4 魔女は騎士に乞う
そこは、多くの花に囲まれた場所だった。季節ごとに違う花が咲き乱れ、常に花に囲まれるよう気を使っているのだと、ザクリスが教えてくれた。
「バーネは、ここにいるの?」
見上げると、穏やかな笑みを浮かべたザクリスが頷く。
「ブランデル家の人間は最後に、家へ帰って来るんだ」
ザクリスが二日間の休暇を取得したから出掛けようと誘ってくれたのは昨日の事。屋敷に籠るばかりじゃなくてタニヤの所へ遊びに行くようになってからはだいぶ退屈しないようにはなっていたけれど、どうやらザクリスは私を気遣ってくれたみたい。行きたい場所はたくさんあった。でも最初に思い付いたのは、かつての仲間の墓参りだったの。私が世界に発生してから、常に側には仲間の魔女達がいた。だけど私は、彼女達全員の最期を見届けずにこの世界を去ってしまった。
「ねぇバーネ。私、あなたが作った腕輪の事がずっと怖かったの」
恋をした末に待っているかもしれない、消滅も恐ろしかった。それに道連れにされるかもしれない可能性を受け入れた魔女の伴侶達の事も、私には理解出来なかった。
「逃げ出してごめんなさい。幸せを願ってくれてありがとう。バーネは、幸せだった?」
この場所を見る限りでは、幸せだったのではないかと思う。少なくとも彼女は消滅する事なく、家族に囲まれて最期を迎えられたのだとザクリスが言っていたから。
ここへ来る前に、タニヤの実家にも寄って来た。そこではユリンの墓参りをして、タニヤの家族にも会った。この二日の休暇の内に世界を周るなんて事は不可能だから、縁を繋いでくれた二人に、まずはお礼を言いたかった。私も幸せになれそうだよと、報告がしたかったの。
想いを届ける為の祈りを捧げ、隣ではザクリスも祈っている。それが終わった後で立ち上がり、私は笑みを浮かべた。
「連れて来てくれて、ありがとう」
「貴女の望みは何だろうと叶える」
背伸びして、感謝の気持ちを伝える為彼の頬へ口付ける。途端ザクリスの頬が赤く染まり、だけど幸せそうな笑みを浮かべてくれた。そのまま見つめ合い、ゆっくりと唇が重なる。彼の腕の中、私は幸福に酔いしれる。
「そういえば、聞きたい事があったの」
手を繋いで母屋へと向かう途中、私は思い出した疑問を口にした。
「エドヴァルトが出した条件って、何だったの?」
この前タニヤが教えてくれたの。子供の頃のザクリスの事を。タニヤと出会い、エドヴァルトから異世界へ渡れる事を聞いたザクリスが願いを叶えてもらう代わりに出された条件があって、それを達成出来たから私を迎えに来られたのだと。
「それは、時間は掛かるが難しい事ではない。貴女を幸せに出来る環境を整える事。神が認めない限り異世界への門は開いてもらえなかった」
「それが整ったから迎えに来られたの?」
「そうだ」
「なんだか……大変な苦労をお掛けしてしまったようで……」
「苦労だとは思っていない。それに、今こうして貴女をこの腕に抱けるのだから報われた」
与えられてばかりだ。私は何を返してあげられるのだろう?
「……私の過去は、全て知っているの?」
「全てかどうかはわからない」
何か変な失敗をしたりしなかったかなと不安になり記憶を探ってみるけれど、特には思い浮かばない。それに悪い記憶とは、時間と共に薄れて行くものだ。
「幼い貴女を見た。他の魔女達に囲まれ、時折叱られたりしながらも笑っていた」
「私が、最後の魔女だったから。みんなが面倒見てくれたの」
私の後で発生した魔女はいない。私が最後。そして最後まで残ってしまったのも、私。
「街で商いをしている貴女も見たよ」
「大きな失敗はしていなかった?」
「……そういえば、小火騒ぎを起こしていたな」
「そんな事、あったかしら?」
あったような気がする。他の魔女のもとを離れて独り立ちしてしばらくは、色々な失敗をした。
「寂しさに涙を零す貴女も見た」
「そんなに、私の事ばかりを夢に見ていたの?」
「そういう訳ではないが……俺が望んだからか、貴女の事を見る頻度は多かったと思う」
「今でも、夢を見る?」
「見るよ」
「どんな夢?」
「それは――」
秘密だと、彼はそう言って笑った。未来の事を知ってしまってはつまらないだろうと言われ、私も同意する。人は、先が見えないからこそ努力する。未来がわかってしまったらするはずだった努力を怠ってしまうかもしれない。もしそうなれば知ってしまった未来へは辿り着けなくなり、違う現実を手に入れる事になるのだろう。それは、見えたのが良い未来だった場合に限っての事かもしれないけれど。
「私が、今欲しいと思う未来を教えてあげる」
母屋へ入る前、足を止めて私は彼と向かい合う。母屋ではザクリスの家族が待っているから、今ここで伝えなくてはタイミングを逃してしまう。
穏やかな青が私を見つめ、先を促した。勇気をもらう為、私は彼の両手を握ってみる。
「私は――」
握り返してもらえた事に勇気をもらい、想いを紡いだ。
「あなたと生きる、未来が欲しい」
途端に抱き上げられ、私を抱いたザクリスがくるくる回る。喜びを表すように踊るような足取りで回った後で、彼は私を抱き締めた。
「ウィルヘルミナ、俺の妻となってくれるのか?」
「喜んで!」
彼となら、ザクリスとなら未来が怖くないと思えた。彼への想いを貫いて消える事になったとしても、もしかしたらそれすら幸せな事なのではないかと思うの。だって、彼の腕の中はこんなにも心地が良くて……ここには幸福があるのだから。
「夫婦になるのって、まずは何から始めるの?」
日本での知識はあるし、過去に見て来た知識もある。でも現在のこの世界での通例を私は知らない。私の質問を受け、ザクリスは私を地面へ下ろしてくれてからにっこりと笑った。
「ついておいで」
彼に導かれるまま、私は母屋へ入る。ここを訪れた時にザクリスのお母さんには挨拶をしたけれど、恋人としての挨拶だった。今度は未来の伴侶だと紹介される事になって、ザクリスのお母さんが泣き崩れた事には驚いた。どうやら彼女は、息子が夢に出て来る魔女に恋し続けている事を心配していたらしい。長い事縁談を断り続けていたのに久しぶりに帰って来た彼が女性を伴って現れた事に驚き、しかも私の名前が「ミーナ」だった事に動揺していた所への婚約報告。しかも私が、彼が恋していた魔女のミーナだと知ると大混乱の大喜びで大変な騒ぎとなった。彼女が落ち着いても、夜は夜で大変だった。ザクリスのお父さんとお兄さんとの対面が残っていたからだ。お兄さんの家族までやって来て、私達の婚約は盛大に祝われる事となった。
「次は、何をするの?」
ザクリスの屋敷のいつも共に入るベッドへ普段より遅い時間に入り、少しの不安と期待を込めて私は訊ねた。毎晩共に眠るベッドの中、ザクリスは手を伸ばし、私の頬を撫でる。
「手続きが色々あるが、任せてくれて構わない」
「わかったわ」
「だから次にやる事は神への報告だ」
「エドヴァルト? タニヤの所へ行くの?」
私は眠らないとエドヴァルトには会えない。だからそう聞いたのだけれど、ザクリスは首を横に振った。私をその腕に抱き込み、いつも眠る時にそうしてくれるように髪を撫で――
「眠ろう」
「え?」
見上げた先で、ザクリスは既に目を閉じていた。なんという事だろう。期待してしまっていた分、恥ずかしい。拗ねた気持ちでこっそり頬を膨らませてから私も目を閉じ、ザクリスの胸へ顔を埋めたのだった。
*
夢の中、隣にはザクリスがいた。驚く私へ微笑み掛け、彼は私の手を引いて歩き出す。
「ミーナ」
私を呼んだのは、聞く事はもう二度と叶わないと思っていた声。視線の先にはエドヴァルトと、みんながいた。
「ウィルヘルミナ。可愛い僕らの妹。僕らが願うのは君の幸せと、笑顔だよ」
笑顔を望まれた私はぐちゃぐちゃの顔をして泣いていた。みんなの名を呼び、涙を零す。会いたかった。失った事が悲しかった。会えない事が寂しかった。そんな私の背中を、ザクリスがそっと押す。途端に走り出して、私は懐かしい人達の中へ飛び込んだ。
「ちょっとあんた、相変わらず泣き虫ね?」
「ほら泣かないの。可愛い顔が台無しよ」
「あーもう、鼻水」
「ほーら、ミーナ?」
幼かった頃のように、優しい手に世話を焼かれる。
「あんたは一人じゃないよ!」
「ば……バーネ!」
お節介な魔女の胸へ飛び込み、私は盛大に声を上げて泣いた。
涙が落ち着いた後で、私は魔女達の手からザクリスのもとへ返される。きっとそれは……お別れの合図。
「最後の魔女、ウィルヘルミナ。僕と魔女達の願いを叶えてくれた騎士、ザクリス。二人の未来を僕ら全員で祝福しよう」
エドヴァルトの言葉と共に、暖かな光に包まれる。
「ありがとう、ザクリス」
「ミーナを頼んだよ!」
「どうか、幸せに――」
*
夢から覚めて、目を開けた。まだ夜明けは遠いらしく、部屋の中は暗闇に包まれている。
「ミーナ」
夢の余韻で泣き続けている私の髪を、ザクリスが撫でてくれた。彼を困らせてしまうから泣き止まなくてはと思うのに、私の意思に反して涙は止め処なく溢れる。
「これで晴れて、俺達は夫婦となった」
「え?」
嬉しそうな彼の声に戸惑い、涙が引っ込んだ。確かに神からの祝福を受けて認められはしたけれど、人間的な儀式とか手続きとか、そういうのは良いの?
「手続きは、人間社会の中で決められた書類上の事だ。貴女との間で大事なのは神と貴女の大切な人達への報告で、認められた」
「それは……確かにそうね」
「だから――」
一気に艶を増した声で囁いて、ザクリスは私の体を仰向けに転がし微笑んだ。私の体へ覆い被さるようにして乗り上げたザクリスの唇が、涙の跡を辿る。
「貴女は涙すら甘い」
「そんな訳がないでしょう」
「好きなだけ泣いて構わない。涙は俺が舐め取るから」
「そう言われて泣く女なんていないわよ」
ふふふっと声を立てて笑ったら、ザクリスも笑っていた。
ザクリスの掌が私の涙を拭い、唇が寄せられる。私は目を閉じ受け入れて、重なった唇は少しだけ、私の涙の味がした。何度か確かめるように重ねられた後で、深い繋がりを求める口付けへと変わる。私はその熱に翻弄されないよう、必死で目の前の彼の体へとしがみ付いた。溺れてしまうような口付けの余韻で息が乱れた私の頬を、ザクリスが撫でる。
「愛しているわ、ザクリス」
彼が言おうとした言葉を先取りして、私は告げた。そうしたら目の前の彼の顔が幸せに蕩け、私の心も幸福で満たされる。愛を囁き合いながら私達は熱を分け合い、この夜私は、魔女を辞めて人間となった。
***
王都の一角にある、とある屋敷。その屋敷の庭には幼子とその母親が、一冊の本を持って草の上に座っていた。並んで座る二人が覗き込んでいる本は、ローゼリンデで好んで子供に読み聞かせられる御伽噺。
「ねーぇ? 魔女は幸せになりました?」
幼子の問いに母親は、優しい笑みを浮かべ頷いた。
「人間になった魔女はその騎士と、いつまでも幸せに暮らしましたとさ」
「ほんと? いつまでも?」
「そう。いつまでも」
「そっかー」
「このご本のお話しはね、うちのご先祖様が主役なのよ」
「ご先祖様?」
「そう。ご先祖様」
「ご先祖様、あそこにいるね!」
「そうね」
子供が指し示した場所は花に囲まれた墓標。そこには御伽噺の魔女と騎士が、仲良く眠っている。