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風読み

「嵐の予兆を感じます、船長カヴーラ


 静かな声が、操舵室に流れた。


「嵐?」


 ケルニは振り返った。


「しばらく島に閉じ込められるか?」

「その嵐ではございません。なにか、揉め事がやってくる気配がいたします」


 ケルニの問いかけに、声は答えた。細く、けれどもしっかりと芯の通った声音。

 ひゅおん、ひゅおん、と風を揺らすかのような音を立てて、空座標儀が光を放つ。風読みが大切にするそれの前には、磨いた貝石がいくつか散らばっている。


「揉め事?」

「島全体に、不穏な影が差しています。破ってはならぬ何か。守らねばならぬ約定を、破ろうとしているかのような」


 声の主は貝石に手を伸ばし、指で宙を撫でるようなしぐさをした。

 繊細な容貌の少女だった。

 小柄な体は肉が薄く、華奢な作りをしている。あかがね色の肌にかかる、緑がかった髪は長い。それは結い上げられることなく、一つにまとめたのみで垂らされていた。

 瞳の色は青い。

 そうしてその背に、翅はなかった。動き回るには不向きな、袖が長く、裾も長い服の背は、しっかりと布で覆われている。

 骨格と言い、身にまとう色彩と言い、明らかに、船ノ人とは違う人種である。


「制御のきかない力。力を欲する心。無知による闇と、恐怖を退けんとする怒り。それらが絡み合い、全てを打ちのめし、押し流す渦を作り出そうとしている」


 少女の声が、独特の響きでもって言葉を紡ぐ。


「ミメイ、夜明けの花たる読み解くもの。わが船の風読みよ。おまえの言は時折、理解しがたいな」


 ケルニが苦笑気味に言った。

 第三の目を模した、瞳石の飾りを額につけた少女は、宙にある何かを見つめながら尋ねた。


「いかがしますか」

「いかが、とは?」

「嵐が過ぎるまで頭を低くし、関わらずに過ごすか。嵐に向かってゆくか」

「選択する余地があるのか」


 ケルニの言葉に少女はまばたき、船長を見た。


「余地はいつでもございます、カヴーラ。人の前にあるは、道。選ぶのは、人にございますれば」

「祭司の託宣のような言葉だ。われらが巫女は」

「わたくしは、巫女ではございません。わたくしの額には、その資格たる目がない。ゆえに風読みとして船に乗っております」

「知っている。言葉のあやだ」


 生真面目に答えた少女に笑い、ケルニは腕を組んだ。


「ふむ。さて、どうするか。わたし一人であるなら、面白いから嵐の中に突っ込んでゆくのだがね。長としては、他の者を守る責任があるしなあ?」

「ケルニ・カヴーラ。あなたは嵐の目。あなたが動けば全てが巻き込まれる。あなたは平穏にあって嵐を求める者。ゆえに嵐もまた、あなたを求める」


 少女の言葉に、ケルニは眉を上げた。


「巻き込まれるのは決定か? 選択の余地はあるとか言っていなかったか?」

「余地はございます。けれど、あなたご自身が、嵐を求める者であることに変わりはない。ゆえに、嵐はあなたを目当てにやってくる」

「避けられないってことじゃないか」


 うぬう、とうなってから、ケルニはだらしない姿勢で壁に寄り掛かった。


「で、嵐の方もわたしを目当てにやって来る? 騒ぎを起こして回るやっかい者のようだな、わたしは」

「わたくしは、見えるものを語るのみ」


 静かに言うミメイに、肯定しているじゃないかとケルニはぼやいた。


「嵐、なあ。島の巫女どのは、何と言っている。連絡はつかないのか?」


 なぜかミメイは、顔をしかめた。


「島の巫女は、わたくしとは話せぬと」

「なぜだ」

「嵐の気配ありと伝えたわたくしに、風読み風情がでしゃばるなと伝えて寄越しました」


 ケルニは絶句した。ややしてから不快げに眉をしかめる。


「それは、また」


 そう言った後、続ける言葉を見いだせず、口を閉ざす。彼女は黙って首を振った。


 風読みや巫女は、『読み解くもの』と呼ばれる種族である。

 華奢で小柄、翅を持たず、額に第三の目か、その名残りである痣か盛り上がりを持つ。たいがいが女性で稀に男性がいるが、その数は少なく、ほとんどいない。

 彼女たちは、一代限りの存在だ。

 島の者か、船ノ人から、彼女たちは生まれる。母親にも父親にも、姉妹や兄弟にさえ、彼女たちは似ていない。

 ただ、『読み解くもの』として生まれてくる。


 産みの母と共に暮らすのは三歳までで、それ以降は神殿に行く。そこで数年を過ごし、自身の資質を見極め、風読みとなって船に乗るか、神殿に残って巫女になるかを選択する。

 子をなすことはできない。彼女たちの体は生涯を通じて幼生こどもであり、大人となることはできないからだ。

 船に乗る者は、航路を守り、間違いなく進む『船の導き手』になる。

 島に残る者は、世界の流れを守り、時の動きを見張る『運命の導き手』になる。

 それが風読みであり、巫女だった。


 そうして彼女たちには、同族同士で心をつなげる能力があった。その特質を利用して、航海中の船同士で連絡を取り合ったり、島の情報を船にいながら手にしたり、沖の天候の様子を島に伝えたりしている。

 ケルニが〈紅き輝き〉の船ノ長、マイラからの伝言を受け取れたのも、こちらにミメイがおり、あちらの船にも風読みがいたからだ。

 船ノ人にとって、風の流れを読み、天候を読み、他の船や島と連絡を取ることのできる風読みは、船の命運を握る者でもある。

 風読みが一人いれば、どれほど遠く、長く航海する時でも、船ノ人は道をはずれずに行く事ができた。

 それゆえに船ノ人はだれであれ、風読みに敬意を払った。ことに、己の属する船の風読みには、細心の注意を払って接するのが常だった。


 ミメイはケルニの船、〈疾き風槍〉の風読みである。

 その風読みに対する暴言。ケルニでなくとも、眉をしかめただろう。


「そういうことは、良くあるのか。風読みは、島の巫女たちからすれば、侮られる存在なのか」


 気遣うように問えば、ミメイは「いいえ」と答えた。


「われらは読み解くもの。われらは探求し、伝えるもの。われらは風を読み、時を読むもの。われらは世界を見、流れを見聞きするもの。

 能力に違いはあれど、そのように生まれつく種族にございます。

 わたくしが生まれた時、わたくしの額に目はなかった。時を読むための目を、わたくしは授からなかったのです。

 ゆえにわたくしは、風読みとして船に乗りました。世界におもむき、探求の中に生きて知り、読み解くために。

 ゆえに額に目を持つ者は島に残り、運命を読み解く修行に明け暮れます。その目を時のなかに向け、世界を読み解くために。

 風読みが巫女より劣る者であるわけでも、巫女の方が優れているわけでもない。

 われらにあるのは、立場の違いのみ。あり方が違うだけで、対等な存在なのです」


「ではなぜ、そのような言を。言って寄越した島の巫女どのは、……そのう、お若い方なのか」


 それでも巫女は巫女だ。悪しざまに言うことは避けて問いかけると、ミメイはふう、と息をついた。


「そうですね。若い。

 巫女長みこおさが代替わりをして間がない。若い者にまで目が届かぬようです」

「柳ノ魚島の巫女長は、代替わりをされたのか」

「先の巫女長、穏やかなる恵みのリラさまは、高齢。まだ生きてはおいでですが、……一日のほとんどを、眠っておられる。安らかであれ、先達にして姉たる方よ。

 次の巫女長として、あかき花のサイラどのが選ばれた。神殿の祭司たちの、強力な後押しがあったようですね」

「祭司が? 彼らは、読み解く力を持たぬだろう」


 一代限りの巫女を支えるため、各地の神殿に、神官や祭司がいる。彼らは神殿に住み、巫女たちの世話をし、記録や管理を行っている。

 

「そう、……本来であれば、巫女長による指名か、年長の巫女たちによる指名により決まるはずなのに。

 祭司たちが強引に決めた。

 どこの神殿でも、島ノ長や貴族たちの係累が、神官として入り込んでいるもの。リラさまであれば、彼らの横やりを抑えきったでしょうに。

 サイラどのでは抑えきれない。彼らも。嵐も」

「そのゆえの嵐か。嫌な感じだな」


 ケルニはふう、と息をついた。


「ミメイ」

「はい」

「わたしは船ノ長として、船の家族を守る義務を負う。だから、嵐にはなるべく頭を低く下げて、やり過ごせるならやり過ごすつもりだ」

「はい」

「だが、嵐が家族を虐げようとするのなら、別だ。そのような真似をされたなら、それがだれであれ、わたしは牙を剥く」

「はい」

「そうしてな、ミメイ。夜明けの花たるわが風読み。

 その家族の中には、おまえも入る。嵐がおまえを虐げるなら、わたしは全力をもって抗う」

「感謝いたします、ケルニ・カヴーラ」


 ミメイはケルニに頭を垂れた。


「島に降りたならば、注意深くあられませ。それが糸口となりましょう」

「わかった」


 ひゅおん、と空座標儀が微かな音を立て、貝石がきらめいた。



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