2 近衛騎士団
俺が生まれたローゼリンデは、優しい王の治める穏やかな国だ。俺はそこで王族を守る仕事をしていて、その仕事には誇りを持っている。ローゼリンデを守護する軍の中でも騎士団は上部組織であり、更にその騎士団の中でも近衛騎士に選ばれるのは極少数。その近衛騎士を束ねる人は騎士達の憧れの的――ザクリス・バーネ・ブランデル。ミドルネームを名乗れるのは魔女の末裔である証だ。彼には魔女の血が流れている。彼が特別なのはそれだけではなく、とても優秀な人物なのだ。何人分もの仕事を一人で顔色一つ変えずにやってのける。剣の腕だって元々秀でているのに努力を怠らず、書類仕事の合間を見つけては剣を振り、後進の指導にも余念がない。愛想はないが、それすら彼の魅力を損ねはしない。部下への指導や仕事に厳しい事にも正当性があり、理不尽な行いをする事がないから人は彼についていく。
だが、そんな我らが近衛騎士団の団長殿にも欠点と呼べるものがあった。どうやら彼は、女性を愛せないらしい。女性を愛せないからといって男色という訳でもない。団長は顔が良いから言い寄る女性は後を絶たないのだが、彼はそういう女性達に見向きもしない。俺からすると一夜だけでも良いから共に過ごしたいと思うような美女にだって眉一つ動かさず興味を示さないのだ。そこから俺達が導き出した答えは、団長は愛とか恋とかいうものに現を抜かすような人ではないというもので、堅物なのだろうと結論付けた。彼には普通に友人もいるようだし、部下である俺達とも世間話をする事もある。だから人間嫌いという訳でもない。ただ恋愛方面に興味のない変わり者、それがこれまで俺達が団長へ抱いていた印象だった。その欠点は彼が完璧人間ではない証拠であり、俺達が彼に親しみを覚える要因の一つとして捉えていた。
「ホルガ―、おい……」
近衛騎士団の中でも仲の良い友人が呆然とした様子で俺を呼ぶ。そいつの視線を追った先で見つけたものに、俺も言葉を失った。執務室の窓の向こう。そこには蕩けた表情の団長がいた。大鷲からひらり飛び降り、同乗者へと手を伸ばす。とても大切そうに腕へ抱き、その人物が地面へ足を付けると二人はしばし見つめ合う。
「あれって、この前の魔女だよな?」
「団長の奥さんになるっていう?」
「団長、目を覚ましてくれ!」
「なんだよお前、団長が幸せになったらいけないのか?」
「そうじゃないけどさぁ……あの凛々しかった団長の顔が蕩けていると落ち着かない」
「あー、わかる」
「俺も」
近衛騎士団の面々も、俺と変わらない感想を持っているらしい。
少し前、黙々と書類仕事を片付けていた団長が突然立ち上がり休憩を告げた。理由を問えば「ミーナが呼んでいる」と訳のわからない言葉を呟き、彼はこの執務室を後にしたのだ。「ミーナって誰ですか!」っていう俺達の疑問が綺麗に無視されたあの時既に、何となく察しはついていた。
「団長って、どこであの魔女を見つけたんだろうな……」
魔女が存在したのは遥か昔。人や国を祝福してこの世界の平穏を願っていたという彼女達が人間に溶け込んでしまってからは、御伽噺の中だけの存在となっている。名と血を受け継ぐ家がいくつもある事から嘗て実際に存在したものなのだという事実があるだけで、魔女というものは史実の中の登場人物に過ぎない。魔女は一様に、闇を切り取ったかのような瞳と髪を持っていたという。これまで俺は、闇色を持つ人間を見た事が無かった。
「本当に真っ黒なんだな」
「でもさ、結構可愛くないか?」
「いや待て……かなり、の間違いだろう」
「おいバカ、団長に目を潰されたいのか!」
窓辺に集まり騒いでいた俺達に気が付いたらしく、魔女がこちらを見た。困ったように笑いつつも会釈をして来たから、俺達も条件反射で会釈を返す。隣にいる団長が途端に不機嫌になって俺達を眼光鋭く睨んできた。竦み上がり、全員窓の側から退散する。
「やっぱり団長は人間を愛せなかったんだな」
一人の呟きを拾い、俺達は揃って首を傾げた。
「だって、魔女って人間じゃないんだろう?」
問われ、更に首を傾げる。団長が大切そうに腕に抱いていた女性は闇色を持っていたが、普通の人間に見えたからだ。
「団長が幸せなら、何でも良いんじゃないか?」
「それもそうだな」
「あの人、またお菓子焼いて来てくれないかな」
「嫉妬丸出しの団長なんて初めて見たなぁ」
「団長が仕事を休んでいた事とあの人って、関係あるのかね?」
これまでほとんど休暇を取る事のなかった団長が、数日間消えた事があった。どうやらそれは陛下から与えられた休暇だったらしいのだが、知らされていなかった俺達はパニックに陥ってしまったのだ。その出来事で、俺達が団長一人を当てにし過ぎていた事実に直面して反省もした。
「さぁて、仕事するかー」
いくら上司が優秀だからって、それを頼り切り甘えてばかりいるのはいけない事だ。気付けて良かった。初心に戻り、団長から仕事を奪ってやれるくらいになるのが当面の俺達の目標だ。だって彼が伴侶を得たのなら、家庭も大切にしてもらいたい。憧れの人の幸せは、俺達の幸せにも繋がると思うから。
「ホルガ―副団長も、良い人見つかると良いですね」
「余計なお世話だ!」
俺達が仕事を再開して少し経ってから団長が戻って来た。傍らにはあの、闇色の女性。
「ミーナをタニヤの所へ送ってから戻る。仕事は――続けてくれていたのだな。助かる」
机に向かっていた俺達を見て、団長が目元を緩めた。褒めてくれる時に彼が浮かべる表情だ。
「ちょっと待って下さいよ、団長。俺達にちゃんと紹介してくれないんですか?」
扉を閉めて去ろうとした彼を、俺は止める。最初に遭遇したあの時には気が動転していたし、睡魔と疲労の所為でそれどころではなかった。初遭遇のみっともない印象を持たれたままというのはどうかと思う。俺の言葉で団長は少し――いや、結構長い事眉間に皺を寄せて悩み始めてしまった。閉まりかけの扉の隙間から覗いているのは団長の姿だけで、隣の女性がどうしているのかは部屋の中にいる俺達から窺い知る事は出来ない。
「ザクリス」
女の声が、団長を呼ぶ。恐らくこの声は彼女のものだろう。声に反応して、団長の視線が隣へ向けられた。
「あなたの事をもっと知りたいと言ったでしょう? 迷惑でないのなら、紹介してくれる?」
「……わかった」
もしかしたら団長は既に、尻に敷かれているのかもしれない。そんな印象を受けた俺の視線の先で、彼女に促された団長が再び扉を開いた。
「はじめまして、ではないけれど、こんにちは。今日は皆さん、そこまで疲れた様子ではないみたいね」
軽やかな声で、彼女は笑う。
「あの時は見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ありませんでした。私はホルガ―。ブランデル殿の下で副団長を拝命しております」
椅子から立ち上がり、歩み寄る。俺が取った騎士の礼に倣うようにして、近衛騎士団の面々も礼とり彼女へ自己紹介していく。
「彼女はミーナ。ミーナは俺の……恋人だ」
恋人という言葉がやけに小声だった。そして団長が真っ赤だ。真っ赤な顔で照れている!
「どうしてそこで照れるのよ……」
団長の隣では、ミーナ殿まで恥ずかしそうに頬を染めていた。何なのだろうこの二人は。初々しくて、見ているこちらの頬がにまにまと緩んでしまう。
団長を捕獲してここまで連れて来たあの時、俺が目を覚ました時には仕事は綺麗に片付けられていて、団長を待っていたらしいミーナ殿は窓辺に置かれた椅子で眠ってしまっていた。それを大切そうに抱き上げた団長を、俺は寝たふりをして見送った。だってあれは、邪魔してはいけない空気だった。
「交代の時間までには戻る」
今ここにいるのは書類仕事組。他にもいる近衛騎士団員は、王城内で警護をしているのだ。王妃陛下のもとへ行くのだという団長とミーナ殿を見送ってから、俺達は顔を見合わせた。
「ここにいたのが幸運か、警護組が幸運か、どっちだろうな」
「直接会えた俺達じゃないか?」
「でもよく考えてみろよ。警護組だったらこっそりあの二人を見守れる訳だろう?」
「あー……それも良いな」
この日からミーナ殿は王妃陛下を訪ねて王城へ遊び来るようになるのだが、その時の団長とミーナ殿の様子を俺達がこっそり見守り情報共有をしているというのは、団長には秘密だ。