第1話 大手運輸会社、社長室まで運ぶ
俺だって最初からこんな危険な仕事をしていたわけではない。
三ヶ月前、春の日差しうららかな平日のことだった。
その時に俺がいたのはアルバイトしていた宅配業者の本社。トーキョーエリアの支部長から急に呼び出されたため、学校を休んで本社に行ったのだ。
俺は何をするでもなく、本社七階カフェテリアのテラス席で暇を潰していた。椅子を三つ並べて寝転がり日光浴。
「バカンスー、バカンスー …………上司遅ぇ」
リッチな気分に浸っていた俺だが、寝転がっているだけなのでだいぶ飽きてきた。
さっさと要件を聞いて学校に行ってもいいのだが、支店の上司とここで落ち合うことになっているので、勝手に行って用を済ますわけにもいかない。
「しかし快適だな、ここ」
都心の一等地にあるビルなのだが、空中権も本社が掌握しているようで、テラス席のある空間は開放的だった。視界の端に映る超高層ビルのてっぺんがやや残念だが、俺たちがいつも昼食をとる支店の事務所とは別世界。現場の人間と背広組の格差を感じないでもないが、別に恨むようなことはしなかった。
「男は黙って仕事するのが吉……おっ」
口癖を呟いていると、エレベーターの中から上司が出てくるのが見えた。椅子を元に戻してこちらから歩み寄って行く。
「ああ、倉掛くん。待たせてしまったね」
「いえ、だいじょぶっす」
「ゆっくりしたいところだけれど、もう行こうか」
「うっす」
本社に入るのは初めてなので、道に迷わないようぴったり後をついていく。
エレベーターを待つ間に気になっていることを尋ねた。
「店長、どうして俺って呼び出されたんでしょうか?」
「……まあ、支部長に会ってからのお楽しみということで」
はぐらかされてしまったが、悪いことではなさそうだ。店長は顔に出やすいタイプの人間なのである。
一応上司ということで描写はしたが、この店長の特徴については覚えなくても構わない。もう二度と描写されることはないし、長期的に見ても何かのフラグを立てる予定はないからだ。
最上階でエレベーターが止まり、俺は社長室に通された。さすがの社長フロアということで床はピカピカに磨き上げてある。滑りそうで嫌だと思ったが、配達で来たわけではないと思い出して少し安心した。
社長室をノック。どうぞという声が聞こえてから俺はドアを開ける。
「失礼します」
「ああ待っていたよ、倉掛駆くん」
言うが早いが、社長は立ち上がって迎えてくれた。
ひげをたっぷり蓄え、堂々たる風格。中肉中背の体型ではあったがオーラは間違いなく大御所だった。大人の風格に軽くビビる。
支部長の話は「仕事はどうかね」と軽くジャブ気味に始まった。当たり障りのない感じで現場の現実を伝えると、支部長は「そんなことよりも」とようやく本題に入る雰囲気を作ってきた。
「倉掛くん。単刀直入に言おう。本社に入らないかい?」
「……はい?」
本社って……ここのことだよな。背広を着たエリート組の巣窟。高校生の俺が入っていいところじゃないと思うのだが。
「驚くのもムリはないと思うが……なに、きみの働きぶりを聞いたら当然のことかと思ってね」
「働きぶりって、何でしょう?」
俺の返答に支部長はファイルを一冊取り出して、横の女性秘書(愛人の雰囲気)に読ませた。
「『倉掛駆、十七歳。トーキョーエリアのシンジュク支店所属。
一年前、社員が配送し忘れた重要文書に気づき、走って配送に向かう。プロの自転車便を凌ぐスピードで配送を完了。
半年前、支店の社員全員が食中毒で倒れる中、お中元期間にも関わらずバイトだけを数人引き連れてなんなく配送を完了。
二ヶ月前、故障した配送車に乗った宅配物をすべて走って配送。その日のうちにすべて届け終える」
「……きみは何者なんだい?」
「普通の高校生アルバイトです」
「…………きみ、ここまで働いてくれるならもう社員でいいよね?」
無視された。こんな嘘が通用すると思っていなかったけれど。
確かに俺は、誰よりも配達に打ち込んでいると思う。
より良い配達員になるために、トレーニングを欠かしたことはない。
朝起きたらまず、鉛がいっぱいに入ったダンボールを抱えて十キロランニング。学校が終わったらその足でトレーニングジムへ直行、専属トレーナーの指導の下で実用的な筋肉をつけ、帰りもわざわざ遠回りをして体力作り。荷物を持った状態でのトレーニングも数多くこなし、気がついたら重い物を持ちながら走った方がしっくりくるようになった。
それでもやっていける理由はとてもシンプル。
この配送の仕事が好きだからだ。
階段を駆け上がった後の開放感、軽快に荷物を届けた時の達成感、そして何より荷物を受け取った人の笑顔と「ありがとう」の言葉。そのすべてを俺は愛している。たとえ運んだものが子供のオモチャ一つでも、巨大な桐のタンスでもその喜びは変わらない。ヘトヘトになったって筋肉痛になったって、また明日も頑張ろうと思えるのだ。
「本社に入ってくれれば、今みたいにキツイ仕事はしなくていいんだよ。たまに急ぎで入る文書や書留を時間内に依頼された会社まで持って行くだけでいいんだ。もちろん、待機している間の給料も払う。今と同じ時給でなんて言わないから……ね?」
だから俺は、こういう話が嫌いだ。
俺は楽をしたいわけではないしお金に困っているわけでもない。配達をしたいんだ。給料は楽しみではあるけれど、それが働く目的そのものではない。
「お断りします。学業との両立もあるので」
それをわかってくれない人の直属の部下になりたいとは思わなかった。
ただ、支部長も食い下がってくる。
「いや勤務時間はそのままでいいんだ。卒業してからはウチに来てくれないかということで……。そうだ、下手な公務員になるよりもずっと稼がせてあげよう。だから頼むよ」
完全に逆効果だと気づいていないらしく、次々にお金の話を持ち出してくる。
支部長をしているだけあってさすがの粘りだと感心したが、尊敬の念や期待に応えたいという気持ちは少しも湧いてこない。
なおも食い下がってくる支部長もいい加減ウザくなってきた。「あの支部長……」と言葉を切ろうと声をかけたところで……
……運命は、やってきたのだ。
ドンドンドン!
社長室のドアが乱暴にノックされたのだ。俺はもちろん支部長も隣で黙っていた秘書も驚いている。
これは絶対に会社の関係者じゃない。そうであればもっと上品にノックするはずである。
「なんだ、こんな時に」
「出なくていいですか?」
「いや、今はきみのことが先だ」
会話を終わらせるいい機会だと思ったのに。支部長はノック音を無視して俺を説得してくる。
一方の俺は全く別のことを考えていた。
ベートーベンが作曲した「運命」の一節、ジャジャジャジャーンの部分はノックの音だという。運命は待ってくれない、乱暴にドアを叩き続ける来客のようであるとの発想から生まれた曲らしい。
その論理からすると、ノックとは運命の転換点とも言える。俺は運命とか人生のシナリオとか信じないけれど、もしかしたらこの乱暴なノックも誰かのターニングポイントになるのでは?
なーんて考えていたみたりし
「さっさと出てこんか、こらあぁぁぁぁぁぁ!」
……随分と短気な運命様だった。
次の瞬間ドアがバン! と乱暴に開いた。同時に蝶番が折れてドアが床に倒れる。数々のVIPを通してきた入り口がただの板になった瞬間だった。
俺が最初にイメージした人物像は、いかついギャング。銃を片手に金を寄越せと迫ってくる姿だ。
次にイメージしたのは、支部長にリストラされた元社員。「お前が俺をリストラしたせいで家庭はメチャクチャだ! 死んで償え!」という緊迫した雰囲気だ。
さて、どっちの場合も巻き添えを食らう覚悟をしないといけないのだが……
謎の人物がゆっくりと社長室の中に入ってきた。
「ふむ、壊してしまったな。一応、すまぬと言っておこう」
……目を、疑った。
俺と同年代の、少女だった。
彼女の身長は百五十センチもなさそうだ。ちょこんとしたフォルムは可愛らしさ感じるSサイズ。ただ、風格がすごい。目の前の支部長もかすんでしまうような、強い意志と尊大さをまとうその姿。おかげで実際の身長よりかなり大きく見える。
彼女の特徴はそれだけではない。彼女は可憐だった。都心のビジネス街いるのが場違いに思えるほど彼女には華がある。猫を思わせるぱっちりとした瞳に、日本人離れした目鼻立ち。脚が長く均整の取れたプロポーション。パワフルな美しさで完全武装し、見る者すべてを魅了していた。
反面、服装はかなりシンプル。薄手の体にぴったりつくシャツに膝下までのスカート。軍服のようなデザインだが、どこかの宅配業者の制服によく似ていた。髪の毛は短くて帽子を被っている。
総合すると、ドアをぶっ壊したインパクトも、ちょっとおかしな言葉遣いを差し引いても、お釣りがたんまり返ってくるほど魅力的な女の子だった。
整った顔立ちに浮かぶ不敵な笑みが少し気になるところではあるが。
「我は秋月美奈。少し聞きたいことがあって訪ねた。大人しくすれば危害は加えぬ」
あれ、おかしくない? 大人しくしなかったらヤバいことになるってことだよな?
ふと、ただの板に成り下がったドアの残骸が目に入る。よく見るとぶっとい蝶番が根元から折れていた。その生々しい破壊跡はまるで、獰猛な野獣に襲われたかのようだった。俺は無駄な抵抗をやめ、無言でホールドアップする。
……しかし、支部長は黙っていなかった。ハッと我に返ったと思えば、机に腕を叩きつけて彼女を威嚇する。声はまだ出ないようだったが、毅然とした態度は中々のものだった。
「まあ、そう殺気立つな。我も悪かった。いきなり押しかけてドアを蹴り飛ばすのはやり過ぎたと反省しておる。男だろう? 許せ」
余裕シャクシャクの態度で語る秋月美奈。
あのぶっといドア、蹴りで壊せるのかよ……。
彼女は近くの壁に背中を預けた。支部長の厳しい目つきなどどこ吹く風で「そこの、ちょっといいか」と話しかける。
「倉掛駆はどこにいる?」
「……………………」
え、俺ですか? 俺は今ホールドアップしながらあなたから一番遠い壁際にいますよ。最初からそこにいたんじゃありません。あなたから距離を取りたくてここに移動したんです。
だからお願いです気づかないでください……という意味の沈黙。
支部長は睨んだまま答えようとしない。
「聞こえていないようだな。そこの、難聴か? 手話なら通じるだろうか? 我……、倉掛駆……、捜す……。どうだ?」
彼女の天然発言に触発されたのか、支部長は声を取り戻した。
「き、君! いきなり何だ!」
「なんだ、聞こえているではないか……お主が倉掛駆か?」
「違う、わたしはこの会社の支部長で……」
「ザコは黙っておれ! 倉掛駆以外に興味はないのだ!」
「ひいっ」
支部長、完全敗北のお知らせ。
このままでは殺人事件とか立てこもり事件とかに発展しそうなため、俺は仕方なく手を挙げて自己申告する。
「俺だよ、倉掛駆は」
瞬間、秋月美奈はがばっと俺の方に向きを変える。
俺の下は爪先から上はてっぺんまでじっと眺めて、念を押すように尋ねてきた。
「お主、倉掛駆か?」
「おうよ。あと、手話いらないぞ」
さっきからずっと指をちょこちょこやっているのだ。気が散る。
「聞こえるのか、すまぬ。そうか、お主が……駆か……」
ブツブツと何かを呟きながらこちらに近づいてくる秋月美奈。一歩一歩近づいてくる度に内臓が縮み上がるような気がしたが、脚がすくんで動けなかった。
そしていよいよ彼女は俺の目の前。一体何をされるのだろうと不安に思っていると……
意外といい笑顔で、右手を差し伸べられた。
「倉掛駆、喜べ。我はお主をヘッドハンティングしに来た」
思わぬ言葉に、ますます混乱するのは俺である。
「ヘッドハンティング? 俺を?」
一体何の引き抜きだと思ったが、俺が人様に誇れるようなことはたった一つしかない。加えて彼女の動きやすそうな服装。そこから導き出される答えは……。
「宅配業者の人?」
「うむ、平たく言えばそうなるな」
自分で納得するように「うむうむ」と頷く秋月美奈。改めて彼女の制服に目を通すが、見たことのないデザインだった。機能性重視で作られているのは十分にわかったが、少し派手だと思う。こんなの制服、一度見たら忘れるはずはない。
「どこの業者さん? 新しく立ち上げるのか?」
「いや新しいとは言えぬ。三年前から活動しておるが、我はその責任者なのだ。名を『デリバリスト運輸』としておる」
「キャッチーな名前だな。黒猫、ペリカンに通じるものがある」
「うむ、気に入っておる」
ここに来て初めて、秋月美奈は自然な笑顔を見せた。お気に入りのオモチャを褒められた時の子供の表情。元からかなりの美少女だが、笑うと周囲に花が咲いたみたいに明るくなった。さっきまでヤクザ顔負けの脅しを加えていた姿を一瞬忘れてしまう。
ここまでのやり取りを通して、話せばわかる人間だということがわかった。「その話はコーヒーでも飲みながら」と言えば自然に外へ連れ出せそうな気がする。
「なあ、秋月美奈。よかったらその話は外でコーヒーでも……」
「そんなこと認めるか!」
飲みながら、が一歩遅く支部長の言葉に遮られた。いい加減堪忍袋の緒が切れたのだろう。わなわなと体を震わせながら彼女をさらに鋭く睨んでいた。
俺も秘書もその怒声に体を震わせるが、秋月美奈だけはビクともしない。やれやれと肩をすくめ、受けて立つ。
「その言い方は好かんな。より良い仕事を求めるのは従業員の権利であろう?」
「ふざけるな! 倉掛くんは大切な人材なんだ! それをどこの業者とも知れない人間に渡せるか!」
「人材である前に人であろう。尊厳を認めるべきだと思わぬか?」
「この職場に勤めて長いんだから、今までのやり方を変えるとなると大変だろう!」
「心配いらぬ、我の名にかけて不自由などさせぬわ!」
やだ…………かっこいい。
軽くポッとなりつつも、突然やってきた複雑極まりないモテ期にただ戸惑うだけだった。
そしてこの修羅場はいけない。昼ドラのような男の取り合いゲンカの行く末と言ったら、思いつくのはたった一つの王道パターンである。
秋月美奈と支部長は同時に俺の方を向いて
「「で、どっちを選ぶの!?」」
はい、来た。
風格のあるおっさんの視線と、あどけなさの残る美少女の視線が同時に注がれる。保留にしようものなら俺の方が怒られてしまいそうな剣幕だった。
「え、えーっと……」
支部長のことはあまり好きではないが、安定した職場を選ぶか。
彼女のことはよく知らないが、真摯に向き合ってくれる職場を選ぶか。
踏ん切りがつかずに唸っていると、ここぞとばかりに支部長がすがり寄って来た。
「頼むよ、倉掛くん。きみの将来のためにもここで働いてくれないか」
「将来……」
「そう、将来。きみは配達員に憧れてウチでバイトを始めたんだろう? せっかく夢が叶うなら大手の方がいいに決まっている。それに、あんなメチャクチャな上司の元にいればきみが潰れてしまう。本当にいい配達員になるために、ここで経験を積んで将来は……」
「ほほーう、将来、とな」
俺の心が動いているところを、秋月美奈が割って入ってきた。皮肉っぽい口調に驚いて目をやると、案の定、不敵な笑みをたっぷり浮かべている。
「倉掛駆を潰すなどとは、我も下に見られたものよな」
と思えば、背中からドス黒いオーラが湧き出ていた。地獄の釜を開けたかのような低い、寒気を感じさせるような声。支部長は恐怖を感じて一歩後ずさりしたが……もう遅い。
彼女は背中にからったバックから小さな機械を取り出し、俺に差し出してきた。
「我もこんな手段使いとうなかったわ……。ただ、我を本気にさせたそこの、お主が悪いのだぞ」
手渡された機械を受け取る。小型ボイスレコーダーだった。なんだろうと思って再生ボタンを押す。少しのノイズと共に音声が聞こえてきた。
『…………あー、だから労働基準法なんて構うな』
ボイスレコーダーが再生したのは、聞き覚えのある威厳ある低い声。その物騒な言葉に支部長の声と気づくまで時間がかかった。どうやら何かの会議の一場面らしい。
一方その時、支部長は「まさか!」と動揺した声を上げていた。こちらに慌てて駆け寄って来ようとするが、秋月美奈の素早い動きに進路を阻まれる。
『……トーキョーエリア全域は彼に配送させれば、輸送コストは半分に減らせる。もちろん無理してもらう必要はあるが、若いんだ、そう簡単には死なない』
『しかもバイトだ。過労で倒れられたって見舞金少し払えばそれでいい。仕事はできる、賃金は安くて済む、こんなに都合のいいカモがいるんだ、鍋にしないともったいないだろう?』
『倉掛……駆。シンジュク支店の彼を連れて来い。明日までだ!』
荒い口調の命令がされたところで、ボイスレコーダーの再生は止まった。
「……………………」
あまりの衝撃に黙っている俺に、秋月美奈は頭を下げながら俺に声をかけてきた。
「倉掛駆、すまぬ。本当はお主に聞かせるつもりはなかったのだが……。我もヒートアップしてしまったのだ、申し訳ない」
「……いや、いいよ。衝撃的だったけど助かった」
奴隷のように働かされるところを助けてもらったのだ。むしろ俺は感謝すべきだろう。
ただ、感謝を伝えるよりも先にしたいことがあった。
俺はこの世の終わりみたいな顔をした支部長に向き直り、敵意をムキ出しにする。
「支部長、マジですか?」
「……………………」
「何か言ってくださいよ!」
「いや、ちょっと魔が差して……」
さすがにイラっとして「ふざけるなよ!」と声に出そうとした瞬間……
「金のために個人を搾取する、それが『ちょっと』で済まされることか!?」
先に怒り出したのは秋月美奈の方だった。一度爆発すると止まらない性分らしく、次々に言葉が出てくる。
「ふざけるでない! この倉掛駆は配送業界の宝なのだ。それを私欲のためにブラック労働させようなどと、お主に業界トップのプライドはないのか!」
一通り怒鳴り散らしてから、彼女は俺の方に向き直った。
「すまぬ、倉掛駆。もう邪魔はせぬから、言いたいことがあればぶちまけるがよい」
「いや、もういいよ」
言いたいことはもう十分彼女が代弁してくれたので、もう言うことはない。一発くらい殴りたいと思ったが、激怒してくれながらも拳一発振り下ろさなかった彼女に敬意を表して拳を解いた。
「そうか、お主がいいと言うならここまでにするが……本題に入ってよいだろうか?」
「うん? ……いいけど」
秋月美奈はさっきと同じように俺に向かって右手を出した。
「シンプルに言おう。倉掛駆、我のものになれ」
言い方が少し気になったが、もう答えは決まっている。
「よろしく頼む」
俺は迷うことなくその手をとった。
これだけ真摯に配送と向き合っている人間はいない。態度は大きく体は小さい個性的な配達員だが、その目は紛れもなく「運ぶ人間の目」なのだ。情熱とやる気に満ち溢れた力強い眼差し。
その誘いを断るなんて、俺には考えられないことだった。
秋月美奈は満足そうに頷きながら俺と握手を交わす。
「感謝するぞ、倉掛駆。さて、細かい話は後でするのだが……」
チラッと腰を抜かした支部長の方に目をやって……。
「逃げるぞ、倉掛駆!」
握手する俺の手を思い切り引っ張った。
「お、おう!?」
想像以上に強い力で腕を引かれ、俺は社長室を後にした。
こうして。
運命は俺を拉致して行ったのだ。
「……お、おい、秘書! 何をボーッとしている! 早く警備室に連絡だ! あの二人を逃すな!」
「は、はい、承知しました!」
こんな物騒な会話が交わされたことを、俺は後で知ることになる。
次回予告
二人の天才、出会う。
伝説のデリバリスト、秋月美奈。
日本最速の一般配達員、倉掛駆。
交わることのない二本の線が交わり、冒険は始まる。
欲望渦巻く高層ビルからの逃避行。
迫り来る警備員から二人は逃げ切れるのか。
次回「隠れ場所まで届ける」