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3 更なる事実と動き出す心

 ザクリスに連れられて行った先の王の私室で私は、更なる事実を知る事となった。


「魔女殿には悪いと思うが、私は友の恋路を応援しただけだよ」


 そういって苦笑を浮かべたローゼリンデの現王は、ザクリスとは昔馴染らしい。そして現王の隣には優しげな雰囲気の女性が寄り添い、その腕の中には赤子が一人抱かれている。足元で彼女のドレスを掴んで甘えているのは幼い男の子と女の子で、王の膝にも甘えて擦り寄る幼子が一人。


「魔女殿がかつて我らの先祖へ与えてくれた祝福は、真実祝福として機能している。それを呪いだと言い換えるのは良心が咎めたが他に上手い口実も浮かばなくてね。それに、神からの助言でもあったんだ」


 段々頭が痛くなって来た。この世界で神と呼ばれる存在のエドヴァルトも一国の王であるはずの目の前の男も、ただ一人の男の恋路に何故こうまで協力的なのか、私には理解出来ない。


「魔女殿はきっと怒らないだろうと。貴女は祝福が呪いに変じる事もあると理解しているはずだから、信憑性のある口実になるだろうと神は仰せになった」

「それで、私をこの世界へ連れて来られると?」

「事実、貴女はここにいる」

「それはザクリスが無理矢理捕まえたからよ」


 結局は力技で、私は引っ張り込まれたのだ。


「二度、貴女は俺を送り返した。だからきっと三度目も同じ方法を取るかもしれないと考え、機会を伺っていたんだ」

「ワンパターンで悪かったわね!」

「元々、用意した口実に貴女がのって来てくれなければ力尽くも辞さない覚悟だった」

「ただの人攫いね」

「居るべき場所へ連れ戻しただけだ」

「それはただの屁理屈だわ」

「強情なミーナも愛らしいな」


 どうしてここで蕩けた表情になるのかしら。ザクリスという騎士は最初に私が持った印象とは百八十度違う人間だったみたい。もっとこう……堅物で融通が利かないタイプというか、真面目な人だと思ったのに。いやでも、融通が利かないっていうのは当たっていたのかもしれない。


「それにしても、エドヴァルトの声なんてどうやって聞いたの?」


 一番彼と近い存在である魔女でさえ、そこまで頻繁に彼と会話が出来る訳でもないのだ。自分の意識が覚醒している間には出来ないから、眠りの中で、私はエドヴァルトと会っていた。


「それは、わたくしの力なのです」


 私の疑問に答えたのは、幼子を抱いた王妃だった。


「ザクリスと同じく魔女の血を引いたわたくしは、神と会話する事が出来るのです」

「彼女の能力は公にはしていないから、ここだけの秘密にしてくれると助かる」


 王からの言葉に、私は素直に頷いた。エドヴァルトと会話が出来たところで彼がするのはほとんどがただの世間話だ。そこら辺にいる気の良いお兄さんみたいな感じ。でもそれは、実際に話せる者しか知る事の出来ない事実で、知らない人間からすると脅威や利用価値のあるものに映るだろう。それにしても――


「今更だと思っていたけれど、今だったからなのね」


 思わず嘆息してしまう。

 世界が必要としないから、魔女は生まれなくなった。そして魔女はもう私以外に存在しない。みんな伴侶を見つけて人間となり、老いて去って行ったからだ。時の流れに忘れ去られたはずだった私。このまま永遠に孤独だと思っていた私へ差し伸べられたその手はどうやら過去の仲間達から続いていたもので、今じゃなければきっと、エドヴァルトも干渉する事が出来なかったのだろう。


「……神は仰っています。僕はいつでも、君の幸せを願っているよ。と」

「私は……あなたが羨ましい」


 涙の気配を抱え、だけど零さず堪えながら、私はエドヴァルトの言葉を伝えてくれた王妃へ向かって微笑んだ。今、私もエドヴァルトと直接話がしたい。それが出来る彼女が心底羨ましかった。


「神とミーナはどういう関係なんだ?」


 何故か不機嫌そうな様子のザクリスに問われ、私は首を傾げる。


「エドヴァルトは魔女の兄であり、父よ」

「神も今、同じ事を仰いました。彼女は僕の妹であり、娘だよ。と」


 だから私は彼の唯一にはなり得なかったし、彼も私の唯一にはなれなかった。魔女とエドヴァルトは近しい存在ではあるけれど、魔女はどちらかというと人間に近い存在なのだ。


「タニヤ、伝えておいてくれ。ミーナは俺の伴侶となる女性だと」


 神へ宣戦布告をしたザクリスに対して、王妃は穏やかな笑い声を立てた。


「神の望みは彼女の幸福。不幸にすれば天罰が下るかもしれませんよ?」

「それで構わない。可能性すら手に出来ず想いを募らせているより遥かにマシだ」


 騎士のくせにザクリスは、王妃に対してなんて不遜な物言いをする男だろう。それとも、私が彼を騎士だと思った最初の印象が間違っていたのかしら?


「……ザクリスって、何なの?」

「ミーナ! 俺に興味を持ってくれるのか?」


 感動した様子のザクリスに手を握られ、私は狼狽える。


「い、一々大げさな反応をするのはよして! おちおち会話も出来ないじゃない!」

「すまない。夢見ていた女性が目の前にいて触れられる事実に舞い上がっているんだ」


 花が綻ぶような笑顔だ。これはずるい。思わず私の顔にも熱がのぼってしまう。


「さてミーナ。ハラルドへの報告も終えた。家へ帰り愛を深めよう」

「え、ちょ、ちょっと待って! 私達、もう少し知り合う必要があるでしょう?」

「それをこれからするんだよ。二人きりで」


 問答無用で抱き上げられて運ばれる。魔法を使って彼に対抗するのは簡単だけれど、それは自分の身にも影響が出てしまう諸刃の剣。だから私には成す術はなく、逞しい男の腕に抱き上げられ運ばれてゆく。というか、男性にここまで密着するのなんて初めてだからどうしたら良いのかわからない。聞きたい事もたくさんあるしそれに何より――ハラルドって誰! 


 *


 カーテン越しの柔らかな朝日と鳥の声。緩やかに訪れる目覚めに抗わず瞼を持ち上げ真っ先に視界へ飛び込むのは、幸せに蕩けきった表情で私を見ている男の顔。


「おはよう、ウィルヘルミナ」


 伸びて来た手は存在を確かめるように、私に触れる。強引なこの男は強引なくせに、私が目覚めるまでは一切私に触れようとしない。


「お、おはよう」


 挨拶を返せばさらに蕩けるザクリスの顔は、元に戻れるのか心配になる程だ。私の顔には目と鼻と口はついているけれど、誰かを幸せに出来る要素なんて皆無のはずで、絶世の美女でも何でもない。深い湖のように美しい彼の瞳とは比べるのも悲しくなるくらいに私の瞳はただの黒で、寝癖とは無縁らしいザクリスの金糸のような髪と違って私の髪は寝癖が付くと直すのに苦労する闇のような黒。ものぐさな私は染め直したりする手間を惜しみ、日本でもこの重たい闇の色のままでいた。それにこの容姿が、潜伏先を日本に定めた理由でもあるのだ。


「今日も貴女は変わらず愛らしい」


 ここ数日で日課になってしまった、これは儀式のようなもの。私はもうこの世界からは逃げられないし、彼の目の届かない場所へ行く事すら出来ない。それなのにザクリスは不安なようで、目覚めた時に私がそこに存在しているかを確認する。


「今日は何をして過ごそうか?」

「……だから、あなたの休暇ってやつはいつまでなのよ?」

「まだ大丈夫だ」


 これもここ数日の内に何度も繰り返したやり取りだ。王城から攫うようにして私を自分の屋敷へ連れ帰ったザクリスは、ただ私の側にいて私を眺めているばかり。話かければ反応するし、会話も普通に成り立つ。だけれど最初の強引さはどこへやら。彼は、私が自分の好きなように時間を過ごすのをただ眺めるのだ。でも屋敷の外へ出たいという願いはまだダメだと断られ、彼が答えたくないらしい問いははぐらかされる。何とも微妙な距離感が私達を隔てている。


「ねぇザクリス。嘘、偽り、隠し事が挟まれていてはいつまで経っても私はあなたを知れないままよ?」


 知り合う事を望んだくせに。私を腕輪で縛り付けたくせに。私は私をさらけ出しているというのにこれは不公平過ぎやしないか。ベッドの上で寝転んだまま不平を零した私の髪を、ザクリスは梳くようにして撫で続けている。こうした温もりに飢えていた私は、この手を振り払えない。あまりに大切そうに触れて来るこの手に安らぎすら感じ始めてしまっているというのに……彼は私をどうしたいのだろう。


「真実を話せば、貴女は怒るだろう」

「一体私が怒るような何を隠しているというの?」


 また間があいて、髪を撫でていた手が滑り頬を辿る。心臓が、どきりと跳ねた。


「貴女に怖がられないよう細心の注意を払い、堪えている」


 剣を日常的に握る男の手だ。固くなった指先が私の唇へ到達して、表面を撫でる。


「恋とは自分勝手な感情だが、愛とは相手を慮る。だが俺が抱えるこの激情は欲望で……それは貴女を、怖がらせてしまう」


 私の唇を撫でていた指が離れ、彼の唇へと寄せられた。そこへ愛しそうに口付ける様を目の前で見せられた私の全身は、カァッと熱くなる。この男は! またこうして何かを誤魔化した! だけれどこういった触れ合いや雰囲気に慣れていない私はどうにも、彼に勝てる気がしなかった。顔だけでなく全身を赤く染めたこの熱は、私の脳みそを溶かそうと襲って来るのだ。


「愛しい貴女のその表情は、何とも堪えがたい衝動を俺に与える」


 そう言って私に身を寄せた彼は、欲望を裡に秘めた表情で穏やかに笑って見せた。そうして彼の唇は、私の額へと落とされる。


「このままでは俺はただの野獣となってしまうだろうから、貴女を守る為まずは着替えて一日を始めよう」

「そ、それが良いみたいね!」


 同意した私の体は彼の手で引き上げられた。腕輪の拘束力が及ぶ範囲とは、ここまで狭い訳ではない。確かにトイレや入浴の際には困るくらいの狭い距離ではあるけれど、そこは私の魔法で遮断してしまえば事足りるのだ。彼が私を抱き上げてベッドから降ろす必要など、本当はない。それでも彼はこの朝の一瞬だけ私をその腕に捕らえ、運ぶ振りをして抱き締める。私はわかっていて、拒絶の言葉を吐けないでいる。


「今日こそ、俺が選んだ服をその身に纏ってくれるか?」

「い、や、よ」


 彼の腕から解放された私は憎まれ口を叩き、隠れる必要はないけれど衝立の向こうへ身を隠す。あのまま彼の視線に晒されている勇気は私にはない。それに彼だって着替えるのだ。彼が着替えるのをじっと見ていられる程私の神経は図太くもない。顔の熱を冷ます為に両手で頬を包み込んでそっと深呼吸を繰り返す。それから魔法を使って、いつもの過去の遺物である私の服を纏った。

 着替えを終えた私達は、食事を取る為の部屋へと向かう。どうやらこの大きな屋敷の主はザクリスで、彼の家族は別の場所に住んでいるらしい。使用人達に囲まれたこの静かな屋敷の中でまた、私はザクリスと二人きりの一日を過ごす事になるのだろう。それを憂鬱だと感じない程度には、ここは居心地が良かった。


「ミーナ」


 呼ばれて視線を上げれば、穏やかに凪いだ青が私を映している。


「貴女は、朝はあまり食べないのだな?」

「起きたばかりはお腹が減らないの」


 交わされるのは他愛もない会話。彼にはどうやら、無理矢理にでも私の心を手に入れようという気はないようだ。最初の強引さはすっかり鳴りを潜めてしまった。それが返って逆に、私の興味を煽る。ザクリスという男が本当はどういった人間なのか、何故私へ恋心を抱くようになったのか、その恋心には、本当に裏はないのだろうか――これでは私は彼の術中にはまったうぶな小娘ではないか。うぶではあるが、小娘ではないつもりだ。

 それに、最初のあの時以来エドヴァルトが姿を見せてくれない。見守られている気配は感じるのに、会える場所に私はいるのに、彼は隠れて出て来ない。


「今日は料理でもしたい気分だわ」


 ここの料理人が作る物はとても美味しくて不満がある訳ではない。ただ私は昔から、考えても解けない悩みがある時には特に、料理をして気を紛らわせたくなるのだ。料理をしている間はその手順で頭が一杯になるから、悩みを一時忘れる事が出来る。食事は料理人が作ってくれるから甘いお菓子でも作ろうかしら。


「料理は、ダメな事だった?」


 答えが無かった為に確かめると、何故かザクリスの頬がほんのり朱色に染まった。視線を泳がせ、彼は私の様子を伺いながら小さく声を発する。


「それは……俺は、食べても良いのだろうか?」

「もちろん。独り占めする程卑しくはないわ」


 遠慮がちな彼の言葉がおかしくて、私は小さな笑い声を上げてしまった。


「実は貴女が私に差し出してくれたあの料理も、食べたくて堪らなかった。料理する貴女の後ろ姿に落ち着かない気持ちになっていたんだ。それに、貴女が生活するあの空間で平静を装うのにはとても苦労した」

「私はてっきり、毒が入っている事を警戒しているんだと思っていたわ」

「まさか! 貴女がそんな事をする魔女ではない事は夢で見て知っていた。ただあそこで己の欲望に負けてしまえば好機を逃しかねなかったから、必死になって堪えたんだ」


 はじめて、私はザクリスの人間らしい一面を見られた気がする。恥ずかしそうに目を伏せ頬を染めた彼が少年のようにも見えて、親しみ易さすら感じた。


「焼き菓子は好きかしら?」

「好きだ。貴女が作るものはきっと全て好きになる」

「そんなはずはないでしょう? あなたの好きなものを教えてちょうだい」


 彼の好きな食べ物について聞きながら、私達は並んで歩いて厨房へと向かう。料理長の許しを得て厨房を借りて、甘いお菓子をたくさん作った。その間に交わした言葉はこれまでのような探り合うものではなくて、手伝ってくれながら彼が浮かべたその笑みは心から楽しそうで、私達を隔てていた緊張感はいつの間にか溶けるようにして消えていた。


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