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へびのおはなし

作者: りうむ

この『へびのおはなし』は僕が以前練習用に書いた小説です。今回、初投稿に際して加筆・修正いたしました。

登場人物は「僕」と「彼女」の二人きり。シチュエーションは放課後の部室。

わかりやすい青春小説や恋愛小説のシチュエーションですね。でも青春して終わり、恋愛して終わりではありません。それじゃ面白くないもの。

「先輩。ここに、一つのりんごがあります」

彼女は僕にりんごを差し出す。

部室に降り注ぐ夕陽の色を凝縮したかのように赤くつやを放つりんご、それがあまりにも綺麗で、僕は笑みを浮かべながら訊いた。

「なんだい急に――僕に一服盛るつもりかい? その毒りんごで」

すると彼女は笑って、

「あながち間違っていませんね」

なんて、しれっと物騒なことを口にして微笑んだ。

真意が読めないな、と頭を掻く。でもそんな彼女の微笑に心惹かれる自分がいるのも事実だった。

「さぁ」

もう一度毒りんごを差し出す彼女の髪を、窓から舞い込んだ風が撫でる。夕陽に透かされた髪はルビー色に輝いて見えた。

「このりんごを食べると『知恵』を得ることができます――って言ったら、先輩、食べますか?」

「うーん……」

答えに悩む僕の耳元に、彼女はそっと唇を寄せた。

「今の先輩は無力で空っぽ、何もないです」

ひどい言われようだと苦笑した。だが、否定はしない。彼女の言う内容は間違っていなかった。

耳元で囁き続ける彼女の声は、どこまでも甘い。心臓をくすぐるかのように、僕の心へと入り込んでくる。

「もしこのりんごを食べれば、先輩は知恵を手に入れることができます――でも、代わりに先輩は許されざる罪を負うこととなります。

知恵を持ち、知ることは罪なんです」

僕はなるほど、と頷いた。

「つまりそのりんごは『知恵』であるという以前に、『力』であるわけか」

彼女も頷いて、

「はい。それと同時にある種の『毒』とも言えますね。このりんごを食べればただでは済みませんから」

また微笑んだ。

僕の見つめる毒りんご。その向こうに、毒りんごを見つめる彼女がいる。

切れかけの蛍光灯がぱちぱちと小刻みに明滅する。壁にかかった時計は午後六時を指そうとしていた。

窓の外に目をやると、グラウンドで部活に励んでいた生徒たちが片づけをする姿が見える。

「……」

毒りんごはその表情を変えない。いつまでも、どこまでも赤くて、その単調な輝きが僕の意識を引き込んでいく。

そして、まさしく僕が毒りんごの中に溺れようとした、その時だった。

「――先輩。この毒を食べた二人は、どうして罪を負うことになったんでしょうね」

沈黙を破ったのは彼女の新しい問いだった。

僕は我に帰り、慌てて彼女の目に視線を移す。毒りんごよりも透き通った瞳には夕陽が入り込んで見えた。

「なぜ二人は知ってはいけなかったのでしょうか。なぜ知恵を持つことが罪だったんでしょうか」

毒りんごは夕日に照らされて煌々と輝く。

僕はかばんからお茶のペットボトルを出した。二口飲んだところでなくなってしまい、多少物足りないような気もした。

彼女はじっと僕を見ていた。そこに微笑みはない。ただ真剣なまなざしだけがあった。

仕方がないのでペットボトルをかばんに放り込み、口を開く。

「そうだね。知恵を持たず、楽園にそのまま身を委ねて生きていれば――二人は、もっと幸せな道を行けたのかもしれない」

彼女は黙って頷いた。

「でもどうして幸せなのかって考えると、それは『苦しみがないから幸せだ』というだけのことなんじゃないかな」

僕は校舎の外に目を向けた。グラウンドの向こうに広がる住宅街の屋根、めいめいの色を持つその屋根には果たして、この赤色が等しく降り注いでいるのだろうか、なんて考えてみる。

「――苦しみのない幸せは、偽物の幸せですか」

呟くようにそう問うた彼女も、赤い光の中の町並みを眺めていた。

「そうかもしれない」

僕もまた、独り言のように答えた。

本物の幸せを知っている、なんて胸を張って言えるほどに僕は立派な人間ではないし、ましてや「それは偽物の幸せだ」なんて言い切ることはできなかった。

「今の僕らにもあるのかな、苦しみのない幸せなんて」

ため息と一緒に漏れた僕の言葉に、

「ありますよ」

彼女はきっぱりと言い切った。

「あるんです。ただ、私たちはみんな『苦しみのある幸せ』を知ってしまったから、『苦しみのない幸せ』の中でさえ苦しみを感じるようになってしまった。

――ただそれだけのことなんです」

彼女の瞳は潤んで見えた。

「それでも私たちは『苦しみのない幸せ』に逃げてしまう。程度の問題なんです。楽園に背くことでもっと大きな苦しみに襲われるから――

知らず知らず、私たちは小さな苦しみを感じながらでも楽園の中で生きてしまうんです」

それきり、彼女は俯いて黙り込んでしまった。

「……」

僕は何も言わなかった。ほんの少し、優しい時間が流れる。このままずっと、黙っていてもいいかな、とも思った。

けれど僕は一歩、踏み出す。

「楽園に背く――抗う、か。どっちの方が結局幸せなのかなんて僕にはわからない。でも」

彼女の手から毒りんごを取り、

「食べるよ、僕は」

ずいぶんと長く保留していた彼女への答えを出した。

驚いたように顔を上げた彼女に、僕は笑いかける。

「楽園の中で守られてるだけじゃダメなんだ。自分の足で歩いて、自分の手で掴み取って――

そりゃ苦しいのは嫌だけど、それとも向き合わなきゃいけないときはいつか来る。それに、それでこそ得られる何かがある、って信じたいからね」

僕は再び町並みを眺めた。空はさっきよりも紫色を濃くして、こんばんはの始まりを告げようとしていた。

毒を一口かじり、荷物をまとめ始める。

振り返ると彼女の姿はなかった。


ただ一瞬、部室から這い出ていくへびの尻尾が見えたような――そんな気がした。

「……こんな生き方も悪くないさ」

僕はまた一口りんごをかじる。甘酸っぱい。

うん、と一つ頷いて、僕も帰ることにした。

この物語の中核にあるのは「りんご」、「僕」と「彼女」を繋ぐのも「りんご」です。

ある意味では三人目の登場人物といえるかもしれません。いえないかもしれませんね。なに言ってるんだ僕は。

さて、僕はさまざまなジャンルを書きますが、基本的には「自分」というものが中核に来たり、「生きる」という言葉が中核に来たり、そんな作品ばかり書いてます。

この作品を通してなにかを感じていただけたら、そして今後の作品にもそれと通じるなにかを感じていただけたら、まさに作者冥利に尽きる、といったところです。

では、ここらで。今後ともよろしくお願いいたします。

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