第24話 予選終了まで届ける
手元の時計が残りの分数を1にした。
紅陽は蒼紅館ホールの一席でそれを眺めて、ゆっくりとため息を吐く。
ミーナに大きな動きはない。
ただ食べて、眠そうな顔をして、ハッとして起きる。
そんなことをここ3分くらいずっと繰り返していた。
対する紅陽は、少し疲れたように見える。
ミーナの一挙手一投足をじっと凝視しているのだ。
ほんの数分のこととはいえ神経をすり減らすのも無理はない。
しばらくお互いに無言だったが、ミーナはチラッと時計に目をやって思い出したように口を開いた。
「ふむ、残り2分を切ったのう」
「ようやく緊張感が出てきたかしら?」
「いや、今のうちに食べられるだけ食べておこうと思っての」
「……………………」
食事の心配だった。
ミーナは近くにある料理を皿にいっぱい乗せてすぐテーブルに着き、もしゃもしゃ頬張る。
リスっぽくてカワイイ。
そんな考えが一瞬頭をよぎったものの、紅陽は不快で仕方なかった。
紅陽を含むオーサカエリア支部のデリバリストたちは、この豪華な食事にほとんど手をつけていないのだ。
毎年この開会式でハメを外して食べ過ぎ、体調を崩すデリバリストが出る。
もしくは体調まで影響はなくとも、気を緩ませてしまう人間も少なくない。
だから紅陽は、徹底してその食事を避けるよう指示した。
本土から持参したカップ麺で腹を満たすつもりなのだ。
しかし、紅陽だって年頃の女の子。美食に興味がないと言ったら嘘になる。
だが部下たちにキツい制限を与えた以上、その上司である紅陽も自分に適用しなければならない。
それを。
その目の前で。
コイツは。
「ぱくぱく、もぐもぐ、むしゃむしゃ。うまー、なのだ」
これ見よがしに、がっついている。
ミーナ自身はそんなことまったく知らないのだが、紅陽にとっては悪意の塊にしか見えない。
こうして、三年前から2人の間にある溝は順調に深くなっていった。
残り1分。
「紅陽、少し話をせぬか?」
口をナプキンで吹きながら、ミーナは紅陽を見据えた。
ナイフとフォークを片側に寄せて、食事終了の合図。
本当に話したいことがある、らしい。
「……どういう風の吹き回しかしら?」
「本当なら3年前にしておきたかった話なのだ。訳あってできなかったが、今がベストかと思ってのう」
「構わないわ。暇つぶしになるなら何でも」
「お主は、デリバリストをどんな人間と考える?」
投げかけられた質問に紅陽は首を傾げた。
どんな。
答えにくい質問だ。
「質問の意味がわからないわ」
「すまぬ、抽象的過ぎたのだ。『デリバリストの条件』と言い換えればわかりやすいかの?」
「……第一に任務遂行能力。どんな手段を使ったって届けるズル賢さも必要ね」
紅陽はできる限り真摯に答えた。
任務遂行能力は言わずもがな。
そしてどんな手段を使ってでも届ける、したたかさも重要だ。
少なくとも、彼女が誰かをデリバリストにスカウトするなら、その二点を見る。
その答えを聞いてミーナは満足げに頷いた。
「お主ならそう答えると思っていたのだ」
「人に聞くくらいなら、あなたも答えは用意してあるのよね?」
「もちろんなのだ。他人の幸せを願う心、と我は考える」
「幸せ?」
ぴくり。
紅陽の端正な顔がわずかに筋肉をけいれんさせた。
「そう。届けることの喜び、届けた相手の喜び、配送に関わったできる限りすべての人間を思いやる心、それが必要だと我はーー」
「甘っちょろいわね」
突然話を遮られたミーナは、少しムッとした表情で聞き返す。
「ふむ、どういう意味かの?」
「聞いたわ、ローランドワールドパークでの話。あなたたち、随分と平和な解決をしようとしたのね」
「平和? デリバリストとして当然なのだ」
「でも、失敗しかけたわよ? 千鳥がいなければどうなっていたことか」
確かにミーナたちは、かなり平和的な方法を選んだ。
パーク側・客側への配慮を示して、最も騒ぎを大きくせずに済む方法。
しかし、突発的な出来事への処理が遅れるという大きなリスクも背負う。
どちらが正しいのか一概には言えないが。
一長一短、と言えるほど平等なものでもない。
そんな自覚があったからだろうか、ミーナは自分の落ち度を認めるように軽くうつむく。
「その未熟さは承知しておる。我も、カケルも、ういちょんもリンゴも」
「わたしなら、そんな解決はさせないわ。デリバリストは届けることだけ考えていればそれでいいのよ」
「理にかなっておる。効率だけ考えれば最良かもしれぬの。だが1人の人間として、我はその考え方に納得できぬ」
ミーナは一旦言葉を区切って、純粋な疑問符を浮かべた。
何をそんなにカリカリしているの? なんて聞いているみたいな口調で。
「できる範囲でみんなの幸せを願うこと、それはそんなに悪いことかの?」
その独り言みたいな言葉を耳にして。
紅陽は初めて、隠すことなく不快感をあらわにした。
「今、はっきりしたわ。ミーナ、あなたとわたしの意見は平行線よ。絶対に交わらない。譲る気もなければ歩み寄る気もない。つまり、わたしたちはこうやって対峙する運命なのよ」
「我はそう思わぬ。同じデリバリストである以上、きっとお主と我は理解し合えるはずなのだ」
「無理よ。同じく方向を向けないはずだわ。わたしたちは分かり合えない。それにあなたたちは予選で消えるんだから、そんな余地もないわ」
紅陽はヒートアップしながら時計を指差した。
「残り1分弱。あなたにはわたしのマークがついているし、あなたの部下たちはのんびり座り込んでいるらしいわ。そして残り一人は戦力外。そんな状態からデリバリストたちの奪い合う宅配箱を手に入れることなんてできるかしら?」
残り30秒。
ミーナは何も言わずに唇を噛んだ。
と、見せかけて。
ミーナの足が高級絨毯を力強く踏みしめる。
爆発的なパワーを生み出した脚が躍動し、一瞬で紅陽の横を抜き去ーー
「抜き去れると思ったのかしら?」
紅陽の腕が釣竿の先端のようにしなる。
そしてミーナの体が紅陽の横を駆けた瞬間、しなった腕がミーナを捉えた。
ほれぼれするような自然体の動き。
紅陽がしなった腕をしぼるように振るうと、ミーナは座っていた席まで押し戻された。
「くっ!」
受け身を取るように床を転がり、またもミーナは急加速。
次は紅陽を回り込むように。
しかしその進路も一瞬で紅陽に潰され、またも座っていた席まで押し戻された。
もう一回。
もう一回。
動く度に紅陽はミーナの進路を先回りして、弾かれる。
何度目かの接触で紅陽はミーナの小柄な体を、長い腕で絡め取った。
ミーナの動きが、完全に止まる。
「ぬっ……うっ!」
「悪く思わないで頂戴。あなたたちを徹底的に潰すことはもう決定しているの」
床に放り出され、そのまま立ち上がれずにいるミーナ。
小声でぽつり、と諦めたかのように口を開く。
「……構わぬ。実力がものを言う世界なのは、重々承知しているのだ」
次こそ本当に、ミーナは唇を噛む。
残り5秒。
カケル、リンゴ、卯衣からの連絡もない。
「ところで紅陽、話は変わるのだが」
残り3秒。
「今更謝ったって無駄よ」
残り2秒。
「これは……何かの?」
床に転がったミーナが、さっきまで着席していたテーブルの下に手を伸ばす。
綺麗に張られた床まで垂れるテーブルクロス。
それに隠れるようにして体育座りをしている人物は。
「こんにちはー、ういちょんですよー」
トーキョーエリア支部のブレイン、深渡瀬卯衣。
それは、紅陽とって何の問題でもない。
非戦闘員だ。1人加わったところで何の障害にもならないし、この時間で彼女にできることは何もない。
しかし、紅陽は卯衣から目を離すことができなかった。
卯衣そのものが問題なのではない。
卯衣が持っているものこそ、本当に問題なのだ。
「これなーんだ? きゃはっ♪」
デリバリストたちが奪い合っている、宅配箱。
残り1秒。
「くっ!」
なぜそこにある。
なぜ一番非力なお前が持っている。
そんなことを考えるより先に、紅陽の腕が伸びた。
その指先が宅配箱を掴もうと大きく開いたその瞬間。
蒼紅島全土に響く大音量で、予選終了に合図が響く。
予選、デリバリストビーチフラッグは本当に幕を閉じた。
そしてそれは同時に。
「ふむ、座っているだけでも案外疲れるのう」
「いつバレるかドキドキだったですー」
トーキョーエリア支部が予選を突破した瞬間だった。
★★★★★★★★★★
近くに設置されていたスピーカーが音を鳴らすと同時に、俺はため息をついた。
もう夕日も沈んで、夜の闇が空を半分支配している。
俺を力づくで押し倒そうと奮闘しているリンゴを立たせて、俺たちは蒼紅館ホールに向かった。
「なんとか終わったみたいね」
「だな」
作戦が失敗した時は卯衣から連絡が入ることになっている。
そして特に連絡はなかった。
便り無きは良い便り。
そういうことだ。
「ほい、メット」
「サンキュ」
リンゴからメットを受け取って被ろうとした時、ブルートゥースに連絡が入った。
「こちらカケル。ミーナか?」
「あたしもいるわよー」
『我なのだ。カケル、無事にキープ完了である』
「ミーナか。お疲れ。そっち行くから」
『うむ、帰ってくるまでが予選なのだぞ』
「了解」
軽く返事して俺はバイクの後ろに跨った。
リンゴがバイクにエンジンをかけ、ゆっくり発進。
予選前半、リンゴがものスゴイ勢いで飛ばしたからだろう。決して遅くはない速度のはずなのに、すごくゆっくりに感じた。
やがて蒼紅館に到着。
ホールの扉を開けると、そこには宅配箱を抱えた卯衣とミーナがいた。
何が起きたか理解できない、といった様子で立ち尽くす紅陽さんの姿も。
ミーナたちが俺たちに気づいて声をかけてくる。
「うむ、二人ともご苦労だったのだ。ゆっくりできたかの?」
「おかげさまでな」
「あたしが持ってても結果は同じだったろうけどねー」
俺たちの入室と同時に、紅陽さんはハッとしたように顔を上げた。
「一体、いつ!?」
「紅陽さんが来るほんの少し前からですよー」
「ギリギリで間に合ったのだ」
三人のやりとりから、何を聞いているのかはなんとなくわかった。
一体いつから、卯衣が宅配箱をキープしていたのか、という意味だろう。
実際に何があったのか。
時間を戻してみる。
まず俺とリンゴ宅配箱を奪取して走っている時。
卯衣から、宅配箱を蒼紅館に持ってくるよう指示があったのだ。
『ここはセオリー通り、一番強いミーナの近くに置くのがベストですー』
もちろん俺もリンゴもその意見には同調した。
この競技の肝は何と言っても奪い合いである。
どれだけ知略を巡らせたとしても、結局勝つにはどこかで力が必要だ。
キープすることを決めた以上、一番強いデリバリストが持つのが安全。
冷静になれば誰もが思い浮かべる、この競技のセオリーだろう。
しかし……もちろんリスクもある。
「でも、急に俺たちが宅配箱を手放したら、すぐにミーナが疑われるだろ?」
みんな同じことを考えている以上、大将同士のバトルが勃発するのは当然だ。
そして大将の体力に難のある俺たちは、予選から消耗することは絶対に避けたい。
ただ、卯衣だってそのことは重々承知しているようだ。
『ですからー、ミーナもフェイクにするんですよー』
「ミーナをフェイクに?」
『はいー。そして、あえて一番弱いわたしが持つんですよー』
「……………………」
『なんですかー、その意味深な三点リーダー8つは?』
「心配だ……。水泳の大会でカメラを盗んだ人の将来くらい不安だ……」
『大丈夫ですよー! 保険としてミーナの側にいますからー』
「本当にいざって時は、迷わずミーナに守ってもらえよ」
『了解ですー。それではカケルさん、イチャイチャお願いしますねー』
そして、俺たちは言われた通り行動した。
すぐに蒼紅館のホールに向かって宅配箱をミーナに引き渡し、海岸線でわざと目立つようにイチャイチャ。
一方の卯衣は、紅陽さんのいるテーブルの下で息を殺しつつ、カメラを遠隔操作してデリバリスト名鑑を埋める作業。
まさに、最小の努力で最大の結果を生み出したのだ。
そして紅陽さんも、まんまとミーナ・卯衣に騙された。
俺、ミーナまでは行き着いたが。
自分の足元に箱を持った卯衣がいるとは気づけなかったのである。
「大ポカをやってしまったの、紅陽」
紅陽さんを責めるような口調で、ミーナは静かに語った。
それに卯衣も乗っかってくる。
「紅陽さんは自分で『トーキョーエリア支部を潰す』と宣言しておきながら、その最大のチャンスをみすみす逃したことになりますねー」
「でも……どうして! どうしてそんなに堂々としていたの!」
「知らぬ。我はもともとこういう性格なのだ」
言い切って椅子に踏ん反り返るミーナ。
当然だ、と思った。
プレッシャーにさらされた人間は脆い。
重圧があるのとないのでは確実に差が出てくる。
もちろん紅陽さんだってプロだ。
ミーナに不審な行動があればすぐに疑うし、実際行動していただろう。
でも。
ミーナがどんな態度で宅配箱を隠していたのか、容易に想像できる。
宅配箱を持った卯衣が足元にいる状態で紅陽さんと対峙しながらも、全く態度を変えない。
自分にすべてがかかっていると理解した上で、この落ち着き。
約5分間そのプレッシャーに耐え続けた。
必要なのは、絶対的な平常心。
そしてそういうことにおいて、ミーナに敵う人間はいない。
度胸の勝利である。
……と。
紅陽さんが悔しそうに唇を噛み締めている間に、ぞろぞろと他のデリバリストたちが蒼紅館に戻ってきた。
その中にはオーサカエリア支部の面々もいて……。
宅配箱を抱える卯衣に驚きの視線をやるのだった。
やがて、16個の宅配箱全てがホールに揃う。
その時を待っていたかのように、再びステージに上がった司会者が話し始めた。
『予選を突破された支部の皆様、おめでとうございます。本日は早くお休みになって明日からの本戦にお備えください。残念ながら予選落ちしてしまった支部の方にも、お部屋のご用意があります。明日の本戦を間近で観戦できますので、どうか最後までお楽しみくださいませ』
こうしてデリバリスト競技会予選は終了し。
ミーナと紅陽さんの間に、また新たな因縁が生まれたのだった。




