表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
飛湍の中  作者: GOLDMUND
20/22

・19 方略(上)

長めの文章を書く事はあきらめました……

 泰山は翠黛の極みに有る。()県を発って常に視界には泰山の姿を見せつけられているが、彼方からは深緑一色の山塊は近付くに連れて徐々に姿を変え、琅邪県から見た泰山には翠黛を搔き分ける様に各所では嶮しく岩肌が見える態が人の侵入を拒んでいる様であり、其の態が余計に霊峰としての神々しさを感じさせている。

 国都の琅邪県に到着したのは二日目の夕刻であった。城内は活気に満ちている訳では無いが切迫はしておらず、寧ろ長閑な様子と言って良い。李光は其処に怪訝さを感じた。糜竺の話に依れば、泰山には賊徒が篭っている筈である。李光の江湖での行いまで知っていると言う情報の精度から言えば、其れが誤報であるとは考え辛いのだ。

 本来、賊徒は生産性を持た無い筈である。一家揃って賊徒に身を窶したとしても、峻嶺とも言い換える事の出来る泰山では農事は不可能と言って良い。勿論、少量なら可能であろうが、如何あっても、億万*を越える民の反乱が黄巾の賊徒の真相だとすれば、其れに近い数の民が篭っていると考えるのが自然であるし、そんな人数の口を満たす事は難く、自家生産による生活は不可能である。当然、賊徒は近隣の集落に掠奪に向かうと考えるのが道理であろう。

(*:当時の単位は万の次は億、その次は兆と十万、百万の概念は無い)

 ならば、やはり穏やかな民の貌は不可解なのだ。

 ――何かが有る。

 と思った方が自然である。

 翌朝を待ち、李光達は陽都県に続く山道を登り始める。本来なら山頂に近付くに連れて状況は悪化するものだ。にも拘らず、幾つか有った集落の様子は琅邪県の其れと同じである。不可解さを覚えつつも、昼過ぎには中腹にある陽都県に到着し、其の頃には一つの仮説が李光の頭の中で出来上がっていた。

 其処で住民に尋ね、更に山頂に近い集落に諸葛家が有ると知ると、李光はその足で向かい、陽射しが西に傾いた頃には諸葛邑に到着している。

 声を掛けると直ぐに対応の者が現れた。が、家僕が対応に現れると思っていただけに幼い少女である事は意外であった。背は低く、短く切り揃えられている浅黄色の髪は軟らかそうである。零れそうな程の大きな瞳に対して唇や鼻梁は小さく、目尻に向かうに従って垂れている眼や眉からは、柔和と言うよりは気弱な印象の方が強い。其れらが真丸の顔の中に納まっている。はっきりと言えば、頼り無い印象を受けるのだ。

 ――大丈夫なのか?

 と、不安に思わない筈は無いが、李光は用向きを告げると、少女は澱み無く口を開く。

「姉は外出しております。ですが、態々朐県から御越し頂いた客人を帰せば叱られてしまいます。夕刻には戻ると思いますので、(なか)でお待ち下さい」

「では、此処で」

 と応じた李光は、玄関脇に有る濡れ縁に腰を下ろした。此処なら、通りからの人目を避ける事が出来る。見た所、対応に出た少女以外に屋内に人影を見受ける事が出来ない。田舎だけに人目を気に掛ける必要はあるもので、若い身空の女性が住む家だけに変な噂を立てられない為にも、やはり配慮が必要だと思ったのだ。周泰と蒋欽、陳武の三人も李光に倣って濡れ縁に腰を落ち着けている。

 少女は何かを言いたそうにしたが、李光達の様子を見て其れを飲込み、暫くして白湯を運んで来て持成した。


 扨、諸葛家の当主が戻るまで少々の間が有る。此の(いとま)を利用して少し余分な話をしようと思う。

 此の頃の諸葛家は、所謂『在野』にある。唯、まるっきり政府とは無関係な立場を貫いている訳では無く、当然の様に隠棲して晴耕雨読の日々を送っていると言う事でも無い。此れは、『在野』を構成する『野』の文字に起因するもので、『野』の対義語が『与』であるだけに容易に納得できる。もう少しだけ補足すれば、其々の後ろに『党』を付ければ、尚解り易くなる。

 但し、現在の様な議会決定によって政治が行われていた訳ではない当時は、与党と野党の確執は根深いものであった。此の最たる例が『党錮の禁』である。其れだけに野党であれば政府に留まる事が出来ず、韜晦をするか、野に下る選択しか無かったのは事実である。特に、東漢の後期は野党にとっては住み難い時代であった事は確かだ。

 諸葛家が在野の立場に身を置く様に為ってから随分と歳月が過ぎていて、西漢の末期に活躍した諸葛豊にまで遡る事が出来る。当然ながら、彼の時代には積極的に諸葛家は政治参加している。

 諸葛豊は九卿の一席に当たる光禄大夫、詰りは東漢の時代で言う光禄勲にまで出世している所を見ると、其の頃までは漢王朝を是といていたか、若しくは政府が正常な立場にあったのだろうと推察する事が出来る。

 唯、信任を得ていた筈の当時の皇帝の元帝・劉奭から、有る一事を契機に粗略に扱われる様に為り、讒言などが理由で疎んじられる様に為り、軈て諸葛豊は野に下り無官に為って生涯を終えている。其れが要因かどうかは不明だが、一族は失望か抗議の意味で在野と言う立場を迎え入れたと考えて良いのかもしれないし、諸葛家は代々その事を怨んできた可能性はある。

 併し、在野の立場を選んだからと言って諸葛家から官人が排出されなくなった訳では無く、諸葛亮の父・諸葛珪は泰山郡の丞を務めている。王朝の有り方を肯定していないまでも庶民の為に官途に上っている。即ち其れが士大夫であり、名家の一員に備わる矜持であろう。


 僅かな時間でも惜しいので話を戻そうと思う。

 扨、諸葛家の当主、瑾の帰宅は、気の早い一番星が、東の雲の合間から恥ずかしそうに顔を覗かせた頃であった。

「我家に御用でしょうか?」

 諸葛瑾が玄関脇に人の姿を見止めれば、此の言葉は当然であろう。

 立ち上がった李光は深く辞儀をし、

「李光と申します。諸葛先生の御知恵を借りに参りました」

 と応じた。見知らぬ人からの相談に心当たりの無い諸葛瑾は少しだけ首を捻って考える素振りをしたが、

「何の相談かは知りませんが屋外で伺う道理は有りません。内で話を伺います」

 と言うや先頭に立って屋敷の鴨居を潜る。李光は素直に従って後に続いた。勿論、周泰と蒋欽、陳武の三人もである。

 諸葛瑾の容姿は、先程の少女とは太陽と月ほどに違う。背はすらりと高く、比較的長身の李光と遜色が無い。面長の顔立ちに切れ長の瞳、通った鼻筋に薄めの唇を見れば、寧ろ怜悧さを感じる。勿論、初見の李光をぞんざいな扱いをしない所からすれば、抱いた印象と実際の性格が合致しないと言う事は明らかである。唯、家長らしい厳しさはある。出迎えに現れた少女を一瞥したかと思うと、こんな言葉を口にした。

「亮、客人を外で待たせるとは何事ですか」

 と。尤も、此れも李光の仲裁で事無きを得ている。原因は李光に有るのだから、仲裁に入るのは務めであろう。

 奥部屋に通された李光は、身分と共にこうなるまでの経緯を語った。同時に、

「糜大人は、永続的な利益を求めていると口では仰いましたが、恐らく、各行政府に淮水流域での治水事業を行わせる為の草案を示せ、と言う事なのだと思います。事実、淮水流域を富ませるには、治水事業を進める他は無いと思います」

 李光の話を聞き、諸葛瑾は其れと判る位に難しい顔に為った。勿論、隣に控えている諸葛亮も、である。抑々、彼女達は現政権を嫌っているのだ。農地が整えれば、収穫が増えるのは当然の話であるが、そうなれば、官人が必ず欲心を膨らませて不正を行う様に為る。残念ながら、其れが今の漢王朝の性癖の様なもので、そう言った事に手を貸そうとは思っていない。

 と言うのも理由がある。彼女達の父親の諸葛珪は、二人が幼い時に亡くなっている。近隣の兗州泰山郡の丞を務めていたが、太守の不正を見咎めて叱正を試みた所、逆恨みをされたのだ。しかも、捜査にも太守の手が回り、結局は事故死で片付けられている。掛替えの無い存在だけに二人の憤りは大きい。庶民からの相談を受ければ其れに応え、足繁く通う二人であっても、役府からの要請には耳を傾けずにいる。但し、必ず何処かで役府と関わり合いが出来るのは、彼女達が望まなくても仕方がない事だ。

(わたくし)達では力に為れそうに有りません」

 とは、二人にして見れば当然の答えだ。

 その答えを耳にした李光は己が非力さを実感し、肩を落として俯いた。魯粛とは些細な繋がりであっても、乗り掛かった船だけに最期まで付き合おうと思っている。が、其れは他人に言わせれば疑問でしかない。

 諸葛姉妹も、直ぐにその事を疑問に思った。

「抑々、何故、李先生は他人事や余所の土地の事なのに、こんなに拘るのですか?」

 と。

 当然ながら、この答えは決まっている。李光には中途半端で投げ出す事に後悔があるからだ。

 ――同じ轍を踏みたくはない。

 と。

 が、本当に其れだけなのか、と改めて考えを巡らせてみた。とは言え、考えて分かるなら、もっと流暢な説明が出来たのだろうが、今一つ曖昧なのだ。其れでも李光は、敢えて心に浮かんだ漠然とした答えを言葉にする事にした。

「悔しいではありませんか……」

 と。

「見込まれて頼まれたのに、放り出すなんて悔しいではありませんか」

 と。喩、益には為らずとも、諦めずに物事に立ち向かえば、軈ては経験に為り、自信へと繋がる。心血を注いだ心算の江湖で秩序を作り出す事は叶わず、襄城李家の再興の夢は李瓉の実子の存在の発覚に依り頓挫したが、義父を見習い、士大夫たる者は海内の民の役に立つべきだと言う考えが根底にあるのだ。其れを建前とするなら、もう一つは李光自身に内在するもの、詰りは本来持つべき性格に起因している。

 唯、此の拙い言葉は諸葛姉妹の琴線に触れた。二人も、百姓(ひゃくせい)から受けた依頼をやり掛けの儘で放り出す事はしない。やはり、彼女達も負けん気は強いのだ。野に下っていても、そして与党に反発はしていても、名家としての矜持までをも捨ててはいないのだ。

「解りました。微力ながら協力をします。様々な模索してみましょう」

 諸葛瑾の言葉は必然であり、考えるよりも先に応えていた。


 翌日から様々な意見交換が始まったものの、目を見張る様な意見が出なかったのは、銘々の経験の少なさと若さが故だ。が、其れよりも、答えの寧ろ行き着く場所、落とし所が分かっているだけに仮定を編み出すのが難しいのだ。難問だけに口を開いている時間より、沈思に耽る時間の方が徐々に長くなり、今では誰も口を開こうとしない。

 諸葛家の一室は、人の気配が有るにも拘らずに初夏の風が奏でる葉擦れの音の方が大きくなっていた。議論が行き交う声より、鳥の囀りや虫の鳴き声の方が余程に活発であった。

 が、其れも束の間の事だ。

「今の世の地方長官を動かそうと思うのなら、徹底的に利得を前面に押し出した方が得策ではないでしょうか」

 とは李光の言葉だ。平たく言えば、土地の生産力が増す事に依って税収が増大し、其れが元に為って官人の収入が増えると触込んだ方が手取り早いと言うのだ。周防との出会いが無ければ、もっと高潔な意見に固執していたろう。が、諸葛姉妹にはそう言った出会いは無く、相貌に多少の不機嫌さを滲ませる。

「私は、そう言った意見には賛同致しかねます」

「ですが、治水には膨大な資金が必要です。其れを工面できるのは、政府しかありません。全を成す為に一事に目を瞑るのは仕方がない事では在りませんか」

 李光の理屈は通っている。治水が成る事に依って、多くの庶民が救われる事に為るのだから諸葛姉妹も承服して力を貸そうと言う気に為ったのだ。が、政府への蟠りは小さくは無く、気持ちが思考と同調できないのだ。

「其れに、諸葛女史とて琅邪国の政策を黙認しているではありませんか」

 そう言うと、諸葛瑾から不機嫌さは潜めたが、今度は貌は強張り、躰に力が入って頑なに為った。

 琅邪国が黄巾の賊徒からの略奪を受けないのは、二面外交を行っているからだと李光は予想した。近隣の行政に対して黄巾の賊徒の排除を訴えながら、黄巾の賊徒に対しては食糧等を譲渡して民の安全と国の体裁を保とうしているのだろう、と。弱小国には能く見られる政策だが、周囲からの信頼は明らかに低下し、肝心な時に相手にされなくなる。春秋時代に強国に囲まれた鄭が行った政策として有名だが、歴史上でも随一の政治家と言って良い子産が執政に為って国政を立て直すまで、まるで国家として信頼が無かったばかりか国民も見下げられ、周囲の国々や人々から全く相手にして貰えなかった。

 其れで民の生活に支障が有るかと問われれば言い返す事は出来ない。が、民を主導する士大夫や名家の信頼は、国家への其れと同様に損なわれる事に為る。国家と袂を分かっている諸葛家には関係無い、とは言い切れない問題だ。

 その事を認めていなくても、口に出さないのなら賛同しているのと同じであり、其れならば、先の李光の意見にも賛同すべきなのだ。

 が、俯いた儘の諸葛瑾はやはり賛同が出来ない。気持ちの問題だけに仕方がないのだ。其れほどまでに王朝への意趣は大きい。

 諸葛姉妹が口を噤んだ事も有り、結局、良案は浮かばなかった。問題が複雑な分だけに打開策を打ち出すのが難しいが、妙案は意外な所から齎される。そっと手を挙げて発言を求めたのは、末席で肩を窄めて窮屈そうにしている蒋欽だ。彼女は淮水流域の壽春が出身地であるからこんな言葉が漏れたのだ。少なくとも壽春の周囲では平穏俗語に等しい常識なのだ。

「あのさ……、壽春には莫大な富を築いている袁家の分家があるんだよ。其処に頼る、て訳には行かないの?」

 と。彼女は頭脳よりは肉体派で、考えるよりは体を動かす方が得意だ。其れだけに自分の意見に自信が持てず、御伺いを立てると言う口調であった。が、この発言が一つの活路には為った。

「豪族に資金を出させる手段、ですか……」

 此れが成れば、諸葛姉妹の蟠りを含めた諸問題が解決する。行政を頼る事無く、治水事業が成るかもしれない。李光と諸葛姉妹は、様々な方向から思案を始めた。が、先程の両面外交の事が頭にこびり付いていた事は確かだ。

「……現在の海内の状況を利用できないでしょうか?」

 と、李光の口から漏れるまで、其れほどの時間を要した訳では無い。

「例えば、劉家の朝廟は、覇権争いに依る内政の崩壊と黄巾の反乱が引金と為り、数年後か数十年後かは別として、復活して覇権を握り直す事は難しいでしょうし、敢えて明確な言葉にすれば、滅亡の危機に瀕しています。然すれば諸侯に依る乱世の到来は必然であり、必ず覇権を競う時代が訪れる事に為ります。其の時は武力がものを言いますが、其れだけで築いた王朝では短期での終焉を迎えるか、又は頓挫する事は、曾て起った大秦帝国や覇王と呼ばれた項籍が証明しています。必ず民衆からの支持を得なければならないとは、劉邦が実践する事で証明しています。そう言った事を説得の突破口にして、上手く口車に乗せる事は出来ないでしょうか?」

「やり様によっては上手く事が運ぶかもしれません。乱世の到来は誰もが予感している様で、豪族や士大夫の次世代を担う者は、挙って劉邦を真似て任侠を気取っています。劉邦の行動の本質を理解しているかどうかは別にして、袁家の中でもそう言った浅慮の者を上手く焚付ける事が出来れば若しや、と言う事が有り得ます」

李光の言葉に応じたのは諸葛瑾だが、更に蒋欽が言葉を添える。

「それなら袁術を利用したら良いと思うよ。家の親父が、袁術は箸にも棒にも掛からない、て言ってたからさ」

 と。

 更に時間を掛けて内容を詰め、草案までの筈が拙いまでも実行案にまで発展している。

 治水から土木作業を切り離して考える事は出来ず、必ず其処に賈人の付け込み所が有る。詰り、袁術を上手く扇動できれば、糜竺の出した条件の全ての達成が出来ると言う事に為る。

 本来なら此れで李光は御役御免と為る筈だ。併し、彼は此の事を見届けたいと思っている。勿論、最後までと言う事ではなく、事業の着手が確実なものに為るまで見届ける心算だ。そして李光自身の為にも、危ない橋でも渡ってでも自ら交渉に臨もうと思っている。

 翌朝を待ち、朐県に戻ろうとしている李光を呼び止めたのは諸葛亮であった。

「袁術を担ごうと思うのなら、必ず族姉の袁紹と曹操を引き合いに出して下さい。間違い無く冷静さを失い、陥穽(かんせい)に落ちる筈です」

 と言った。

 陥穽とは、他人を陥れる謀と言う意味だ。この言葉から諸葛亮の心情を察する事が出来る。彼女は他人を騙して行う善行、偽善とも言い換える事の出来るこの策略に乗り気ではないと言う事だが、李光は敢えて気にしない事にした。汚れてでも海内を潤わせる事が出来るのなら、

 ――其れで良いではないか。

 と考えたのだ。

 李光は深々と頭を下げ、姉妹揃って見送る諸葛家を後にした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ