・5 闘争
江水を舞台にしているので、この人を出さない訳にはいきません。
孫堅にとっては他愛のない相手でしたが、果たして水賊の李光たちにとっては如何なのでしょう。資料も少ないし、暫くは空想の中のお話です。
注:)此の読み物は、縦書きで文章を起こしているので、縦書きで読んだ方がしっくりと来るかもしれません。
戦いの結果は、勝つべき者が勝つべくして勝った、と言うものが多い。例えば、公称八十万対五万であれ、百万対二千であれ、勝者が圧倒的に不利な状況であったとしても、だ。後世の者が戦場や戦況、諸将の性格等、様々な要因を事細かに検証して結果を導き出すのだから間違いは無いのだろうが、当時の者に言わせれば、恰も風に弄ばれる枯葉の様にゆらゆらと揺らめいていて、実に不明瞭なものであったろう。
四百年近い歴史を積み重ねた劉氏による朝廟の末期に起きた太平道主催による農民反乱、所謂『黄巾の乱』の終焉が意外な程に呆気ない結果に終わった事への感慨は、身分によって大きな隔たりが有った事だろう。
反乱を起こした当事者に言わせれば、恐らく切歯扼腕の思いであったろう。併し、反乱に参加せずに傍観していた百姓の者達に言わせれば、鱓の歯軋りと言われても仕方が無い。抑々、黄巾の乱と言われても、主力として戦った兵士達は一介の農夫であり、武器の所有はおろか、扱い方の一つも覚束ない者ばかりなのだ。
首謀者の張角とて、類稀な戦術眼が有った訳では無い。敢えて言えば、首脳部が考え出した、雒陽に潜伏した馬元義の朝廷との密通の失敗、其れによる急襲蜂起が露見した時点で敗戦が見えていたと言っても良い。結局は悪足掻きであった、と。
結果的に総力戦に為り、急襲をして各地を奪取してしてはみたものの、官軍に体制を整えられてからは、時風は一気に変わって劣勢へと陥った。官軍を真似て隊伍を組み、檄を振ってみた所で付け焼刃に過ぎず、言うなれば、敗戦は当然の結果であった。だからこそ、多少なりとも先見の明が有る者は黄巾賊に手を貸す事は無く、命を長らえたのだ。
では、官軍に参加した者は如何であろうか。恐らく、転戦している間中は生きた心地も無かった筈だ。其れはそうだ、彼等が劣勢に陥った瞬間に、傍観している農夫が敵になる可能性は常にあったのだ。それ程に、庶民の生活は圧迫されていたのだ。怨みを買っていないと考える楽天家を探す方が大仕事と言って良い。
皇甫嵩に朱儁、その配下の曹操と孫堅が、揃いもそろって波才に苦杯を喫した時は、さぞや肝を冷やした事だろう。徴兵権や徴発権が与えられているとは言え、強制行使をすれば不興を買う事に為り、最悪の結果を招く可能性は多分にある。黄巾賊との戦いに於いて、官軍である、と言う利点は何処にも見当たらなかった。
戦況を取り巻く条件は、正規軍の筈の官軍も、反乱軍の筈の黄巾賊も、粗同じだったと言って良いだろう。反乱軍の性質上、黄巾の農夫達は常に兵站の不足に苛まれていたが、官軍とて大差は無かった筈だ。元より正統性の乏しい反乱軍は言うに及ばずの事だが、正規軍とて既に現朝廟の執政に冷め切っている民草へ、王朝の正統を誣告しながらの苦しい戦いであった。春秋から戦国時代を乗り越え、一時代を築いた大秦の戦い方を参考にして黄巾の各軍を孤立させ、各個撃破を成功させてはみたものの、実は薄氷の上の勝利であったと言う結論を導きだすのは、それ程不自然な事では無い筈だ。
結果が如何為ったかは扨置き、中原の奪回を行っていた官軍は、波才を許県で撃破し、蒼亭に立て籠もる卜胡を河水に追い込んで斃し、中原の奪回を完遂して河水を渡った。群生する草花や大地が、そして川の色が変わる程であったのだから、かなりの激戦であった。
とは言え、苦闘は中原だけの事で、河北での戦いが平易に為る訳では無い。黄巾の賊徒の首魁である張角、その脇を固める黄巾の本隊は鉅鹿であり、此れまで以上の抵抗が有るとは、誰の目にも明らかである。
加えて河北と言う土地柄に問題が有り、特にこの頃は凶作が相俟って北狄の略奪が横行していて、王朝への依存心が低くなっていた事から、庶民からの協力は皆無と考えて良く、既に戦う前から苦戦が予想された。
併し、其れは黄巾の賊軍にとっても何ら変わらない。朝廷への依存心が低い、と言う事は民の独立心が強いと言う事でもある。尤も、其れだけに新たな世界を望み、張角に賛同した者も多かった訳だが、現実を見据えて麦一粒ですら与しない者も多かった。
そんな状況でも兵站が確保出来なければ軍隊は機能せず、兵糧の調達は戦の上での絶対条件である。詰り、河北では、黄巾に依る略奪と地方長官が徴兵した自衛軍による徴発が横行した、と言う事でもある。
河北で黄巾賊が跳梁跋扈したのは、主に魏郡の鉅鹿郡、清河国、安平国、中山国、河間国と言った所であるが、兵站の確保は当該地域だけでは叶わず、それらの属する冀州の北に有る幽州の各城郭にまで及んだ。
その幽州を構成する行政区に涿郡と言う所が有り、更にその中に涿県と言う場所が有る。既に語っているが、県単位の行政区分とは、城郭だけで構成されている訳では無く、近隣の郷邑を含めてのものであり、その一つに楼桑と言う邑が有る。
楼桑を含めた涿郡は、貧苦の土地の幽州でも比較的裕福な土地で、農工共に発展している。と言っても、民の暮らしぶりが豊かな訳では無く、長城に近いこの地域は常の北方民族の脅威に晒されているばかりか、最近では黄巾の賊徒の略奪も頻繁に為っている。
その楼桑には『劉備』と言う人がいる。字は玄徳と言い、一応は土豪の一員である。土豪とは地方豪族の事で、土地の人々を束ね、土地の発展に尽力する事が、本来の彼等の役割である。併し、劉備の家は当主の早逝や冷害、異民族や黄巾賊の略奪等の度重なる不幸に見舞われ、今では見る影も無い程に没落した。何人もの使用人がいなければ管理しきれない程の田畑は荒れたお蔭で彼等には悉く暇が出され、劉備や母親が手を荒らして仕事しなければ、生計が成り立たない程に困窮に苛まれた。
必然的に、落日の侘しさを知った劉備が抱いた世への怨嗟は小さなものでは無い。其ればかりか世間は争乱に乱れていて、略奪を繰り返す黄巾賊、徴発の名を借りた搾取を行う軍隊、更には世祖・劉秀が取決めた収穫の三分どころか、その倍以上の徴租を行って世人の暮らしを苦しめる朝廟、その全てが劉備にとっての憤怨の対象であった。
加えて、劉姓の一員である事が、劉備を開眼させる足枷と為った。本来なら劉姓の者は少なくは無く、高祖・劉邦に全く所縁の無い者も多い。其れでも、多少なりとも厚遇が与えられる事の多い血縁関係に有る事が、劉備の視界を曇らせていた。
――同じ氏姓なのに、如何して私達ばかりが塗炭の苦しみに見舞われねばならぬのか。
と。
劉一族の宗家が王家なのである。直系の劉家は当然の事ではあるが、直流に近い叔父の家系に有る劉備が糊口を凌ぐ生活しか出来ないにも拘らず、傍流の大叔父の家系に有る者が裕福な暮らしが出来ているのか、そう言う不条理に憤りを感じると言う事だ。
情報の少ない田舎暮らしでは、何事に於いても管見になるのは仕方が無い事だが、併し、穏やかな性格の劉備の良い処は怨みだけに身を任せる事は無く、世の中の道理、詰りは是非曲直が何なのかを理解している所にある。喩、不条理に憤りを感じていたとしても、心の何処かに有る怨嗟をひた隠しに出来るしたたかさが有ると言う事で、詰りは自分が抱く気持ちを押し殺して行動する事が出来ると言う事だ。
同時に、劉備の心にくっきりとした明暗の部分を作り出した、と言う事でもある。
扨、劉備の家が所有する広大な農地は荒れ果て、今は見る影も無く、耕作は元より収穫も見込む事は出来ない。併し、人である以上は霞だけで食い凌ぐ事は出来ず、何かしらの手段で生計を立て、消光を重ねねばならない。
荒廃した田畑から利潤を得るは厳しく、劉備は、筵を織って草鞋を編み、十日に一度開かれる涿県の市でそれらを売り捌く事に依って糧を得る。併し、其れも最近では減収が甚だしく、商売が成り立たなくなりつつある。
元より、漢代は強烈なインフレの時代であった。高祖・劉邦が各諸侯に五銖銭の鋳造を許可したが故に、貨幣が必要量を大幅に超えて大量に出回ったのが原因である。当時の人件費は箆棒に安く、物価の高騰と共に増額される事は無かった。其れが故に、庶民の生活は、直ぐに困窮を極めた。文景時代に多少の是正は為されたが、結局この問題は後世まで尾を引く事と為った。加えて、黄巾賊の略奪と官軍に依る徴発である。物価は益々と上昇し、生活必需品以外への庶民の財布の紐は一段と固くなった。
筵や草鞋が生活必需品では無い、とは言わないが、絶対に必要と言う程のものではない。此れまでは傷めば交換していたものも、騙し々々で使う様に為っては、劉備の収入が減少するのも仕方が無いのだ。
売れ残った商品を持ち帰っても仕方が無く、涿県の商賈に只同然で売り払い、銭差しに半分ほどしか無い五銖銭を胸に抱える様に大事に圧し抱き、劉備は肩を落として帰途に就くしかなかった。
「はぁ……」
口から出るのは溜息ばかりである。本の一・二年前は、持ち込んだ筵や草鞋を全て売り捌き、ほくほく顔で帰りに鼻歌を口ずさみながらの帰途の方が多かった。其れが今回は如何だ、此れまでの売り上げの半分程度で、十日後の次の市まで食い繋げるか如何かも分からない。溜息ばかりが漏れるのも、仕方が無い事なのだ。
しかも、悪い事は重なるものだ。
「おい! 其処のねーちゃん、一寸待ちな」
野太い声に呼び止められ、劉備は大袈裟に肩を竦めて足を止めた。周囲を見渡して自分しかいないと確認しているのは、呼び止められたのが己では無いと言う願望の表れだ。尤も、希望は直ぐに裏切られ、劉備は絶望の面差しで振り向いた。
視界に入ったのは三人の男、何れも首に黄布を巻き、黄巾賊である事を主張し、同時に周囲の者を威嚇している。劉備は恐怖した。其れも致し方の無い事で、元より細腕の手弱女なのだ。実家に伝わる中山靖王・劉勝の正統を示す宝剣『靖王伝家』ですら真面に扱えないのだ。震える脚に懸命に力を込め、何とか立っている事ですら賞賛に値する。
「……私の事でしょうか?」
「お嬢ちゃん以外には誰も居ないだろ?」
野卑た笑いと共に告げられた男の言葉は、震え声の劉備のなけなしの勇気を一蹴した。元より気の弱い彼女は声を出す事も出来ず、此れから訪れる恐怖に慄き、震えて立ち竦むのが精一杯だ。併し、胸中では胡乱の叫び声上げている。
――こんな世界は間違っている。
努力を積み重ねて小さな幸せを望む者が、何故こんな理不尽な災禍に見舞われねばならないのか。こんな世界なら、毀れてしまえば良い。私が治めた方が、もっと慈愛に満ちた世の中に為る――、と。
こんな悪魔の囁きにも似た気持ちが劉備の胸裡の片隅に根付いたのはこの時だ。末端であっても劉家に育った玄徳は、本家の互助する様に教育を受けていて、本来なら胸裡に抱いたものは謬見と言って良い。だが、喩、恣意であっても、劉備の此れまでの生活が此処まで彼女を追い詰めたのであり、言うなれば、王朝が、自ら種を蒔いたと言う事でもある。
勿論、こんな考えは、劉備に限ったものではない。後に名の出る劉焉は、其の最たる所に居る。
劉備の躰が金縛りから解けた様に、後退さりし始める。その動きを遮ったのは、やはり黄巾賊の男の濁声だ。
「何処かに行くって言うんなら、こっちの用が済んでからにして貰おうか。その服の中のものを、な」
男達のつり上がった口の端から垂れる涎を見た劉備は、男達の狙いが懐の物だけでは無い事を悟る。気持ちばかりは脱兎の如く逃げ出そうとしていたが、肝心の脚は、立ち上がったばかりの童の様によろよろと後退さる事しか出来ない。
正に劉備は、世間ばかりか神にも見捨てられた心持であった。
今更言うまでも無いが、劉備は年頃の女性である。目許は少し下がっていて愛嬌は有る所為か、端麗と言うよりは、優婉な美人と表現した方が良いだろう。粗末な装いでは隠し切れない女性の部分を誇示している垢抜けした容姿と相俟って、やはり、一介の庶民では無い何かを感じさせるのは事実だ。
尤も、彼女のそんな外見が、人の誰もが持つ弑逆的な感情を呼び覚ましたとも言える。
扨、男達は、搾る様に輪を縮めて劉備を追いこんでゆく。尤も、蝸牛の歩みの劉備を追い詰めるには、其処まで時間を掛けての周到さが必要だったかどうか。敢えて言えば、彼女の反抗心を挫く為に、必要以上に恐怖を考えようとしたのかもしれないが、同時に間を与えたとも言える。
神に捨てられた筈の劉備を、拾う者が現れたのが此の時だ。
疾風のように現れた二つの影は、輪を成す男達を瞬く間に斬り伏せた。正に一瞬の事で、二つの影の動きを全く捉える事が出来なかった劉備の目には、何が起きたのかが全く分からなかったが、影が動きを止めた時には、男達の息の根が止まっている事も分かった。
劉備も動く事が出来ない。目の前で起きた事が、夢なのか現なのかも分からない。況してや、突如として現れた二つの影が、自分にとって福を齎す物なのか、禍を招く者なのかも分からない。彼女が、男達と同じ運命を辿らないとは言い切れないのだ。
併し、其れも杞憂に終わる。強張る顔の劉備の緊張を解いたのは、影の招待、二人の女性、正確には女性と少女の心配気な顔であった。
「御怪我は有りませんか?」
覗きこんでくる女性の貌は観音菩薩の様に優しく、劉備の心からは次第に恐怖心が薄れていった。劉備の口に言葉が戻ったのは、心に掛かった不安と言う名の霧が晴れ渡ってからであった。
「助けて頂いて、有難う御座います」
「此奴等は、貴女が街を出た時から後を付けていたのです。一度は見失って焦りましたが、間に合って良かった」
感謝の言葉を口に出した時の劉備の瞳は、既に二人の女傑の心の内を探るものへと変わっていたが、女性は其れには気付かずに言葉を続けていた。
そして、劉備はある種の確信をする。少なくとも、年長の女性は窮する者を見過ごす事は出来ない人なのだ――、と。女傑の腕の程をはっきりと見た訳では無い。尤も、具に瞳に収めた所で、果してどれ程の剣技の持ち主かは劉備には分からない。唯、隙を突いたとは言え、一瞬にして数人の悪漢を斃してしまえる腕は、尋常なものでは無い筈である。
劉備の心の中に有る何かが吹っ切れたのはこの時だ。
――二人が行動を共にしてくれれば、世界を変える事が出来るかも知れない。
と。
「劉玄徳と申します。此の儘何もせずに命の恩人を帰してしまっては、母に叱られます。大した御礼が出来る訳ではありませんし、廃屋では御座いますが、雨露位は凌げましょう。是非、御礼をさせて下さい」
「其れは助かります。まるで、其の言葉を待っていた様で引け目を感じてしまいますが、実は、路銀が其処を尽き、如何しようかと思案していたのです。私は、關雲長、此れは義妹です」
愛想笑いを浮かべた劉備は、先頭に立って歩き始めた。どんな言葉なら、この二人の助力を得られるだろうか――、と。
桃の花弁がはらはらと舞う、春情の豊かな季であった。
◇ ◇ ◇
皇甫嵩と朱儁が率いる黄巾賊の鎮圧部隊が渡河したのは晩夏、冀州及び魏郡の役府が置かれる鄴県を起点した官軍は、北上を開始して着実の黄巾賊を追い詰めていった。鉅鹿を奪還し、幽州から駆け付けた部曲と連携して、遂に首魁の張角を広宗へと追い詰める。黄巾賊の駆逐は現実のものに為りつつある。時は、既に晩夏の事であった。
「此処で攻勢を強めねば、賊徒は再び息を吹き返します」
此の進言は、曹操に依るものだ。
収穫の時期を迎えると、周囲の畑から掠奪を行って黄巾賊の穀庫が潤ってしまうので、犠牲を覚悟してでも広宗を陥落すべきだ、と言う事だ。
「善し」
皇甫嵩の同様の考えであった。真定に拠る張燕との連携を断つ為に、朱儁配下の孫堅を向かわせ、幽州へと兵站調達に向かった程遠志への牽制を、部曲を束ねる劉備に任せ、曹操を尖兵にして、広宗の城郭を激しく攻め立てた。
不足する兵糧、練度の低い兵士、広宗の城内に立て籠もる黄巾賊は、早くも敗戦ムードに包まれつつある。皇甫嵩の戦の上手い所は、敵将の心情を的確に読み取って作戦を立案する所に有る。此の時も、広宗の城内の士気の低さを敏感に感じ取り、苛烈な攻撃を続けながらも、重囲には誰の目にも明らかな隙を見せた所だ。
皇甫嵩の目算は図に当った。装備の充実した官軍の実力を目の当たりにした黄巾賊は、具足と武器を捨て、包囲に隙の有る城門から我先にと逃げ始めた。幹部の逃亡にだけは注意しつつ、遠方から城内の状況を具に見詰め、官軍は突入に時期を推し量っている。
包囲が十日を過ぎると、城内の黄巾賊は三分の一にまで減っていた。皇甫嵩が、突入の合図を送ったのはこの時に為ってからだ。
南門から侵入した官軍は、橋頭堡を築きつつ侵攻を開始する。指揮を執る曹操は最前線に立ち、兵士の鼓舞をする。彼女にしては珍しく策謀を弄せず、力押しでの決着を命ずる。力量差を見せ付ける事に依り、城内からの逃亡に拍車を掛け様と言うのだ。内城門を破った時には既に日の入りを迎えていたが、攻撃の手は緩めずに内部侵攻を継続している。
「張角の本拠の割には、反撃の手が緩いわね……」
大盾に身を隠しながらの曹操の言葉だが、其れは事実だ。張角が居てこその黄巾賊であるのなら、防衛戦が厚くなるのが常識であろう。にも拘らずに防衛戦が脆いのは、如何にも腑に落ちない。最悪の想像に行き着くまで、それ程の時間が掛かった訳ではない。
「まさか、既に脱出したのでは……」
この言葉は、曹操の副官の立場に有る一人の夏侯淵のものだ。が、或る意味、この言葉は当を得ているのかもしれない。
曹操は、今更に為って顔色を変えた。
あれだけ幹部の逃亡には注意を傾けていたのだ。有り得ない……――、と言おうとした口を、曹操は噤んだ。抑々、幹部とは言え、士大夫の常識を黄巾賊の彼等に当て嵌めようとした事に間違いが有ったのではないか、と。
士大夫の常識で考えれば、自衛を連れずに幹部単独での行動は有り得ない。例えるなら、下着をつけずに人前を歩く様なものだ。人目は気になるわ、頼りないわで、とてもでは無いが歩けたものでない。併し、庶民の彼等にとっては、単独で出歩くのが当たり前の事なのである。寧ろ、護衛を付ける方が気味の悪い事だ。身形を粗末なものにすれば、曹操や皇甫嵩、朱儁に見分ける事が出来る筈は無い。
焦る気持ちは止めようも無く、曹操はもう一方の片腕の夏侯惇を振り向いた。
「奥部屋へと急ぐわ。道を開きなさい」
「御意」
夏侯惇は、大楯から飛び出して身を翻し、大刀を振いながら進路を確保する。
最奥の部屋まで達した曹操は、容易には信じられない光景を目にする。肩を寄せ合って震える三人の娘が、憎悪を込めた瞳で曹操を睨んでいる。此の、たった一匹の虫ですら殺せそうにない三人の娘が、朝廷に弓引いた黄巾賊の首魁とは、とてもでは無いが信じられないのだ。
さりとて、疑う要素も少ない。何よりも、此の場に居る事が証拠だと言えば、其れまでの事だ。張角・張宝・張粱の容姿に関する情報は全く無い。屈強な三人の男と言う話も有れば、郷挙里選を固持した茂才と言う話もある。彼等の噂は所によって常に形を変え、仙人の加護を受けた者だとか、天女の生まれ変わりだとか、交錯していて要を得ない。
漣すらも無い静かな眼差の曹操が問うたのは、憎悪の眼差しに誘われたからだろう。
「貴女が、張角か?」
憎悪の感情が増した眼光は、真実を物語っている。曹操は、目の前の三人が、黄巾賊の首魁だと確信をする。更には、口から出る言葉が真実である事を後押ししている。
「天子は天の使いに有らず。愚帝に仕える士大夫とて単なる百姓の民でしかない。天より賜る加護は、百姓の者の全てに対等であり、災禍とて同断でなくてはならない。天子は天に昇ろうとするが故に地が見えず、士大夫は大樹と為って大地を覆い隠し、大地からは天を望めず。天有っての大地であり、大地あっての天なり。天と地は共生の関係に有り。其々が其々の役割を見失っては、世界の繁栄は望めず。天と地は、常に正常な関係にあるべし」
耳の痛い言葉であった。天子と家臣と庶民は、立場的に上下は有っても、其々は互助の関係でなくてはならない。天子が天から遣わされた者と言うのは飽く迄建前である事は、今や周知の事実であり、庶民も士大夫も王家も、同じ人間である事を知らない者は居ない。
だが、張角の言葉が揺らぎない正論だとしても、其れを容易に認めていけないのが、士大夫の立場に有る者でもある。士大夫とは、庶民を導く立場に有る者であり、天子を援ける立場にもある。
唯、士大夫の立場に有りながら、立場を問わず、人の痛みを痛みとして捉える事が出来るのが曹操の非凡な所と言って良い。普通なら、士大夫にせよ官吏にせよ、犯罪者の言葉に耳を貸す事は無く、即座に刎頸に処すのが普通だろう。
曹操は、人の話を聞く事が出来るから、反省として後世に役立てる事が出来るのだ。
尤も、其れは其れとして、一々張角に指摘されるまでも無く、曹操には今回の事の発端が何であるかの理解が出来ている。様々な事情が有ったとは言え、先代の桓帝・劉志の士大夫の不審が悪政を呼び、現世を作り上げ、現皇帝の劉宏の暴政に依って、海内は更に窮地に陥った。張角が言わんとする事は判るが、人には大志が有る。其れが他人からは、野望と言われても、だ。弱小な勢力しか有していない曹操にとっては、今の混乱期は力を蓄える好機なのだ。
衰退を続ける劉王朝に残された余命は、あと何年あるのか。果たして、一年や二年で潰えるとは思えないが、そう長い時間では無い事は判る。只でも時間には限りがあると言うのに、反乱を成功させられて其れを早められても困るのだ。
曹操には、小さくは無い野望が有るのだ。勢力拡大の為の時間が必要なのだ。
曹操は、人の為に生きる様な善人では無い。全ては自分の為なのだ。勢力を築き、拡大する事も、全てが己が野望の為なのだ。
しかも、衰退していたとしても、現政権に安定政権を築かれてしまうのは、勢力の拡大を望む弱小の諸氏にとっては良い事では無く、不安要素は何処かに残して置きたいと考えるのが普通だ。
例えば、張角は何処かで生きている――、と言うような、反抗を目論む者を後押しする何かが欲しいのだ。勿論、其れは単なる噂でも構わないが、実態の有るものの方が効果は大きいものだ。既に漢王朝は今際に有るのだ――、此の時を逃してはならない、と。
黙考を続けていた曹操は、決断をする。
「この者達の頸を刎ねなさい」
この言葉を残し、曹操は夏侯惇を連れてこの場を去った。本来なら、こんな汚れ仕事は夏侯惇の方が向いていたろう。音吐朗々と罪人の罪過を謳い上げ、正義は我にありと主張する姿は、其れだけで周囲を納得させる事が出来る程に堂々としている。併し、腹芸は通じず、一寸した腹の探り合いでも夏侯惇には荷が重い仕事に為る。
併し、もう一方の腕は、そう言った細やかな機微を敏感に察する事が出来る。
残された夏侯淵は恭しく低頭していたが、全てを心得た、と言わんばかりに口の端が上がっていた。こう言う事は、夏侯惇の妹の彼女の方が向いている。
首桶を持った兵士が、慌ただしく曹操の傍らを駆けて行った。
○
「首謀者死亡」
此の報に依り、太平道の反乱は、一応の決着を見る。皇甫嵩に朱儁、二人が大袈裟な程に溜息を吐き、肩に担いだ重荷を下ろしたのは言うまでもない。
尤も、その御蔭で官軍に従事した諸将、特に曹操、孫堅、劉備の反目は強くなった。孫堅や劉備は、勲功を望んで官軍に従軍したのだ、其れを曹操一人に奪われたと為れば、憤然するのも当たり前だ。しかも、張角の容姿がはっきりとせず、首謀者死亡と言う形で鳧を付けられて手柄を奪われれば、尚更の事と言って良い。
併し、皇甫嵩にせよ、朱儁にせよ、そう言った配下の懐疑と抗議の全てを黙殺した。其れはそうだ。黄巾の乱と呼ばれる内戦が勃発して、既に数多の月日が過ぎ去っている。従軍している兵士の多くは疲れ切っていて帰郷を望んでおり、何処かで幕を引かなければならないと感じていた。喩、曹操の計略や早合点であったとしても黄巾賊の本隊は四散し、仮に彼等が再起するにしても相当の時間を要する。首謀者死亡と言う事実が有れば、決着を付けるには丁度良い時期なのだ。
「張角の頸を持ち帰ったのが曹操であっても、諸将の協力が無ければ大事を成し遂げる事は出来なかった。云わば、今回の第一功は曹操一人のものでは無く、全員が同等の功績を上げたと考えるべきだろう。当然、主上にも同じ報告をする心算だ」
皇甫嵩にこう言われてしまえば、孫堅も劉備も口を紡ぐしかない。唯、曹操を含めた三人の間には、埋める事の出来ない軋轢が出来たのは確かだ。お互いが、敵だ、とはっきりと認識したのはこの時だ。
扨、官軍では最も官位の高い皇甫嵩は、報告の為に此の日の内に帝都・雒陽に向けて出立した。残った朱儁は戦後処理を行う為に河北に残ったが、犬猿の仲と言って良い曹操・孫堅・劉備が同所に滞在する事で、復興の効率が上がらないと判断するまで時間が掛かった訳では無い。
「貴公には、兗州東郡の復興を行って貰いたい。東郡は、濮陽の都市機能を失う程の激戦地で有った故に、さしあたって復興には専任の者が必要と判断した」
朱儁はそう言うと、有無を言わせずに曹操を中原へと送り出してしまう。同様に、劉備には、引き続いて従軍を志願する兵士二千を帯同させ、幽州に逃げた程遠志の追撃を命じる。此れまでに、散々に苦労を重ねて来たのだ。落着を迎えれば、誰しも気苦労を抱えたくないと思うのは当然であろう。
皇甫嵩が戻ったのは、二十日が経ってからである。雒陽までの距離、天子への報告と言う大任を考えれば、正にとんぼ返りと言って良い。しかも、黄巾賊討伐の任務を果たし、本来なら勲功に対する褒賞が告げられる場だと言うのに、その顔は強張っている。
「涼州で反乱が起きた。首謀者は韓約と言う士大夫だ。幷州の董刺史と協力し、其れを討てと言う詔が下った」
朱儁と孫堅の顔は明と暗、まさに正反対であった。勿論、愁眉を開いたの孫堅だけである。再び武功をあげる機会を与えられた――、と。
従軍を希望した者を連れ、涼州の反乱討伐を目的した軍は、河水沿いに西へと向かった。
◇
太平道の反乱の鎮圧をしてみたものの、海内の混乱が静まった訳ではない。現に涼州では新たな反乱が起こり、朝廷の権威の低下は明らかであった。弱まった支配力は地方には及ばず、此れまで日の目を見なかった傍系の諸侯の反乱、と言う最悪の事態も懸念される。併し、其れを抑えきるだけの軍事力すら、今の朝廷には残されていないのが現実だ。
劉焉と言う人がいる。字は君朗である。
劉焉は、西漢六代皇帝劉啓の第四子・劉余の末裔で、王家とは叔父の血筋に有る。因みに現王家は、第九子・劉発の家系であるが、本家である為に、劉余の方が兄であっても伯父の家系には為らない。
其れは扨置き、此の時は中央官僚でも権力の大きい九卿の一つ、太常の役職にある。又、太常に出世する前は宗正、その前は冀州刺史、更にその前は南陽郡太守であった。
刺史と太守は、共に官位で言えば五品官であるが、付属する利権には大きな開きがある。
刺史と言う役職は、州単位の行政区分を司るものだが、地方行政長官の監察を行うだけで、その権力は任地の広さからは考えられない程に小さい。郡太守や県令・県長と違い、責任が大きい割には軍事権や徴税権は無く、蓄財が成る地方官と言う意味では、面白味が無い役職と言って良い。
地方官として転出したまでは良かったが、劉焉も、そう言う所に不満を抱いていた一人だ。しかも、冀州に属する魏郡や渤海郡では唸る程の利潤を得る事が出来るが、刺史は、其れを見逃す為の賂を手にするのが精一杯である。
軍事権が無いから不正を論っても討伐する事は出来ず、中央から憲兵の到着を待たなくてはならない。其ればかりか、保身の為に誅されかねない立場でもある。その殆どが、軍事権依って解決できるが、中央省庁には其れを改善する動きは全く無かった。
地方行政に重点を置き、自治権の拡大が必要であると、劉焉は常に上申してきた。『陳勝・呉広の乱』や『呉楚七国の乱』を引き合いに出し、地方での大規模反乱が如何に危険であるかを解いて来たが、結局は取り上げられる事は無く、再び中央政府へと呼び戻される。
劉焉は、現王朝に失望している。『黄巾の乱』が起こり、尻に火が付いた所で慌てて見ても、既に後の祭りと言って良い。既に朝廷の存命の為に上申しようとは思わなかったが、自身の保身の為には再び上申を繰り返しても良いと思った。
劉焉が、天子の近い太常にまで出世していた事が幸いした。しかも、黄巾の乱、涼州の乱、更には東方では張純が鳥丸と結託して河北を荒らし回っているという声も聞こえて来る。政治には関心を持たない時の天子劉宏であっても、後世にまで残る歴史書に、靈帝や厲帝・壊帝と言った不名誉な諡では記されたくは無いのだ。
「今こそ地方行政の自治権を強化し、劈頭の部分で反乱を封じなければ、時を置かずして国家は消滅してしまうでしょう。併し、今回の黄巾の乱や涼州の乱からも分かる通り、県朝や県令、太守にはその能力に欠けております。彼等を見張る刺史には軍権が無く、喩、反乱の目を早期に発見しても鎮圧する手立てが有りません」
「刺史にも軍権を与えれば良い、と言う事か?」
「御意に御座います。さすれば、県令、太守、新たに設ける州牧と、三重の防衛網を築けます」
「良し」
劉宏は、即座に裁可を下した。今の如何にもならない世を立て直せば、希代稀なる皇帝として名を残す事が出来る――、と。国家を立て直す政治には全く意欲は見せなかったが、名誉欲は途方も無い程に強かった、と言う事だ。
まんまと舌先三寸で州牧と言う役職を手に入れた劉焉は、志願して任地と為った益州へと去った。又、太尉・張温の強い勧めで、荊州牧には劉表が着任する。
地方分権化が進む事に依り、諸領主や諸侯の権力が増大した。表向きだけは漢王朝の行政は充実したが、天子・劉宏の目論見とは大分に違っていた。尤も、彼は其れに気付く事無く世を去る事に為る。
◇ ◇ ◇
扨、荊州は江湖付近である。
水賊王に為る――、とは飽く迄建前であろう。寧ろ、意気込みと言った方が良い。但し、李光が考える王とは帝の事であり、言葉が意味する本来の所からは外れるが、百歩譲って徳を備える王の事である、と考えている。罷り間違っても、力で相手を屈服させる覇者の事ではない。
では、水賊王とは何であろうか。江湖に秩序を齎す者と考えていると言うなら、闇雲な掠奪は行わず、又、他の水賊にもさせないと言う事でもある。
この事を話した李光は、甘寧からあっさりと鼻で笑われた。併し、李光には、甘寧を肯かせる目算が有る。
「私自身が船荷の積み下ろしをする人足として働いた事が有るから気付いたのですが、船荷には必ず目録には記されていないもの、詰りは闇荷と言うものが有ります」
甘寧の口の端が僅かに動いた。だが、ここで口を挿もうとは思わない。此れで話が終わるのなら単なる浅慮と言うしか無く、奪った闇荷をどんな方法で売り捌くかを提示できなければ、絵に描いた餅でしかない。
「水賊としての生業を成立させるには、闇荷を多く積み込んでいる船を襲わなくてはなりません。又、その荷を売り捌く為に、商賈と結ばなくてはなりませんし、場合に依っては其れ以上の者とも、です。其処で、先ずは江陵を始めとする江湖近隣の任侠と手を結ぼうと考えています」
「ほぅ……」
甘寧は、思わず感心の声を上げた。疎漏が無いと言えば褒め過ぎだが、掠奪の前後の事まで考えていれば上出来である。足りない所は、話し合いを重ねて恰好を整えていけば良いだけだ。だが、彼女には如何しても聞いておきたい事が一つだけ有った。
「官軍に依る、討伐の可能性は?」
「無い、と考えています」
李光は即答した。当然、その裏付けの理由も有る。
「抑々、闇荷は、運搬する船荷の目録から外れていて、闇荷意外に手を付けなければ掠奪の証拠が残りません。加えて、闇荷にしなければならない物なら、大凡中身が何かは想像が付きます。例えば塩や鉄、金や銀と言った、官給品の横流し品か、若しくは賄賂として使われる玉璧と考えて良いでしょう。本来は取引が禁止されているものが殆どですから、共倒れをしてまで官軍に通報する事は有りません」
甘寧は肯いた。
「任侠頭との繫ぎは?」
「勿論、私が遣ります。甘女子は、船には欠かす事が出来ません。かと言って、文字の読み書きが出来、詩経も有る程度理解している者の方が、交渉には望ましいでしょうから、適任は私しかいません」
二人の言う任侠は、現代の任侠とは大きく違う。元々任侠とは、儒教の孝道に法った葬儀の為の人材集めを生業としていた者だ。其れが漢王朝の高祖・劉邦の時世の話で、年代が下るに従って、彼等の職種は多岐に亘る様に為った。
漢代の末期では人足などの人材の斡旋、揉め事の仲裁、陳情書の代筆と、寧ろ、何でも屋と言った方が近い。県政でも、城内の治安は任侠衆との結び付きが無ければ覚束ず、彼等の力無くしては、県政は立ち行かない程に為っている。
行政にも深く関わる任侠だが、官吏と癒着している訳では無く、寧ろ、自治組織と言った方が正しい。其れだけに彼等の活動を存続されるには其れなりの収入は必要だし、斡旋や代筆の見返りだけの収入では、運営はかなり厳しいのが実情である。
言うなれば、慈善事業に近い任侠家業だが、其れだけに、存続には多額の資金を必要としている。県令や丞、尉と言った執政者の懐から多少は援助されてはいるだろうが、所詮は焼け石に水だ。そんな彼等に、闇荷の売り上げの何割かを活動資金として譲渡すれば、必ず話に乗って来るとの目算が有る。
後は、海千山千の任侠頭と渡り合えるだけの肝の据わりが李光に有るか如何か、と言う事だけだ。
甘寧は、面白い者を拾った――、と思った。水賊は律令に触れる行為だが、此れまでは官軍から逃げる事で生き永らえて来ている。其処に嫌気を感じて船を降りた者も少なくは無いのだ。
闇荷を忍ばせた者や同業者の私怨は強くは為るが、非合法の闇荷の略奪なら律令の網目を掻い潜る事から、罪人として官軍から追われる事は無くなる。不正を暴くと言う事にはならないが、義を通す、と言う意味では与党の者からは賛同を得られるだろう。
上首尾に終われば其れに越した事はないが、上手くいかなくてもやり直すなり、他の方法を考えるなりすれば良いだけだ。経験を積む、と言う意味では分を通り越しているが、李光を見ていれば、そうでも無いかもしれない――、と甘寧は思った。
以前にも語った事だが、江陵は歴史ある都市であると共に名立たる大都市でもある。荊州の物流の中心地であると共に、郡府も置かれる政治の中心地でもある。豊穣の土地が周囲に広がっている事から口数も多く、仕事が多い事から戦禍を逃れた流入難民も多い。
大都市にありがちな事だが、城郭が巨大に為り、口数が増える程に諸問題も増加するもので、当然の様に官吏の数は増えるのと同じ様に、任侠として名を馳せる者の数も増える。従って、数組の任侠衆が出来上がり、当然の様に彼等の間では縄張り争いが行われている。解決法は様々で、暴力に依る決着も有れば、政治に依る方法もある。後目を襲う者の存在が無かったり、頭領の采配が上手く無く、自然と衰退して行く所と実に様々だ。
選択肢は幾つか有るが、絶対条件は、水運商に顔の利く所である。付加条件として、錦帆賊の存在に有難味を感じてくれるかどうかであり、文字が書け、或る程度は詩経を諳んずる事の出来る李光の存在が必要か否かは、おまけの様なものだ。
扨、こう言った実勢調査は、それ程難儀な事ではない。火の無い所に煙が立つ筈は無く、人の集まる所で噂話に耳を傾ければ良いのである。
そんな中で李光が目を付けたのは、霍篤と言う土豪である。江陵の人では無いが、水運や漁業で成り立つ枝江と言う、江陵に程近い小規模の城郭に住居している。彼自身は任侠では無いが、実直で面倒見が良く、土地の人々もよく懐いている。性格から来るものなのか欲が無いからなのかは分からないが、世渡りは上手くない。其処が、任侠に気に入られて、彼等との付き合いも少なくは無い。
枝江県は、江陵より江水を遡上して一日と言う所だ。先を急ぐなら船を使え、は江湖周辺ではお決まりの言葉で、勿論、一般の商船に乗って枝江へと向かった。
江陵が視界に収まらない位の大都市と言うのなら、枝江は周囲の景色に飲み込まれてしまう程度の小都市だ。口数も数千程度で、周囲に漁村が幾つか有る小県である。
船頭と門衛に心付けを渡した李光は、城内へと足を踏み入れる。一軒しかない酒家で霍篤の屋敷の場所を聞き、その足で向かう事にした。専権の与えられた土豪の住居である、勿論城内に有る筈は無く、枝江に程近い一邑である事は言うまでもない。
名は体を表す言葉が有る様に、屋敷の佇まいは主人の性格を表す事が多い。霍篤の屋敷は質素で、教えられなければ、土豪の其れだとは誰も思わない程だ。
敷地の境界には塀や生垣と言った仕切が無いばかりか門までも無く、其れを示すだけの置き石が有るだけだ。外部との仕切りを設けないのは、近隣の農夫や漁師と一体になって暮らそう、と言う覚悟の表れであろう。李光は、霍篤と出会う前から彼の人柄に魅かれ始めている。
「霍先生は御在宅でしょうか?」
李光は、律儀に置き石の外側に立って声を掛ける。同郷の者に心を開いているから来訪者にも心を開くとは限らない。寧ろ、或る程度の礼節を守る事に依り、其れなりに重要な話をしに来た、と言う意味もある。
待つ事暫し、のっそりと姿を現したのは、土の塊の様に、真黒に日焼けした男であった。豪族と言うよりは寧ろ、農耕者を束ねる庄屋の様にしか見えない。
「俺が、霍篤だが……」
李光の容姿を見詰めた霍篤は、訝って口籠った。彼を訊ねて来るものは、概ねが故郷を追われたり、戦禍を免れたりと、襤褸を纏ったり、如何にも着の身着の儘の粗末な衣裳の者ばかりである。李光の様に、豪奢なものでは無いにしても、特に職にあぶれてもいなければ困っても居ない風体な者の来訪は、稀なのである。
「如何言った御用件か?」
「私、李光と申します。錦帆賊の一員で、霍先生に相談事が有って参りました」
返答を聞き、目を真ん丸にした霍篤は、穴が開く程に目の前の青年を見詰める。彼に相談を持ちかけるのは、近隣の農夫や漁師、偶に江陵に出向いた時に昵懇にしている任侠衆から律令や詩経の事で相談を受ける位だ。抑々、水賊と、何事も力付くで物事の解決を図る者が多く、相談する必要すらないのが彼の認識である。
しかも、目の前の青年の様子は、霍篤の知る水族の態度からは余りにもかけ離れている。略式とは言え、礼法に法るだけの知性が有るのが水賊の本来の姿なのか、それとも粗野な振る舞いが演技なのか、良く分からなくなってきた御蔭で、客人を目の前にし、霍篤は一人で百面相を始めてしまっている。
――俺は、知らぬ間に世間から取り残されてしまっているのか?
と。
「私は、遂先日に為って水賊に身を投じたばかりなので、少々異質かもしれません」
安堵をしたのか拍子抜けしたのか、霍篤は大きく溜息を漏らして強張った面差しから力を抜いた。同時に、水賊の青年が、零落れた土豪にどんな用件が有るのか――、とも。其の疑念は表情になって李光へと伝わっている。
「実は、霍先生に、水運商に顔の利く任侠を紹介して貰いたいのです」
霍篤は再び訝った。任侠は、水運商に人足の斡旋をしている事が多い。水賊が其れを欲している、其処から導き出される答えと言えば、人足から情報を得て高価な積荷を奪おうとしている、と言う事だ。勿論、此れも表情に現れている。
「霍先生の御察しの通り、我々の目的は、積荷が何かを知る事に有ります」
不埒な孺子だ――、霍篤はそう思って李光を敲きだそうと片膝を立てたが、青年は一向に其れを気にする事無く、涼しい顔のままで話を続ける。
「私自身も長沙で人足をしていたのですが、積荷には、目録に含まれていない荷物が多くあります。所謂、闇荷と言うものです。例えば、塩や鉄、金や銀などの官給品の抜け荷であったり、南方からの交易品の横領品、玉璧などが其の殆どでしょう。中には、百姓から過剰に徴税した物も有るでしょう」
霍篤は片膝を戻し、何時の間にか元の居住いに戻っている。青年が口にした物を奪う為と言うのなら異存はないが、やはり、任侠を紹介しようとは思わない。敲き出す――、と言う気持ちは消えたが、御引き取り願う――、と言う考えには変わりがない。
霍篤の心の内を知ってか知らずか、李光は不意に視線を窓の外へと移した。
間も無く夕闇が訪れる。茜に染まる太陽は稜線の間際まで追いやられ、東には気の早い星々が瞬き始めている。
李光は、霍篤の視線が窓の外に移るのを待ってから口を開く。
「天は多くのものを持っています。太陽に月、満点に輝く銀漢、風に吹かれるが儘に彼方此方を旅する雲も、きっと天の持ち物なのでしょう。ですが、水賊や偸盗と言った者達は、手には何も持っていません。其れ故に欲するのです」
霍篤は、李光が口を閉じるか閉じないかの内にさっと俯いた。此れまでの李光への義憤は、遥か彼方まで消し飛んでしまった。肩を竦ませる様子は、我が家だと言うのに身の置き所の無さを感じているからだ。顔を赤らめているのは怒りの表れでは無く、恥じて、である。霍篤が英邁であるからこそ、李光のこんな揶揄を理解出来てしまった。
天とは天子、詰り、漢王朝の事である。太陽、太陰、星は天空に浮かぶものであり、天空を海内になぞれば、全てを掌中に収めていると言う事に為る。一方、盗賊は何も持っていないから人から物を盗む、と言う事だが、此の額面通りの事を言いたい訳ではない。
これは、キーワードとして〝向上心〟と言う言葉を用いると、意味が容易に氷塊する。朝廟は、ものを多く持ちすぎたから思考が停滞してしまっている、と言っているのだ。
霍篤が持っているのは、其処彼処が綻びている廃屋と、自分が食べて行けるだけの田畑だけだ。御蔭で嫁の〝来手〟も無い。土豪と言う立場の人から考えれば、寧ろ何も持っていないと言ってしまって差支えが無い。
にも拘らず、そんな霍篤が俯く程に恥じ入ってしまったのは、何事にも物怖じしない李光の態度に呑まれてしまったからと言って良い。水賊と言う、本来は人から蔑まれる様な生業の筈なのに、海内の誰よりも、其ればかりか王家の人よりも余程に華冑の人に見える。崇高な思想の持ち主と言うより、純心の持ち主と言った方が近い表現だろう。人としての差を見せ付けられている様な気がしならない。併し、未だ全面的に屈服した訳では無い。
「一つだけ、お聞きしたい。略奪した積荷は、如何為されおつもりか?」
「手に握ったままでは、もう何も望めなくなります。江湖の為に使うのが筋でしょう」
霍篤の首は、たわわに実った稲穂の様に垂れた。
この御仁は、江湖に新たな国を作ろうと言うのだ……――、と。
◇ ◇ ◇
秩序と言うものは、誰が何をしようと早々に出来上がる訳ではない。強要をせず、長い年月を掛けて定着させてゆくのが根付く為の最短手段であろう。併し、一年もすれば、何かしらの決まり事が生れてくる。襲撃の時間や場所を設定すれば、商船は災難を避ける為、自然と航路が限定されるし、航行する時間帯も決まって来る。
育った規律は小さく儚いが、怨嗟は途方も無く大きくなっている。巨万の富へと変わる闇荷が悉く奪われれば当然の話だが、正規の荷物には全く手を付ける事は無く、さりとてそれらの中に潜り込ませれば必ず取り出されていて税関の摘発を受ける。手段が解らなくとも、錦帆賊が裏から糸を引いていると見当が付いていれば、荷物の運搬の依頼主が報復行為に訴えるのも必定であろう。
錦帆賊には、多くの敵が出来たのは事実だ。とは言え、事実としては錦帆賊からお零れを頂戴する者は少なくは無い。仇なす者が数多くいたとしても、必ず其れに近い数字の与する者もいる。
錦帆賊の駆逐する為に襲撃を計画しても、結局は彼等を通して露見し、成功した試しは無い。抑々、闇荷を奪う様に為ってから、李光は全く甘寧と行動をともにせず、霍篤から紹介を受けた任侠の下に住み込んだ儘で様々な情報の収集に努めている。勿論、情報は巷で囁かれているものから、行賈を利用して得るものまで様々である。
光陰矢の如し、と言う言葉が有る。月日が過ぎ去るのは早いと言う事だが、其れは間違いのない事実であろう。李光が水賊に身を投じてから既に数多の月日が過ぎ去っている。
黄巾賊の反乱は終結し、その後に起きた涼州の乱も、董卓の進言に依り、拡大を防ぐ為の封じ込めを行っている。首謀者に提示する条件次第では、早期の解決も有り得るだろう。
荊州を震撼させた反乱が起きたのはこんな時である。
先ずは、零陵で觀鵠と言う盗賊が反乱を起こした。此れは大した規模では無かったが、ゲリラ戦法が幸いして中々鎮圧が出来ず、其れに即発されるようにして湖南地方では反乱が群発する。中でも、桂陽と長沙に跨る井岡山で反乱を起こした区星は、強制労働を科せられている鉱山夫を纏め上げたばかりか鉱山を要塞化し、漢王朝に反旗を翻した。とは言っても、事実は周辺で略奪行為を行っているだけで、敵対理由を明文化できる様な反意は無い。唯、自由気侭に生きたい、とい願望が有るだけだ。其れに蘇馬や周朝、郭石が協調し、湖南地方はかつてない程の反乱に見舞われる様に為った。
反乱自体は群発的なもので、官軍を投入すれば、鎮圧は容易ならざる事では無い。
唯、小さくない問題がある。一つは井岡山には官給品である鉄の発掘が出来る事、その他にも金や銀の採掘が出来る事だ。豊富な含有量が有る訳ではないが、窮地に陥っている漢王朝には、大きな経済打撃であった事は言うまでもない。
加えて、場所が場所だけに、湘水の傍を通る南方からの交易が遮断された事、更に、労役に従事していた二万の罪人の粗全てが反乱に加担した事だ。
そして何より、王朝には鎮圧軍を派遣するだけの予算が調達できない事だ。結局、湖南地方の騒乱は、西涼の反乱の片が付くまで見過ごされる事に為った。
当然、見捨てられた湖南地方では略奪が横行し、人々の暮らしは困窮する。
李光が出入する任侠の下にも、此の反乱の鎮圧を切望する陳情書の代筆が殺到する様に為った。其ればかりか、錦帆賊に江湖の治安の維持を望む声も少なからず届けられる。
李光は、久し振りに甘寧の元へと向かった。
「井岡山の事、聞きましたか?」
「区星の反乱の事だろう」
「此方と敵対している水賊と折衝している、と言う事は?」
甘寧は頷いただけであったが、真一文字に結んだ口が問題の大きさを示している。今は戦いの質で他の水賊を圧倒しているが、結局は、錦帆賊に与する水賊を加えた所で精々五百が動員できるに過ぎない。とてもでは無い、二万を超える盗賊と戦った所で勝ち目は薄い。其れが、錦帆賊が有利な水上戦であったとしても、だ。
「先に水賊を敲いてしまいますか?」
「向うの動きが此方に知れているのと同様、此方の動きも……、だな」
李光とて、その位の事は分かっている筈である。にも拘らず、強硬な手段を用いてでも、江湖の支配権を確立しようと考えるのは、若さ故の焦りなのか、軌道に乗り始めた事業を滞らせたくないとの考えなのかは分からないが、どちらの気持ちも強いのが事実だろう。
「併し、区星の後手を踏めば、一気に江湖での力関係が逆転します。江湖の支配権の確立の為にも、今の内に洞庭湖と湖南地方は隔絶して置くべきです」
李光は、更に勢い込んで口を開く。やはり、若いのだ。窮地に陥るぎりぎりまで我慢して戦う、と言う事は未だ出来そうにない。
「勢力の大小が有っても、大勢力を率いる者が頭領に為るとは考えていないのが、盗賊と言う存在でしょう。時が進み、優劣がはっきりして手を組む前に、水賊だけは駆逐すべきです」
「理屈では、そうだがな……」
特に水賊は、理詰めで行動するより、感性で行動する者の方が多い――、と続く筈だったのだろう。李光とて、水賊に身を投じて二年近い月日が過ぎ去っている。水夫達を見れば、感情に任せた行動をとる者が殆どだ。寧ろ、欲望に従順だ、という事は言われるまでも無い。言うなれば、後々の事よりも、目先の事に目を眩ませてしまう者が多いと言う事である。だが、必要以上に追い詰めれば、臥薪嘗胆の思いを胸に抱いて結託する可能性は捨てきれない。
併し、此の儘で手を拱いている訳にはいかないのが現実だ。
昂り始めた心を落ち着けようと言うのか、李光は船縁に手を突いて洞庭湖を眺めた。鏡のような湖面に陽光が反射し、浮世とは思えない不浄の世界を作り出している。其処を、滑る様に一層の商船がのんびりと移動している。
李光の脳裏に、ぼんやりとした計画が浮かんだ。
「武陵の臨沅に向かう水路に、少し余剰の荷を積んだ船を向かわせれば、気紛れで慾深い水賊達が喰い付いて来ないでしょうか?」
「情報が洩れなければ、と言う条件付きだがな」
「偽装を兼ねて、もう一艘の商船を江陵に向かわせ、此方の本船に後を追わせればどうでしょう?」
甘寧は沈思する。二重の囮なら或いは――、とは思うが、即断しないのは、彼女が全ての乗組員の命を預かる頭領の立場に有るからだ。錦帆賊の勢力が拡大するのは、通常の水賊の様に感情に身を委ねる事が無く、頭領が理性を以って統率しているからと言って良い。
其れでも勇断が必要な時は有る。今が其の時であると考えた甘寧は、はっきりと肯いて意志を明らかにした。何かを望めば必ず試練は有る、腹を括って立ち向かわねばならない時はあるのだ。
唯、此の事は甘寧と李光の胸裡だけに伏せられ、他の者に告げられる事は無かった。
李光は再び江陵へと戻り、架空の荷主で船便の手配を始める。甘寧は、巴丘で江湖の動静の逐一に目を配っている。人事は尽くした、後は獲物が網に掛かるのを待つだけだ。
賽は投げられたのだ。