表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/11

1 異世界からの訪問者

 のどかな昼下がり。昼休憩も終わり、眠気と闘わなければならない穏やかに過酷な時間。私はバイト先のレジ前で騎士に跪かれている。まるでコスプレイヤー。でも彼の衣装はよく出来ていて、コスプレの出来ではない。生地は体に程よく馴染み、だけどきちんと清潔で、しっくり体に合った深紅の服。まるで映画やアニメやゲームのキャラクターが着ているような服だけれど、中世ヨーロッパの騎士が着ていた服とは少し違う。もっと美しく凝っていて、何も知らない人間が見たらきっと、彼は気合の入った外国人コスプレイヤーさんだ。鎧は纏っていないけれど腰に剣は佩いている。抜かれた剣は、きっとよく斬れるのだろう。ここは日本。しかも帯剣している人間が大手を振って歩いていた時代なんて遥か昔。現在は平和を絵に描いたような日常がすぐ側にある事が当たり前の、平成だ。あれが本物なのだと周りにバレたら銃刀法違反で彼は捕まる事間違いなし。


『魔女殿におかれましてはご機嫌麗しく』


 跪いた騎士は私に話しかける。低音が紡いだ言語は日本語ではない。日本語どころか、この地球上に存在するどの言語とも違う。


『突然の訪問大変無礼かとは存じますが、叶えて頂きたい願いが御座いまして、異界の門を開き参った次第で御座います』


 恐らく相当身分の高い騎士なのだろう、緊張は微塵も感じられない。彼は上手く隠している。こんなにも店内に溶け込んでいないというのに、私の周りにいる人々は怪訝そうに私と彼を見ているというのに、彼本人は気にした様子もなく私の前で跪いたまま。きっと私の許可がなければいつまでも顔を上げないのだろう。でもそれは、私的にはとても困る。勘弁してもらいたい。この珍妙な事態に気が付いた同僚がこちらを見ている。興味津々の様子で口を開くタイミングを窺っている。私は言い訳を必死に考える。同時に、目の前の騎士への返答も考える。


『私の国はローゼリンデ。王の命により遣わされたザクリスと申します――』


 つらつらと騎士は言葉を紡ぐ。跪いたままで。

 私は額に右手の指先をそっと当て、深いため息を吐いた。


『迷惑。銃刀法違反。郷に入れば郷に従えが出来ない人の話は聞く価値なし。――どーん』


 どーん、という擬音は日本語で。告げると同時に左手で騎士の頭を軽く突く。通常なら大の男、ましてや戦闘職の男をそんなに軽い力でどうにか出来るものではないけれど、騎士の体は仰け反り倒れていく。何の抵抗も出来ず背後に展開された魔法陣へと引き寄せられた彼は目を見開き私を見つめていた。深い湖のように濃い青だ。とても綺麗。だけど、さようなら。


 *


 出版社から届いた段ボールを開封し、中身を確かめる。今月の新刊だ。店内の目立つ場所へのスペース作りは既に終えている。ハードカバーの文芸本がぎっしり詰まった箱を抱え、私は文芸コーナーを目指して歩く。その途中で何故か、腕の中がふっと軽くなった。


『魔女殿、あの……』


 目の前に現れた男に荷物を奪われた所為だとわかり、私は視線を上げる。見上げた先にはあの、深い青。数時間前に現れた時とは違い、彼の顔には戸惑いか困惑か、とにかく心底困っているという表情が浮かんでいた。


『着替えて参りました。この世界の服を調達してみたのですが、お気に召しましたでしょうか?』


 微かに傾げられた首の動きに合わせ、金の髪が揺れる。文句の付けようのないイケメンだ。だけど――


『変態っぽい』


 綿毛を払うような吐息で、彼を吹き飛ばした。再び見開かれた青。少し泣きそうに見えたのはきっと、気のせいではないだろう。

 彼の姿が消えたと同時、私の腕の中にはずしりと重たい段ボールが戻ってきた。少し高い位置から落ちて来た所為で腕に伝わった衝撃に歯を食いしばる。変に筋を痛めたらどうしようかと思ったけれど、特に痛めた様子がなくて安堵の息を吐き出した。荷物を持てなくなったら仕事にならない。仕事が出来なければご飯が食べられない。人間、生きているだけでお金がかかるのだ。

 文芸本の新刊コーナーへ届いた本を並べながら、先程の出来事をこっそり反芻した。白Tシャツにブルージーンズ姿。白Tシャツの下にあるのは鍛えられた体。よく、イケメンは何を着ても似合うとは言うけれど……あれはないと思う。八十年代のハリウッド映画の登場人物じゃないのだから。彼は一体何を参考にしてあの服を選んだのだろうか。そこが少しだけ、気になった。


 *


「上野さんさ、あの男の人とは一体どういう関係なの?」


 周りの人間の記憶は少しだけ弄ったけれど、消す事まではしていない。有を無に変じるのは歪みが生じるからだ。


「彼の目的地へ行くのはどの電車かを聞かれただけだよ」


 しれっと、私は嘘を吐く。バイト先は駅の構内にある本屋だから、そういう事もよくある。外国の人が来る事も、少し変な服を着た人もたまに見かける。だからこの出来事は無にしなくても自然と日常の雑事に紛れ、忘れられて行くだろう。再び現れた彼が目立つ行動をとらないでくれたら助かるけれどどうだろう。二度ある事は、三度ある。


『あの……そろそろ話を聞いては頂けないだろうか? そう何度も、異界の門は開けないのです』


 困り果てて、少し泣きそうな顔をした騎士は三度私の前へ現れた。今回の服装は……及第点、かな。腰に剣もないし、バイト先からの帰り道、私が一人でいる所に現れてくれた。それにしても酷く顔の整った男だ。そんな男が泣きそうな顔をしているなんてそそられる。なんてね。


『ねぇあなた、お腹は空いている? 私はぺこぺこなのだけれど』


 見上げた先、彼の顔が強張った。一体彼は、私の何を知っているのだろう。


『ご馳走するとは言っていないのだけれどね。そんな義理はないし。ただ私はお腹が減っているから、あなたの話を聞くのは何かを食べた後でも良いかしらと確認したかったの。もしあなたも空腹なら、目の前で食べるのは遠慮するべきかしらと考えただけよ』


 歩き出した私に、彼は無言でついてくる。つかず離れずの距離。不快にならない間を開け、危険があれば回避できる間合い。見知らぬ人間を害する趣味は私にはない。まぁ二度程いじめはしたけれど、それは彼の方にも問題がある。人にものを頼む為に来たのなら、こちらの都合も考慮してもらいたいものだ。

 現代日本での一般的な服装に着替えた騎士を後ろに従え、私は歩き慣れた道を進む。目指すは仕事帰りによく立ち寄るスーパーだ。自宅の冷蔵庫の中身は心許ない。今夜は何を食べよう。朝出勤する前に炊飯器のタイマーはセットして来たから、帰ったら夕飯の支度と同時に明日の弁当も作るつもりだ。それが毎日の私の習慣。朝は苦手だから、前の晩に弁当を作って冷蔵庫へ入れておくのだ。職場には冷蔵庫と電子レンジがあるから、例え夏場であっても問題はない。

 街頭に照らされた道。近所の庭に植えられた桜の木。花のつぼみは綻びはじめている。いつもは一人で歩く道なのに、今日は後ろに人の気配。見知らぬ男の願いとはなんだろうという疑問が一瞬頭をかすめたけれど、それは後回しにして再び夕飯の事を考える。弁当は……――明日私は、ここで馴染んだ日常へ戻れるのだろうか。


『靴は脱いでね』


 スーパーで買い物する間も無言で、だけれど物珍しそうに周りを見回しながら後ろをついて来た彼。今は私の家の玄関で、困ったように眉根を寄せている。困り、戸惑ってばかりの騎士。きっと自分の国ではもっと凛々しいのだろうけれど、はじめての異世界で戸惑いばかりなのは仕方がない事だ。異世界の門なんて余程の事がなければ開かないし、簡単には開けない。


『お茶。……熱いから気を付けて』


 恐る恐るというように、私の住処であるアパートの一室へ踏み入った彼。狭い室内で身の置き所がないように立ち尽くしていたから、窓下の壁際へ座るよう促した。我が家には椅子もダイニングテーブルもない。こたつ机に座椅子とテレビにベッド。一部屋に生活用品が詰め込まれている。詰め込む……といっても、そこまで物は多くないと思う。あるのは必要なものだけ。

 玄関へ入ってすぐの台所で私が夕飯の支度をする間、彼はこたつ机に置いたお茶には手を付けず、テレビの画面を凝視していた。彼の住む世界の現在を知らないから、彼が何を思ってテレビを眺めているのかはわからない。だけれどちらちら向けられる視線の意味は推測できる。話を切り出すタイミングを窺っているのだろう。けれどここは私の城。私のペースで進めて何が悪い。


『せっかく異世界に来たのだから、こちらの物を食べてみる?』


 自分の食事と一緒に、小皿へ取り分けたおかずとフォークを台所から運んで彼の前に置いてみた。私の手作りは嫌かもしれないと考え、念の為スーパーで買った総菜パンも並べてみる。彼は動かず、じっとそれらに視線を注いだままだ。私は気にせず食事を開始した。夜は白米の代わりに缶ビールを飲むのが習慣となっている。お金のかかる趣味なんてお酒くらいしかないから、発泡酒じゃなくてビールだ。おかずはビールに合うつまみで、じゃこと獅子唐の炒め物にポテトサラダ。仕事の後はお腹が空いているから、簡単に作れて美味しいものが良い。


『毒は入れていないし呪術の類もかけてはいないけれど、不安なら無理はしなくても良いわよ』


 彼は私を魔女と呼んだ。もしかしたら私に良い印象は持っていないのかもしれない。だって、目の前に置かれた食べ物を恐ろしい物でも見るみたいに睨んでいる。熱かったお茶は、手つかずのままですっかり冷めてしまっていた。


『さて、あなたの……というか、あなたの主のかしら? 願いはなぁに?』


 私の食事が終わるまで、彼は無言を貫いた。きっと許可を与えるまで話さないのだろうなとは感じていたけれど、私はテレビを見ながら酒とつまみを楽しんだ。すっかり腹は満たされて、でも飲み足りないからワインを開ける。ワイングラスを満たした赤い液体を味わいながらやっと、私は彼の話を聞く体勢をとった。だって、出来れば聞きたくないもの。高確率で厄介事だ。もしかしたら、過去の私が仕出かした何かの尻ぬぐい的な事かもしれない。

 異世界までやって来た目的をやっと口に出来ると若干ほっとした様子の騎士が切り出したのは想像通り、過去に己が掛けた術の解呪についてだった。


 私が生まれたのは、日本でも地球のどこかにある国でもない。宇宙に星がたくさんあるように、互いに知られていないだけで世界というものはいくもある。世界、というのは人が暮らす集合体。今私がいる地球という星のように、人間のような知能を持った生き物が国を作り文明を発展させている場所は他にもあるのだ。それは宇宙のどこかの星にあったり、この地球がある宇宙とは別の場所に存在していたり様々だ。

 世界と世界を繋げる技は神の領域なのだけれど、私はその扉を開く資格を持っている。何故そんな力を持っているのかというと、それは私が魔女だから。私が生まれた世界で魔女は、ただ魔法だとかの不思議な力が使えるだけではない。世界の「狭間」や「境界」に生まれる存在で、大抵は女の姿で出現する。魔女たちはある意味、世界と世界を繋ぐ門の番人のようなものなのだ。

 騎士の国であるローゼリンデがある世界。そこは、魔女たちの住処となっている世界だった。魔女は門を開ける権利を生まれながらに持っているけれどその力を使う事はほとんどない。魔女たちは生まれながらに、己の力の意味と使い方を理解していたからだ。それが彼女たちの――私の、役割だから。


『魔女殿への願いというのは、我が国の王族へ掛けたという呪いを解いて頂きたいのです。呪いは掛けた本人が解かねば歪みが生じます。故に、貴女にお願いに参りました』


 わざわざ異世界への門をくぐり、騎士が私の元へ派遣された理由が判明した。でも私、そこまで困るものを掛けた覚えはないんだけど。


『呪い、ね。私はただ祝福しただけよ。未来永劫ローゼリンデの王族が伴侶を裏切る事のないように』

『私はその内容までは存じ上げません。ただ王が、この先子供達へ引き継がれるにはあまりに可哀想だと嘆いておりまして』

『あなたから見て、その呪いの所為で不都合が生じているように見える?』


 私の質問に、彼は一瞬固まって考えた。


『いえ。代々伴侶と国を大切にする良き方々で御座います』


 そうでしょうとも。だってあれは祝福なのだから。


『私はただ頼まれて掛けたの。一生を添い遂げると決めた伴侶以外に体が反応しないようにと』


 あれは確か、ローゼリンデが出来たばかりくらいだったかしら。王があまりにも節操なく女性に手を出して困るのだと、家臣や王妃から頼まれたのよね。それで頼まれた通り、当人だけじゃなくて子孫までずぅっと誠実な王になれるようにと祝福した。当時の私は町中で暮らしていて、そういった依頼を受ける事を生業としていたから。


『それは……あの……』


 私の言葉に、騎士は言葉を失ってしまったみたい。そんな彼に畳みかけるようにして、私はこの依頼を断る為の言葉を続ける。


『愛する人にだけ反応すれば良いじゃない。それは彼らの幸せにも繋がるだろうし、政治的策略で伴侶を選ぶなんて選択肢も生まれないわ。それに私、あの世界には帰れない』


 門を開く事は出来るけれど、私はあの世界にもう必要とされていないから行けないというか……行きたくない。だから魔女の存在なんて物語の中にしかなくなってしまったこの世界を選んだ。魔女は力を失わない限り不老不死だから、一定の期間以上は同じ場所へ留まらないように気を付けながらひっそりと、私はここで生きている。


『帰れない、とは?』


 深い青に見つめられ、私はそっと溜息を洩らした。この訪問者は意外にも知りたがりのようだ。


『あなたの世界に、魔女はもういないはずよ。一人も』


 あんなに多くいた私の仲間は、もう生まれない。世界と世界を繋ぐ必要なんてないし、それぞれの世界でそれぞれに発展した生き物達が互いに喰い合う可能性をなくす為に皆、力を失ったのだから。私はただのはぐれ魔女。その運命を受け入れられず、永遠の孤独を選択して終わりのない生を過ごしている。


『私を殺しても王族に掛けた術は解けないし、私は解く気はない。だからあなたの仕事は残念だけれど失敗でおしまい。ごめんなさい』


 三度も異界の門を開くなんて、魔女のいないあの世界でどのようにやったのかは気になるけれど、きっと四度目は無理だろう。魔女以外がこの力を行使するのはとても難しく、危険な事だから。唯一出来る存在が頭を掠めたけれど、彼が人間に手を貸す方法はないはずだ。


『もう来ないでね』


 騎士の背後に私は、異界の門を開く。門に鍵が掛けられれば良いのだけれど、残念ながら鍵は存在していない。そんなにほいほい開けるようなものではないから、鍵を付ける必要性がなかったのだろう。でもこうして騎士の彼がここに来られてしまったのならやはり鍵は必要だと思う。人間が持つにはあまりに危険な力だ。でも私にそれをどうこうする力はない。魔女はただ、門番のような役目を持った存在だから。


『え? ちょっと――』


 異界の門へと押し込まれる間際、騎士の手が伸ばされた。狭い部屋の中、そこまで離れた場所にいなかった私は捕まってしまう。逞しい腕の中へ囚われ私は――異界の門を潜ってしまった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ