第8話 迷いの森に届ける 1
そういうわけで、俺はデリバリストになった。
研修期間と先輩たちからの厳しいしごきに耐え、ようやく新人デリバリストとして活動できるくらいにはなったと思う。
そして初の海外任務を終えて帰ってきた俺。
時差ボケを治すよりもお土産を渡すよりも、何よりも先にしたことは。
「二人とも、そこに座りなさい」
「うむ……」『はーい……』
プロローグで予告した通り、先輩二人への説教。
一番の下っ端の俺が説教ってどうなのかと思うが、二人ともその辺の上下関係にはこだわらないようだった。
全員に怒る権利があって、全員怒られる可能性がある。
この職場の居心地がいいのは、そんな雰囲気のおかげかもしれない。
「まずミーナだな。どうして電話繋いだまま寝るかね?」
「…………しゅーん」
「ミーナもわかってくれると思うけど、配送先でモチベーション保つのは難しいよな? 命の危険が迫っているときに寝息が聞こえてきたら、さすがに集中途切れるって」
「すまぬ……。眠くて電話切るのも億劫だったのだ……」
小さな体をさらに縮こまらせるミーナ。
命を懸けて配送しているだけに、そこを簡単に譲るわけにはいかなかった。
……ただ、彼女の睡眠衝動が理屈で説明できないことはよくわかっている。そう思えばこれ以上追い詰めるのは可哀想かなと、心の中の弁護士が訴えてきた。
「……わかった、次から気をつけような。俺も言い過ぎたよ」
「……カケル、許してくれるのか?」
「ああ、もういいよ」
さて、ミーナはこれくらいでいい。
問題はこっちである。
「卯衣。言いたいことは山ほどあるんだけれどさ……」
『はいー、甘んじて受け入れるつもりでございますー』
「まず、ブルートゥース越しに反省するの止めようか。全然伝わってこないわ。ていうか出てこい」
そもそも姿さえ見せないってどういうことだ。
『カケルさんの顔をまっすぐ見られないんですー。もしかしてこれって……』
「違う」
俺が一刀両断したところで、卯衣は観念したようにオペレーションルームから出てきた。ようやく反省する気になったか。
卯衣に正座させて、その前で仁王立ち。
「卯衣。隙あらばふざけようとするよね? もうちょっと緊張感持って仕事しようよ」
「…………とぅーん」
「それだよ、それっ!」
「か、カケル。落ち着くのだ」
心の中の検事が「無期懲役! 無期懲役!」と騒ぎ立てる。
ミーナが仲裁に入ってくれたが、しばらく腹の虫がおさまらなかった。
やはり俺と卯衣、仕事以外の相性は悪い。
結局、解決したというより俺が諦める形になって騒動は終わった。
そのままの流れで仕事のミーティングが始まる。三人顔を合わせてのミーティングは久しぶりのことだった。
「カケルさんにはキツイ仕事を用意しておきましたー」
「明らかに根に持ってるよね」
「冗談ですよー、とぅーん♪」
「次それ言ったらマジで怒るからな」
「……ういちょん、カケルが帰ってきて嬉しいのはわかるが、仕事の話はしっかりするのだ」
「はーい。それではこの一週間の予定ですー」
予定の書いてある資料を俺たちに手渡してきた。
俺は海外から帰ってきたばかりなので明日・明後日は休み。そして三日目から放課後と週末に配送の予定が入っている。
予定表を眺めていると、赤丸のついた日付を見つけた。
「卯衣、この赤丸は何?」
「あー、カケルさんには説明していませんでしたねー。それは新右衛門さん家への配送ですー」
「新右衛門……?」
「うむ、常連客のようなものだ。へんぴなところに住んでいながら買い物はすべてAmaz◯nで済ませるから、何ヶ月かに一度、我らが物資を運ばねばならぬのだ。しかし、なぜ熱帯雨林で買い物ができるのだ……?」
それはきっと、あなたがAmaz◯nと熱帯雨林を勘違いしているからです。優しさでスルーした。
そんなことともつゆ知らず、ミーナは胸を張って俺に声をかける。
「我の当番だが、せっかくだからカケルも連れて行くかの。よいな、カケル?」
「りょーかい。その日は新右衛門さんのところに挨拶な」
「くれぐれも気をつけて行ってくださいねー」
こういう感じで週末の予定は決まった。
山奥に住んでいるから配達に少し時間がかかるらしい。
含みのある卯衣の言葉が気になったが、ピラミッドより危険ということはないだろうと考えて、俺は配達伝票にサインした。
……甘かった。
★★★★★★★★★★
そして新右衛門さん家への配送当日。
天気は晴れで絶好の配達日和だった。山奥に住んでいる新右衛門さんのところまでは途中まで望さんの運転で行き、車が入れなくなったら徒歩で荷物を運ぶことになっている。
デリバリスト支部の入っているビルの一階で、俺は配送物を大型バンに詰め込んでいた。ミーナは荷物がすべて揃っているかリストと照らし合わせており、望さんはタイヤの空気圧をチェックしている。
やがて準備が整い、卯衣が見送る中俺たちは出発した。
後部座席に座る俺は、隣で飴を舐めているミーナに話しかける。
「時間でいうとどれくらいかかるんだっけ?」
「車で一時間、徒歩で三十分くらいだぞ。前もそうであったな、望」
「……………………(コクコク)」
「まあ、徒歩の時間はカケル次第でもっと長くなることもあり得るがの」
「そんな足引っ張らないよ。きっかり三十分で到着させるって」
「ふむ、自信満々だの。期待しておるぞ」
ミーナは含み笑いを見せて「我は少し眠るぞ」と目を閉じてしまった。
邪魔すると後が怖いので、俺も黙って車窓の風景を楽しむことにする。
少しずつ風景は緑主体になっていくのだが、四十分くらい走ったところで明らかに景色が変わった。
生い茂った木々がトンネルのようになり、暗くなったのである。時刻は午後三時を回ったばかりだが、まるで日食でも起きたかのような暗さだ。望さんが道を間違えるということはあり得ないから、この道で合っているのだろうけれど……。
何も起きないとわかってはいても、やはり気味が悪い。
そんな不気味さがマックスに達したのは、車がハザードランプをつけて停まった瞬間だった。望さんが運転席から振り向いて、身振り手振りで伝えてくる。
「……………………(カクカクシカジカ)」
「行き止まりだから、これから歩き?」
「……………………(コクコク)」
「マジか……。昼なのに真っ暗じゃんか」
バンから降りた俺を待っていたのは「迷いの森」なんて言葉がぴったり当てはまるような景色だった。
枯れ木がやぐらのように積み重なり、あちこちでツルを伸ばした植物が複雑に絡み合っている。足元は雑草が生い茂り、コケは道全体を覆う趣味の悪い絨毯のようだった。
緑がもたらす清々しさはどこにもない。
暗い、というよりはむしろ、黒い森だ。
「むぅ……着いたかの。……カケル、歩く準備なのだ……」
寝ぼけ眼をこするミーナの指示に従い、荷物をまとめて背中にからう。ミーナも同じようにしてようやくバンが空になった。
「では望。行ってくるからの」
「じゃ、行ってきます」
「……………………(ひらひら)
手を振る望さんに見送られて出発。
長い草むらをかき分け、倒れている木をまたぎ、時折飛び立つ鳥の音にビクッとしながら進んでいく。
しばらく無言で歩いていると、とりわけ暗い道に差し掛かった。
懐中電灯を点けながら慎重に進んでいるのだが、コケに足を取られて滑りそうになり「だいじょうぶかの?」と心配の声をかけられる。ミーナの方はかなりこの道を歩き慣れているらしく、苦戦する俺に気を配りながらもスイスイ進んでいった。
「慣れたもんだな。迷ったことはないのか?」
「最初は何度も迷ったぞ。方位磁針を使えばなんとかなると思っていた時期が我にもあったのだ」
「へー。コンパスあっても迷うのか」
試しに卯衣が持たせてくれた登山グッズの中からコンパスを取り出してみると……
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる…………。
「不思議なこともあるものだのう」
「これを不思議の一言で片付けるのか」
「万が一迷ったらういちょんに連絡するとよい」
「いや、連絡しようにも電話通じないだろ」
「ほれ、電波はバリ4なのだ」
「つながりやすさナンバーワン!?」
「Wi-Fiも入るぞ。ういちょん曰く超高速通信の二倍は速いらしい」
「速えぇ! 我が家より速えぇ!」
しかしよく考えたらこの森の奥に住む新右衛門さんがAmaz◯n利用者であることを考えれば、ネットが入るのは別におかしくないか。
「ところでさ、新右衛門さんって何者? 絶対普通じゃないだろ」
「ふむ……今のうちに説明しておこうかの。人間国宝なのだ」
「人間国宝!?」
「うむ、こんなところに住んでいるのも納得いくであろう?」
「いかないよ! むしろますます不可思議だよ!」
そんなすごい技術を持っている人がどうしてこんな山奥に? 社長が退職後にホームレスになるのと同じ感覚か?
「これくらい静かな方が作品に集中できるのであろう。あまり俗世が好きな男ではないのでな」
「まあ、国宝に指定されるくらいのことするなら、普通の感覚とはズレてるのかもな。それで新右衛門さんって何の人間国宝なんだ?」
「ふむ、我の口から話してもいいのだが……。作品を見るのが一番であろう。ほれ、もう見えてきたのだ」
「え……あれか?」
山の少し開けた場所の先に明かりが見えた。よく目を凝らしてみると、高い塀に囲まれた大きな家が。山の不気味さに不釣り合いなほど多くの装飾が施され堂々と立つ姿。もう家と呼ぶよりは御殿と呼んだ方がしっくりくる。
こんな不気味な山奥にあるよりは、もっと華やかな世界がお似合いのように思えた。
「カケル、どう見える?」
「ミスマッチが止まらない。すごい家だな」
「人間国宝だからのう」
「人間国宝を免罪符にしてないか」
お金はたんまりあるということなのだろう。
目標が見えてきたので少しペースを速めると、ミーナに「急ぐと危ないのだ」と釘を刺された。
「すぐそこだろ? 問題ないって」
「近づいていってもそれが言えるかのう?」
そのまま何も言わなくなるミーナ。
あまり深刻に捉えず気楽に歩を進めると……その意味がわかった。
全部理解した。
『徒歩の時間はカケル次第で長くなることもあるがの』
ミーナの言葉はまぎれもない真実だった。
「……………………」
「相変わらず悪趣味だのう。ではカケル、渡る準備をするのだ」
山奥で俺たちの行く手を阻む自然の障害。
奈落の底と吊り橋が、あった。
ミッション:新右衛門に生活物資を届ける。
進行率:70パーセント