港にて 01
島に近づいた船は、畳帆し、停泊場所で錨を降ろした。しかし、船員の上陸許可は降りなかった。
「おかしいね。旗を掲げているってのに」
人びとでにぎわう港と通りを見つめ、アギーがつぶやいた。
島に近づく船は、島の者にも良く見えるよう、どこの系統の船であるかを示す旗をかかげる。
〈疾き風槍〉の旗は、鮮やかな黒の地に、金色の雷と翅のある槍が縫い取られたものだった。それは今、誇らしげに風を受け、はためいている。
船の航路は、それぞれの系統によって違っていた。どの船がどの季節にどの島に立ち寄るかは、それにより、ある程度決まっている。補給や思わぬ嵐などの理由から、立ち寄る港が重なることはあるが、そうした場合でもその島における優先権は決まっていて、その順番を守って振る舞うのが、船ノ人の暗黙の了解となっていた。
港を警備する島ノ人たちは、自分たちの港に立ち寄る船ノ人の旗と、やってくる季節の組み合わせを頭にたたき込む。海賊の襲撃を避けるためにも、旗を見分けることは重要だった。
冬が終わり、太陽が力強くなる。善き西の竜が風を吹かせ始める、海果の花の季節。この時期に海渡り竜ノ国の海域を往くのは、〈風〉と〈雲〉。黒色の旗は、〈風〉の系統を示すものだ。〈疾き風槍〉が港に入るのに、不思議はない。だと言うのに。
「役人が来てから、どれだけたった?」
「蝋燭半分(※約二時間)は、もう燃え尽きてるだろ」
アギーの言葉に、エルマが返した。錨を降ろしてしばらくして、役人が臨検の為にやって来た。浮遊艇に乗った島ノ人は尊大な様子で、上陸はしばらく待て、とだけ言うと、さっさともどって行ったのだ。
「ここに来るのは、初めてじゃないってのに」
「ああ。こんな対応をされた事は、今までになかったよ。ほかに船が来てるわけじゃなし。なんでこんなに時間がかかってるんだ?」
入港する前に、何らかの調べがある事には慣れていた。けれども物資を輸送する竜の娘たちの船は、島の者にはありがたいものだ。それに何年も同じ航路を往くと、顔見知りも多くできる。検査と言っても大抵は形式的なもので、すぐに許可が降りるのが常だった。
だと言うのに……船を停めさせたまま、誰もやって来ない。ほったらかしも良い所だ。時ばかりが過ぎてゆく。
待ちぼうけの状態で、船員たちはいらいらし始めていた。
「セアラ! 港の様子はどうだい。島に何か異変は起きてないかい?」
見張り台にいたセアラは、アギーからの問いかけに、港に目を向けた。
港は、船がやって来たと聞いた島の者たちが押し寄せているのだろう。人が行き来してざわついているのが、ここからでもわかる。港に船が着いた時の、いつも通りの光景だ。
特に異常は見当たらなかった。島の様子は、平穏そうだ。
「いつも通り! 船が来たから、もうけてやろうって商売人が集まってる」
「襲撃を受けたとか、そんな様子はないのかい!?」
「島は、どう見ても、すっごく平和!」
アギーは眉をしかめると、翅を広げてセアラの近くまで飛んできた。見張り台の縁に降りると、島の様子を見やる。
「確かに。どうってことないように見える……なんだってんだ」
「こっちの台詞よ、アギー。何なの?」
「時間がかかり過ぎてるだろう。海賊の襲撃を受けた後で警戒してるのかと思ったが……そんな様子はないねえ」
もう一度、なんだってんだ、と言ってから、アギーは首をかしげた。
「商売をしたいやつらが押しかけてるってのに。それを止めてまで何がしたいんだか」
船から誰も降りてこないのにじれたのか、商売っ気を出した島ノ人が浮遊艇に乗って、こちらにやって来ようとしている。しかしそれはことごとく、警備の者たちに止められていた。
「病が発生したって訳でもなさそうだし。えらく厳重に警戒して……」
そこで、ぐぐう~、という音が聞こえた。腹の虫だ。アギーは音の出所を見やった。
「腹減りかい、セアラ。また盛大な音を立てて」
「もう、お腹と背中の皮がくっつきそう」
ため息混じりにセアラが言った。アギーは苦笑した。
「成長期だしねえ。そろそろ交代だろ。下で何か食べたら良い」
「だって、悔しいじゃない!」
突然、セアラが言った。
「体力持たせる為にも、何か食べれば良いってのは、あたしにもわかってるのよ。でもね。あたしは、期待してたのよ! こんな間近に陸地を見ながら、上がれないなんて思わないじゃない……」
「ああ、」
「楽しみにっ、してたんだっ。保存食じゃなくて。あつあつの。できたての。料理が食べられるって! アギー、あんたが島影を見てからずっと、パイやらスープやらの話をしっぱなしだったから……」
涙目になって、セアラは見張り台の縁に手をついた。
「なのに陸に上がれない……あ~が~れ~な~い~」
「あ~……、まあ」
「ああ~……花りんごのパイ……べったべたのソースがかかった串焼き……とろっとろの団子入りのスープ……すぐ側にあるってのに。屋台で作ってるのに。すぐ側にあるってのにぃぃ~……!」
恨みがましく繰り返すセアラから、アギーはそっと視線を逸らせた。
「あ~……その、悪かったよ。辛抱するんだね。きっとすぐに上がれるさ」
適当な慰めを口にすると、八つ当たりをされない内にとさっさと降りる。
残されたセアラは涙目になりながら、風に乗って漂ってくる香りを嗅いだ。焼いた亀蛇の匂いだ。安っぽいけどそれなりに美味しいソースの匂いもする。
また腹が鳴った。匂いだけだなんて、なんの拷問だ。
「お腹すいたあ~……」
言ってもどうにもならないと思いつつも、そうつぶやく。そうして見やった港が、妙な動きを見せていることに気づき、セアラはおや、と思った。先ほどまでの喧騒が、次第に静まってゆく。
人込みが、何かを避けるかのように動いている。その中に、妙に気になる感じの黒っぽい衣服の集団を見つけた。
「なにあれ」
暗い色の、ぼろとしか見えないマントとフード。それで顔と体全体をかくすようにしている集団は、全員がそれとわかるほど痩せていて、背が高かった。
彼らの周囲だけ、空間がぽっかりと開いている。島ノ人が彼らを避けているためだ。
セアラは首にかけていた、玻璃虫の目玉を磨いた遠眼鏡を目に当てた。慣れた手つきで調整する。
じじ、と音を立てて焦点が合う。
静かに佇むマントの集団のうち、一人が何かに気づいたのか、顔をこちらに向けた。その、顔。
「蛇族……!」
セアラは棒立ちになった。見えたのは、青白い肌に複雑な紋様の刺青を刻み、額に第三の目を持つ男。
蛇の一族。
呪術を使うと言われる、陽のささない海底を拠点として暮らす、男だけの一族だ。滅多に人前には姿を見せない。だと言うのに、なぜ。
「ア、アギー! エルマ!」
蛇族を見たのは初めてで、硬直していたセアラだったが、我に返ると甲板に向かって怒鳴った。
「なんだ、セアラ?」
「どうかしたのかい」
泡を喰った様子の妹分に、二人は怪訝そうな視線を向けた。セアラは叫んだ。
「蛇族の男がいる!」
二人の顔つきが変わった。この言葉を聞いた他の船員たちの間にも、緊張が走る。
「エルマ、船長か副長に知らせな」
「あんたは?」
「確認する。セアラ、そっちに行く!」
エルマがすごい勢いで操舵室に向かった。セアラはもう一度、目に遠眼鏡を当てて港を見た。黒っぽいマントの集団は、ひっそりと佇んでいる。その彼らの前には警備の者らしい兵士がいて、武器を手に、彼らを睨み付けていた。
えっ、ちょっと。あれはまずいんじゃ。
遠目に見ても若い兵士は、明らかにこうした事態に慣れておらず、緊張していた。今にも斬りかかりそうだ。
一方の蛇族は、武器も持っていないようだ。無防備な様子で立っている。
「まずいよ……、無抵抗の相手を斬り殺したりなんかしたら。第一、蛇族は、殺したらたたるって」
〈海〉の中に棲み、海獣と戯れ、呪術を扱う男たち。彼らは恐怖と紙一重の畏怖の目で見られ、関わらないにこした事はないと思われていた。
彼らを理不尽に扱えば、たたりがある。そうした言い伝えがどの島にもあって、礼儀正しく対応はするが、関わらないようにする、という常識が、この世界には根付いていた。しかし、逆に言えば、そうした言い伝えができるほど、彼らは恐れられていた。
兵士は、そのように言い伝えられている相手とごく間近に相対したことで、平常心が崩されたのだろう。恐怖から武器に手をやってしまい、手が離せないようだ。このままでは、何かきっかけがありさえすれば、攻撃にかかってしまうだろう。
「あんな経験なさそうなひよっこを、警備にまわさないでよ! 誰か止めなさいよ……うわあ、もしあの男たちが死んだら、あたしらにもたたりってあるの?」
「なに言ってるんだい」
飛んできたアギーが、セアラの手から遠眼鏡を取り上げた。目に当てると、セアラと同じく慌てだす。
「うわ、ほんとに蛇族……って、誰だい、あんなひよっこに武器を持たせたりしたの!」
「だからあたしが、さっきから言ってる!」
叫ぶセアラに遠眼鏡を放り投げると、アギーは翅を広げて甲板に降りようとした。
その時。何かが船を飛び立った。
しゅっ、という鋭い音と共に、真紅と金の光が走る。凄まじい速さで、港に向かって。
「えっ、」
セアラが呆気に取られていると、アギーがあわわ、という声を上げた。
「ちょっ、やばっ、」
「え?」
「総員、出港準備かかれ~っ!」
そこに副長の号令がかかる。船員は全員、何事だという顔をしつつ、大慌てでマストや、錨を引き上げる巻き上げ機に取りついた。
「え? なんで?」
呆然として言うセアラを放って、アギーは甲板に立つ漆黒の影に向かい、ひっくり返った声で叫んだ。
「副長ぁっ! なんで船長を止めなかったんですかあっ! 下手したら向こう十年、あたしらこの島に立ち寄れないですよおっ!」
船長?
「止められるものなら止めていた! もう遅い! あの迷惑台風女王が……とにかく逃げる準備!」
どこか破れかぶれな感じで副長が叫び返してくる。慌ててセアラは遠眼鏡を目に当てた。
人びとが集まり、蛇族の男たちと若い兵士の間の、一触即発な雰囲気に呑まれている港。
そのど真ん中に……、
「か、か、か、船長っ!? なんだってそんなとこに!?」
見覚えのある、ありすぎる、白い髪と紅の衣。
一触即発の男たちの間に、金の翅を広げた堂々たる女性が一人、宙に浮いていた。片手に棍を持ち、実に楽しげな顔をして。
「うわ~、やっちゃったか、船長」
「マナ酒も、亀蛇の丸焼きも、お預けか?」
「下手すりゃ、追放処分だよ」
古参の船員たちの反応は早かった。事態が良くわからないなりに、あの船長が突っ走ったのなら仕方がないと、さっさと出港準備にかかっている。その対応の早さは慣れなのか、諦めなのか。
しかしセアラにはまだ、そうした諦念らしきものは備わっていなかった。うろたえた少女は、見張り台の上で叫んだ。
「あたしら、まだ、上陸許可もらってないんですよ~っ!?」
ぎゃっぎゃっ、ぎーっ。
にぎやかに翅魚が鳴いた。