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第10話 犬屋敷に届ける 1

 

 季節は地獄のお中元シーズンを通り越して、閑散期。

 これまでが異常に忙しかったこともあって、俺たちはクーラーの効いたリビングの中でだらしなく荷物を待っていた。


「仕事がなくて暇すぎるのは、忙しすぎるより辛いですねー」

「だな。一般にいたときはそこまで感じなかったけど……」


 三日連続で配送物ゼロ。

 おかげで俺も卯衣も気が緩みまくっている。

 それはミーナも同じだった。ここにいないのは仕事をしているからではなく、仮眠室で熟睡しているからである。卯衣と一緒に寝姿を拝みに行ったのだが、ガチ熟睡ミーナはエロ本の表紙みたいな刺激の強いポーズをしていたので、罪悪感を引きずりながら帰ってきた。


「卯衣。ミーナ、大丈夫かな?」

「あの寝相は不安ですねー。初夜でドン引き確定ですー」

「いや……そっち系じゃなくて、体力的な心配だよ」

「夜の……体力っ! ごくり……」

「もう黙ってくれ。地の文で説明するから」


 ミーナはここ二、三日、20時間睡眠を続けている。コアラ並みの睡眠時間なのだ。

 よくよく思い返してみたら心当たりがある。俺が夏補習を受けている時は一人で荷物を全部運んでくれたし、キツい仕事は率先して引き受けてくれた。

 ミーナだけではない。卯衣も普段通りヘラヘラ笑ってセクハラしてくるが、肩の関節をしきりに気にしている。パソコンをカタカタいじる時の動きもいつもより鈍い。事務職業病ツートップである肩こり、腱鞘炎に悩まされている。目立たないが卯衣も激務をこなしていたのだ。

 そんな二人に挟まれる俺はさぞ不調だろうと思うかもしれないが、全くの五体満足。だらしなくなりがちな夏休み期間にも、早寝早起き、働かざる者食うべからずを実践できている。

 ……罪悪感。

 たった一人、新人の俺だけが全くの健康だなんて。


「そこで罪悪感ですかー? わたしだったら誇りますけれどねー」

「いやいや。ミーナや卯衣に比べて、俺は仕事しなさ過ぎってことだよ」

「カケルさんも男の子ですし、一概にそう言えないと思いますけれど……。パワーが有り余っているなら危険ですねー。カケルさん自身も、わたしの貞操も」

「最後の一言で一セリフ丸々全部セクハラにするのやめい」

「やだー、カケルさんったら自意識過剰! きゃはっ♪」


 黙らせたい、この笑顔。

 何とか報復を受けずに卯衣(うざうい)を黙らせる方法はないかと探ったが、向こうの方が弁がたつので諦めた。

 そんな卯衣もだーいすきー、と適当なことを言っていると卯衣の携帯電話が鳴った。


「失礼しますねー……はい、こちらデリバリスト運輸です」


 声を一オクターブ上げ、間延びした声を抑えながら応対する卯衣。

 これだけ見ていればバリバリのキャリアウーマンなのだが、素の卯衣を知っているだけに残念でならない。電話してきた人、この人さっきまで俺にセクハラしてたんですよ!

 しばらくして卯衣は電話を置き、メモパッドに何かを書いた。

 平和的に終わったところをみると、俺のテレパシーは電話口まで届かなかったようだ。

 残念に思う俺に、卯衣は声をかけてくる。


「カケルさん、お仕事ですよー」

「おうよ。罪悪感解消のためにも、働くが吉だな」

「それでですねー。いきなりなんですがイキモノ指定ですー」

「イキモノ?」


 宅配伝票の左端を指差す卯衣。

 割れ物、天地無用、冷蔵、生物、生物、とチェック欄が並ぶ。

 伝票見るたびに、何でナマモノが二つあるのかと疑問だったが、片方が生物(ナマモノ)でもう片方が生物(イキモノ)だったのか。


「デリバリストはイキモノも運ぶのか」

「ワシントン条約に反しない限り、ハトでも猫でもワニでも運びますよー」

「猛獣だったらムリだけど……。珍しい動物なのか?」

「残念ながら普通ですよー。ケージに入ったわんちゃんらしいのですが、業者がイキモノ配送を受け付けていないらしくてデリバリスト運輸に委託されましたー。というわけで早速準備を……って、カケルさん?」


 心配そうな声をかけて駆け寄ってくる卯衣。

 卯衣が不審に思ったのも無理はないと思う。

 だってさっきまでソファにだらしなく寝そべっていた俺は……


「ガクガクブルブル……」


 リビングの隅で体育座りをしていた。そして震えていた。

 本能的な恐怖が手足を震えさせ、嘔吐する寸前みたいな胸のムカつきを覚える。心の奥底から湧き出てくる黒い感情は、毛むくじゃらのむっくりしたイキモノに対して向けられていた。

 ぽん、と卯衣が俺の背中を叩く。


「……もしかして、カケルさん」

「い、言うな! 言わないでくれ!」


 必死の懇願虚しく、怪しいの雰囲気をまとった卯衣が俺の耳元に口を寄せてくる。


「……わんわん、苦手ですかわん?」


 身体中の鳥肌がスタンディングオベーションした。


「や、やめろーっ! わんって言うなぁぁぁぁぁぁ!」



 ★★★★★★★★★★



『まさかカケルさんが、犬が苦手だなんて知りませんでしたー』

「…………」

『アレー、無視ですかー。それもそうですよねー。いつもスカした態度で斜に構えている自意識過剰風少年なのに、まさか犬の話すらできないなんてダサいですもんねー」

「……卯衣、キャラ変わってない?」

『作者側のミスじゃないですかー?』

「いつもはもっとこう……遠回しにウザいのに、今回は直球でウザい」

『犬を怖がるカケルさんステキ、きゃはきゅんっ♪』

「切っていい?」


 バリエーションを増やすな。

 俺は配送先に向かう途中もからかってくる卯衣に、いい加減うんざりしていた。いつもの仕返しのつもりなんだろう。黙れと何度言っても、道案内ついでにコケにしてくる。

 俺は犬を怒らせる体質だ。どれだけ大人しい犬でも、俺の気配を感じた途端に吠え始める。獲物を見つけた時以外、決して吠えないように訓練された猟犬すら俺には吠えまくるのだ。

 だから俺は犬という種族に苦手意識を持っている。犬という字を使いたくない。ドッグという英語も使いたくない。だから犬歯でホットドッグを噛むなんてもってのほかである。

 仕事上犬に遭う機会は多かったが、その時は同僚に代わりに行ってもらった。犬自体を運ぶのももちろん初めてではあるのだが。


「まあ不幸中の幸いは、このイキモノ配送物が小型だってことか……」


 ケージの中に入っているのは「どうする〜、アイ◯ル〜」でお馴染みのチワワ。俺は牛乳を吸った雑巾を触るかのように、ケージを体から離して持っている。

 卯衣がエサに混ぜた睡眠薬のおかげで、小型犬はケージの中で眠っていた。一応すぐ起きた時のため余分に睡眠薬入りのエサを卯衣にもらってきたのだが、いつ起きるのかヒヤヒヤである。

 卯衣の指示に従って進んでいくと一本道の上り坂に出る。まだ家は見えないが、周りを山林に囲まれているようだ。

 五分ほど歩くと家が見えてきたのだが……


「なんだこれ?」


 それはまた、個性的な家だった。

 ぱっと見は、広い庭のある伝統的な日本家屋。懐かしい門構えに、家全体を囲む塀。その上からは松の木が見事なうねりを見せながら、堂々と地に根を下ろしている。

 しかし何よりも俺の目を引いたのは、その広い家や塀をすっぽり囲むようにして設置された鉄格子。

 日本家屋が鉄格子に囲まれている。ミスマッチにもほどがある光景。

 一応、スマホで写真を撮って卯衣とシェアしておく。現場ではこうやって情報を交換することになっているのだ。

 鉄格子の周りをぐるっと一周してみると、入り口らしき場所を見つけた。その向こう側に門があるからここが出入り口なのだろう。

 鉄格子の中に入り、正面の門も開ける。インターホンは中の玄関にあるタイプなのだろう。石畳の感じからすればおそらく玄関は右。一般の頃からの経験をフルに活かしていると……


「うっ!」


 ぞくり、と。寒気がした。

 ハッとして瞬間的に後ろを振り返る。


「わんっ!」

「うわっ!」


 犬だった。ケージの中に入っているのと同じくらいの大きさ。尻尾をピコピコ振って俺に近づいてきた。

 俺は反射的にしっし、と手で払いのける。小さかろうと大きかろうと怖いものは怖い。

 犬は何か言いたげな不満顔で俺から離れていった。……間一髪。


「飼っている犬が逃げ出さないように格子で囲ってあるのか」

『そのようですねー』

「とにかく急ぐわ」


 早く玄関を目指そうと石畳に足をかける。これを辿っていけば玄関に着くはずなのだ。

 ……と。

 再びケモノの気配が俺の背後を取る。

 またお前かとうんざりしながら、追い払うために振り向くと……


「グルルルルルルルル……」

「……あれ、イメチェンした?」


 戦慄。目の前が真っ暗になった。

 犬だ。よりによってデカい犬がいる。

 しかも一匹ではない。俺を囲むようにして次々と現れる自宅警備員(イヌたち)。パッと見ただけで十匹以上。この数の群れはディス◯バリーチャンネルでもそうそう見ることはないだろう。

 模様大きさ犬種は様々であったが、共通しているのは……多分、全員番犬。

 あれ、膝に力が入らない。


「や、や、やめろっ! 来るな、こっち来るな!」

『か、カケルさん? 一体何が……』


 卯衣の声にハッと我に返って、すぐに家の門から出ようと走り出そうとした。しかし、周りを囲まれているため門に向かうことはできない。飛びかかるタイミングを計るように、じりじりと犬たちは包囲網は狭めていく。

 この数の犬に一斉に飛びかかられたら、確実にショック死する!

 恐怖感から冷や汗があごをつたう。俺が腕でそれを拭った瞬間……


「ゔゔゔ……バウッ!」

『カケルさんスマホ出して!』


 一匹と一人の声が交錯した。

 かろうじて卯衣の真剣な声が犬への恐怖に勝る。

 反射的にポケットからスマホを出した。

 くらえ犬ども! 文明の利器、スマホだ!


「…………スマホ?」


 そして気づく。

 ……スマホ一台でどうなるっていうんだよ、と。武器や防具にするには、俺のスマホは薄すぎる。

 俺は諦めて目を瞑った。俺の死んだ世界をニュース番組風に想像する。

 被害者の倉掛駆(17)さんが犬に襲われ死亡しているのが発見されました。パニック状態で助けを呼ぼうとしたところを、飼い犬に襲われたとみられています。遺体の損傷が激しいため直接の死因はまだわかっていませんが、バイト先の同僚の話によると「彼は犬が苦手なのでビックリしたのでは……きゃは♪」とのことです。多くの方が駆さんの死を悼んでおり……


「うん?」


 いつまで経っても想像していた衝撃は来ない。このままではニュースが終わってしまう。矢◯真里の復帰のニュースに行ってしまう!

 勇気を出して目を開けてみる。


「……くぅーん」


 すると先ほどまでに獰猛な犬たちの姿はどこへやら。襲いかかるどころか、どこか怯えている様子が目に入ってきた。飛びかかりたいけれどそうできない、そんな葛藤が伝わってくる。

 スマホを確認するも、何かが起きた形跡はない。

 狐につままれたような気分でいると、ブルートゥースに連絡が入った。


『ふぅ、間に合いましたかー?』

「あ、ああ……。ていうか今何を……?」

『ふふーん、カケルさんのスマホを遠隔操作して「犬撃退アプリ」を作動させましたー。超音波でわんちゃんを威嚇する優れ物なんですよー』


 試しにスマホをかざしたまま右を向くと、右に陣取っていた犬たちが後ろに下がる。左にかざしても同じことが起きた。俺が一歩踏み出す度に犬たちも一歩後ずさりしていく。

 ……便利すぎるだろ、このアプリ。


「このアプリいいな。どんな犬にも効果があるのか?」


 あるとすれば正式にダウンロードしてホーム画面に置いておきたいのだが。


『はいー。ペット用のわんちゃんでしたらどの種類でも効果がありますよー。猟犬とか闘犬には効果なしですけれどねー』

「そんな超大型犬は滅多に見ないから十分だろ。無事に帰ったら俺、このアプリをダウンロードするんだ……」

『フラグ立ってますよー』

「ここまで露骨に立てたら、逆に折れるフラグが立つだろ」


 言いながら、家の玄関を探しを再開。

 つかず離れず一定の距離を保つ犬たちは気になるが、立ち止まっている場合ではない。

 ちなみに、俺にトラウマを植え付た犬は大型犬だった。それでも襲われているときは巨人みたいに感じたのだから、超大型犬のことなんて考えただけで震えてしまう。


「……おっ、玄関だ!」


 3分ほど歩いた先に玄関を見つけて、俺は飛び上がるほど喜ぶ。

 犬が襲ってこないとはいえ、この地獄のような家から早く出たいと思っていたのだ。

 玄関に到着。大きな屋敷なだけあって入り口も立派だった。一応ケージの中を確認する。小型犬はぐうぐう眠っていた。

 犬への恐怖で強張った顔にスマイルを作り、インターホンに手をかける。


「こんにちはー、宅配便で……」


 その時

 何かが

 俺の

 後ろで

 ゆっくりと

 臨戦態勢に

 入った。



 ミッション:チワワを届ける。

 進行率:70パーセント


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