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「島影が見えたぞーっ!」
メインマストの見張り台にいた娘が叫んだ。翅魚が、ぎゃっ、ぎゃっ、と鳴きながら周囲を飛び交っている。
高く響く娘の声に、甲板がにぎやかになる。
「島か!」
「久しぶりだ。どこだ?」
「柳ノ魚島だよ!」
「海渡り竜ノ国だろ。あそこは、あたしたちに寛容だ。ありがたい。陸地を見るのは三巡月ぶりだ!」
甲板に顔を出した女たちが、喜びの声を上げる。いずれもあかがねいろの肌をして、淡い色の髪を編み上げた女たちだ。
淡紅や黄、薄茶の髪には、色あざやかなビーズが編み込まれている。耳には耳飾り。首にはメダル。腰のベルトに宝虫細工の飾りをつけた女たちは、きらびやかな飾りだけではなく、牙魚の短剣や、角蛇のサーベルをも腰に帯びている。
しっかりした布地のシャツは、背中が大きく開いている。そうして彼女たちの背中にはいずれも、肩甲骨の辺りに、固い鞘のようなこぶがあった。
船ノ人。
島から島へと移動する、女だけの民族だ。彼女たちは自らを、誇りを込めて、竜の娘と呼ぶ。
ざざざざざ、
ずあざざあああざざざざ、
風が帆をふくらませ、緑の波をざわめかせる。翅魚の飛び方をたわめ、後押しし、船の背を押す。
緑の底からはいあがってくる、むっとした熱気と草いきれ。
ぎゃっ、ぎゃっ、ぎぎいっ、
ぼうおーう、ぼぼおーう、
船にまとわりつき、船ノ人の食べ残しを狙う翅魚は、にぎやかに鳴きながら空を飛ぶ。その騒がしい声にまぎれ、どこからか角蛇が声を上げる。
ざざざざざ、
ずざざざざざあああ、
輝く太陽の光の下、なびく緑の〈海〉。
命樹海。
命を産み、育み、そして奪う緑の〈海〉を、惑星に住む者たちはそう呼びならわしている。
草の塊にほんの少し触れた状態で宙に浮き、船は赤いきらめきを背後に引きつつ、〈海〉を行く。輝く帆を、翼のように広げながら。
上に三本、船の横腹に二本ずつ。七本あるマストがすべてが展開され、帆が風をはらんでいる様は、花弁を開く花のようにも、ひれを翻して泳ぐ魚のようにも見えた。
「セアラ! どっちの方角だい!」
女たちの一人が、見張り台の娘に声をかける。
「左舷前方、十時の方角!」
見張り台の上から、セアラと呼ばれた娘の声が降ってきた。「ありがとうよ!」と叫んだ女は、たん、と軽い音を立てて、甲板を蹴った。
舞い上がる。
背に、翅が生じた。肩甲骨にあったこぶから軽い音を立てて、透けるような薄い翅が四対現れる。
とは言え、一見すると、二対の翅にしか見えない。
重なり合う上の四枚は、背中ほどの大きさがあった。それに対して下の二対は、ごく小さかったからだ。
それは陽の光を弾きながら伸びて、かすかな紅色のきらめきをまとい、風を、光をはらみながら、女の体を宙に留めた。
次の瞬間、女は一気に飛んだ。帆に沿うような距離で舞い上がる。見張り台の近くまで飛ぶと、女は体を前方に倒したような姿勢になった。
「ああ、本当だ。島影が見える!」
他の女たちも、次々に下の船室から現れて、船べりに集まったり、翅を生やして宙に浮いたりしながら、前方にある島の姿を確認しようとしている。
女たちの翅はいずれも、透明で薄く、かすかな紅色をまとい、誇らしげに陽の光を弾いていた。
「天の竜のお恵みだ! 無事にここまで来れた」
「早くうまいものを、たらふく食べたいよ!」
この翅こそが、彼女たちをして竜の娘と言わしめる、船ノ人の証だった。
惑星 碧の住民である彼女たちは、一生を船に乗って過ごす。
島から島を巡り、島の住人たちと商いをし、惑星に住む者たちの物流を担って動かす。
その特徴は、背にある翅。彼女たちは、船を操ると共に空を飛ぶ。そうして、緑の〈海〉を行くのだ。
追い風を受け、船は進む。緑の葉が音を立てて揺れる、彼女たちが〈海〉と呼ぶその場所を。
ほー、ほほ、ほー、
ぎゃっ、ぎゃっ、ぎーっ、
重なり合う葉の下方から、翅魚や、飛び蛇が姿を現し、背びれや尾びれをきらめかせては、また緑の下に潜る。
いっぱいに風をはらんだ白い帆は、飛行の呪を刻んだ証の紅色のきらめきを宿しながら、船を飛ばし、人を守る。
「柳ノ魚島か。あそこには、うまい料理の店がある。知ってるかい?」
「『角魚のボタン亭』だろう、知ってるよ!」
「ああ、花りんごのパイ……」
「それより、マナ酒だ! 緑油の実を入れてさ」
「あそこには、可愛い男の子もいるよ!」
「だれか、ディンドから手紙をもらっていたろう。『ボタン亭』の、目のくりっとした男の子」
「ノーリアだろう、はっは! あの子と海果を摘むのかい?」
「♪いとしーいー人とーおお、海果ぁぁをつーもーうー。あなたに一つー、わ、た、しーに、ひ、と、つ~♪ 結婚式には呼んどくれ!」
「違うってば! 手紙をもらったのは、あたしじゃないよ! ケーナだよ!」
「何をばらしてくれてるのさ、ノーリア!」
女たちの顔は明るい。軽口を叩き合い、久しぶりの陸地への期待に喜び合っている。
はしゃいだ数名が、マストの周囲を飛び回った。船の周辺を飛び交っていた翅魚たちが、人間の動きに触発されたのか、薄いひれを広げて船の周辺を飛び回りながら、にぎやかに鳴いた。
「蟹生も、海老魚虫も、悪くはないんだけどね」
「続くと飽きるよなあ」
「クム酒が、そろそろ仕込まれてる頃だろう?」
「亀蛇の丸焼き! 焼きたてに、月蜜柑をきゅっとしぼってさ。あれは島でしか味わえない……」
「ケーナ、ケーナ。それで、ディンドとはどうなんだい?」
「だから、やめてってば!」
騒いでいると、一人の女が甲板に立った。
「おまえたち! まだ、着いたわけではないぞ。気を抜くな! 操船をとちったりしたら、そいつを樽漬けにしてやるからな!」
彼女の肌の色は、淡かった。きっちりと編み込まれた青い髪に、青い瞳。整った顔は、怜悧な印象を与える。
体格は良く、骨太で、背も高い。腰にはサーベルと鞭。服装は実用一辺倒の、シャツとズボン。飛び蛇の革で作られ、大角魚のうろこで補強したベストが、無骨な鈍色を見せている。足にはやはり鈍色の、飛び蛇の革のブーツ。
装飾品は少なかった。ベルトに小さな宝虫細工の飾りをひとつ、耳に古ぼけた骨細工の飾りをひとつ。それだけだ。髪のビーズも地味な色合いなものを、申し訳程度につけているだけ。
船ノ人は自分の財産を、飾りにして身につけるのが習わしだ。財産は、持ち運べる品物にして身につける。
嵐や海戦で船が沈む時、逃げられる者は小舟で逃げる。持ってゆくものはできうる限り軽く、小さくあるのが望ましい。
ひとつでそれなりの値打ちになる、軽くて質の良い宝虫細工や骨細工をいくつも身につけるのは、そのゆえだった。
彼女の装飾品は、それだけを見ると、あまり稼ぎのない見習い水夫と変わらないようなものに見えた。
しかし良く見ると、彼女の装備は上質な品ばかりである事がわかる。
飛び蛇革のベストは北の〈海〉産の強度の高いものであるし、ブーツも同様だ。サーベルも鞭も、量産品とは違う。どちらも一流の職人の手による特注品である。
徹底して装飾をはぶき、実用に即しているだけで、それらは一財産と言えた。
テサ副長、という声が、そこここから上がる。
「気を抜いたりしませんよ、テサ副長。あんたにとっちめられたら、亀蛇の丸焼きも、花りんごのパイもお預けだ。あたしゃ、美味いもんを、たーんと口にしたいですからね!」
「おまえの食欲は底無しだな、アギー」
古参の船員が言い、テサと呼ばれた女がそう返すと、周囲の者が、どっと笑った。
「今度の航海は幸運でしたね、ディナ。海賊に出くわすことも、嵐に遭遇することもなかった。たちの悪い海獣にも出くわさなかったしね」
「天の竜、命の大樹の恵みだな」
アギーの言葉に真面目な顔で返したテサに、女たちは口々に、天の竜と、命の大樹への祈りの言葉を口にした。
「ああ、だが、恵みと言うなら、古の嵐の竜のだろうよ」
マストの周辺を飛んでいた一人が、甲板に降りてきて言った。広げていた翅をたたむ。
「なんたってわれらが船、〈疾き風槍〉には……」
「おまえたち。何、油を売っているんだ」
そこへまた、別の女が現れた。
「船長」
「ケルニ船長!」
船員たちが、居住まいを正した。テサもまた。
堂々たる女性だった。
同時に、己の身にこれでもかと言うぐらい、金をかけている女性でもあった。
元は淡紅色だったのが、陽にさらされて白くなってしまった髪に、不思議な色合いの黄金の瞳。濃いあかがねいろの肌にそれらは良く映えて、その人物を豪奢に彩る。
白いシャツは、リベリの花の繊維を紡いだもの。最高級品だ。美しい紋様の刺繍が縫い取られている。ボタンは良くある骨細工ではなく、高価な貝の実を磨いたもの。
ズボンは角蛇の革を、一枚で仕立てている。それを沈んだ赤に染めている。
ベストとブーツは、他の船員たちと同じく、飛び蛇の革。とは言えこれも赤く染められており、手の込んだ装飾が施されている。
編み込んだ髪には、宝虫細工のビーズがきらめき、耳にも大振りの耳飾りがぶら下がる。
ここまでの姿を見れば、どこの道楽者かと言えそうだ。しかし、実用を重視した腰のサーベルと鞭が、それらの印象を覆す。
あなどってはならない、戦いの中に身を置き、生き抜いてきた者なのだと。
顔だちは、テサほど整っているわけではない。しかし、甘さのある顔だちに厳しさと、激しさが色を添えており、髪や瞳の色も相まって、独特の雰囲気を彼女にもたらしている。
〈風〉のケルニ。
〈金の王冠〉〈宝玉の女王〉とも呼ばれる、〈疾き風槍〉の船長にして、この船ノ人の群れの、最高責任者である。
「テサの言葉を聞いただろう。今夜は、柳ノ魚島で過ごせるぞ。その前に、責務を果たせ。
縮帆しろ。速度を落とせ。勢いのまま港に突っ込むなんて、素人みたいな真似をするなよ!」
「はい」
「了解しました、船長」
「ヤー、竜の加護を!」
口々に言うと、女たちはばらけ、軽い音を立てて甲板を蹴ると翅を広げ、宙に浮いて、それぞれの作業に取りかかった。
その様子を見るケルニに、テサが近づく。




