港にて 02
カダは、手の震えを抑えながら、目の前の男たちを睨み付けた。ああ、今日は厄日だ。なんだって俺の担当の時に限って、蛇族なんぞがやって来るんだ。
島ノ人として生まれたカダは、港から離れた島の内陸部で育った。いわゆる田舎の、農ノ民である。幼いころから家族総出で、なまず蛇や甲羅蛇の世話をし、草瓜やジャルジャ芋を育て、収穫しては市場に売りに行った。そこそこ安定してはいるが、きつく、変化にとぼしい暮らしだった。
若い男の常として、冒険がしたかったカダは、成人と見なされる歳になると家を飛び出し、町に紛れ込んだ。そうして港の警備をする兵士になった。運が良かった。たまたま人員が不足し、募集していたのだ。
訓練はきびしかったが、家にもどるのがいやで、どうにかこうにかついていった。慣れなかったのは武器の扱いで、支給された剣や鎧はそれなりに格好良いと思ったものの、自分の体にはいつまでも、しっくりとこなかった。
それでも、真面目に働いた。そのつもりだ。そうして、今日も港の警邏をしていた。船ノ人の操る飛び船が港に入ってくるとうわさが流れ、それを聞いた時には何か、珍しいものが手に入るかと、わくわくしてもいたのだ。さっきまでは。
なのにどうして、俺の前には蛇族がいる!
無表情にたたずむ、薄気味悪い男たち。顔にある怪しげな刺青も、ぼろぼろの服装も、ただひたすら不気味だ。なんだか妙な匂いまで漂ってくる。
幼いころ、悪さをするたびに言われた、『悪い子は蛇族にさらわれるよ!』という母や、祖母の言葉がよみがえる。子さらい。人喰い。魔獣憑き。蛇族を示す言葉は、農ノ民にも、町ノ民にも多くあった。中でもわかりやすいものは、これだ。
『人のなりをした化け物』
手がふるえる。足がふるえる。目の前の男たちが、今にも襲いかかって来るのではないかとの、不安と恐れが消えない。
いや、こいつらは、きっとそう思っている。俺を殺そうと、こちらをうかがっているんだ……!
剣の柄に置いた手に、意識しないまま力が籠もる。ぐっ、と握ったとき、目の前にいた一人の蛇族が、フードで覆われた頭をふら、と動かした。
その蛇族は単に、遠巻きにしていた人々からの野次か、海ではねた魚の鳴き声に、気を取られただけだったのかもしれない。
しかし極限状態になっていたカダにとって、理性の糸を切るのには、十分すぎる動きだった。
「あああああ!」
叫び声を上げるとカダは、握った剣を鞘から引き抜いた。そうして目の前にいる脅威に、斬りかかった。
* * *
「市長。〈疾き風槍〉が入港願いを入れてから、もうかなりになりますが」
「待たせておけ」
重厚な作りの机に書類を重ね、ペンを走らせる現市長、〈赤〉のカンの息子たるグイム・タ・ヴァッロは、秘書官であるエハネ・ツァンの進言に、顔を上げることもなく答えた。
通常の島ノ人よりも色味の濃い褐色の肌、くすんだ白髪。がっしりとした体格は、書類仕事をするよりも、武器を持っている方が相応しいように見える。
意志の強そうな顎と、秀でた額。黒っぽい茶の瞳。人の上に立つ者の貫祿と、命令することに慣れた態度が、仕種にも行動にも滲み出る。書類にサインを続けながら、こともなげに言う言葉に、エハネは困惑の表情を浮かべた。
柳ノ魚島市会議堂。もとは重厚な作りの建築物だったそこは、今ではきらびやかな装飾がほどこされ、宮殿のようになっている。
正面玄関から入ると、大きな広間に入る。床は、磨き抜かれた骨細工と宝虫細工をはめこみ、つややかでいて、美しいモザイクになっていた。しっかりとした海獣の骨を組み、丸く作られた天井には、腕の良い絵師により、青空と天の竜の絵が描かれている。
高価なリベリの花からつむいだ糸を染め、細かな刺繍を入れた布が幾重にも重ねられ、窓や壁に垂らされている。明るく燃えるのは、呪を刻んだ灯。そこかしこにはめ込まれた宝虫細工が、灯の光を受けて複雑な輝きを見せ、建物にきらめきを添える。
柳ノ魚島の財力を見せつける、立派な作りの建物と言えた。グイムたちのいる市長執務室も、執務に邪魔にならない程度に、手の込んだ装飾がほどこされている。
「しかし、市長。もう既に、半燭(※約二時間)がすぎております。市民たちもそろそろ痺れを切らすのでは」
「わたしは、待たせておけと言った」
走らせていたペンを止めると、グイムは秘書を見やった。
「たかが船ノ人。頭の弱い女どもの集団など、わが権威にひれふしこそすれ、文句を言うはずもなかろう」
「ケルニ・カヴーラ率いる〈疾き風槍〉は、安易にあしらって良いものではありません。船ノ人はわれらとは違う掟に生きる人々。船という島が連合を作る集団。彼女はいわば、一国の元首のようなもの」
「なにが元首だ。我々に頼らねば生きてゆけぬ、残飯漁りではないか。こちらからの慈悲により生き延びている分際で、言うことを聞かせようなど、不遜もはなはだしい」
「市長……」
エハネはため息を飲み込んだ。部屋の隅に目をやる。
そこには言葉を発することなく、静かにたたずむ巫女が一人。
簡素な巫女装束をまとい、目を伏せる、十二、三周期に見える少女。体はか細く、見た目には、若い姿をしている。だが、巫女とは年齢のわからぬもの。先の巫女長は、年端もゆかぬ幼女の姿をしていながら、エハネの倍は軽く生きていた。この巫女も、どれほどの歳月を生きているのか。
額にある第三の目は、今は閉じられている。その事実に、少し安堵する。あの目が開かれていると、いろいろなものを見透かされる気がして、落ち着かないのだ。先ほどから微動だにしていない。無表情であることも相まって、精巧に作られた人形のようだ。
市庁舎には必ず一人、巫女が派遣される。その時々によって人数が増えることもあるが、最低一人は必ず市長の側にいる。
『読み解くもの』の能力である共感により、各地と意識をつなぎ、情報を迅速にやり取りするためだ。
この巫女が、巫女長である赫き花のサイラからの言伝をもたらしたのは、半燭より少し前のこと。
〈疾き風槍〉の風読みは無礼にも、島の巫女長であるサイラを敬うことをせず、侮りの言葉をよこした、と。
「当代の巫女長は、わが〈赤〉のカン、一族総領の姫たる者。それを侮る風読みの無礼も許しがたいが、その無礼を許す船ノ長も度し難い。
いくら船を操り、島々を行くことができるとは言え、所詮はわれらに品物を売り、金をせびらねば生きてゆけぬ、さもしい者たち。あれらが今日あるは、われらがいたからこそ。われらが慈悲をもって、あれらに金銭を与えてきたからこそなのだ。
だと言うのに、あの女たちは、おのれが何よりも偉いのだと勘違いをしているのではないか。島においては、島の掟にしたがい、島ノ長、および島を統括する一族に敬意を払うべきであると、あの女どもには思い知らせてやらねば。
待たせておけ」
断固とした風に言う市長に、エハネはつきたくなったため息を飲み込んだ。市長のやり方は、どうにもまずい。
船ノ人たちは、島々を渡り、さまざまな品物を流通させる。
品物だけではない。彼女たちは、人や血も運んだ。船でやってゆけなくなった女や、船ノ人から生まれた男の子は、あちこちの島で新しい血をつむぐものとして、島ノ人と絆を結んだ。船を下り、妻に、母になり。養子や、養女になったのだ。
そうしてできた親戚づきあいから、より豊かで、複雑な商売が、新しくもたらされることもあった。また外から入る血により生まれてくる子供は、健康で、力強い子になることが多いともされている。
新しいものをもたらすものは、新しい血をまぜるものであるのだ。
船ノ人とは、そういう存在だった。彼女たちがいなければ、どの島も孤立し、あらゆる物事がゆるやかに停滞してしまうだろう。その先にあるものは、……静かなる滅びだ。
(孤立した島には、未来がない。血が濃くなりすぎて、いずれは滅びる)
エハネは思った。ただ一島でだけで完結してしまうなら。しばらくは、生きてゆけるだろう。だがやがて、限界が来る。
子どもが次第に生まれなくなり、生まれたものも、弱い体をかかえるようになる。そうしてある日、気づくのだ。海果を摘む者はなく、草瓜の実は荒れた藪の中。破れた壁や壊れた屋根の影に、痩せ細った歌い牙の悲しげな声だけが響く集落になっている、と。
そうした前例は、いくつもあった。エハネはそれらを、古い文献で読んで知っていた。
(彼らがわれらを必要としているように、われらもまた、彼らなしには立ち行けない)
島ノ人と船ノ人、どちらが偉いというわけでもなく。どちらも、お互いがいて成り立っている存在なのだ。
(ああ、だが、市長は聞き入れないだろう)
グイムは有能な男だ。市長として、辣腕を振るっている。古くから続くカンの一族、〈赤〉の氏族の者として、幼いころから厳しく育てられ、己を磨き、そうしてついに市長の地位に就いた。その有能さに、エハネは疑いを抱いたことはない。
しかし彼には、島ノ人として、また〈赤〉のカンとしての、強烈な自負心があった。ありすぎた。
男性が尊重され、女性はおとなしく従うのが良いとされる島ノ人にとって、女のみで船を操り、海を行く船ノ人は、異質に見えた。そうして、島の男として強烈な自負を持つグイムにとって、自分の意思で全てを決定し、時には武器を持って男たちと渡り合う船ノ人は、自分の権威に異を唱え、逆らう、許しがたい存在に見えていた。
これはグイムに限ったことではない。島ノ人の、特に権力を握る立場の男たちのほとんどは、船ノ人に対してそのような印象を持っている。
それでも、彼らはそれなりに、注意を払って対応してきた。彼女たちの運ぶものが必要であったからだ。
それを屈辱的だと思う者もいたが、女たちにはとにかく、寛容さを持って対するようにとの申し送りが、先人たちからはされてきた。
船ノ人は、風読みを使って連絡を取り合う。彼女たちは、個にして全。そのような存在だ。
ひとつの船の船長の機嫌を損ねると、ほかの船にもすぐ伝わってしまうのだ。どれだけ都合の悪いことを隠そうとしても、それらは白日の下にさらされてしまう。
(ある所に、群島の中で主座に就くほど勢いのある島があった。港はにぎわい、ひっきりなしに船がやってきては、富をもたらしていった。
一人の市長がいた。彼はにぎわう港と、増えるばかりの富の輝きにおごり、この世の何よりも、自分が高みにいると示そうとした。
市長は船ノ人の一人をとらえると、獄につないだ。そうして己が支配下にくだれと、船ノ長に強いた。さらなる富を手に入れようと考えたのだ。
長は従い、市長は勝ったと思った。けれども市長の行いは、その時すでに、全ての船ノ人に伝えられていた。その場にいないはずの、はるか遠くの海にいた者たち全てに。
あらゆる取引が、ぱたりと止んだ。
ひっきりなしにやってきていた船が、来なくなった。港はさびれ、町からも里からも、人々のにぎやかな声は、しだいに消えていった。
その時になってやっと、市長は慌てたが、後の祭り。とらえた船ノ人を使って、港に船を戻そうとしたが、船ノ人はいずこかに消えていた。蛇の男たちが杖を振り、獄の扉は砕けていた。
その島は、ついには貧しい島となってしまい、近隣の島からの援助なしにはやってゆけなくなったと言う)
古い昔話を思い出す。この物語は、船ノ人は蛇族とかかわりがあると匂わせている。ほとんどの里でこの物語は、船ノ人が自分たちとはちがう存在だと、得体の知れない女たちに気をつけろ、という警句なのだとされ、語られている。
しかし、町では。市長たちを輩出する一族の中では。これは、政治に関係した物語とされている。船ノ人の扱いを、間違えてはならないという教えを含んでいるのだ。
己が権威を誇っても良い。しかし、その権威が相手に通じるとは思うな。船ノ人は、われらとは違う世界に生きている。ゆめゆめ、侮ってはならぬ。
エハネはその言に従ってきたし、グイムより前の市長もそうだった。グイム自身も、そうしてきたはずだ……それなのに。
(〈赤〉のカンの姫、赫き花の巫女長よ。よもや、嵐を呼びよせる真似をしてはいまいな)
新たな巫女長となった娘の顔を思い浮かべ、エハネは苦々しげな顔になった。神殿では今、カンの一族の息のかかった者が、多数を占めている。巫女や、巫女の世話をする準巫女に、一族の出の娘たちが多くいるのだ。
そんな中で、〈赤〉のカンの姫たるサイラが巫女長となった。
一族が勢力を伸ばすのは、喜ばしい。しかし。
何かが、どこかが。歯車が噛みあわないような。小さな小石がはさまったかのような。据わりの悪いものを、エハネは感じていた。
グイムには、感じられないのだろうか。そう思い、もう一度声をかけるべきかとエハネが思った時。沈黙したまま立っていた巫女が、みじろいだ。
「緊急。緊急。緊急」
しわがれた声で、巫女が言った。額の目が開かれ、きょろりと動く。何かを認めたかのように視線が定まると、巫女は続けた。
「警告。港にて、蛇族との間に揉め事を起こす者あり。竜の娘が騒乱の中にあり」
緊張が、その場に走った。
できた部分だけ投稿。次がいつあげられるか、ちょっとわかりません。すみません。




