3 王妃
魔女の末裔である私には、不思議な力がある。同じ血が流れているのに兄や妹には発現しなかったその力。でも疎まれるものではないから、家族は当然のように受け入れてくれた。だけれど問題なのは、私が会話している相手が誰なのかという事。
『ねぇタニヤ。あの彼の夢が面白いんだよ』
この声の正体を知ってからは、両親は私に外で彼と会話しないようにと言い聞かせた。その理由を理解してくれている彼も、私が一人でいる時以外は滅多に話し掛けてこないのだけれど、この日は珍しく学校の中で話し掛けられた。
『ミーナを夢に見ているんだ。可愛いミーナ、会いたいなぁ……』
「ミーナって、だぁれ?」
あまりにも愛しそうに彼がその名を呼んだものだから、私は思わず聞いてしまった。でも私は慌てず、何でもない顔を装う。だって、周りはそこまで私に関心を持っていないもの。すれ違う人達は私が友達と話しているのかと思っただろうし、そうじゃないなら独り言かなというくらいで終わる。今回もそれで聞き流されるだろうと思っていた私は、想定外の事態に直面する事となった。
「君は、魔女の末裔なのか?」
話し掛けて来たのは彼が先程夢が面白いのだと言っていた男の子で、私はその子を知っていた。だって有名人だもの。その男の子は、ザクリス・バーネ・ブランデル。魔女バーネの末裔であり、ブランデル家の次男坊。ブランデル家は代々王族を支えている家系で、私とは遠い場所にいる人。でも学校では金持ちだろうが王族だろうが平民だろうが関係ない。遠い昔に魔女の祝福を受けたローゼリンデの王族は少し特殊で、王族のお相手探しの為にローゼリンデの子供は国からの支援を受けて誰でも学校へ通って教育を受けられるようになっているの。
「ミーナを、知っているのか?」
重ねられた問いに、私は首を傾げる。また「ミーナ」だ。その人は一体誰なのだろう。
「私は、知らないわ」
「それなら誰が知っているんだ?」
「えーっと……」
何と答えれば良いのか困ってしまった。これが、ザクリスと私の出会い。エドヴァルトが繋げた縁だった。
『大丈夫。答えてあげて。彼なら大丈夫だから』
エドヴァルトは、神と呼ばれる存在で私の友達。彼がそう言うのなら大丈夫なのだろうと信用して、私はザクリスを人気のない場所へ連れて行き真実を告げた。
「神の声を聞く事の出来る能力か。それなら神が、ミーナを知っているのか?」
「そうみたい。ねぇ、ミーナって誰なの?」
二人へ対しての問いだったのだけど、答えたのはザクリスだけだった。
「ミーナは魔女だよ。俺の能力は過去や未来を夢で見る事で、最近よく彼女が夢に出て来る。彼女は――とても、可愛いんだ」
ザクリスが浮かべた表情で、私は気付いてしまった。
「貴方はミーナに恋をしているのね?」
途端頬を赤く染めたザクリスの反応は肯定だった。王族の近くにいるという彼は遠い存在だと思っていたけれど、どうやら私と変わらない普通の子供みたい。一気に親近感が湧いてしまった私は、彼からミーナの話をたくさん聞いた。彼も誰かに話したかったのか、嬉しそうにその想いを言葉にしていく。それは子供の幼い恋だと片付けるには勿体ない程に、きらきら輝いて見えた。
「ミーナって意地っ張りみたいでさ、たまに変な所で意地を張るんだよ。他の魔女達はミーナを可愛がっていて、ちょっと甘やかされ過ぎたんじゃないかな」
そう言いつつも、ザクリスの顔にはそれが可愛いのだと書いてある。
「素直じゃないけど素直なんだよなぁ……この前見た夢ではミーナがさ」
ザクリスとの会話はいつもミーナの事ばかり。次第に私も、ミーナをよく知る友達みたいに感じるようになっていた。
「ミーナも誰かと結ばれたのかしら?」
ある時私はふっと湧いた疑問を口にしてしまった。今この世界に魔女の末裔は多くいるけれど、魔女自体は存在しない。だから彼女も誰かと結ばれて幸せになって、どこかにミーナの子孫がいるんじゃないかと思ったの。でもどうやらそれは違っていたみたい。目の前で輝いていたザクリスの表情が、暗く陰ってしまったから。
『……ミーナはね、今もどこかで生きているよ。でもこの世界にはいない』
「違う世界にいるという事?」
「違う世界?」
エドヴァルトの言葉に首を傾げた私の疑問を拾い、ザクリスも首を傾げた。どうやら彼はミーナの現在を知らないようで、暗く陰った表情は、恋した相手が他の相手と結ばれた事を想像した憂いによるものだったみたい。
『ミーナはね、仲間である魔女達との別れを見続ける事に耐えかねてこの世界からいなくなってしまったんだ。僕には、あの子を止める事は出来なかった』
「なぁタニヤ、彼は何と言っているんだ? ミーナはどこにいるって?」
私はエドヴァルトの言葉をザクリスへ伝えた。彼女がいる世界をエドヴァルトは把握しているけれど、そこはエドヴァルトの力の及ばない世界。呼び戻そうにも呼び戻せず、呼び戻した所で彼女の望むものをエドヴァルトは与えられない。だから手出しが出来ないのだと嘆いたエドヴァルトの言葉に、ザクリスが何故か顔を輝かせた。
「神なら、俺を異世界へ送る事は出来るのだろうか?」
その言葉から始まった、ザクリスの想いを伝える為の長い計画。エドヴァルトが出した条件を満たす事の出来たザクリスが異世界へ渡る為の門を潜るのは、ここからまだ先の未来のお話。
そうやって始まった私とザクリスの友人関係は、今でも続いている。現在までに続く道のりで、私は生涯の伴侶と出会う事となった。そのきっかけをくれたのはザクリスだったの。――――私達が通う学校という場所は、王族が相手を探す為の場として作られた。王族が心に決めた相手が無教養では困るから、誰がその相手となっても困らないよう国民は皆教育を受けられる。それは国を栄えさせる事にも繋がっていて、ローゼリンデは豊かな国となった。でも私は、自分には関係ない話だと思っていたの。神と話せる力を持っていたけれどそれは隠していたし、特に秀でた容姿を持っている訳でもない。ただ平凡に、いつか誰かと出会って結ばれて、家庭を築ければ良いなくらいにしか思っていなかった。
「こいつはハラルド。俺の弟みたいなものだ」
ある時ザクリスが連れて来た男の子。常ににこにこ優しく笑う彼も有名人だった。だって彼は、王子様だもの。
「あの、えぇっと……こんにちは」
「こんにちは……」
私とザクリスの二つ下のハラルド。人見知りの彼は、ザクリスの友人だという事で私にはすぐに懐いてくれた。王族が伴侶を定めるのは体が大人になってからだと聞いていたし、ザクリスだけじゃなくて可愛いハラルドの恋をすぐ側で見守れる特権を得た事に私はこっそり興奮していた。だって、女の子って恋とか愛とかいうものが大好きな生き物でしょう?
自分の恋を見つけられないまま私は成長して、エドヴァルトが出した課題を達成しようと奮闘するザクリスを応援しつつハラルドの面倒を見て、十六歳になった私は学校を卒業する時を迎えた。学校を卒業した後は実家の仕事を手伝うつもり。今までもよく手伝っていたし、裁縫は得意。私の実家は服を作る事を生業としているの。
「た、タニヤ」
私の卒業を祝う為だろう、花を持って近付いて来たハラルドへにっこり笑い掛け、私は歩み寄る。
「卒業おめでとう。これからも、僕と会ってくれる?」
「もちろんよ」
可愛い弟にするように、私はハラルドの頬へキスを贈った。花をくれた彼への感謝を込めた親愛のキス。だけどハラルドは私の目の前で、鼻血を噴いてしまったの。一時辺りは騒然となった。卒業式の為に着ていた私の晴れ着には血が飛び散り、ハラルドは護衛の人に介抱されながら連れて行かれる。
「やっぱり。タニヤだと思っていたんだ」
訳知り顔をしたのはただ一人、ザクリスだった。
『大変だねぇ、タニヤ。君はきっと逃げられないね』
もう一人いた。エドヴァルトだ。彼らに言葉の意味を問い、だけど二人は教えてくれない。答えは本人から聞けと言われた私が全てを理解するのはまた、少しだけ先の未来。
*
「それで? ザクリスとの関係はわかったけれど、ハラルドとの馴れ初めは?」
今私の前にはミーナがいる。ザクリスはミーナを異世界まで迎えに行き、見事彼女の心を射止めた。当然よね、だって……真剣な気持ちを曝け出されて求愛されればそれはやっぱり心を動かすのだもの。私だってそうだった。だけどその気持ちを育てていけるかどうかは二人次第。
「私が学校を卒業した後でね、ハラルドは毎日私に会いに来たの。花を持って」
真っ赤な顔で差し出された花。その花に込められた想いが毎回、メッセージカードへ書かれていた。ハラルドが自分で書いた愛の言葉の数々。いつの間にか私も、恋に落ちてしまっていた。
「あなた達は今、幸せそうね?」
ミーナの言葉に、私は迷わず頷く。昔ミーナが王族に与えた祝福の影響で一時期は大変な思いをしたけれど、それもハラルドの私への愛の大きさ故だろう。そのお陰で今は四人の子供達に囲まれている。代々ローゼリンデの王族は子沢山なのだ。その中でも王となるには色々な条件を満たさなければならない。ハラルドが兄弟達と競い合ったように、私達の子供達も良きライバルとなれれば良い。それを導くのは私達親の役目だ。ハラルドの兄弟達は今、それぞれが得意な分野でローゼリンデに貢献している。
「ミーナ」
どうやらお迎えが来たみたい。ザクリスが仕事をしている間、ミーナはよくこうして私とお茶をして過ごすようになった。子守もしてくれるから助かっている。
『ミーナの笑顔、やっぱり可愛いなぁ』
エドヴァルトの言葉に、私は同意して頷いた。仕事を終えて迎えに現れたザクリスへ駆け寄って、頬を染めつつ笑顔を浮かべているミーナは本当に愛らしい。これが、ザクリスが夢で見て恋に落ちた笑顔なのかしら。
「タニヤ、ミーナが世話になった」
「いいえ。私も話し相手がいるのは嬉しいの。それに子守を手伝ってもらえるし」
王族の子育ては助けてくれる手があるけれど、基本は王妃の――母親の仕事。周りの手は補助的役割をしているの。それは平民と変わらない。子供の心を育てるのは、与えられた環境だからだ。そうしてザクリスとミーナが帰ってからしばらくすると、私の夫も帰って来る。
「ただいま、タニヤ」
「今日もお疲れ様、ハラルド」
「おとーさん、おかえりー」
「おかーりー」
子供達を抱き上げ、ハラルドは笑う。それを見て、私も笑みを浮かべる。ここからは家族の時間。仕事を頑張って帰って来たハラルドを、労う為の時間なの。
「ザクリスは、上手くやっている?」
ハラルドに問われ、私は頷く。
「愛を育んでいる途中ではあるけれど、大丈夫そうよ」
「そうか。それなら良かった」
『本当にね。ザクリスに託して正解だった』
二つの声に私は、そうねと答え微笑んだ。