってフィルを見ると、口から魂が抜けかけていた。一気に喋りすぎたか。
俺はノワールにコーヒーを二人分頼んだ。
運ばれて来たコーヒーを飲むと、フィルはようやく戻ってきた。
「リグは、“間引き”しかしてないの?」
「今はな」
「今はってことは、昔は違ったんだ」
「……その話は良いだろ。ぼちぼち行こう」
「いつか、聞かせてね」
いつかが来ればな。
雑貨屋でポーションなどを買いつつ、町中を歩く。
昨日までと何ら変わっていないはずなのに、何となくいつもより賑やかで、色づいたように感じるのは、少し遅い時間だからだろうか。それとも――同行者が、居るからなのだろうか。
「後は役割分担か。冒険者をやっていると、知らない奴と組むってこともよくあるからな。お前は軽戦士であってるか?」
「うん」
「軽戦士の役割は、前衛で敵を引き付けながら、ダメージを与えて行くことだが……まずはとにかく避けること。後衛に敵を行かせないことだな」
「任せて。要は、とにかく敵を斬りまくれば良いんでしょ」
筋肉の無さそうな細腕で力こぶを作る様にしてみせるフィル。本当に大丈夫なんだろうか。
「まぁ、究極的にはそうなんだが。後ろに魔法職が居るなら、必ずしもお前が殺らなくても良い。勿論殺れそうなら殺れば後衛の魔力の節約にもなるが、剣が通用しない奴ってのはまぁまぁ居るからな」
「やだなぁ」
「敵を選んでどうする。冒険、したいんだろ」
「……うん」
頷いたその瞳が何を映しているのか、俺には分からなかった。
†
門番のおっさんを適当にあしらって、森へと向かう。今日は余計……と言ってはなんだが、同行者が居るので、地図を示したりと、普段よりは丁寧にやっている。
「ねぇ、リグはさ」
ぷちぷちと、何体目かのゴブリンを潰し終えたとき、剣の血糊を拭き終わったフィルが話しかけてきた。
「なんだ」
遭遇位置をチョークで書き込んでみせながら返事をする。
「リグはどうして、冒険者になろうと思ったの?」
「さぁ、なんでだったかな」
はぐらかしている訳ではなく、本当に忘れてしまった。それは遠い日の出来事で、“間引き”している毎日が、俺にはすっかり日常だったからだ。
毎日毎日、下級魔物を狩り続け。
【店】に帰って、休む。
その繰り返し。
「冒険したいって、思わない? 物語の主人公みたいに、昔話の英雄のように。秘境に挑み、強敵を倒して」
「思わないね。名声が欲しいのか?」
「違うよ。私は――」
言葉を句切ると、フィルは胸の前で拳を握った。
「私は、私が生きた意味が欲しい。たった一つの命だもの。自分がどこまでやれるのか、試したいと思う」
「……たった一つの命だから、大事に守りたいって考え方もある」
「それって、矛盾してる。本当に危険から遠ざかりたいなら、町の中に居れば良い。商人でも役場でも、出来ることはきっとある」
「かもな」
そういう生き方を考えたこともある。でも、結局今の生活を選んだ。確かに俺は矛盾してるのかもしれない。
「でも貴方は、こうして危険に身を晒しながら、冒険者であり続けている」
じっと俺を見つめる、フィルの瞳。
「あぁ」
「なら、」
「一つ、言っておく。俺は今の生き方に全く不満を感じていない。俺の命の使い方を、他人様にとやかく言われる筋合いはない」
「………………」
なんだか吸い込まれそうで、俺は目を逸らした。
「必要なことは教えてやる。でも、俺の様になれとは言わない。むしろ、なるな。そうすりゃ、お前は良い冒険者になるさ。それこそ、吟遊詩人が唄うような。俺はそれを聞いて、あいつは俺が教えてやったんだって、一人悦に入るんだ。その頃には、酒でも飲んでるかもな」
「……リグは、強いのに。私なんかより、ずっと」
フィルは……俺の見間違いじゃなければ、泣きそうな顔をしていた。けれど俺は、それを見なかったことにした。
†
フィルはそれきり、そんな話題を振ってこなかった。
何日か、“間引き”や、ノワールが持ってきた冒険者の基本となるような依頼をいくつかこなした。フィルは物覚えが良く、意欲もあった。これなら独り立ちも近いだろうと、ノワールと話し合った。
俺は、俺たちは勘違いしていた。
フィルが、冒険したいと言っている、本当の意味を。
†
「久し振りに、ダンジョンが見付かった」
ノワールは、一枚の依頼紙をカウンターに出しながら、そう切り出した。
「表層の感じじゃ、それほど深くはなさそうって話だ。新人教育に丁度良いってんで、ここいらの【店】協同で、新人冒険者を出しあって探索隊を組む。フィル、あんたにはこれに行ってもらう」
「ダンジョン!」
フィルは目を輝かせた。
「リグ、あんたもお守りだ。【赤】や【青】からも来る」
「へいへい」
何日か行動を共にして、今更否はない。俺は頭を掻いて返事した。
「フィル、これはチャンスだ。他所からお目付け役として来る冒険者は、スカウトも兼ねてる。そいつらのお眼鏡に叶えば、あんたはこの街の冒険者として認められる。ついでに新人同士で交流して、馬が合えばそのままパーティーを組んだって良い。謂わば、卒業試験だよ」
「ノワールさん……」
優しく微笑むノワールを、フィルは感慨深げに見つめた。
「ま、そういうこった。お前は軽戦士としては十分以上の戦力だし、探索技能も教えられることは教えた。冒険者としての最低限の常識も覚えた今のお前なら、どこでも上手くやれるさ」
「リグ……」
なんとなく気が向いて、俺もそんなことを言ってやった。
「出発は明後日、一の鐘に門の前に集合だ。準備なんかはいつも通り、そこのに聞きな。気を引き締めなよ」
「はい!」
†
遺跡探索となると、灯りであるとか、探索役を求められた時には、構造なんかを書き込むための白紙が必要だ。俺はフィルを連れて、その辺りの雑貨を買いに来ていた。
俺の説明に、フィルはうんうんと頷きながら、籠に物を入れていく。
妙にウキウキしているように見えるのは、初めての冒険らしい冒険に、心踊っているのだろうか。
目の前の少女が妙に眩しく見えて、俺は目を逸らした。
「……リグ?」
「ん、どうした?」
「リグも、ダンジョン行ったことあるんだよね」
「……ああ」
「どんなだった?」
「そうだな……案外、大したことはないぞ」
俺が言うと、フィルは口を尖らせた。
「ええー。もうちょっと夢のあること言ってよ」
「……あの頃は、ダンジョンがぼこすか見付かって、ちょっとしたお祭りみたいだったんだ。みんな一攫千金のお宝があるんじゃないかって、躍起になって探索したよ。俺たちも……」
「俺たち?」
はっとなって、口を噤む。
「リグ? 話してよ。知りたいの、リグのこと」
フィルの、懇願するような、それでいて真剣な、深い眼差しに、俺は全てを懺悔したい衝動に駆られた。
「……いつか、な」
顔を逸らして、俺はようやく、それだけを言った。
いつか、なんて、冒険者には全く当てにならない言葉だと、知りながら。
閉じ込めた思いに蓋をして、遠ざけた。
「……うん」
フィルがどんな顔をしていたのか、目を逸らしていた俺には分からなかった。
†
当日。フィルを初めとする新米冒険者たちと、俺を含むお守りの冒険者たちは、サウザンドリーヴズの門に集まっていた。
装備も大して痛んでいない、何処と無くそわそわした風の新米冒険者は、一目で見分けが付く。フィルを入れて、三パーティーほど作れる人数。こんなものか、と思うと同時、この街にもまだこんなに新米冒険者がいたのかと、少し驚いた。
「懐かしいね」
一人の女が話しかけてきた。長いローブに身を包んだその長く青い髪の女に、俺は見覚えがあった。
「【青】のエースが、出張ってくるとはな。アルメア」
「ウチの期待の新人が居るからね。目ぼしい子は、引き抜きたいし。【赤】に負けてられないから」
フィルと話し込んでいた、眼鏡をかけたソーサラーの少女を見ながら、アルメアは言った。
「流石二大【店】のエース様は、言うことが違うねぇ」
俺が茶化して言うと、アルメアはじっと俺を見つめた。
「嘘。本当は、貴方に会いに来たの。リグ」
「言ってろ」
「本当よ。あの万年ソロの【長杖】が、ついにパーティーを組んだって聞いたら、長年ラブコールを送ってる私としては、気になるじゃない?」
面白そうに口の端を歪ませながら、目にはどことなく迫力があるアルメアから、僅かに距離を取る。
「……パーティーを組んだ訳じゃない。駆け出しの間、面倒を見てるだけさ」
「ふーん? 可愛い子じゃない。……エルゼに、似てる」
「……知るか」
吐き捨てる。
それは、聞きたくない名前だった。
「ねぇ、リグ。エルゼたちに義理立てしてるなら、もう良いんじゃない? “間引き”だって、あの頃とは事情が違う。貴方がやらなくたって……」
「うるさいっ!!」
思いの外大きな声が出て、はっとした。その場のみんなの視線が集まるのを感じた。その中にあった、フィルの目線とぶつかったのを、すぐに逸らした。
「余計な事故が無ければ、今日でお守りは終わりだ。明日から、俺は“間引き”に戻る。お前も依頼に集中しろ」
「リグ……」
アルメアは何かを言いかけたが、打ち合わせのために他の冒険者に呼びかけられると、そちらに向かった。
俺は拳を握りしめた。
不意に触られた、傷の痛みに、耐えながら。
†
遺跡は、馬車で鐘が二回鳴るくらいの距離にあった。
【旧文明】……【穴蔵の小人】たちは、その名の通り地下を生活の基盤としていて、遺跡は地下に埋まっていることが多い。ご多分に漏れず、この遺跡も、地上には大人がどうにか潜れる程度の入り口しかなく、地下にそこそこの広さの空間が広がっているらしい。
奇妙なことに、あるいは俺たち現代人にとっては有難いことに、【穴蔵の小人】たちは、その小柄な身体には似合わないくらい広い空間を好んだらしく、入り口と違って中は普通に立てる。だったら最初から地上に住めよと思わなくもないが、天敵、つまり魔物が当時は今より蔓延っていて、そういう訳にも行かなかったようだ。
【穴蔵の小人】たちは凝り性というか学者肌の種族で、俺たち現代人よりもずっと魔法の真髄に迫っていたらしく、彼等が遺した物の中には、今の技術では再現不可能な物も多い。遺跡探索は、そう言うアーティファクトや、研究資料などを見付けるのが目的となる。
この町の周辺にも、結構な数の遺跡が見付かっており、この辺りは【穴蔵の小人】たちの都市があったのではないかと言われている。しかし、どの遺跡からも重要なアーティファクトなどは見付かっておらず、労働者階級のベッドタウンだったのではないかというのが、錬金術師学会の見解である。
ベッドタウンということは、彼等が働いていた別の都市への移動手段があるはずなのだが、それはまだ見付かっていなかった。
まぁ、ここもそんな集合住宅の一つだろう。入り口から進むことしばらく、途中にあった横穴はどれもただの住居跡で、アーティファクトはおろか、研究資料の一つもない。
直に最奥まで辿り着いてしまうだろう。
俺は先導するベテラン冒険者の後ろを恐る恐る着いていく新米どもを眺めながら、そんなことを思っていた。
†
「魔法陣だ!」
先頭からそんな声が聞こえて、一行は俄に沸き立った。
声の元へと向かえば、一際広いホールに、冒険者たちが集まっていた。
「転移魔法かな……労働者たちの移動手段と見るべきか」
学会から随行していた錬金術師が、ぶつぶつと言いながら慎重に魔法陣を調べている。
「ね、リグ。これって、すごい発見?」
「どうかな」
フィルが目を輝かせて聞いてくるのに、肩を竦める。
俺たちは比較的安全な道すがら、すっかり忘れていた。【穴蔵の小人】たちは物凄く凝り性で、何より臆病な者たちであったこと。どんな施設にも、必ず外敵排除用の罠を仕掛けていること。
「おい、なんかこれ、光ってないか?」
初めに気付いたのは誰だったか。
いつの間にか、ホール内は紫の光に包まれていた。
「まずい、罠だ!」
転移魔法は、こちらから向こうへ行くものとは限らない。それは、どこかから外敵排除のための守護者を呼ぶ、セキュリティだったのだ。
魔法陣から、膨大な数の魔法生物が涌き出てくる。
ヌメヌメとした表層の、しかし角張った、顔のない人型のナニカ。
形にはバリエーションがあるが、そう言った魔法人形を、俺たちはゴーレムと呼んだ。
「退避しろ!」
「駄目だ、閉まってる!」
「新人は下がれ! ベテランは前に!」
流石に年期の入った冒険者は冷静だった。慌てふためく学者と新人冒険者を壁際に押しやると、声を掛け合って素早くその前に陣形を張った。
「くそ、硬い!」
「泣き言を言うな! 後輩が見てるんだぞ!」
「ウィザードはまだか!」
その言葉を待っていたはずもないが、ウィザードの放った炎弾が人形の一体に直撃する。しかし人形は何事もなかったかのように、動き続けた。
「魔法障壁だと!?」
「最高クラスのセキュリティじゃねぇか! こんなところに、何があるってんだ!」
剣でも魔法でも、有効打は与えられない。冒険者たちは、徐々に押し込まれていた。
「リグ!」
そんな顔で見んな。判ってるっての。
俺は、手を尖らせて冒険者の一人に斬りかかろうとしていた人形に向かって飛び込み、杖を思い切り叩き込んだ。
ごぎゃ、とゴブリンなどでは感じられなかった良い手応えが返ってきて、人形は粉砕された。
「【長杖】!?」
「叩けば良いんだよ、こんなのは」
言いながら、周囲の人形にフルスイングして吹き飛ばす。
ちっ、頭を潰さないと駄目か。
「アルメア!」
「判ってる……凍れ!」
俺が呼びかけると、アルメアが放った冷気が、人形どもを床ごと凍らせる。上手い、あれなら魔法障壁があろうと動きは止められる。
俺は文字通り木偶の坊と化したゴーレムを、それこそ間引くように一体一体粉砕していった。
「「「うおおお!」」」
俺とアルメアを中心に、冒険者たちは時の声を上げて態勢を立て直した。
ハンマー使いが前に出て、ウィザードは氷魔法を中心にゴーレムどもの動きを止める。
セオリーが確立されて、人形の数が徐々に減っていく。
このままなら押し切れる。誰もがそう思った時、学者が叫んだ。
「駄目です! 魔法陣はまだ輝いている! 何か、何かが出てくる!」
すると、不気味な紫の光を放っていた魔法陣が一層強く輝いて、人形どもがそれこそ小人に見えるほどの、巨大な何かが姿を形成していった。
それは、巨大な蛇型のゴーレムだった。ホールの半分ほどを埋める体長のそれは、天井に届かんばかりの首でこちらを睥睨しながら、大人を縦に二人並べたくらいの太い尻尾で、ホールを薙ぎ払った。
「っ……!?」
俺は咄嗟にジャンプして避けつつ、ホールを見下ろした。
そこには、一瞬前と余りにも変わり果てた、地獄が広がっていた。
前線に居たアルメアを初めとするベテラン冒険者たちは軒並み吹き飛ばされ、人形もろとも壁に叩き付けられていた。壁際に居た者たちも、運悪く吹き飛んできた冒険者や人形に巻き込まれて壁とサンドイッチになっていた。
俺は思わずフィルの姿を探して、横に飛んで避けたのか転がっている彼女を発見して、ほっと胸を撫で下ろした。
しかし状況は最悪だった。無事なのが俺たち二人しかいない。
大蛇は俺に攻撃を避けられたのが業腹だったのか、ちろちろと紫の舌を震わせながら俺を見下ろしていた。
「リグ!」
「来るな!」
蛇の巨大な顎が迫る。
フィルが叫ぶ中、俺は――身を捻りながら全力で杖を振り、俺を呑み込もうとしていた大蛇の頭を、顎の下からかち上げた。
「――!?」
大蛇が声にならない悲鳴を上げる。
「余裕だと思ったか、蛇公。お生憎様、俺の特技は“間引き”でな」
後ろでフィルがいつかのように唖然とする気配を感じながら、俺はせいぜい余裕に見えるように杖を担ぎ、左手でくいくいと蛇を挑発した。
「――間引いてやるから、かかってこい」
†
言うほど、余裕はなかった。
大蛇の攻撃は巨体に見合わず素早く、体格差から流石に受け止めることは出来ず、避けるのがやっとというところだった。一方俺の全力の攻撃は、大蛇に大した痛痒を与えられていない。多少効いてはいるようで、俺の攻撃が当たる度に大蛇は身を捩るも、倒れる気配は全くなかった。ジリ貧なのは目に見えていた。
焦りから、頭をぶっ叩こうと、大きく跳躍した俺を、大蛇の尻尾が叩き落とした。
「がっ――!!」
床に叩き付けられ、息が止まる。それでも勢いは止まらず、俺は何度か床をバウンドして、壁にぶつかってようやく止まった。
「リグ!?」
「……黙ってろ」
フィルの悲鳴が、どうにか俺の意識を踏みとどまらせる。視界に赤が混じったのに舌打ちしながら額を拭うと、血がべっとりと付いた。
「リグ、このままじゃ!」
「分かってる! 手はあるんだ!」
そう、手は、ある。だがそれには時間がどうしても必要だった。
せめて、アルメアが起きてくれれば。
「時間があれば良いんでしょ! リグ、私が!」
俺が逡巡している間に、金色の影が飛び出した。俺はそれがフィルだと理解するのに、一瞬の間を要した。
「ばっ、やめろ!」
大蛇が自分に迫る新たな小人に眼を細め、狙いを定めると、恐ろしい早さで、顎を突き出した。
「フィル――!!」
それが彼女の身体をばくんと噛み千切る光景を幻視して、俺は絶叫した。
またか。また喪うのか。
こうならないように、俺は一人で居たんじゃなかったのか。
叫ぶ俺の視界の中で――フィルの身体から、紅いオーラが立ち昇った。
「【狂化】」
何が起こったのか、分からなかった。
紅い旋風としか、表現出来なかった。フィルが発する紅いオーラが尾となって、独楽のように回転したフィルが、蛇の頭を躱しながら、その双剣で逆に斬りつけたのだと、遅れて理解した。
「フィル!?」
「長くは、持た、ない。お願い、リグ。私に、命を、預けて――私の、命を、預かって」
人智を超えた、謎の力の影響か。やけに息を荒げて、フィルは言った。
命を、預けて。命を、預かって。
その言葉が、俺に重くのし掛かった。
もう二度と、他人の命を背負いたくないと思っていた。
なのに。
「冒険しよう――リグ」
そう言って、彼女は、笑った。
フィルは再び紅い閃光となって、縦横無尽に大蛇を切り刻んでいく。だが、浅い。あれでは止めは刺せないだろう。
俺はその光景に一瞬見とれ――けれど己の役割を思い出し、長杖の下端を両手で持つと、足を踏ん張って、構えた。
血が滾る。魔力が渦巻く。高揚が、身体を熱くさせる。
魂が――震える。
ここで熱くならない奴は、冒険者ではない。
フィル。
お前の冒険を――無駄には、しない。
「我が内なるオドの源よ。無知無能にして全知全能なる汝が力を、今こそ呼び起こさん。且は無、且は全、且は剣」
俺が使える、唯一の詠唱魔法。
俺は伊達や酔狂で、こんなお伽噺の大魔導師が持っていたような、クソ長い杖を持っているのではない。
この杖は、特注品。魔導師が忌み嫌う、オドの伝導率が最高の……それが故に、オドを魔法として放出するために誘導しなきゃいけないはずが、逆に溜め込んでしまう、魔黒曜石純度百パーセントの一品である。
それでなくともクソ重くて、魔力を常に全力で身体強化に回さなくては持てないほどの、ウィザードの杖としても、魔力の少ない重戦士の昆としても役に立たない、だからこそ、魔法を使うための勁が閉じていて、魔力を空気中のマナと混ぜ合わせて魔法に変換することが出来ない、そのくせバカみたいに体内魔力だけはある、俺にはぴったりな杖。
その、俺が俺たる長杖に、俺は詠唱と共に魔力を流し込んでいく。
事象を変換するのではなく、ただ純粋な魔力の塊が、長杖を柄として巨大な大剣を象って行く。
俺の長杖の倍以上もある、光り輝く透明な刃。
「【魔刃】」
全てを切り裂く、俺の切り札が、完成した。
「下がれ、フィル!!」
このアホみたいに巨大な大剣は、維持するだけでもかなりの集中力を要する。
俺は【魔刃】を斜め後方に持ちながら一気に駆け抜け――フィルが下がるのを横目に見ながら――飛び上がって、大剣を上段に掲げると、俺に気付いて噛みつこうとするクソ蛇公の頭に、全身全霊を賭けて―― 一気に、振り下ろした。
一撃。
それで、十分だった。
喉元まで両断されたその切断面から緑色の血飛沫を浴びながら、悲鳴を上げる間もなく絶命した蛇公の頭と共に、地面に落ちていく。
魔力を失いすぎて、全身で気怠さを感じながら、杖を支えに何とか立ったまま着地する。
集中力が切れ、【魔刃】が光の粒となって宙に溶けていく。
「やったぞ。俺たちの――」
息を整えながら、フィルの方に振り返る。
フィルは微笑み。
そして。
力を失って、ぱたりと倒れた。
それは、操り人形が、糸を切られて崩れるような。
命が絶たれたような。
「は――?」
俺は一瞬呆け――慌てて駆け寄った。
細い身体を抱き起こす。
「フィル!? しっかりしろ!」
「リ、グ……」
意識はまだあった。けれど、普段の天真爛漫な彼女からは、到底考えられないくらい、力の無い笑みだった。
フィルは全身から幾筋も血を流していた。
「なんだ、これ……蛇公の攻撃を喰らっていたのか?!」
フィルは首を振った。
「これは……代、償。あの力――【狂化】、の」
「【狂化】なんて、聞いたことねぇぞ。なんかのクラススキルか?」
「ちが……後天的、に、植え付けられ、た」
「何を……何を言ってるんだ、フィル」
「私、失敗作、なの。たった一度しか、【狂化】を使えない。全身の、血管とか、筋肉とか、マナ回路とかが、全部、切れちゃって。生涯に、たった一度しか、使えない、の。たった一度の、冒険、なの」
なんだそりゃ。
ふざけんな。
ふざけんな。
「ふざけんな! お前が言ってた冒険って、こういうことなのかよ! 命の捨て場所を、探してたってのか、お前は! 俺は、俺は何のために!!」
「素敵な、冒険だった、よ」
笑うんじゃねぇ。笑うんじゃねぇよ。
「ちげぇだろ! 冒険ってのはもっと、血が滾って、わくわくして、死ぬかもしれなくて、でも――自分は生きてるって、証明することだろうが!」
『私は、私が生きた意味が欲しい。たった一つの命だもの。自分がどこまでやれるのか、試したいと思う』
フィルの瞼が、閉じていく。
「認めねぇ……認めねぇぞ!」
まだだ、まだ間に合う。
手は、ある。
冒険者は、万が一に、備えておくものだから。
ずっと、使えなかった。かつて、使いたかった、それ。
今使わないで、いつ使うのだ。
俺は、虎の子のそいつを、腰に下げたポーションケースから取り出し、蓋を開けるのももどかしく煽るように自分の口に含むと、フィルの唇に自分の唇を押し付けた。
「ん――」
舌を差し込み、フィルの舌を絡めとって、喉の奥にその液体を流し込んでいく。口の端から零れた液体が、神秘的にキラキラと輝いた。
唇を離すと、その輝きは、やがてフィルの身体の内側からも溢れだし、彼女の全身を包んでいく。血管の破裂とやらで赤黒くなっていた彼女の肌は、白くて美しい彼女本来の色に戻る。
やがて光が治まると――フィルはぱちくりと瞬きをした。
「な……なんで? 私の傷は、ポーションなんかじゃ……」
「【神の雫】だ。かつての俺の――俺たちの、冒険の成果だよ」
かつての遺跡祭りの時、駆け出しだった俺たち四人は、罠を掻い潜り辛くも辿り着いた遺跡の奥で、これを見付けた。
あの頃は、何もかもが楽しかった。冒険がそこら中に溢れていた。けれども冒険者たちは、夢に浮かれて忘れていた。間引かなければ、討伐しなければ、魔物は際限なく増えていくということを。
やがて起きた、【氾濫】。新人もベテランも区別なく、場当たり的に、なし崩し的に放り込まれた戦場で、俺たちは乱戦の中で離れ離れになっていった。
殺しても、殺しても、後から後から、奴らはやって来た。
長い長い、地獄のような時間が過ぎて――なんとか生き残った俺は、気付いたら三人の仲間を失っていた。
いつかピンチの時に使おうねと、売らずに持っておいた【神の雫】は、使う機会すら与えられなかった。
あらゆる傷を治す魔法の薬は、死人を呼び戻す力まではなかったのだ。
「この薬には、あいつら三人――いや、俺たち四人の命が乗っていたんだ。それが、お前の――命の、値段だ。勝手に捨てることは、許さない。覚えとけ、新米」
笑って言ってやると、フィルは涙を零した。
「そんなの、重すぎるよ……私、もう、終わりだと思ってたのに。先なんて、見えないのに。これから、どうやって生きて行けば良いの?」
「知るか。たった一つしかない命なんだ。自分で、考えやがれ」
†
幸いにもというべきか、彼らの強運に呆れるべきか、冒険者たちには、死人は居なかった。骨が砕かれぐちゃぐちゃになってた奴も居たが、そこはベテラン冒険者様、漁ったらしっかりハイポーションを持っていた。
流石に汚いおっさんとキスする趣味はないので、無理矢理ビンタで起こして口にポーションを突っ込んでやったら、なんとか一命は取り留めたようだ。
学者先生は逞しく、気絶から立ち直ると嬉々として大蛇型ゴーレムの残骸を漁り始めやがって、宥めるのが大変だった。
動ける奴等で怪我人を馬車に運び、えっちらおっちら街に辿り着いたのは、もう五の鐘もとっくに鳴り終わり、門も閉まっている深夜のことだった。
見張りに呼びかけ、門番を叩き起こして無理矢理門を開けさせて、その場は解散、死線を潜った新人たちも、良い感じに据わった目をしていたので、今回の探索は、まぁ成功と言って良いのではないだろうか。
「良いわけないでしょ。偵察した【赤】のクソ冒険者に文句言ってやらないと」
翌日。俺は我らが【黒の開拓者亭】店主のノワールに、首根っこを引きずられていた。いや、引きずろうとしたら杖が重すぎて引きずれなかったので、自分で歩いてはいるのだが。
「なんで俺がそれに付き合わされているのかねぇ……」
「あんたとフィルちゃんしか起きてなかったんだから、事情説明は当然でしょ」
「もう説明したじゃん……」
「あたしだけじゃなくて、【店】の連中の前でやれっての。良い? いかに他の【店】の連中が役立たずで、ウチら【黒】所属の二人だけが大活躍したか、あることないこと全部言うのよ」
「無いことは言えねぇっての。あったことも、全部は言えねぇよ」
「四の五の言わないの。これはウチの【店】が一躍トップに躍り出るチャンスなのよ」
「あんたにそんな野望があったなんて驚きだね」
「……目の前にチャンスがあったら、掴むしかないでしょ。あんたそれでも冒険者?」
「本音は?」
「町からの支援金ウマー。不労所得サイコー」
「ぶっ飛ばすぞ! それ、俺たちの命が掛かった金だからな! ちょろまかさないでちゃんと俺とフィルに寄越せよ?」
「………………」
「おい、まさか」
「最高級ヴィンテージワイン、予約入れちゃった♪」
「おいいいいいい!?」
「冗談よぉ。ちゃんと取っといてあるわよ……少しは」
「おい、最後なんか言わなかったか?」
「ケチケチしないの、【黒】が誇るこの街一番の、冒険者さん」
その後の会議で、ノワールが大立ち回りを演じたり、とある冒険者の二つ名が何故か議題に上がったりしたのだが、まぁ、それは置いておこう。
†
それから、しばらく経って。
「見ろよ、【長杖】だぜ」
「よぉ【長杖】の、景気はどうだい?」
「新しい遺跡が見つかったってよぉ、一緒にどうだい?」
いつものように町を歩いていると、前とは違った声が掛けられるようになった。
【長杖】のリグ。
なんかあの蛇公を倒した経緯から、【店】同士の会議で、そんな二つ名が付けられた。この町の【店】が認める、冒険者の頂上とかなんとか言われたが、正直恥ずかしすぎて死にそうだから本気で止めて欲しい。
俺は、間引き以外にも、依頼を受けていこうと思うようになった。
あの時――フィルと命を預け合って、強大な敵を倒したとき。冷めきっていたはずの俺の血が、すっかり熱を持ってしまった。
俺を置いて先に逝ったあいつらが、自分たちの代わりに、俺にもっと冒険しろと言っている気がした。
託された三人分の重みを乗せた、俺の、たった一つとは言えない命を賭けて。
血沸き、肉踊るような、吟遊詩人が唄うような、それを聞いた誰かが、胸を膨らませて、夢を抱くような。そんな、冒険を。
一人でも良かったのだが、パーティーを組むことになった。
誰って――言わなくても、分かるだろ?
まぁ、三人、いや四人分の命を投資してまで助けたのだ。借した分の返済までは、着いて来させてやるかと思う。
【赤】や【青】を始めとした、他の【店】の誘いを自分で断ったくせに、捨てられた子犬のような目で俺を見てくるフィルにほだされた訳では決してない。
なんかすっかり相棒面で、次の依頼はどうしようこうしようとか言ってくるのが若干鬱陶しい。
パーティー組むの早まったかな……。
そんなことを思いながら【店】に帰る。
扉に付いている鐘が、からころと音を鳴らす。
するとほら、早速来た。
パタパタと寄ってきて、俺に依頼紙を突きつけて、こう言うのだ。
「冒険しよう――リグ!」
いかがでしたでしょうか。短編としては長いのでしょうか?でしたらすみません。読み切りとしてまとめたかったので。
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お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、世界観のベースとしてはTRPGのソード・ワールド2.0がやはり大きいです。【店】とか特にそうですね。町に一つのギルドだと、冒険者を捌ききれないんじゃないか?と思って、こういう形態が自分的にしっくり来たんです。店と冒険者に距離感のある【赤】のような所もあれば、【黒】のように近しい所もある、みたいな。
完パクにならないようナイトメアは封印したりと、気を付けたつもりですが、コレ怒られるレベルでしょうか……ドキドキ。最悪、キーワード付けます。
報酬とか、魔刃の下りとかはガバガバです(必殺技なのに)ので、ツッコミは優しくお願いします。雰囲気で、雰囲気でお楽しみ下さい!